血と水は分離できない。▼
【メギド 魔王城地下牢最奥 サティアの牢の前】
「ダイブってやつですね」
何故わざわざ指をパチンと鳴らしたのかは分からないが、得意げに蓮花は言う。
そんな技術は聞いたことがない。
回復魔法士の界隈や、人間の間ではそれは共通認識なのだろうか。
いや、そんなことはないはずだ。
どこまで信用できるかわからない蓮花から「ダイブ」などと得意げに言われても、私はどうにもピンとこない。
「そんなことまでできるのか?」
「できます」
はっきりと蓮花はそう言う。
やはり嘘ではない。
嘘をついている様子はないが、とても信じられる内容ではなかった。
「でも、これは内密にお願いします」
「何故だ?」
「私しかできないことだからです。そして、この技術があると困る方が沢山いるので、方々に知られると私は全力で命を狙われます。私は一向に構いませんが、私を狙って方々から襲撃があるとゴルゴタ様に多大な迷惑が掛かるので、黙っておいてください」
またこの女、私を差し置いてとんでもないキャラ立ちをしている。
確かに、その者の記憶を覗き見ることができたら、その者の不正や隠蔽したいことも全て明らかになってしまう。
悪事を行っている者にとっては蓮花を殺してでも隠蔽したいことであるはずだ。
特に、今の人間の国王などはやましいことの100個や1000個くらいあるだろう。
元々死刑囚であるし、即刻殺して始末してしまいたいと考えても不思議はない。
「…………そんな重大なことを何故私に話した?」
「手段を選んでいては神を相手に立ちまわれないからです。それに、貴方はこの技術を悪用しようとは思わないと思いますし、口は堅そうだから……ですかね」
確かに常識的な手段を選んでいては、超常的な存在に対して立ち回れない。
蓮花のようなイレギュラーが必要だ。
死神の手を煩わせるような、盤を狂わせる手段がなければ従前のようになってしまう。
――口は堅そうなどと言って、私に釘を刺したな……この情報が他に知れればその出どころは私以外にはない。そうすれば私の信用問題に響く……
気にいらない。
どこまでいっても、とことんまで気に入らない女だ。
「私を信用するというのか? どちらかと言えばお前の敵側だぞ」
「ゴルゴタ様の敵であるなら敵でしょうが、ゴルゴタ様の敵でないなら私の敵ではありません」
「………………」
雑な理論だ。
蓮花と私ではゴルゴタのことを考えるベクトルが違う。
敵か味方という線引きをするのは困難だが、私に対して特別な敵対心がないことは分かる。
確かに今、私はゴルゴタと明確に対立していない。
初めは対立していたが、今は曖昧な状態になっている。
一応形としては私はゴルゴタの傘下に下った形をとっている以上、敵対しているとは言い難い。
――だが、ゴルゴタが必ずしも私を許したとは考えづらいが……
「何故お前にしかできないと言い切れる?」
「これは……私が独自に研究していた技術ですから、この魔法式は今のところ私の頭の中にしかありません。それに、実行したことはないので必ず成功するとは断言できませんしね。いわば、最先端オブ最先端の尖った技なのですよ」
「…………死神も、それ以外の者もお前を消したがっている理由も納得できるな」
今の時代の技術と全く合っていない。
何百年も先の技術をこの女は使っているように思う。
魔機械族は化学や物理の最先端技術を使っているが、魔法の最先端技術というとこの女がそうなのだろう。
しかし、仮に何百年経って技術が容易になったとしても、人間の倫理観ではこれは実現させるのは不可能だ。
どうせ違法だなんだと言って禁止にするだろう。
「それだけ危険なのですよ。色々と。貴方の意識がアザレアさんに喰われて戻らない可能性もあります」
「喰われるとは?」
「意識の混濁……というべきでしょうか。相手と自分を別つ境界線が曖昧になる意識世界では、簡単に境界を失ってしまうのです。例えば……メギドさん、手を出してください」
「断る」
「なら、私が勝手に手に触れますよ」
私が蓮花の申し出を即刻断ると、蓮花は別にそれでもいいと構わず私の手を勝手に掴み、掌を合わせるようにした。
