老婆の名前を入手しました。▼
【アザレア一行 オメガの町】
例えるなら、蛇でできた濁流だ。
召喚魔法式からとめどなく蛇の雨が降り注ぎ、辺りは一面うねうねとうねる蛇の海となった。
いくら蛇が好きだという人がいたとしても、この量とうねりと個々の凶暴性を見れば逃げ出すだろう。
蛇たちは次々にアザレアたちに襲い掛かる。
イベリスがアザレアの動きに合わせて炎を発生させ、アザレアを襲う小さな蛇を焼き払った。
蛇の種類は毒蛇ばかりだとイベリスは分かっていた。
毒々しい極彩色の模様の蛇もいれば、真っ黒な蛇もいる。
「アザレア! お前さんは大蛇の方を頼む!」
「分かった!」
蛇の雨を止めるには召喚し続けている老婆を仕留めなければならない。
魔法の遠距離攻撃をするのは効果的だったが、エレモフィラやアザレアを周りの無数の蛇から守りながら老婆を狙うのは困難だった。
何よりも老婆は町の角に姿を消した為に狙うことができなかった。
その間にも大蛇の方は炎ごとアザレアたちを太い胴体で薙ぎ払おうとした。
それをアザレアが胴体を魔法剣で切断して食い止める。
だが、切断しても老婆が使っていると思しき回復魔法ですぐに大蛇の身体はくっついてしまった。
「キリがない。イベリス、ここは任せて大丈夫か!? 俺は老婆を仕留める!」
「私たちに気にせず行け! 守り抜いて見せる!」
アザレアは大気を操る魔法で自分の前に風の通り道を作った。
その空間には風の壁があり、小さい蛇たちはそこに入ってこられない。
蛇の海を割って駆け抜けるアザレアを大蛇が狙うが、イベリスが複数展開していた魔法によって蛇は焼き払われた。
「シャァアアアアアッ!!!」
完全に消滅すれば回復魔法では手を打つことは出来ない。
そう考えたイベリスは大蛇を業火の魔法で消し炭にした。
アザレアに到達する前に大蛇は燃え尽き、アザレアは老婆のいるであろう場所へと駆け抜ける。
家の角で死角となるそのすぐの場所に、老婆は杖をついて立っていた。
「ひいっ……!」
老婆はアザレアの剣を見た瞬間、叫び声をあげた。
「殺さないどくれ……! 子供がいるんだよ!」
その一言によって、アザレアは迷いから振りぬこうとする剣を止めた。
「なら、すぐに攻撃をやめるんだ」
「やめるよ、やめるから…………」
両手で自分を庇うように剣に怯える老婆に、アザレアは剣を下す。
老婆は召喚魔法を中止し、小さくなってガタガタと震えていた。
アザレアはゆっくりと老婆に歩み寄る。
「やめるから――――…………死にな!」
ザシュッ……
「……あっ……ぁ…………」
ポタッ……ポタポタポタッ……
その熟れた林檎のような深みのある赤い血の、滴るかすかな音が聞こえるに辺りは静かだった。
アザレアは老婆の悪意を気取っていた。
だから、老婆が最後に差し向けた蛇共々老婆を切り払うことができたのだ。
血を流しているのはアザレアではなく老婆の方だった。
老婆は右腹部から左肩までに大きな傷を負い、大量に出血している。
もう助からないだろう。
それでも一撃で絶命しなかったのは、老婆の身体を覆っていた蛇が防御壁になったからだ。
「…………やめてくれたら、命まではとらなかった」
「あぁああぁっ……いた……い……っ!」
老婆は傷を押さえて苦悶の表情を浮かべていた。
老婆の首を刎ねるのは難しいことではなかったが、もう敵意の感じられない老婆を切り殺すことにアザレアは抵抗があった。
「回復しないのか?」
「ぐぅっ……もう……疲れ……ぁぐっ……ちまってな……できないの……さ……ぜぇ……はぁ……なにせ……年寄りだからね……」
アザレアの元にイベリスがやってきた。
血と蛇の死骸まみれ老婆を見て、少しばかり顔をしかめる。
息を荒げている老婆は、アザレア達の顔を霞む視界で見て、何かを思い出したように目を見開いた。
「……あ……あんたたち、良く見たら……ぐっ……ぁ……はぁ……はぁ…………勇者連合会は……とんでもないものを隠してたってわけかい……」
「何? 俺たちのことを知ってるのか?」
