また生まれたいですか?▼
【魔王城 蓮花の部屋】
2時間程眠っていた蓮花が目覚めると、体調は随分良くなっていた。
なにやら隣に硬い感触がして、そちらに首を動かして見ると、ゴルゴタが蓮花のベッドの隣の椅子からベッドに倒れ込むようにして眠っていた。
前屈姿勢で上半身だけベッドに前のめりの状態だ。
硬い感触はゴルゴタの鱗のある腕の感触だったらしい。
ゴルゴタを起こさないように蓮花はゆっくりと身体を起こし、自分の身体の状態を魔法を使って確認する。
――よし、まぁ大丈夫かな……
目が覚めてしまってから再び眠るのは困難なので、できることを1つずつ整理していく。
まず、サティアの件を勝手に進めるのは駄目だ。
センジュが今自室にいるのは分かっているが、三神の話を聞いた今、何か他の方法があるならこの件は先延ばしにしてもいいだろう。
そして、メギドがそれに対して何かを取りに行ったが戻ってこない。
ここで蓮花自身ができることと言えば、途中で倒れてしまってできなかった庭の人間のバイタルチェックだ。
ゴルゴタが眠っているのは珍しいので、そのまま寝かせておくことにした。
勝手な行動をすればゴルゴタに叱責を受けるかもしれないが、蓮花は途中で放り出した人間が、放り出したままの状態ではそろそろ死ぬと把握していた。
変な体勢のまま眠っているゴルゴタを置いて、蓮花は自室を出て人間を括りつけている庭へと向かった。
「アンタ、待ちなさいよ」
蓮花が廊下を歩いていると、ダチュラに声をかけられた。
相変わらず布面積の少ない服を着ている。
そもそもそれは「服」と呼べるものなのだろうかと蓮花は疑問に思う。
「何か御用でしょうか」
「倒れたって聞いたわよ。まだ部屋にいた方が良いんじゃない?」
予想外の気遣いの言葉に、蓮花は少しばかり驚いた。
嫌々そう言っている感じも分かっているものの、それでも少しは心配しているという感情も混じっているように感じる。
「…………まだ本調子ではありませんが、庭の人間のバイタルチェックの途中だったので、それを片付けなければなりません。死なれてしまっては困りますから」
「こっちこそ勝手にウロチョロされると困るのよね。あんたに何かあったらあたしがゴルゴタ様に叱責を受けるのよ」
「では、ご同行いただけますか? ダチュラさん」
特段何の返事もしないまま、ダチュラは蓮花の隣を歩く。
ダチュラは背が高い方だが、そこにヒールを履いて更に身長は高く180cm程度になっている。
一方蓮花も女性の平均身長よりは背が高く、167cm程度だ。
底が擦り切れるほど履いているボロボロの靴を蓮花は履いていた。
それに、衣服にも無頓着だ。人間の拘置所で着せられていた服と、適当な地味な服を着まわしている。
風呂にもろくに入らずに髪の毛の手入もしていない。死んだような虚ろな目をして猫背気味で歩いている。
――ゴルゴタ様はこんなのの何が良いって言うのよ……
蓮花と自分を比較して、あまりにも蓮花が酷い有様なので自信を失う。
せめて、もう少し、ほんの少しでも綺麗な恰好をしていたなら諦める気持ちにもなるのに。
と、ダチュラは渋い表情をした。
「あんた、お洒落とか興味ないわけ?」
「着飾る理由がありませんから」
「……それって、男に興味ないってこと? それとも自信過剰すぎるっていう意味?」
「それは……どちらかと言えば前者ですね」
この会話にも特別興味なさそうに蓮花は淡々と返事をしていた。
「あんた、まだ若いのに男に興味ないの!?」
「……語弊がありますが、別に男性に興味がない訳ではありません。ただ、子孫を残さないと決めているので、男性からのアプローチがあったとしてもすべて断っています」
「なっ……」
ダチュラにとって蓮花の考えは到底理解の及ばない事柄であった。
ゴルゴタに気に入られようと、なんとか振り向いてもらおうとこんなにも努力しているのに、ゴルゴタの子供が欲しいと切実に願っているのに、何故蓮花がこんな考えになってしまうのか全く理解できない。
「なんで?」
「…………自分が生まれてきて良かったと思えないからです」
暗い表情をしたまま、蓮花はそう返事をする。
「こんな世界、知れば知る程嫌になってきますよ。人間をずっと見て来ましたが、やはり人間に生まれて、人間社会で生活していて、生きていて良かったなって思うことは一度たりともありません。今は、ゴルゴタ様といて、まだ人間社会にいるよりはいいですが……しかし、生まれてきて良かったかどうかと聞かれたら、産まれるか産まれないか選択できるなら、私は産まれたくなかったと答えます」
死にたいんじゃない。
産まれたくなかったんだ。
生きていたくないんじゃない、最初からいなかったことにしてしまいたいんだ。
そう考えている蓮花に対して、ダチュラは腹が立って蓮花の顔を横から思い切りビンタした。
バチンッ!