それに何の意味があるのか分からないが、ここで私が慌てて手を引いたら明らかに蓮花を警戒している小心者と取られてしまう。
それは癪であったので、私は動じずにそのまま蓮花の言葉を待った。
蓮花の手は冷たい。
生きているはずなのに、生気が感じられなかった。
「こうして私と貴方の手を合わせても、私と貴方の境界は失われません。触れただけで私と貴方の身体が融合したりしませんよね」
「当然だ」
「それは私と貴方に物理的な明確な境界があるからです。まぁ……皮膚に限らず物を無理やり結合する方法はいくらでもありますが、それは置いておいて……」
後半のセリフはやけに声が小さくなっていく。
ものの例えを始めた矢先、その例えが簡単に崩壊してしまう要素を含んでいることに後から気付いたらしい。
「しかし、精神世界ではこういった明確な隔たりは有りません。貴方の記憶がアザレアさんと混じり、貴方がアザレアさんになってしまう可能性も、逆にアザレアさんが貴方になってしまう可能性もあるのです」
「精神が入れ替わるということか?」
「入れ替わるというほど単純な問題ではありませんね。混じってしまうのです。水に血を垂らすと、水と血が混じり合うでしょう。それは分離不可能です。水に薄められた血になるか、血に染まった水になるか……とでも言うべきでしょうか」
「分かりにくい。もっと分かりやすく言え」
こんなややこしい話を抽象的に言われても分かるわけがない。
だが、言わんとしていることは何となく分かる。
だが、細かい部分が不明瞭だ。
蓮花は「うーん……説明が難しいな」と呟きながらも言葉を続ける。
「例えば血の混じった水の“水”を構成する要素を取り除こうとすれば、水自体の分離はできます。ですが、水の方は化学式に照らして純粋な水だけ取り出せたとしても、元々の水はH2O以外の不純物も溶け込んでいます。血も同様です。その水を血と混ざる前の状態に戻すのは途方もない選別の作業が必要になります。何をどう分離するのかというのは、元々の水の要素と血の要素を完全に理解している必要がありますね。元々が血の要素なのか、水の要素なのか、混じってしまったら私が判断しなければならないのです」
「ふむ……」
「水だけ、あるいは血だけ取り出すのは、私の裁量にかかってしまっているのです。ですが、物理や化学の話ならまだ数値として計測ができる。労力をかければいずれは元通りにできるでしょう。完全に元素レベルで元に戻すのは無理ですが……しかし、生物の記憶や意識というのは数値として観測不可能。つまり、仮に混じってしまったら私の裁量で分離させる必要があります。アザレアさんの要素が貴方に、貴方の要素がアザレアさんに混じってしまうことはあり得ます。そして結果的に、人格や記憶に混濁が起きてしまうという危険があります」
説明力としては不十分だが、その行為は一端を聞けば十分に危険だと理解できる。
そんな危険な方法を、この信用ならない女に委ねるということなど当然却下するしかない。
と、考えていた矢先、蓮花は話を続けた。
「まぁ、そんな険しい顔をなさらずに。水と血の例えではそうなってしまいますが、逆に水と親和性のない油であったら簡単に混じることはありません。つまり、この作戦において重要なのは、貴方とアザレアさんが正反対の位置にある者であるということです」
途端に手の平を返したように、水と油の例えを出してくる。
初めに厳しい案を提示してから、あたかも私の場合は容易であると思わせるような方法は詐欺の手法に使われる話術だと感じる。
「……ものの例えは分かるが、そんな曖昧な理屈が通用するのか? それに、私はお前を到底信用できない。お前の話術に乗る程、私も鈍くはないぞ」
「私は提案しているだけです。それに、これは貴方にはとても相性のいい魔法だと思いますよ」
「どういう意味だ?」
「如何なる事態が起きても自分を見失わない、貴方のような自己愛の……意思の強い方は向いているのです」
「おい、さりげなく私を貶める発言をするな。本音が漏れているぞ」
「自己愛が強いのは事実でしょう」
開き直って蓮花は堂々と言う。
ゴルゴタには気を遣うのに、私に対して全く気を使わない態度はもう少し何とかならないものなのか。
