蓮花の過去を知りますか?▼(4)
【蓮花 22歳】
冬月は首の骨が折れて、本来首の可動域ではありえない方向を向いていて、手足もところどころに骨折が見られた。
それに伴う内出血。
頭蓋骨の側頭部に陥没もあった。
恐らく、階段を背に後ろに落ちたと思われる。
職員からは錯乱して足を滑らせて落ちたと説明された。
しかし、そんな説明は私の頭に入ってこなかった。
死体は見慣れていた。
だから、冬月が生きているか死んでいるか、そんなことはすぐに分かったはずなのに、その事実を受け入れられない私は冬月の冷たくなった身体を抱きしめながら名前を呼んだ。
何度も。
何度も。
声が枯れるまで叫び、呼び続けた。
何日も。
何日も。
私はこのとき、元々希薄だった人間性が完全に壊れてしまったのだと思う。
私は冬月の為に暗部に入った。
冬月の為に、脳病者の起こした事件について責任を問わないようにする法律まで無理を通して作った。
冬月の為にできることは何でもした。
――そう、何でも……
実験の為に人殺しまでした。
元々の人格を更に荒廃させてしまった人もいる。
――その罰がこれなのか
――私の妄執が冬月を殺したのか
いや、そうじゃない。
どう見ても冬月の遺体を見れば事故死であったことは明白だ。
今までいくつもの遺体を見てきた私が、それを見間違う訳がなかったのだ。
しかし、受け入れられないものは受け入れられず私は凶行へと容易に走った。
一先ずは冬月の身体が腐らないように処理をし、私は禁忌と言われる死者の蘇生魔法を今こそ完成させて冬月を生き返らせようと考えた。
冬月の遺体を施設から持ち出し、私は自宅へ持ち帰って遺体を安置した。
死んでいる人間は、もうただの物質だ。
免疫機能は停止し細胞は朽ち始める。
だが、私は脳死の患者と同様まで冬月の身体の機能を回復させた。
心臓を動かし、体内に血液を循環させ、各種臓器も機能するようにした。
ただ、それは私の回復魔法で無理やり身体の機能を生きている状態と同じにしているだけで、生き返った訳じゃない。
ある程度身体の方が回復したら折れている骨を治し、身体の治癒力で身体は生前の姿に戻った。
点滴を打って、呼吸器をつけ、定期的に身体の向きを変える。
血色は戻って身体自体は生きているかのように見えても、冬月は確かに死んでいた。
それでも生々しい死体と違って私は一先ずはそれで安心して研究に打ち込むことができた。
その私の凶行にライリーは困惑し、私のことを心底心配し、何度も何度も説得してきた。
ライリーの言葉は笑えるほど私に響かなかった。
笑えるほどというのは比喩でも何でもなく、私はライリーの説得の言葉に笑った。
生まれて初めてこれほどおかしいことはないと、息が苦しくなるほど笑い転げた。
後にも先にも、私がこれほど笑ったのはこの時限りかも知れない。
私の唯一の生きる意味をお前はとりあげるのかと、冬月を失った私がこれからどんな気持ちで生きて行けば良いのかと。
そう考えるだけで可笑しくてたまらない気持ちになった。
必死の説得に対して腹を抱えて笑う私を見て、ライリーは私が狂ったと察しただろう。
まず私は解呪の勉強をした。
呪われた町などと言われている町に、死者の蘇生の実験場があると私は知っていた。
そこに行けば死者の蘇生魔法の叡智を手に入れることができると確信があったからだ。
しかし、町には入るだけで呪死するという恐ろしい呪いがあった。
だから解呪魔法を覚える必要があったのだ。
自分でも驚いた。
頭が冴えわたって解呪の魔法も簡単に頭に入ってきた。
好意にしている天使族に解呪の魔法を教わった。
しかし、それだけでは不十分だったために、私は独自に解呪魔法を作り出した。
そう時間はかからなかった。
そして呪われた町へ行って、死者蘇生魔法の手掛かりを掴もうと町中を探した。
呪われた町の研究所には死者蘇生魔法に関する書類がいくつもあった。
それを見て私は確信した。「この技術は使ってはならない」と。
呪われた町にあった書類だけを見て私はそう思った訳じゃない。
呪われた町には、死者の蘇生魔法によって異形と化した元人間たちが今も生きていた。
元は人間である様子をほんの少しだけ残した肉の塊だ。
鳴き声のようなものを発するが意思の疎通もできずに、生きているかどうかというのは正直何とも言えない。
ただ、死者の蘇生魔法自体は完成していたのだ。
しかし、死者の蘇生をすると必ず魔法士は死に、生き返らせようとした対象は異形の不死のものへと変貌すると書かれていた。
