センジュからサティアの話を聞きますか?▼(5)
【魔王城 96年前】
イドールが天使の軍勢に追われている中、何が起こっているのか分からない蘭柳とアガルタは一瞬動揺したが、すぐにイドールの言っていた「時間を稼げ」という意味を理解した。
イドールは血まみれの身体で、必死に何かを抱えて飛んでいた。
そして、転げ落ちるようにイドールは墜落し、何回転かした後、必死に魔王城内に向かって走る。
もう翼は折れてしまっているようで飛ぶことはできなかった。
「蘭柳! アガルタ! 頼む!!!」
天使の軍勢がイドールに向かって弓矢を放ち、その矢がイドールに到達する前にアガルタが堅い鱗でそれを弾いた。
カンカンカンッ!
という音が響き、イドールへ矢が到達することはなかった。
「おい、イドール――――」
「頼む! 僕が! 僕がサティアを助けるから!!!」
叫ぶようにそう言って蘭柳とアガルタの間をすり抜け、イドールは城の方へと一心不乱に走って行く。
「やれやれ……」
蘭柳とアガルタが天使の軍勢をよく見れば、その中に最上位天使のルシフェルがいることに気づく。
最上位天使と、四大天使までがイドールを追って来ているとは、余程のことをイドールがしたに違いない。
「これはこれは、最上位天使様までいらっしゃるとは、余程の悪事をイドールが働いたようで」
天使の軍勢に弓矢を引かれている中、蘭柳は涼し気にルシフェルに話しかけた。
少しでも下手な真似をすればその矢を雨のように降らせて来るだろう。
「頭が高いぞ、鬼族と龍族の若頭。そこをどけ」
「偉そうにしやがって、だから天使族は好きになれねぇんだよなぁ。俺たちに向けてるその弓、あと1発でも撃ったら全員消し炭にしてやるぜ」
そう言ったアガルタがそれは無理だと1番分かっていた。
いくらアガルタが龍族として高い能力を持っているとしても、この数の天使――――ざっと見ても100以上はいる。
それに、白い腕章の実力のある天使ばかりだ。
それに、四大天使に最上位天使のルシフェルまでいるとなれば、事態はそう簡単に収集がつくはずがない。
ここで双方が本気で争えば魔王城周辺が草も生えない不毛の地になってしまうだろう。
「事の重大さが分かっていないようだな。私を止めたことを後悔することになるぞ」
強い威圧感でルシフェルはアガルタと蘭柳を牽制する。
「私たちとしても状況が掴めていないのでな。こうして上位魔族が会することもそうそうないことだ。少し冷静に話を――――」
蘭柳が冷静に話し合いをしようとしているところを無視して、ルシフェルは数名の上級天使にイドールを追うように指示を出す。
そして、数十名がかりで魔王城内へと向かって行った。
「話は終わっていないぞ」
蘭柳はその数十名の天使の背中に目にも留まらぬ速さで軽々と移動し、天使らの片翼の骨を素早く折った。
ボキボキと嫌な音がして墜落していく天使たちを横目に、アガルタとルシフェルの睨み合いが続く。
「地上は穢れるとか、悪魔に近づくと穢れが移るとか言って高いところに引きこもってるお前らが、こんな場所まで何の用だよ」
「イドールめ……面倒なのを差し向けおって……」
アガルタの質問をルシフェルは無視した。
正確には無視したというよりは焦っていて聞こえていなかったというのが正解だ。
今は穢れがどうこう言っている場合ではない、一刻を争うその事態にルシフェルの焦燥が見える。
ここにいるのは鬼族と龍族の最高位に属する者2名。
ここで事を荒立てれば、今後の天使族の進退にも関わることである故、軽率な判断はできなかった。
それぞれの上位魔族は互いに干渉しないことで均衡を保っているのだ。
ここで鬼族と龍族の両方を敵に回し、そして元々対立の続いている悪魔族との溝を更に深めるようなことをしては、天使族が滅ぼされかねない。
仕方がないと言わんばかりに、ルシフェルは蘭柳とアガルタに事の重大さを説明し始める。
「イドールが何をしようとしているか知れば、私をここで足止めしようなどとは思わないはずだ。イドールがしようとしているのは――――」
***
【魔王城内】
外が騒がしいことに気づいたセンジュは、料理をする手を止めて外の様子を見に出た。
すると、こともあろうか天使の軍勢が魔王城まで来ているということが分かる。
それに、最上位天使のルシフェルや、四大天使までいる有様だ。
それに当てつけるように蘭柳とアガルタが呼ばれたのだと気づいたときには、もう手遅れだった。
――イドール様、一体何を……
センジュは城内にいるであろうイドールを探した。
いや、探すまでもなく、クロザリルの部屋に向かっていることは分かっていた。
調理場からクロザリルの部屋までは少々距離があり、いくらセンジュの脚が早くとも数秒で辿り着くことはできない。
だが、手負いのイドールより、数秒程度早くクロザリルの部屋の前までつくことはできた。
センジュがイドールを見ると、あまりの痛ましい傷の数々に必然的に表情が険しくなる。
矢が刺さっていたり、かなり深い切り傷まであり、血が滴っている。
それに翼も折れており、重傷だ。
腕にも深手を負っているにも関わらず、何かの書物を大事そうに抱えていた。
「イドール様、何をされたのですか!? その書物は――――」
「どいてくれ!」
先についたとはいえ、鬼気迫るイドールに押されてセンジュは強く止めることはできなかった。