「ふざけんじゃないわよ! あんた、回復魔法士なんでしょう!? あんたによって助かった人間も、魔族も……何より、ゴルゴタ様があんたのこと必要としてんのに……! なんでそんな後ろ向きなのよ!? あんたがいなかったら苦しんでた奴らのことも全部否定するって言うの!?」
「…………私がいなくても、私以外がなんとかしてますよ」
「違うわ! あんたみたいなぶっ壊れてる奴は他にいない。だからあんたは特別なのよ! あんたは運命を変える力があるのに、なんなのよ!?」
確か、知能指数が違いすぎると会話が成立しないという話を蓮花は思い出した。
それに、ここでダチュラを説き伏せようが、口論になろうが、理解してもらおうが蓮花にとってはどうでもいいことだった。
考え方が違っても、それをすり合わせて歩み寄っていくのは面倒だ。
それに、魔族と人間、蓮花と蓮花以外の考え方の違いなんて、言葉や時間では埋め合わせられない。
だから適当に謝罪して流すことにした。
「……気に障ったのならごめんなさい。悪気はないんです。なんでそんなに怒っているのか私には分からないですし、考え方が違うのは個々の価値観で仕方ないと思いますので、ダチュラさんの意見がそうだということは頭に入れておきます」
頬を強めに叩かれたというのに表情も変えずに目的の場所へと向かう蓮花に対して、ダチュラは更に怒りを感じた。
だが、ダチュラも分かっていた。
どれだけ自分が蓮花に何か言ったところで、蓮花が心を閉ざして誰の言葉も受け入れようとしないということに。
――あたしがほしいものを全部持ってるのに、なんでそれを全部無意味みたいなこと言われないといけないのよ……!
まるで、自分の欲しいものが全て否定されたような気持ちになって、そして蓮花にもこんなふうにまともに向き合ってもらえず、尚更惨めな気持ちになった。
この人間はどこまでも壊れている。
だから同じ言葉を使っているのに通じない。
まるで別の生き物のように思うことでしか、ダチュラの心のわだかまりは収まることはなかった。
それでも、蓮花の行く先にダチュラはついて行く。
言いたいことは沢山あるけれど、言いたいことを言ったところで受け皿が壊れているのならそれを言っても無駄だ。
「なんでそんなにひねくれてるのよ……」
「育った環境によるものだと思います」
「どんなふうに育ったら、あんたみたいなのが出来上がるワケ?」
その質問で、思い出したくもないことを蓮花はいくつも思い出した。
沢山ある。
数えられない程に嫌なことがあった。
だからもう人間という種族に見切りをつけたのだから。
「……逆に教えて欲しいです。ダチュラさんみたいに前向きに考えられる方の考え方は分かりません。基本的に私は後ろ向きなので」
「知らないわよ。この際だからはっきり言うけど、あんたはあたしの欲しいものを持ってる。なのにそれを否定されるような言い方されると、カチンとくるわけ」
「ほしいものですか? 私の持ってるもので欲しいものがあるなら差し上げますよ」
「“物”じゃないの!」
物ではないという言葉を聞いて、漸く蓮花は何をダチュラが求めているのか思い出した。
――あぁ、そういうことね……
「こんなことを言ったら、ダチュラさんは私の首を切り落とすかもしれませんが、それでも言ってもいいですか?」
「………………」
ダチュラは悩んだ。
蓮花がそう申告しているのだから、きっと本当にダチュラが蓮花を殺したくなるようなことを言うのだろうと想像できたから。
考えた末、ダチュラは返事をする。
「嫌よ。聞きたくないわ。あんたを殺したらあたしが殺されるもの」
「そうですか。私も言わなくてよくてホッとしてます。頭と体がサヨナラしなくて安心しました」
「あんたふざけてんの? 殺さない程度に痛めつけるわよ……?」
「悪気はないんですよ。痛いのは嫌なので勘弁してください」
軽い口論になりながらも、蓮花は目的地である庭に到着した。
どこまでチェックしたのかは覚えていたので、その人間のところまで向かった。
やはりそこら中から糞尿や汗の匂いがして気分のいいものではなかったが、それでも蓮花はその中を進んでいく。
ダチュラはこの場所が嫌いだった。
生理的嫌悪感を強く感じる。
それでも表情一つ変えずにこの地獄を歩いている。
――ん?
その先にメギドがいるのが見えた。
こんなメギドが蛇蝎のごとく嫌うような場所にいるだけでも異様な光景だが、その隣に誰かがいたことに違和感を覚える。
それに、蓮花はなんだかその隣の人物に見覚えがあった。
メギドは蓮花達にとうに気づいており、蓮花とダチュラを一瞥してすぐに視線を逸らした。
声をかけようかとメギドも蓮花も思ったが、あえて声をかけずにいたのに双方の連れ合いがそれを許してはくれなかった。
「どうして……こんな惨い事を……!」
そう絞り出すような声で言ったのは琉鬼だ。
「あんた、誰よ」
そしてその言葉にダチュラが語気を強めて言い放つ。
――なんで話しかけちゃうかな……
想定できる限り、蓮花とメギドにとって最悪の方向に向かって行くのだった。