蓮花の提案を受けますか?▼
【メギド 魔王城地下牢最奥 サティアの牢の前】
先ほどの事で、いくら私と言えど混乱していた。
まさか、本当に三神伝説という曖昧な言い伝えが本物であったとは、先ほどのことがなければ私は一生信じることはなかっただろう。
蓮花の方は相変わらずといった様子で、特別脈拍が早くなったり冷や汗が出てくるということもない。
言うなれば「慣れてしまった」とでも言うべきだろうか。
何度か死神とは会っているのだろう。
「ぎ……ぎぎぎ……ぁ……」
サティアは私たちが何を話していても何を言っているのかまでは理解できないだろう。
ゴルゴタも知らないこの場所なら、聞かれて困る話をしても問題ないはずだ。
ここにくるとしたらセンジュだけだが、死神はセンジュを知っていた。
センジュに聞かれても問題はないだろう。
「ゴルゴタ様に早く戻る様に言われているので、長話はできませんよ」
あれだけのことがありながら、蓮花は興味もなさそうに素っ気なく言葉を発した。
「随分冷静だな。あれに脅迫されているというのに」
「……ええ、ここのところ何度も忠告されておりましたから。最初は死の花を解呪したとき、同じように警告されました。時間が止まっている中、私と死神だけ。あんな感じで延々と喋られ続けて困りましたよ。心の中もお見通しです。いつまで喋っているんだろうって思っただけで逆に厭味を言われましたよ。余程喋るのが好きなようで……」
やけにあっさりと蓮花は自白した。
私がどれだけ聞いても、あれだけ言葉を濁していたにも関わらず「もう知られたからいいか」という軽い考えで私に対して開き直る。
「だから死の花を解呪した後、あの時冷や汗が出ていた、と」
「今の貴方と一緒ですね。汗を拭いてください」
そう言って蓮花はハンカチを渡してきた。
このハンカチはセンジュが使っていたハンカチだ。
細かな金色の糸の刺繍が施されている柄に見覚えがある。
「これはセンジュのハンカチではないか」
「……盗ったわけじゃないですよ。以前、借りたものです。洗って返そうと思っていたのですが、ここのところ忙殺されていて忘れていました」
嘘ではないようだ。
私は自分の表皮についている汗をそのハンカチを使って拭う。
向かうところ敵なしというスタンスであった私にとっては、絶対的な力で圧倒されるのは気分のいいものではなかった。
死神の情報が少しでも欲しいと考え、私は蓮花が逃げ出さない内に聞きたいことを聞いた。
「私に隠していることを全部吐け。お前に死神の姿は見えていたのか? 死神関係以外のことも色々ある。何故ゴルゴタから私たちが退却したときにカノンに回復魔法をかけた? ライリーとは誰でどんな関係だ? 拘置所で書きなぐっていた書面の内容は? 何故ゴルゴタを裏切るような真似をする?」
質問攻めにすると蓮花はトントン……と組んだ腕を指で軽く叩きながら、観念したように話し始める。
「拘置所まで行ったんですか……その執念に飽きれます」
「カノンが解呪の心得がある回復魔法士としてお前の話をしたものでな。まさかゴルゴタに取り入ってるとは思わなかった。できれば死んでいてくれた方が話が楽だったのだがな」
「人間を滅ぼそうとしているゴルゴタ様の存在を知らなければ、大人しく殺されていたかもしれませんね」
ものの巡り合わせの悪さにため息が出る。
なまじセンジュに希望を見せてしまったが為に退くに引けないところに来てしまっているのだ。
蓮花を穏便に始末してしまいたいが、ゴルゴタとセンジュが守っている以上は誰にも簡単に殺すことはできない。
しかし、私があからさまに手をかける行為はゴルゴタとの更なる軋轢を生むことになり、望ましい対応とは言えない。
ゴルゴタがかなり執着している存在であるから、ゴルゴタとセットになると始末に負えない状態だ。
「ひとつ、カノンさんに回復魔法をかけたのはただの気まぐれです。ふたつ、ライリーのことは話したくありません。みっつ、書面の内容は貴方には関係のない事です。よっつ、ゴルゴタ様を裏切る訳ではありません。むしろ私はゴルゴタ様を人質に取られて、脅されているのです。死の法を犯したサティアさんを治すなと。“これは罪を犯した者への罰なのだから”と」
「…………」
あくまで関係することしか話すつもりはないようだ。
言いたいことは色々あるが、まだ話を続ける蓮花の言葉を待った。
「私は別にいいのです。私が……人外になろうと、死のうと、不死のバケモノになっても……私にとっては無関心な事柄であったので、私にとって一番ダメージの大きい方法を死神は選びました。それがゴルゴタ様です」
「だからサティアを戻すとゴルゴタが暴走し始めるというのか……」
「あと、死神の姿は見ていません。存在している概念の塊のような、そこにいるというのは分かるのですが、姿らしい姿はありませんでしたよ。貴方が振り返っても何も見えなかったのと同じです」
「だが、声を発するにはそれに伴う器官が必要なはずだ」
「神にそういう我々の常識を求めない方が良いと思いますけど」
「ふむ……」
それもそうだ。神などという存在に我々の尺度を用いるのは間違いだ。
しかし、人質に取られていると分かっていながらサティアを選ぶ理由が分からない。
ゴルゴタを人質にとられていると理解しているのに、なぜ執心しているゴルゴタを暴走させるのか。
センジュのサティアの話にそんなに心打たれたのか?