本音で話している方が情報を得やすいが、 必ずしもこの女にはそれは当てはまらない。
本音と建て前をうまく使い分け、そして話したくないことは絶対に話さないし表面にすら出さない。
「とはいえ……水と油なんて単純な関係ではなく、かつての伝説の勇者の記憶に魔王の座にいた対局の貴方を繋げるわけですから、未知数の危険があるのは事実です。まして、神についての記憶の干渉となれば、私は嫌な予感がしますね」
「……お前、私をあわよくばそのまま混濁させ、葬り去りたいという魂胆はないだろうな?」
「あぁ、そういう方法もありますね。それはいい考えです。貴方がいると邪魔なので、私のちょっとしたミスで貴方に消えてもらった方が楽ですね」
――この女……私を挑発しているのか? 私にその轍を踏ませたいらしいな
何が「ゴルゴタの敵でないから私は敵ではない」だ。
とんでもない上辺だけの言葉を容易に使ってくるではないか。それも心の底から。
「しかし、私はおすすめはしませんよ。そういう方法もある、ということだけは言っておきます」
「…………」
押してから引いて、更に押してからやはり引く。
相手の感情を揺さぶる手段をよく心得ている様だ。
強く押す訳でもなく、かといって強く引くわけでもない。
相手にとって取りやすい場所にエサを置く。
時間がないときは特にその方法は有効だ。
時間がないほど焦り、今しか取れないと思わせる。
こうすることで、相手に焦燥感を与えて誘導していくことができる。
「そろそろ私は本当に戻ります。勇者連中は強制的に再度気絶してもらいましょう。貴方の肩を1度は持ちますよ。アザレアさんが自然に目を覚ませばそんな危険を冒さなくて済みますからね。もう少し様子を見ましょう。とはいえ、目覚めた彼が正気かどうかは別の話ですけど」
「ふん……私に貸しを作っても、私がその借りを返すとは限らないぞ」
「私はダイブのことを貴方が他言しなければそれで結構です。それで貸し借りなしということで良いでしょう。それに、貴方もそれを考える時間が必要でしょうし。私のことを信じるかどうか、貴方が決めてください。一応言っておきますが、やる場合は手を抜いたりしませんよ。手を抜いたら正確なデータがとれませんからね」
手を抜かない理由は「正確なデータを取るため」だと蓮花は言い切った。
初めてやる実験に伝説の勇者と私を使える事に楽しさすら伺える不気味な笑みを浮かべながら、蓮花は地下牢から出て行こうと歩き出した。
「逆に……ダイブの技術で死の花をアザレアさんに移すこともできると思いますよ」
「何……?」
「まぁ、よく考えておいてください」
これだけ押したり引いたりしておいて、やはり最後は押してくる。
そのまま、蓮花は出口に向かい、地下牢を急いだ足取りで戻っていった。
私はしばらくサティアの様子を観察していた。
相変わらず意味のない声を発しながら、知性の弱い動物のような動きを繰り返している。
私は姉がいたと聞いたのも少し前で実感が湧かない。
これがその姉だと言われても、元に戻った私や母上の生き写しの姿を見ても、分からない。
私の家族はゴルゴタとセンジュだけだ。
だが、センジュにとってはサティアは母上の私やゴルゴタと同じ忘れ形見なのだろう。
――まず、どこから手を付けたものか。ゴルゴタが目覚めた勇者を放っておく訳がない。先に何もかもアザレアが話せばいいが、正気を失っていたら……
ダイブについて誰かに聞くこともできない。
蓮花だけができるという技術に頼り切ることはかなりのリスクだ。
しかも、私を消し去ろうとすればその指先ひとつのさじ加減でできてしまう。
嘘を言っている訳ではないのに、言葉にいくつもの矛盾がある。
本当に、何を考えているのか分からない女だ。
「とはいえ……死の花を移せる……なら……」
この死の花が、今後どういった作用を私にもたらすかは分からない。
天使らに詳しくは聞かなかった。
徐々に花が成長していくのなら、私はこの花によって死ぬだろう。
死神はセンジュに聞けと言っていた。
――一先ずは、センジュに色々聞く必要があるな
蓮花と時間を空けて、私は地下牢から出ることにした。




