『時繰りのタクト』を使いました。▼
【メギド プサイの町】
「れんかぁ……? 誰だよ、そいつ……」
ゴルゴタはうんざりしたように、気だるげに私にそう返事をした。
――こんなときに、なんの冗談だ……
それが冗談であってほしい反面、それであれば確定的にこの騒動には蓮花を軸に何かがあったと確信が持てる。
もうあと数分程度しか私の身体が持たない。
これが冗談ではないのなら、やはり鍵は蓮花だ。
だが、万に一つも冗談を言っている可能性もある為、私は更にゴルゴタに質問を投げかける。
「悪い冗談ならよせ……回復魔法士の蓮花だ」
「知らねぇよ」
ゴルゴタがとぼけてそう言っている訳ではないことは分かる。
本当に蓮花のことを忘却している様だ。
いくら私であっても今の身体の状態では情報の整理はできないが、ただありのままの情報を受け入れ、記憶することに徹することはできる。
「お前が気に入り、側に置いていた特級咎人の蓮花だ……心当たりは少しもないのか?」
「しつけぇんだよ!! 特級咎人だぁ……? 俺様が毛のない猿なんざ気に入る訳がねぇだろうが!!!」
身体を凍らせて動きを封じていたが、ゴルゴタは炎の魔法であっという間にその氷を溶かし、身体の自由を得て再び私に飛び掛かってきた。
首を掴みあげられ、私は更に呼吸が困難になり本格的に身の危険を感じた。
まだ動く手で、腰に装備していた『時繰りのタクト』をゴルゴタに気づかれないように手に取る。
幸い、ゴルゴタは極度の興奮状態にあるようで私が『時繰りのタクト』を手に取ったことにも気づいていない様子だった。
「死ぬ前の最後に……質問がある……」
「はっ……やっと観念したかよ……もっと内臓をぐちゃぐちゃにかき混ぜてやろうかぁ……?」
ゴルゴタは私の腹部に爪を立て、そのまま突き刺した。
ゴルゴタの手が私の内臓を掴み、感じた事のない激痛が私を襲った。
「ああぁああぁあああああぁっ!!!」
ぐちゃ……ぐちゃ……
鋭い爪が私の臓器を切り裂き、内臓が引きずり出される痛みでただ叫ぶことしかできない。
それでも、どうしても最後に確認しておかなければならないことがあった。
「お前を……これほどまで……殺意に駆り立てているものは……なんだ……?」
「キヒヒヒヒヒ……兄貴の最期の言葉がそれかよ……てめぇがよぉく分かってる筈だぜぇ……? 俺様から何もかもを奪った毛のない猿なんざ、1匹たりともこの世界に生きてる価値なんざねぇんだよ!! この世に存在して、俺様と同じ空気を吸ってると思うと、息をすることすら嫌気がさしやがる!!!」
致命傷を受けている私を、ゴルゴタは乱暴に投げ捨てた。
なんという扱いだ。
こんなに雑に扱われるのは初めてだったが、それに文句を言う気力もない。
ゴルゴタは更に鋭い殺気を放ち、バキバキと指を鳴らしながら、見かけた人間に対し全力の炎の魔法を放って消し炭になるほど焼き殺す。
身体が焼かれ、気道が炎で焼き尽くされて炎を吸い込むのはどれほどの苦痛だろうか。
そんなことはゴルゴタはおかまいなしに存分に残虐性を発揮している。
「ヒャハハハハハハッ!!」
高笑いをするゴルゴタは心の底から楽しんでいるように見える。
これが、何かの冗談であってほしいと願うばかりだ。
蓮花と会い、ゴルゴタは人間をほんの少しでも許し始めていた。
なのに、なぜこのようなことになったのかと。
――神が関係しているのか、あるいは蓮花本人が……
考えを巡らせている時間はなく、もう意識が遠ざかり始めた。
動かせるだけの力を振い、私は『時繰りのタクト』を持ち、音楽の指揮をとるように振る。
振りは小さいが、4拍子をとった。
戻る時間は3時間前、ダチュラの監視の目から外れ、センジュと話し始める前だ。
「ゴルゴタ……」
最期の力を振り絞り、私はゴルゴタの――――弟の名を呼んだ。
「あぁ!?」
「必ず……お前を……助ける……」
「何言ってやが――――」
怨嗟にまみれ、殺意に満ち溢れたゴルゴタの声は途中で聞こえなくなった。
***
気が付くと私は、今まで痛みを感じていた部位ではない場所に激痛を覚え、膝をついて崩れ落ちた。
右肩からの激痛を感じ、私は上半身に着ていた服を脱ぐと、そこには天使族を蝕んでいた「死の花」が私の身体に咲いていた。
血液を吸い上げ、そして肉に食い込み私を苗床にする花は真っ赤な血の色をしており、そこに咲いている。
天使族らの身体に咲いていたよりも規模は小さい。大きさにして3cm程度だ。
――この大きさでこれほどまでに痛むとは……
だが、痛みに転げまわって弱音を吐いている時間はない。
服を再度着て周りを確認するが、ここは魔王城の廊下。
書斎から蓮花の部屋へと向かう道中だ。
まずゴルゴタの方へと行って見るか、あるいは蓮花の方へと行くべきか考えたが、私はやはり蓮花の方へと行くことにした。
ただでさえ歩いていても消耗するのに、花のせいで更に私は消耗する。
息を切らし、壁を伝いながら蓮花の部屋へと向かった。
蓮花の部屋が近づいてきた頃、私がやっとのことで歩いていることに気づいたセンジュが私のところへと駆け寄ってきた。
「メギドお坊ちゃま! どうされたのですか?」
「大したことはない」