そんな優しい人間には見えない。
カノンに回復魔法をかけたことは気まぐれということだったが、別にそれも嘘ではない。
本当にこの女は感情の起伏が読めない上に、内面すらもろくに読み取れない。
「あんなことを言っていましたが、死神は甘いですよ」
私が色々尋問したいところに、蓮花は別の話題を放り込んでくる。
これも計算の上かと思うと苛立つが、必要な情報が少なすぎる以上蓮花から聞くほかにないので、私は話に乗った。
「甘いとは?」
「『時繰りのタクト』の副作用である呪いの花を解呪したときも、1度は警告のみで見逃してくれましたから。それに、私が呪われた町で1人治したときも、まぐれみたいなものだったので様子見で見逃してくれたらしいです」
「ほう。それは確かに法を守る者としては甘いな」
「でも、今回は違います。まぐれではありません。だからサティアさんを解呪するのを死神は良しとしていません。だから、そうなるのですよ」
「なら、お前がサティアに何もしなければゴルゴタは暴走し始めないのだな?」
「そうですね。ですが、センジュさんの気持ちも考えてあげてください。ゴルゴタ様の気持ちも……」
ゴルゴタの命と、この世の平穏を犠牲にしてサティアをとるかどうかの問題だ。
そう簡単に天秤にかけるようには測ることができない。
それに、ゴルゴタは死んでしまうのに何故そこにゴルゴタの気持ちが関係してくるのか分からない。
「……センジュの気持ちも分からないわけではない。だが、魔族と人間の戦争は回避しなければならない。ゴルゴタが死に、戦争になればサティアも無事で済むか分からない。そうすれば最悪の結果が残るだけで不毛だ。それに、ゴルゴタの気持ちとはなんだ? 人間を滅ぼしたいという気持ちか?」
「いいえ。“死にたい”という気持ちです。それに、ゴルゴタ様が死ぬかどうかは別の問題です。それは結果でしかない。途中までは死神が絡んでいますが、そこからは変えようがあります」
「お前は消された後の話だから簡単に言うがな、お前が知らないところで私はゴルゴタに殺されかけたのだぞ。あれをどう変えるというのだ? 解決案を思いつくまでお前にサティアを戻させるわけにはいかない。それに、ゴルゴタは今は希死念慮が強くない。考えはいつまでも同じではないのだ。特に、お前が現れてからは随分考えが変わったようだが?」
「………………」
やれやれと言わんばかりに蓮花は顔を背けた。
別にそこは逆らうつもりはないらしい。
仮に逆らって来たとしても、私には敵わないと理解しているようだ。
その辺りはやはり分別を弁えていると言える。
「私やお前以外の者がやれば丸く収まるかも知れないがな……牢屋で発狂している回復魔法士にやらせるというのはどうだ?」
行う者が異なれば死神の要求は変わってくるかもしれない。
そうすればその者と、その者の大切な者を犠牲にすれば良いだけで事が済む……とも思えないが、その可能性もある。
「そんなに簡単に覚えられませんよ。貴方だから短時間で覚えられるのでしょうけど、あの中の人たちは無理だと思います。顔をよく見た訳じゃないですが、私が顔を覚えているような腕のいい者はいませんでした。良くて中の下というところでしょうね」
まるで自分が高位に立っていることを自覚しているような口ぶりで、私とキャラが被っているところにも腹が立つ。
とことんこの女とは話も、性格も、考え方も合わない。
私を引き立てるどころか、キャラが立ちすぎている。
「……そう言えば、勇者パーティに1人優秀な回復魔法士がいたと聞きましたが。多分、あの女性の方がそうだと思います。しかし、70年前の天才が今でも通じるかは怪しいものですがね」
「そもそも、私たちに協力するかと聞かれたらかなり怪しい。魔王討伐の目的で来て、ゴルゴタとお前が非道な手を使って無理やり捉えたのだろう?」
「記憶の戻った今の彼らにとっての敵は私たちではなく勇者連合会なわけですから、もしかしたらという可能性もありますよ」
ウツギとやらは壊れていた。女の方も無事かどうかは分からない。
それに、本来敵側である勇者らにサティアを預けるのをセンジュが良しとするはずがない。
センジュはいますぐにでも奴らを始末したがっているのだから。
「むしろ、協力しなければ記憶を書き変えてしまえば彼らは私たちの味方になると思いますが、試してみますか?」
「…………倫理観も何もない話だな」
「そんなもの持ってるだけで邪魔なだけです」
「そう言えば、何故、脳疾患の者の頭をいじくりまわしていたのだ?」
「本当に私のことを詮索してくるのが好きですね。私はその質問には答えませんよ」
自分の話になると途端に口を閉ざす。
口を閉ざすと何を聞いても何の反応もなくなる。
私ですら読みきれない。