勢いよくクロザリルの部屋の崩れかけた扉を開き、傷だらけで血まみれのイドールは入る。
「クロザリル、もう大丈夫。僕が……なんとかするから」
血塗れのイドールを見てもいないクロザリルは、よもや何もその瞳には映してはいなかった。
それを見てイドールは目に涙を浮かべながらも、けしてその涙をこぼしはしなかった。
手に抱えられていた書物を床に置き、イドールはめくりながら、魔法を展開する。
書物を見ながらその複雑さに戸惑いながらも、懸命に複雑な魔法式を組み上げる。
「イドール様、それは……!」
止めようとするセンジュに掌を弱々しく向け、来ないようにイドールは牽制する。
「センジュ…僕は……落ちこぼれて……堕天して……でも、僕は……大天使の血筋なんだ」
「何を……」
「だから、できるはずなんだ」
イドールはページを目まぐるしくめくりながら、魔法式を次々に構築していく。
「父さんにとっては不出来な駄目息子だったろうけど、僕は……この時の為に堕天したんだと思うよ」
魔法式がますます複雑化して手負いのイドールは苦しそうな表情をしていたが、それでも、最後のページまでめくり切りイドールはサティアに向き直った。
「大丈夫……クロザリル、もう大丈夫だから、君の笑顔をもう一度見たいんだ。その為なら僕はなんだってするよ」
魔法式が完成したとき、腐り始めているサティアの身体に変化があった。
千切れた脚が繋がり、千切れかけた腕の傷も治った。
腐り始めていた身体はまるで生きているかのように血色を取り戻し始める。
トクン……トクン……と心臓の鼓動が聞こえてきた。
――これは、死者の蘇生魔法……! そんなことをしたら――――!
センジュが気づいたときには、もう遅かった。
なんだってできるほどの力を持ちながらも、それでもセンジュはいつも判断に迷ってしまう。
だからいつも手遅れになってしまうのだ。
「サティア……?」
何も見えていなかったクロザリルは、血色が戻り、そして、鼓動までもが戻ったサティアを見て呼びかけた。
「サティア!」
心臓の鼓動がし、血の通ったサティアの身体をクロザリルは強く抱きしめる。どれほどそれを望んでいたか。言葉では言い表せられない。
「お母さん……? 痛いよ」
サティアが目を覚ました。
その事実が信じられず、クロザリルも、センジュも涙を浮かべてそのあどけない声を喜んだ。
が――――
その歓喜を無残に切り刻むように、すぐさまサティアの身体に異常が現れた。
皮膚がボコボコとうねりをあげ、ドロドロと溶けるようにクロザリルの腕から肉も血も骨も零れていく。
「!!!」
必死にかき集めようとするが、どんなにかき集めようとしてもクロザリルの手からそれは零れていく。
そして、溶けた肉や血と骨が再び固まり、不気味な肉の塊となった。
腕や脚があり得ない方向に向かって生えており、目も、鼻も、耳も到底顔のある位置とは離れた場所につき、その金色の髪も少しは残ったが殆どが抜け落ちてしまった。
身体といえるか疑問の残る何かに、黒い羽根が疎らに生えている状態だ。
「サティア!」
必死にクロザリルが元に戻そうとするが、完全に肉体が結合してしまっていてどうすることもできなかった。
瞬く間にサティアは異形の姿へと変わってしまったのだ。
「どうして……」
それを見て、イドールは間違いがあったかと目の前にある書物を入念に調べる。
だがイドールが間違えたわけではなく、それはそうなる宿命だとセンジュは本当は分かっていた。
死者の蘇生魔法が成功したという例は今まで1度たりともない。
そんなことは分かり切っていたはずなのに。
「う……ぐ……ぁあああぁああぁあっ!!!」
次に異常が現れたのはイドールだ。
心臓の辺りを押さえ、苦しそうに喘いでいた。
サティアが異形の姿になった後、どうしていいか分からないクロザリルは泣きながらイドールを抱きしめた。
「イドール……! しっかりして!」
「や……っと……僕の事……見てくれたね……がぁっ……くっ……クロザリル……ごめん……失敗したみたい……ははは……やっぱり、僕…………あぁっ……駄目な……天使でごめん……」
最期の力を振り絞り、イドールはクロザリルの頬に触れ、血まみれの手で涙を拭った。
「そんなことないわ! イドール……置いて行かないで……」
「愛して……る……――――」
だらり。
イドールの手はクロザリルから離れ、床に落ちた。
「イドール……?」
クロザリルはイドールを揺さぶる。
だが、イドールは反応しなかった。
「イドール! 目を開けて! しっかりして!」
心臓の鼓動が止まってしまっているのを確認したクロザリルは、心臓マッサージを始める。
「イドール!! お願いよ……!」
心臓マッサージをしているクロザリルを、センジュは止めることができなかった。
イドールは心臓が動いていないのではない。
心臓そのものが潰れてしまっていて無いということをクロザリルに伝えられなかった。
必死に心臓のない部分を押して、口から空気を入れるがイドールは一向に息を吹き返す兆しはない。
当たり前だ。もう心臓がないのだから息を吹き返すわけがない。
そこに、殴り込むように3名の者たちが入ってくる。
ルシフェル、アガルタ、蘭柳だ。
そして、何が起きたのか、その惨状を見て全て悟った。
異形の者となったサティア、死んでいるイドール、必死に蘇生を試みるクロザリル、立ち尽くすセンジュ……――――
この世の地獄がそこにあった。