例外なくそうなると。
膨大な書類の山の中、私は町の呪いに気が狂いそうになりながらも研究者たちの研究結果に目を通し続けた。
その中に「死神の呪い」と書かれていた。
初めは三神伝説の死神の比喩か何かかと思っていたが、ここの研究者たちは死神は実在しており、死の法を守っていると結論付けていた。
死の法の際の呪いを解く魔法の研究も行われていた様だったが、それは途中で途絶えてしまっていた。
恐らく、丁度その頃にこの町が呪われることになったのだろう。
色々検証する必要があるが私はその異形に魔法を施し、元の人間に戻れるか試してみた。
異形の者は多く居たが、それでも成功したのは1回だけだ。
成功した言っても、人間の姿に戻ったままそのまま死んでしまったので芳しい収穫はなかったと言える。
体力的に限界にきた私は呪われた町から出て、自宅に戻ってきた。
戻ってきて情報を整理しながら冬月を眺める。
死者の蘇生魔法は頭に入っていた。
肉体が腐敗していない冬月は肉体の蘇生魔法は必要ない。
ただ“核”を呼び戻し元の身体へ定着させるだけだ。
しかし、死神の呪いというものが容易にそれを許さない。
だが、異形の者に対して解呪の魔法をかけたら人間の姿に戻った。
初めからその解呪魔法を展開し、死神の呪いを防ぐことができれば冬月は生き返るかも知れない。
だが、失敗すれば冬月は化け物になってしまう。
あの呪われた町にいる異形の者は死ぬことが許されない身体になってしまっていたようだった。
呪われた町には食料は見当たらなかったし、私が町にいた間に彼らが何か食べている訳ではなかった。
生き物であれば生きる為には何か外からエネルギーになるものを摂取しなければならないが、彼らをよく観察しても何かを食べている様子はなかった。
私は異形の者を捉えて中を解剖してみようと考え、いくつか捉えて中を切り開いて見てみた。
元が人間であることが念頭にあった為、中を開いて納得した。
何もかもが滅茶苦茶になっていた。
口らしきものが外側についていても、その口には舌がなかったり、その口の先に喉はなく、食道もないし、胃や腸に繋がっている訳ではなかった。
一度溶かされて、適当にまたくっついているただの肉の塊が不自然に動いているだけという印象を受けた。
動いているものの生物としての摂理を超越しており、今の魔法学や科学でとても説明がつかない状態であった。
彼らは外部からエネルギーを摂取して動いているのではなく、呪いが彼らから死を奪っているだけという状態に思う。
だが、私はそこで引き下がれなかった。
動機は単純だ。冬月を生き返らせて、脳病を治し、再び2人で生きて、笑って……
そうだ、ときどきは私も笑うようにしよう。
いつも無表情の私だが、冬月と一緒に、例えば……ボール遊びをしたり、カードゲームをしたり、そんな普通の日常を取り戻したかった。
だから私は死神の呪いを防ぐための研究を本気で始めた。
寝ず、食べず、時には瞬きすら忘れて、暗い部屋で大量の紙に囲まれて毎日が過ぎて行った。
――もう少し……もう少し……
だけどその「もう少し」の壁がなかなか超えられなかった。
時間は十分にあった。
時間というのは残酷なもので、正気ではなくなっていた私も時間が経つにつれて我に返ることもあった。
そのときに考えることは、冬月を生き返らせて面白おかしく生活することがただの自分のエゴなのではないかということだ。
冬月は苦しんでいた。
病気のこともあるが、冬月を苦しめた連中はこの世にいるのだ。
それは収容所の人間であり、そしてシグマの町の人間でもある。
シグマの町の人間でなくとも、脳病だと言えば誰だって同じ態度で冬月を迫害しただろう。
天使族と同じだ。
表面では綺麗な言葉を言っても、腹の内は皆自分の事しか考えていない。
――どいつもこいつも皆、自分の事しか考えていない
私の回復魔法に縋るばかりで生活改善の指導をしても従わない連中ばかりだ。
私がいればなんとかなると思っている。
そして私の権力に肖ろうとする者も少なくない。
けれど、回復魔法士会は私の存在を認めようとはしない。
ライリーだって、可哀想な私を保護したのは自分が良い人であるという自己陶酔によるものだ。
私が冬月を生き返らせたいのだって、私が冬月にいてほしいという私の意思によるものだ。
それは愛情じゃない。
ただの私の欲望だ。
冬月の意思を尊重している訳ではない。
――愛なんてこの世に存在しない……!
