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【メギド 魔王城地下牢】
カナンを檻に戻すのは少々、ほんの少し、微々たる忍びない気持ちになったが、私にとってはカナンはなんら特別な存在ではない。
使えない回復魔法士というだけで、カノンの兄というだけの存在だ。
カノンには気の毒に思うが、カノンよりも劣る能力で屈辱に塗れて生きている方が余程気の毒に私は思う。
――天才と凡人の壁は厚く高いものだな
ついでに他の回復魔法士にも栄養剤を身体に注入し、今のド三流の食事係に回復魔法士らへの食事の手配をしておいた。
何故私がこんなに手厚く保護しなければならないのか疑問に思うが、他にする者がいなければ死んでしまうので仕方がない。
まぁ、私にとって生きていても死んでいても構わないのだが、私のせいで死んでしまっては目覚めが悪い。
――さて、アザレアは目を覚ましたか……?
伝説の勇者らを放り込んである檻の前に私はやってきた。
ほぼ全身の神経が絶たれている勇者らの意識があるかどうかは見た目では分からないので、声をかけた。
「目が覚めている者がいたら声をあげよ」
私が声をかけると、イベリスが「はい」と短く返事をした。
全身にタトゥーをしているウツギは眠ってしまっているようだった。
深い眠りについているようで、私の言葉で目を覚ますことはなかった。
延々と呪いの言葉を吐いているよりは眠っている方がいい。
そして、この中で唯一の女も目を覚ましたようで「私も起きている」と返事をした。
肝心のアザレアだが、アザレアは目を覚ましていないようだった。
「エレモフィラと今は言ったか。お前、どの程度の回復魔法士なのだ?」
「…………」
エレモフィラは答えない。
私を睨みつけるだけで無駄口を叩くつもりはないらしい。
「彼女の回復魔法の腕前は天才的だ」
代わりの答えたのはイベリスだった。
イベリスは虚ろな目で冷たい床を見つめている。
私の方を頭を上げて見ることはできない状態だろうが、目すらこちらを見ようとはしなかった。
「70年前の天才が今の技術に対応できるか?」
「どれだけ時代が進歩していようと、私はそれを使いこなせる。あの死んだ目をした回復魔法士の魔法ももう覚えた」
――ほう……嘘ではないな
見ただけで覚えられるとは、私と同程度の頭脳の持ち主のようだ。
しかし、膨大な量の記憶が戻って脳に多少の損傷があっても不思議ではない。
それがどの程度なのかは分からない。
蓮花に見させれば分かるだろうが今不在だ。
「私は死の法ですら覆せる」
「何?」
その言葉がこの場限りの虚勢ではないことは分かる。
しかし、70年も前にそんな危険な技術があったとしたら、天使族や他の人間が放っておかなかったはずだ。
天恵というべきか、だからこの伝説の勇者パーティの一角なのだろうか。
「私は貴方に従う。だから、イベリスやアザレア、ウツギ、イザヤを開放して。他の人間たちも全員」
私に取引を持ち掛けてくるとは、見上げた根性だ。
流石は状況の冷静な判断能力を問われる回復魔法士という職業なだけはある。
「開放されて勇者連合会に仇討ちに行くのか? そんなことをしても70年もの月日は埋まりはしない。ただ、無が残るだけだ。復讐など、その程度のものでしかない」
「私はいいの。分かってる。何もかも分かってる。私はもう長くは持たない。だから、私を使って禁を破って使い捨てればいい」
やけに私たちに対して献身的だ。
確かにこんな状況では私たちに協力する以外の方法で何かできることはない。
蓮花が治さなければこやつらは指一本動かすことはできないのだから、ヤケになってしまっても仕方がない。
それに過去の記憶が戻った今、それは尚更だろう。
「それは都合がいい。だが、ヤケになってされて失敗されても困る」
「ヤケって……ヤケになるのは当たり前でしょ!? 私たちはもう何も残っていない! 家族も! 友達も! 何も残っていないんだから! 70年も経っているのに、私たちに残ってるものがあるわけない!」
人間の平均寿命からして、70年は長すぎる時間だ。
知っていた者ももう亡くなっている可能性の方が圧倒的に高い。
そして、本人らの寿命も少ないと分かれば尚の事。
「冷静な分析だ。私にとっては大したことのない時間だが、人間の平均寿命を考えればそうだろうな」
「私たちは……魔族が人間を苦しめていたから魔王を打ち取った……でも、人間にも裏切られて私たちはただ道具のように利用された……もう時間は大して残っていない……なら、できることをやるだけ。もう私たちには人間の中に居場所はないんだから……」
記憶が戻ったと言っても実に比較的冷静だ。
私としてもサティアの件も私の肩の花の件も穏当に済めばそれでいい。
母上を殺した勇者らに対して複雑な思いはあるが、しかしこのように人間に裏切られて使い捨てられる存在になってしまったことに対しては多少の憐憫を感じざるを得ない。
「私たちの為にその身を投げうってくれるのは大変助かるのだがな、開放以外にもそちらも相応の条件があるだろう。無償で何もかも言う事を聞くという自暴自棄に陥ってる訳でもないはずだ」
「……アザレアは起こさないであげて」
「殺せという事か?」
「…………」