「多分……ね……ごふっ……はぁ……はぁ……」
「エレモフィラ、ウツギが安定したらこの老婆を治してやってくれないか。何か私たちのことを知っているようだ」
少し離れた場所でウツギの回復を行っているエレモフィラに対して、イベリスはそう言った。
「知ってたら……どうだって……言うんだい……?」
「記憶がなくてな。私たちのことを知っているなら教えてもらおうか」
「へぇ……ごふっ……こふっ…………思い出さないほうがいいさ……思い出したら、あんた……たちは――――……っ………………」
老婆はその続きの言葉をなかなか言わなかった。ただ苦しみに顔を歪め、ぐったりとしているだけだ。
「まずいな……エレモフィラ、このままではこの老人が死んでしまう! まだか!?」
「…………イベリス、もう無理だ……脈もないし呼吸も止まっている」
老婆は苦悶の表情をしたまま息絶えていた。
アザレアが老婆の首の動脈を確認した後に、口元へ手をかざして呼吸を確認するが、もう息絶えているようだった。
瞳孔も確認するが、素人には判断しかねるものの、開いているように見えた。
それを見てアザレアはうつ向いたまま暗い表情をする。
「……アザレア、そう気を落すな。私たちを知っている者は他にもいるはずだ」
「なんで襲ってきたのか、誰だったのか、俺たちがなんなのか……聞きたいことはたくさんあった……なによりも、人間同士殺し合うなんてしたくなかった……」
アザレアは目を開けたまま亡くなった老婆の瞼をそっと閉じた。
「お前さんが悪かったわけじゃない。お前さんがやらなければ、私たちがやられていただろう。この老婆は相当な魔法の使い手だった」
「せめて名前が分かるものは……」
老婆の燃えてしまった服のポケット等を確認し、何か名前の分かるものをアザレアは探し始めた。
「……何故、名前を知ろうとする?」
「手にかけてしまったから、せめて名前を背負いたいと思う……それが、俺にできる唯一の償いだ」
「………………」
懸命に名前を知ろうとするアザレアの姿を見て、イベリスはしばし黙した。
ポケットの中に名前が印字されている身分証カードを見つけ、アザレアはなんとかそれを読み解こうとする。
「それは……おすすめはできないな。恐らく、私たちが目覚めてからこの短期間で人間と交戦したことを鑑みれば、この先多くの人間と戦うことが予見される。その者たちすべての名前を背負う覚悟がお前さんにはあるのか?」
焼けてしまっていてよく見えないが『セリーナ』と書かれているようだった。
イベリスの質問に対して、今度はアザレアがしばし黙した後に返事をする。
「…………背負うさ。俺が手にかけた者にも家族がいる。この老婆も子供がいると言っていた。その子供から親を奪ったのは俺だ。その事実から目を背けたくない」
「……………」
「この老婆の名前はセリーナというらしい……憶えておこう……忘れないように……」
「そうか…………まぁ、そこまで言うなら止めはしないが、それが苦しくなったらいつでも私たちに言いなさい。それが仲間と言うものだ。なぁ? お前さんよ」
老婆――――セリーナが持っていたカードを、アザレアはポケットにしまった。
「イベリス……ありがとう」
「まぁ、そんな顔をするな。ウツギの様子を見に行こう。この老婆は……セリーナはこの辺りの墓地に埋葬させてもらおうか。いや……町を襲った者を同じ墓地には埋葬したくないと言うかもしれないな」
「……そう言われたら、どこか森の奥に埋葬しよう。この現状を町の人に確認してもらってから、もう脅威は去ったと伝えたい」
2人がエレモフィラとウツギの方へ戻ると、ウツギはもうほぼ治っていて攻撃を受ける前の状態に戻っていた。
身体のタトゥーの模様までは戻っていないが、大きな傷は残っておらず、ケロイドではなく普通の皮膚の状態になっている。
「どうだ? こっちは片が付いたぞ」
「こっちも問題ない。一回は心臓が止まったけど、すぐに脳に酸素を送ったから脳に後遺症とかは残らないはず。意識はないけど自発呼吸もしてる」