私は気づけば自分の身体中を刃物で切り裂いていた。
簡単に言えば自傷行為というものだ。
説明はもっと簡単だ。
どうにもできないフラストレーションによるストレスを緩和する為に、外的に肉体に痛みを与えて脳から麻薬物質を放出させる。
気が付けば私は自分の血だまりの中に倒れていたらしい。
それを発見したのはライリーだ。
ライリーは泣きながら私に謝罪した。
何に対して謝っているのかぼーっとしていて最初はよく分からなかったが、話の要点だけは聞き逃さなかった。
聞き逃さなかった自分を呪いたくなるような言葉をライリーが言ったことに、私は言葉を失った。
「冬月は事故死したんじゃない」
「収容所の人間が冬月を殺した……」
「私は……その事件の隠蔽工作を手伝い、事故死に見せかけた」
多分、このときだ。
唯一信じていた人に裏切られるという事柄が、私の正気を完全に奪い去ったのだと、今ならそう言える。
もう私はこのときから誰も信用できなくなった。
「君は冬月が殺されたと知ったら、重大な罪を犯してしまうだろうと考えたからだ……それだけじゃない……暗部としての鍵を知っている君を失う訳にはいかなかったんだ……私は指揮官として君よりも……家族よりも計画を優先したんだ……」
鍵は分散された魔法式の一片だ。
ライリー以外はその全容は知らない。
私はその一片をライリーから託されていた。
仮に誰かの一存で極大魔法陣を発動させられないように、鍵は全てを知らされない掟になっていた。
そんなことの為に私はライリーに裏切られたんだと考えると、何もかもが馬鹿馬鹿しくなった。
結局、ライリーも私個人ではなく、私の能力を利用したいだけなのだ。
「すまなかった……ずっと後悔していたんだ……あの日……冬月が死んでいるのを見ていた君の目が頭から離れなかった……」
「蓮花……許してほしい……だから正気に戻ってくれ……」
その言葉は、到底回復魔法士会の上位にいて、勇者連合会暗部の司令官をしている程の賢い者の言葉とは思えない愚鈍な言葉だと私は絶望した。
――許してほしい……だって……?
