センジュの過去を聞きますか?▼(3)
【センジュ 9歳】
わたくしが文字の読み書きや言葉の使い方を熱心に勉強をするようになり、ベリアル様はわたくしを殴ることはなくなった。
分からなくて、至らない点を補おうと努力するわたくしに対しては、口頭で指導をするのみ。
わたくしは至らない点も多くあったが、ベリアル様のようになんでも完璧にこなし、ヨハネ様の役に立てるよう、側に置いても恥ずかしくない者になれるように努力をし続けた。
まだ子供ながらに、ベリアル様のようになりたいと思ったのだ。
わたくしは職人でありながらも、執事というなんでも完璧にこなすベリアル様に追い付きたくて努力を惜しまなかった。
最初は心を開かなかったカイムも、わたくしとベリアル様の講義に顔を出すようになり、言葉遣いや色々な作法を勉強するようになった。
カイムは種族差別で鬼族のわたくしと口をきかなかった訳ではなく、他者とどう接していいのか分からず、ただ無口なだけの少年だという事が分かったので、内心安心した。
ここではわたくしだけが悪魔族ではない異端の者。
種族が雑多に混じって暮らしていた時代はヨハネ様が終焉をもたらした。
だから、本当はヨハネ様も、ベリアル様もカイムもわたくしのことをよく思っていないのではないかと不安に思っていたのだ。
口数が少なかったカイムも、ベリアル様の指導によって(何故かカイムが殴られているのは見たことがない)、徐々に魔王家に仕える者として誇らしげな表情をするようになった。
ヨハネ様の妻であるリリス様も、わたくしたちを本当の子供のように愛してくださった。
ある日、わたくしが魔法の練習をしているところにカイムが来た。
わたくしは魔法が得意ではなかった。
しかし、ベリアル様やヨハネ様の家来として、並んで戦える素養も必要と考え、わたくしは体術と魔法を両方できるように訓練していた。
なかなか上手くできないわたくしに対し、カイムはちょっとしたコツを教えてくれた。
「センジュ、こうだよ」
説明不足で何も分からなかったものの、カイムの魔法はヨハネ様にも引けを取らない程の腕前だった。
ここでわたくしは、カイムが魔法の才があるからここに連れてこられたのだと知った。
「“こう”と言われましてもね……」
「今から同調するから、その感覚を覚えて」
わたくしの手にカイムは自身の手を重ね、意識を集中させると不思議な感覚があった。
どう表現していいのかは分からないが、まるでカイムの手が自分の手のように感じたのだ。
そのままカイムが魔法を発動させると、その魔法を使う感覚がわたくしにも伝わってきて、自分とカイムがどう違うのかを直感的に理解することができた。
「なるほど……しかし、すぐにできるわけでもございませんね」
「……センジュ、僕と2人きりのときはそんな堅苦しい言葉遣いしなくてもいいよ。ベリアル様とヨハネ様と、来客の前だけでいいと思う」
そんなふうにカイムが言ってくれたことは嬉しかった。
しかし、言葉が乱れてしまうと立場も乱れてしまうとわたくしは考えた。
カイムとは歳も近い友人のような感覚はあったが、それでもいつなん時ベリアル様の目や、来客の目があるとも分からない。
それに、わたくしは魔法の才に優れているカイムを尊敬した。
「…………いえ、この言葉遣いをするのは相手へ敬意を持っているからするのだとベリアル様に伺いました。でしたら、カイムにも敬意を表した話し方で話すべきです。こんな素晴らしい魔法の才があるのなら、敬意を表さないわけにはいきません」
「あっそ。センジュって素直だよな。最初はベリアル様にしょっちゅう殴られてたけど」
「あれは……わたくしが常識知らずでしたので……ヨハネ様を呼び捨てにするなど、今思えば子供ながら恐ろしい事です」
「仕方ないんじゃない? だって僕ら戦争孤児だよ? 誰も何も教えてくれなかったんだからさ。っていうか、今もまだ子供じゃん」
「………………」
深くは聞いていないが、カイムも両親が戦争でいなくなったのだろう。
もし、ヨハネ様の目に留まることがなかったら、わたくしは鬼族の住む町に行って、何か別の道を歩んでいたかもしれない。
しかし、同族同士が集まったところで、同族同士でも差別や略奪がないわけではない。
まだ子供であるわたくしは、結局身を粉にして働かなければ生きていくことはできなかっただろう。
今も働いているが、勉強しながらこんなにいい待遇で働かせてもらっているのは運が良かったとしか言えない。
「今でも思うんだ……僕が拾われたのは偶然魔法の才があったからだって。もし、これがなかったら、僕は今頃死んでたか……あるいは――――」
「あるいは?」
「ただの殺しの道具として使われてたんじゃないかって」
魔法の才を高く買われていたカイムは幼いながらも戦場に出ていたと話してくれた。
年端もいかない子供が何百という人間を魔法で蹂躙したのだと。
いくら魔法の才に長けている悪魔族と言えど、そこまで素質があるのはカイムだからだと思う。
両親はさぞ名のある悪魔族なのだろう。
「僕……まだ……人間の叫び声が頭の中に残ってて……そんなこと、僕はしたくなかったのにさ」
不安げな表情をするカイムに、わたくしは肩にそっと手を乗せて励ましの言葉を言った。
「人間がこの戦争に勝っていたら、我々はもっと酷い目に遭っていたと思います。魔王様のお役に立てたカイムは素晴らしいと思いますよ。わたくしは……役には立てませんでした。いつの間にか戦争が終わってましたし、何もできなかったですけれど、カイムは今もこうして魔王様のお役に立っているのですから、胸を張ってください」