「それとも、私がメギドさんのことを根掘り葉掘り聞いてもいいのですか? お互い、知られたくないこともありますよ。それに、私の情報をカノンさんに流すおつもりでは?」
「必要であればな。お前は信用できない存在だ。その点、カノンは分かりやすいし敵意はない。お前のことを知りたがっている」
「気持ち悪いなぁ……」
吐き捨てるように蓮花は険しい表情をする。
カノンが嫌いなのか、同じ回復魔法士だから嫌いなのか、あるいはそもそも人間だから嫌いなのか分からないが、私に対する嫌悪感よりもカノンに対する嫌悪感の方が強く読み取れる。
「まだ10代の子供でしょう、分かりやすくて当然です。私にもプライバシーがありますのでご配慮ください。それにあの人、絶対私のストーカーですよ。そう思いませんか?」
ストーカーとは、対象を恋愛対象として執拗に追いかけ回す存在を言うらしい。
私はろくでもない無職どもに常につけ狙われていたので、その気分の悪さは分からないでもない。
特に、恋愛対象として追いかけ回されていたとしたら吐き気を催すのも無理はない事だ。
「確かに。話を聞いている限りではそういう傾向はある。お前の事に相当ご執心なようだったな」
「……残念ですが、私はゴルゴタ様のものです。そう伝えてください」
「ストーカーというのは口で言っても分からない連中のことを言うのだ。お前も分かっているだろう」
「確かにそうですね。言い方を変えましょう。私に近づいたら殺しますと伝えてください」
冷たい声で蓮花は言いきった。
そんなに鬱陶しいと感じているのなら助けるような真似をしなければ良かったのだ。
蓮花に助けられたカノンはますます蓮花に対してのめり込んで行っている節さえあった。
「殺すつもりなら、何故助けたのだ」
「申し上げたでしょう。気まぐれです。1度は見逃しましたが、次はありません。鬱陶しい人は嫌いなのです。というか、人間は全員嫌いです。滅んでもらえるなら滅んでほしいですね」
カノンは好きになる相手を完全に間違えている。
心根の優しい人間が本気でそんなことを考えるわけがない。
だが、人間を相手にまともに回復魔法士をしていた頃はかなり名高い回復魔法士だったはずだ。
弟が殺されて変貌してしまったにしては、全人類を滅ぼすに転じるには発想が突飛すぎるように感じる。
――それ以外の何かがあったと考えるのが自然だが、ゴルゴタにすら話さないことを私に話すわけがないか……
考え方を変えるべきか。
蓮花から回復魔法を完全にコピーして、それを私が蓮花本人に使用し、記憶を改ざんしてしまうか。
――いや、リスクが高すぎる
脳をいじくりまわして取り返しのつかない状態になったら、それを治す者がいない。
いくら私と言えど回復魔法は分野外であるし、かなり複雑な魔法式だ。
それに、式だけではなく長年の感覚量で操作している部分もある。
式だけ分かっても私にその実は使いこなせるのかは別の話だ。
まして身体の1番複雑な脳を簡単に操作できるとは思えない。
――死神はサティアをこのままにすることを望んでいる。他の……センジュも納得できる死の法に触れない方法はないのか……?
私が黙って思考を巡らせていると、蓮花は不審そうな表情をして私に対して言葉をかけてきた。
「悪事でも考えているんですか? 悪い顔してますよ。悪事もほどほどにしてくださいね。私はそろそろ戻らないとゴルゴタ様に怒られてしまいますから戻ります」
「あぁ、奴が騒ぎ出すと面倒だからな。勇者が起きたと報告するのか?」
「ええ。事実を報告しますよ」
まだ私はアザレアから神の情報を得ていない。
意識を取り戻していないのだ。
神の情報を持っているかどうか起きて尚正気を保っているかは別にして、せめてそれまでゴルゴタに知られたくはない。
「アザレアが起きるまで待て」
「アザレア?」
「勇者パーティの要となる勇者だ。あの中のタトゥーの入っていない体毛が白い方の若い男のことだ。奴が神と接触した可能性がある。だが、イベリスとウツギは目を覚ましたが、女とアザレアは目を覚ましていない。殺すのは簡単だが、アザレアから神の情報を引き出してからでなければ看過できない。ゴルゴタに知られれば情報を聞き出す間もなく拷問が始まってしまうだろうからな」
蓮花はトントン……と指を何度か動かした後、珍しく私に協力的な発言をした。
「んー……なら、危険を冒す覚悟があるなら、別の方法もありますよ」
「危険? 他の方法があるのか?」
「私が魔法で中継して、貴方の意識をそのアザレアさんの記憶に繋げるのです。記憶への干渉――――」
パチン……と指を鳴らしながら蓮花は得意げに言う。
「ダイブってやつですね」
想像だにしていない回答に、私は呆気にとられるしかなかった。