弟が事故死だというだけでも安全性の問題があったと批難したのに、それが殺されたとなれば更に強い批難に値する。
当然、それに僅かでも関わったライリーも当然許せるわけがなかった。
ライリーが殺したわけではないことは分かっていた。
しかし、冬月の死を冒涜したのは事実だ。
「誰が殺したの……?」
「浩司という者だ」
「何故……?」
「…………分からない」
長い沈黙があったことを考えれば、分からないと言っているのは嘘だとなんとなく分かった。
仮に嘘ではなくとも、ライリーはそれ以上のことは話さないだろう。
「………………」
私に許してほしいなどと言っている間抜けなライリーの頭を、近くにあった手頃な硬いもので殴った。
1度じゃない。何度か殴った。
ライリーはそれで動かなくなったが、私は生きているか死んでいるか確認することはなかった。
ライリーは浩司という者が殺したと言ったが、1人で殺したとは考えにくい。
浩司の周りの全員がこの件に関わっていると考えられる。
私に知られる前にライリーすら取り込んで、全職員で隠ぺい工作を行ったと思われる。
どうやって殺したのか簡単に想像できる。
収容所の看守に頭の良いものなどいない。
単純な暴力で殺しただろう。
殴る、蹴る……それだけ。
殴る、蹴るだけで人を殺すにはかなりの時間が必要だ。
長い時間冬月は苦しんだだろう。
それを思うと涙が溢れて止まらなかった。
どれだけこの世を憎んだのだろうか、どれだけこの世を呪っただろうか、それとも、そんなことを考える間もなく苦しみ続けただろうか。
私に助けを求めただろうか。
――殺しに行こう。施設の全員、皆殺しに……
どうやって殺すか一瞬で何百通りも脳裏によぎったが、簡単には死なせない。
地獄の苦しみを味わわせて殺してやろう。
そうだ、悋気草がいい。
あれはいいぞ。
全身が引き攣って仰け反って苦しみに苦しみながら泡を吹いて確実に死ぬ。
それに苦味も臭みもないから食べ物に混ぜればまず気づかれない。
毒性が非常に強く少量で済むから大量に使わなくてもいい。
辺鄙なところに生えているのが難点だが奴らを苦しませる為なら、私は命がけで崖を登ってあの草を手に入れよう。
幸い私は脳病の研究という大義で収容所に入るのに警戒はされない。
配給の配膳係とは顔見知りだ。
「珍しい香料を見つけた」とかなんとか言えば喜んで悋気草を大鍋に入れるだろう。
無知は罪とはまさにこのことだ。
しかし、浩司だけはこの手で殺す。
どうやって殺そうかな。
まずは全身の皮膚をゆっくり剥いで、歯を全部折る。
舌ももういらないから切り取ってしまおう。
それから皮膚がなくなったところで爪と指の間に針を何本も刺し、最終的には爪を全部ゆっくりと剥ぐ。
それから炎で足からゆっくり焼いて、焼き終わったらつま先の方から輪切りにしてやろうか。
いや、その前に全身の骨を砕いて、それが済んだら水責めも悪くない……
一先ずは悋気草を手に入れに行くか――――
もう私の頭の中は、拷問のことでいっぱいになり、それ以外のことはほぼ考えられなくなっていた。
しかし、事を起こす前に私は冬月の死体から、身体の機能を維持する為の管をすべて外した。
冬月に深く謝りながら。
生き返らせようなんて少しでも考えた私が間違っていたと、心から冬月に謝罪しながら。
こんな世界に生まれさせられて、苦しかっただろう。
痛かっただろう。
無念だっただろう。
君が苦しんだのは私のせいだ。
まだ嬰児だったあのとき、この世の苦しみを知る前に殺してしまえばよかった。
私が間違っていた。
私が守ってやろうなんて考えず、私が殺してしまえばよかったんだ。
もう苦しまなくていい。
その苦しみは全部私が背負うから。
これ以上苦しませるようなことはしないよ。
泣きながら、私は冬月の身体を分解した。
回復魔法の逆の魔法と言えるだろう。
あっという間に冬月は原形がとどめない液体になって骨すらも残らずにこの世から溶け去った。
残ったその冬月だったものを丁寧に集めて金属製の器に入れ、可燃性の液体をかけて火を放った。
やがて肉の焼けるような匂いがして、そしてやがてそれは焦げ臭い匂いになり、ついには灰になった。
私は暫くその炎を見つめていた。
消えるまでしばらくかかったが、消えるまでずっと見つめていた。
それが本当に冬月の最期になるだろうからと。
これを再生させるのは私以外には不可能だろう。
冬月はもうこの世から完全に消え去ったのを見届けた。
大丈夫。
全部終わったら姉さんもそっちに行くから。