「……そう? 僕、別にここにきて特に何もしてないけど」
「なら、わたくしに魔法を徹底的に教えてください。ヨハネ様の身に危険が及んでも対応できるように」
「センジュは前向きだね。分かった。一緒にヨハネ様の支えになれるよう頑張ろう」
わたくしたちは文字通り手と手を取り合い、お互いに切磋琢磨して、ヨハネ様の家来として恥じないよう勉強と訓練を積み重ねていった。
***
【センジュ 19歳】
魔王ヨハネ体制になり、ようやく戦争の爪痕が消えてきて人間との小競り合いも少なくなくなってきた頃――――魔族全体のまとまりが出てきてひヨハネ様の仕事もひと段落がついた頃だ。
ヨハネ様に第一子が生まれた。
男児で、名前をアッシュと名付けられたその悪魔族の嬰児は、ヨハネ様と同じ美しい金色の髪をしていた。
初めての子供にヨハネ様もリリス様も大いに喜ばれた。
わたくしも子育てのお手伝いをすることもあり、どう扱ってよいやらわからなかったものの、そこは完璧にベリアルがわたくしたちに指導をしながら子育てを行い、アッシュ様は健康に育って行った。
とはいえ、1歳になる頃には1人で大抵のことはできるようになり、わたくしたちはそのお手伝いをしていたにすぎない。
自分が1歳の頃のことは思い出せないが、こんなに色々できただろうかとわたくしは驚いていた。
アッシュ様が優秀なのか、あるいは悪魔族は1歳になると大抵のことはなんでもできるようになるのか。
だが、1歳でなんでもできるようになるということは危険なことでもあった。
まだ善悪などの倫理観が未熟な1歳が魔法を自在に使えてしまうと、実際に大変なことになった。家が半壊、あるいは全壊することもしばしば。
その度にベリアル様やヨハネ様が魔法で直してはいたものの、やはりわたくしにはもっと大きな住居に住み、アッシュ様にはのびのびと暮らしてほしいと考えた。
わんぱくなアッシュ様にはこの家は狭すぎるのだろう。
改めて、ヨハネ様に城の増築の提案をした。
わたくしが子供の時に作った城の模型は「素晴らしい」とは評価されていたが、忙しさも相まって着工は先延ばしにされていた。
生まれた記念というわけではないが、アッシュ様は魔族の頂点に立つヨハネ様のご子息である。
なら、他のご子息が生まれなければいずれ王位を継承することになるだろう。
それにヨハネ様にももっと立派な威厳のある家に住んで欲しいという私の願望もあった。
「ヨハネ様、アッシュ様にお城を作って差し上げるのはいかがでしょうか。わたくしが責任をもって設計、構築を行います」
わたくしの提案をヨハネ様は少し考えた後、ちらりとベリアル様の方を見た。
「わたくしは賛成でございます。センジュは十分に成長いたしました。このベリアルが補償いたします。立派な城を作り上げてくれるでしょう」
ベリアル様に褒められたのは、この時が初めてだったかもしれない。
ベリアル様はいつも失敗すると叱責をするが、うまくできても「当然だ」と褒めてくれることはなかったからだ。
初めて憧れた存在に褒められ、わたくしは感動した。
「そうか……月日が過ぎるのは早すぎるな……センジュがこんなに立派な紳士になっているとは……」
わたくしは身長も伸び、正装を何度か伸張した。
ベリアル様の作ったようには最初はできなかったが、それでもベリアルから学んでわたくし自身で自分の服を仕立てることもできるようになっていた。
カイムと共に魔法の訓練に励み、魔法も随分使えるようになっていたし、今なら立派な城を作ることもできると考えた。
「センジュ、大仕事になるだろうが、任せたぞ」
ヨハネ様がわたくしに大義を任せてくれたことが嬉しかった。
わたくしはまず、カイムと一緒に地形をつくるところから始めた。
わたくしが考えた建設に必要な広さの確保、土地の地盤の状態の調査、必要な資材の確保を行った。
わたくしが計算した範囲内をカイムと一緒に地盤を作った。
何度も失敗を繰り返し、それでもヨハネ様が住まうに相応しい城を作ることを目標にわたくしは邁進した。
建物だけではなく、庭も広くとった。
これはアッシュ様がのびのびと生活ができるように。
庭には通路には褐色の煉瓦を敷き詰め彩を与え、草木も遠くまで採集しにいき、繫殖させて緑を増やした。
そして遠くまで行った際に美しい花を見つけた。
真っ赤な色の花で、花弁が幾重にも重なって咲いている掌くらいの大きな花だ。
わたくしはその花を根を傷つけないように土ごとヨハネ様の元に持ち帰って見ていただいた。
「ほう、それは薔薇という花だ。私の1番好きな花なんだ。是非とも城の周りに植えてほしい」
そう言っていたヨハネ様の言う通り、わたくしはその薔薇を枯らさないように丁寧に庭の一角に植えた。
どうやらこの花は木の枝を切って土に刺すことで増やすことができるらしい。
わたくしはその花を大切に育てた。
カイムも薔薇が気に入ったらしく、他の種類のものを見つけて来てはわたくしの指示通りの場所へと植え、増やしていった。
そうしてわたくしは5年かけ、魔王城を完成させた。
ヨハネ様のお子様のアッシュ様も聡明に育っており、人間と魔族の関係はまだ冷戦が続いていたが、大きな騒動はなかった。
魔王家仕えの者も増え、順調にわたくしたちは人間との戦争の復興をなしていった。