「それって……一回死んだってことか?」
「ウツギは死んでない。“死”の定義は死神が決めてる。その者の“核”が肉体から離れた時が“死”だって。ウツギの“核”が離れる前にすぐに回復させたからセーフ。見えてはいないけど、回復魔法士はその見極めができるように訓練されてる」
いつもよりもエレモフィラは早口で話し始めた。
彼女からは言葉が次から次へと出てくるのか、話に若干とりとめがなくなっている印象をイベリスは受ける。
「核?」
「俗に“魂”とかっていう言い方もあるけど、それは俗称。『死の法』の公文には“核”って書いてあるらしい。実際に目には見えないし、観測はできない。でも、死神にはその“核”が見ているらしい。それが離れたときが“死”だって。魔法医学的には脳は“核”の情報を出力するための司令塔みたいなもの。司令塔が壊れたら正しく“核”の情報を処理できないから様々な精神疾患を患ったりする。でも“核”が入ってない身体もある。それが――――」
「あー……エレモフィラ、熱弁しているところ悪いが、そう早口でまくし立てられても全部は入ってこないものでな。お前さんが勤勉で熱心な回復魔法士なのは分かった。その興味深い話は後でゆっくりと聞くことにする」
エレモフィラが熱弁を振るい早口で説明をしているところを、延々と話してしまいそうに感じたイベリスは遮った。
エレモフィラは不満そうな顔をしたが、ウツギの回復に再び専念する。
「そう……ここからが最も興味深い話なのに」
「ははははは、お前さんの回復魔法が素晴らしいのは魔法使いとして認めざるを得ないな。魔法使いは勤勉さが大切だ。熱弁を振るいたくなる気持ちも解るぞ」
「そういうことは憶えているのに、なんで自分の名前っていう初歩的な事が思い出せないのか、すごく疑問……」
エレモフィラの回復魔法での治癒は完了した。
だが、ウツギは目を覚まさない。
「意識はいつ頃戻る?」
「そうね、結構重症だったし、回復魔法で随分体力を使ったはずだから1日くらいは寝てるかも」
そう言っているさ中、ウツギは「う……うぅん……」と声を上げた。
そしてカッと目を開けて、飛び起きたウツギは辺りを警戒した。
混乱している様子で拳を構えて険しい表情をしている。
「さ、さっきの蛇は!?」
キョロキョロと辺りを見渡して周りの蛇の残骸を見て「うわぁっ!」と大声を出して焦っている。
「嘘……なんて体力……普通はもっと寝込んだりするのに……」
「お前ら大丈夫なのか? 蛇は倒したのか?」
「もう片が付いた。安心しろ」
アザレアにそう言われて、ウツギの身体からは力が抜けたようでぐったりと前のめりにうなだれる。
「そっかぁ……はぁ……なんか身体がだるいし……めちゃくちゃ腹減った……飯にしようぜ……」
「死にかけていたのにもう飯か。はっはっは、元気そうで何よりだ」
「ウツギ、なんともないのか?」
「あ? あぁ……って、俺! またはだけてるじゃん!! っていうか、あれ? 俺のタトゥー消えてる……!? どうしよう!?」
自分の身体をまさぐりながら、焦ったようにおどおどとする。
「タトゥーが消えているくらいで何をそんなに慌てている?」
「ばっか! 俺にとっては重要なもんなんだよ!」
「ほう? 何か思い出したのか?」
「あ…………なんか、咄嗟に言ったけど、そうだったような気がする……詳しい事はわかんないけど……俺には大事なもんだったような……」
ウツギは消えてしまった自分の、タトゥーのあった胸を押さえながら顔を背けた。
いつもの明るさがウツギから消えたことに、アザレアたちも表情を曇らせる。
「脅威が去ったことを宿屋の主人に伝えに行こう。お前さんも食事をして体力を回復させないとな。話はそれから聞こうじゃないか」
「あぁ……マジ腹減った……なんか食わないと死にそう……」
「さっき死にかけてたんだけど」
途端に元気のなくなったウツギの肩をポンポンとイベリスは叩き、宿屋の方へと一行は向かった。