イベリスといい、エレモフィラといいアザレアを起こさないように進言してくるが、余程何かアザレアにとって過去の記憶というのは思い出したら苦しむ事柄なのだろうか。
「私は神と接触した可能性のあるアザレアに話を聞きたい。何故そうアザレアを起こさないように言う?」
「…………私が勝手に話していいかは分からないけど……アザレアには愛し合っていた婚約者がいたの」
「………………」
「魔王を打ち取ったら結婚して幸せな家庭を築こうって約束して故郷を出たって聞いた……それっきり……」
仮にアザレアの年齢を20歳前後としてみた場合、そこから70年経っていれば90歳近くになるだろう。
かなり生きている望みが薄い話だ。
仮に婚約者が生きていたとしても、アザレアのことを覚えているかどうか怪しいものであるし、死んでいると仮定してもアザレアはその死んでしまった婚約者とのことで精神状態がどうなるかは読みきれないものがある。
「お願い……アザレアはもう眠らせてあげて……これ以上の責め苦を受ける必要はない」
「……………」
少しばかりエレモフィラに言われた言葉を私は考えた。
「いや、駄目だ」
「なんでっ!?」
「記憶を戻してほしいと言って来たのはお前たちだ。それがどんな過去であれ受け入れる覚悟を持ってそれを望んだのであろう。それに、アザレアがどう感じ、考えるかは本人にしか分からない事だ。お前たちの一存でアザレアを殺すことは本人の意思を無視することとなる」
大義名分を並べてみたが、私は神の情報が知りたいだけだ。
もしアザレアが神の情報を知らないというのであればそれはそれまでだ。
自由にしてやってもいいが、ゴルゴタやセンジュがそれを良しとはしないだろう。
とはいえ、ここで単に殺してしまうには惜しい人材だ。
エレモフィラが私の所望する要件を呑むのであれば多少の譲歩をしてやってもいい。
ただ、これは完全に私の一存となる。
ゴルゴタやセンジュへの説明を考えなければならないだろう。
放っておいてもゴルゴタがここにいる全員を皆殺しにしてしまう事には変わりない。
私の言葉に、エレモフィラは悔しそうにしていたが、私の言葉がわからない訳でもない様子で反論はしてこなかった。
「死の法を破った者に課せられる呪いを解けるか?」
「できる。貴方たちに危害は加えないから身体を動かせるようにして」
「……私の一存ではできない。それに、私や他の回復魔法士ではお前たちの損傷を元に戻すことはできないからな。今すぐには無理だ」
私も蓮花の魔法式は見ている。
私が模倣できないとは思わないが、試したことがないことは確証がない。
しかし、私が失敗する訳がないという考えもある。
どうせ蓮花はゴルゴタの命令には逆らわない。
蓮花の一存では勇者らをどうこうはできないだろう。
――ともすれば……
「エレモフィラ、私の展開する回復魔法に対して間違っているところがあれば指示しろ。そうすればある程度の回復は可能だ」
大まかに魔法式は覚えている。
そこに回復魔法士の修正が入ればそれなりには使えるはずだ。
しかし相応のリスクがある。
私が手を加えてしまい失敗した結果、蓮花が元に戻せなくなる危険もあるだろう。
私は回復魔法の専門知識はない。
いくら私が天才だとはいえ、その点は賭けになる。
「素人ができる魔法じゃない……」
「回復魔法については素人だが、私は魔法の天才だ。複雑な回復魔法と言えど、完全に模倣することくらいできる」
「魔法式だけ模倣できても、実際の微調整ができなければ無理……私の身体が二度と動かなくなったら困る。あの目の死んだ回復魔法士を呼んで」
確かに言っていることも尤もだ。
式は分かっても微妙な実践的な加減は分からない。
他の何かで試して試行錯誤する時間が必要かも知れない。
「今はいない。他の何かで試して加減を覚えればよいのだろう」
「他の何かって……人間の身体は人間の身体じゃないと加減は分からない。他の動物と人間では色々と勝手が違う」
「あの死んだ目の回復魔法士は魔族の身体でも易々とこなしているぞ」
「それは才能があるから応用がきくだけにすぎない……回復魔法の習得には膨大な勉強と練習と知識が必要……魔法式を真似ただけで易々と使いこなせるわけがない。いくら貴方が魔法の天才だとしても信じられない。私が使えなくなったら困るでしょう。一か八かの賭けじゃない、あの回復魔法士でないと嫌」
私の才能を認めない姿勢には腹が立つが、賭けにでない堅実なところは冷静な判断だ。
「しかし、蓮花を説得するのは難しいぞ。掴めない性格をしているからな」
「私が直接話す」
「あいつは大の回復魔法士嫌いだ。素直に応じるとは思えない。まして、蓮花だけならまだしも、ゴルゴタに感づかれたらお前たちは酷い拷問の末に殺される。大体ゴルゴタと蓮花は一緒にいる。悠長に話ができるとは思えないがな」
「そこは貴方がなんとかして。貴方に協力するんだから多少融通を利かせてくれてもいいんじゃないの」
「まずは私と交渉か。悪くない」
――いいだろう。それだけ正気で強かでないと成功する見込みはない
とはいえ、ゴルゴタや蓮花は私の想像にしない行動をとる。
私が必ず制御するとは思えない。
ただ、ある程度はコントロールできる。
「いいだろう。あの訳の分からない女を説得して見せろ」
そうして私は地下から出た。