センジュの手を払いのけながら、私は蓮花の部屋の前へと足を懸命に運ぶ。
「メギドお坊ちゃま、何があったのかおっしゃってください。まさか……『時繰りのタクト』をご使用になられたのでは……?」
「あぁ……私の姉だというサティアという少女に出会った」
「!!」
その言葉を聞いたセンジュは歩みを止め、呆然と立ち尽くしたまま拳を強く握りしめ震えていた。
よほど私のその言葉が嬉しかったのか、懸命に泣くまいと震えているのが分かる。
みっともなくはいつくばって泣いていた蘭柳とは大違いだ。
「…………だが、ゴルゴタが暴走し始めた。私はほぼ殺されかけ、戻ってきた」
「………………」
センジュは、涙をこらえて喜びに打ちひしがれていたが、私の言葉に急激に表情が強張り、何か考えるように視線を泳がせる。
「心当たりがあるのか?」
「……ええ、少しばかり」
――やはりサティアも関係している……と、なれば当然蓮花も関係している
考えていたセンジュはすぐに判断を下した。
「少しの間、暇を頂けるか、ゴルゴタお坊ちゃまに確認してまいります」
「暇?」
「ええ、確認したいことがございます。その前に、蓮花様とお話ししてもよろしいでしょうか」
「ああ。私もあの女と話したいと思っていたところだ。その話し合いに立ち会わせてもらうぞ」
「それは……」
表情を曇らせるセンジュは、私に姉のことをあまり話したくないように見えた。だが、もう遅い。
未来でその光景は見てきた。
「お前の言っていた蓮花への願いとは、私の姉に関することだろう。ならもう知っている。黒い鳥類の翼の、私によく似ている少女だった」
詳しいことは分からないが、事の大体の推測くらいはつく。
この事件を一時的にでもやり過ごせればそれについて聞く時間も確保できるだろう。
「それに、蓮花に肩の花の解呪をさせたい。酷い痛みで思考もまとまらない状態だ」
私がそういうと、センジュは少し沈黙した後に「かしこまりました」と、私に肩を貸して蓮花の部屋の前まで共に移動した。
軽く扉を叩き、蓮花に入っていいかどうかセンジュが確認する。
「蓮花様、今、少々よろしいでしょうか」
すると、中からしばらく返事がなかった。
数秒遅れてから、やっと返事が返ってくる。
「どうぞ」
死に際の人間が発する掠れたような声がかすかに聞こえた。
その声を合図にセンジュが扉を開けると、死臭のような匂いがした。ようなというのは語弊がある。
まさしくそれは死臭だった。
私はその強烈な匂いに眉を顰める。
中には死体もあるし、動けなくなっているだけの生きている人間もまだいた。
まだ生きている状態の人間の横に座り、膨大な紙に埋もれながら蓮花は何かをしている様だった。
そんなことはさておいて、私は蓮花が何をするつもりなのか尋ねた。
「お前、何をするつもりだ?」
確実に何かこの女が行動を起こすことを私は確信していた。
私の質問に対し、蓮花は私の方を見ようともせず虚ろな目でどことも分からない空間を見て目を動かしている。
「……どれのことなのかわかりません」
私の会話に集中しないことに腹が立った。
「未来を見てきた。この花を見ろ」
上半身の服を脱ぎ、右肩に咲いている死の花を蓮花に見せると、やっと私に目を移したが、大して興味もなさそうにそれを見つめた。
「…………よほど酷い未来になったようですね。察するところ、数時間後程度のようですが」
「ふざけるな」
軽く答えた蓮花に私は更に腹が立った。
あの狂気と憎しみに塗れたゴルゴタの姿、城内の無残な死体の山。
それをまるで知ったように語る蓮花にいら立ちを隠せない。
蓮花の首に私が爪をかけると、それを素早くセンジュが止めた。
「お前が蓮花に固執するのはサティアのことがあるからだな」
私の言葉に蓮花は反応し、返事をした。
「そうですか。どうやら、成功したようですね」
私に爪を向けられているのも意に介さず、構わずペンを走らせカリカリと紙に何か書いている。
ゴルゴタと初めて会ったときにも、自分の命の危機に関して無関心だったと聞いているが、まさにその状態だ。
私がこの爪を少しでも動かせば、あるいは魔法で吹き飛ばしてしまうこともできると知っているはず。
だが、それに全く興味を示さない。
蓮花は、書き終わった途端に、トントン……とペンを紙に打ち付けた後、その辺にペンを放り出した。
「センジュさん、この紙を全部燃やしてください」
「よろしいのですか……?」
「完成しました。頭に全部入ってます。必要ありません。整理するためにメモしていただけです」
メモとは言っても、何が書いてあるのか私が見ても私には分からなかった。
万が一のときにも誰にも読めないように暗号化されているようだが、それでもこの世から抹消する徹底ぶりだ。
相当に禁忌に触れているのであろう。
躊躇いは見えたが、センジュは書類の山を持ち上げ、その手の上で燃やし尽くして言われた鳥に消し炭にした。
これで、蓮花の頭の中しかその式は存在しない。
やつれ、死んだような目で蓮花はやっと私の目を見る。
「ですが……メギドさんが許してくれないと思います。このままでは同じ未来になるでしょうから」
その無機質な声は、この広い部屋と私とセンジュの脳に響いた。