涙の痕が残っています。▼
【メギド 鬼族の町 蘭柳の館】
蘭柳の部屋は独特の匂いがした。
あまり広いとは感じなかったが、そこまで狭いという訳でもない。
木彫りの置物や、壺などの何に使うのか分からないものが置いてある。
恐らく装飾品なのだろうが、それもまた悪くない趣味だと感じた。
床を畳というもので敷き詰め、履物を脱いでそこに上がる様式なのは驚いた。
椅子に座る以外の座り方を今までしなかった私は、床に座るなど私の常識では考えられなかったが、蘭柳が座ったように私も真似をしてそこに座る。
座る場所にはクッションが置いてあり、その上に私は座った。
本で読んだことはあったが、和室というものの実物を見るのは初めてだ。
私が座ると、頼んでもいないのに次々と飲食物が運ばれてきた。
魚、米、味噌汁、貝などの料理と茶が目の前に揃い、香しい匂いがただよってきた。
蘭柳は何も言わず、運ばれてきた料理を食べ始めた。
それを見て「すぐに話す気はない」という意図を察し、私も食事を始める。
いつもセンジュが作っている料理と遜色なく、味も悪くない。
栄養面にも気を配られており、少しばかり質素と感じるものの美味であった。
ただ淡々と無言の食事が続いていく。
私はここに食事に来たわけではないが、空間転移の負荷を癒す時間が必要だった。
それに、丁度私は食事の前で空腹であったので、食事も苦ではなかった。
以前の専属の料理係をゴルゴタが殺してしまったせいで、私の口に合うものを作れる者はセンジュしかいない。
だが、センジュも行動を制限されている身であり、それは適わずここ最近は口に合う食事をとっていなかった。
なので、この食事は大変美味に感じた。
粗方、無言の食事が終わったところで、食べ終わった皿は次々と下げられていき、何もないテーブルだけが私たちに残された。
蘭柳は口を開くのを躊躇っている様子だったが、覚悟を決めたのか私よりも先に口を開いた。
「して、何を私に聞きにきた? 一切の関りを断っていた私たちがまみえるほど、何かに余程困っているようだな」
出会い頭にあれほど取り乱していた姿はもうなく、威厳のある鬼族の表情で蘭柳は私に問うた。
その態度に、私も相応の態度で返す。
「そうだな、三神伝説について知っていることがあれば聞きたい。神や魔神、死神は実在するのか?」
「…………」
蘭柳は私の問いに押し黙り、露骨に答えたくなさそうな表情をした。
「答えられないのか? 天使族のルシフェルは昔、魔神に会ったことがあるとセンジュに聞いた。それは事実なのか?」
「……何故、三神伝説のことを聞きたいのか……まずそれを教えてくれないか」
難色を示す蘭柳に対し、私も同様に難色を示す。
この歴史の惨状を見れば、にわかに信じがたい神らのことも度外視はできないことは明白。
そんなことも分からないのかと、魔族きっての智将などと言われていることに疑いすら感じる。
「人間と魔族における歴史の転換点において、この私でも説明のつかない事象がいくつも起きている。母上が撃たれたときも、勇者は突然現れた。そして、今も遠くない未来に人間の急激な減少を引き金に勇者が現れ、魔族と全面戦争になる」
「それは、お前の持っている『時繰りのタクト』で見てきた未来か。天使族がせっせと野心を成就させようとした結果、手に負えないと思い、お前に託したようだな」
ろくな説明もなしに、蘭柳は私の置かれている状況を理解したようだ。
賢い者は無駄な説明をせずに済んで助かると感じる。
「で、神はいるのか、いないのか、どこにいるのか、何故突然勇者が現れるのか、分かることがあるなら教えてもらおうか。言っておくが、私は嘘を見抜く魔道具をつけている。はぐらかすのは無理だと心得よ」
「ふむ……くだらぬ嘘をつくつもりはない。だが…………その質問には答えられない」
その答えに、色々な思考を巡らせるには十分だった。
答えられないことが答え。
「なるほど……」
沈黙は肯定。
そして、外敵圧力がかかっていることを明示している。
そしてその答えに私は確信した。
三神伝説はただのおとぎ話などではなく、事実であるという事を。
呪われた町は、本当に死神の逆鱗に触れ強い呪いを受けたのだ。
それ以外に考えられない。
それに、勇者や魔王の諍いは、裏で神や魔神が糸を引いているということ。
「では、質問を変えよう。死の法を覆すとどうなる?」
「そのようなことはあり得ない。と、言いたいところだが、特級咎人の回復魔法士の話は私の耳にも届いている。法を覆した者は未だかつて誰もいないが、そうなれば呪われた町の者と同様の状態になってもおかしくないだろう」
それは私も予想していた範疇のことだ。
だが、あの町の者たちは具体的に何をしていたのか。
研究資料などがあってもおかしくはなかったが、どれも隠されるように廃棄されており、確信に迫るようなものはなかったと記憶している。
「あの呪われた町の者たちは、何をしていた? 死者を生き返らせる研究の他に、何かしていたのではないか?」
死者を生き返らせる研究をしていただけであるなら、今の蓮花も同じ状況だ。
集団で行っていたことが問題だったのか、あるいは他の何かが死神の逆鱗に触れたと考えるのが自然。
「ふむ……お前は答えづらい質問ばかりしてくるな。三神伝説関連の質問には答えられないのだ。神を語る者がこの世にいない理由を考えよ」
その返答に、私はまたも確信を抱いた。
神は我々の生きとし生ける者の全ての敵であるということを。
神を語る者は消される。神に背きし者は消される。
そして、裏で必ず暗躍、存在し、糸を引いているに違いない。
それに、この蘭柳は神について色々知っている様だ。
だが消されてはいない。
神を知ることそのものは咎められないようだ。
だが、それによって相当な制約が課せられているに決まっている。
「では話はやめにしよう。その返答で粗方確信したことはある。答えられることがないのならそれでいい。ならば、もう用はない」
私が立ち上がり蘭柳に背を向けると、蘭柳は狼狽した様子だった。
「聞きたいこととはそれだけか? 他に……私に聞きたいことがあるのではないか?」
まるで、縋るように私にそう問いかけてくる。
先ほどまであった威厳の仮面は崩れ始め、明らかに私情を挟んでいることは明白だ。
何を言わんとしているかは分かる。
息子として父に何か聞きたいことがあるのかと聞いているのだろう。
だが、私はこの者を父とは思わない。
先ほど会ったばかりの顔も知らない鬼をいきなり父だと言われても、釈然としないのは事実だ。
嫌に居心地が悪い。
聞こうと思えば他に色々聞くことはあるが、この居心地の悪さに私は早々に立ち去ることとした。
「言ったであろう。私に父はいない。故に、お前個人と交わす言葉などない。私は魔族きっての智将に話を聞きに来たのだ」
「………………」
そして私は振り返り、最後の楔を強く突き刺した。
「お前の言おうとしている懺悔の言葉など、雨露1滴程の価値もない。仮に懺悔がしたいのだとしたら、そのような身の毛もよだつ言葉など聞きたくもない」
その心臓を抉るような私の鋭い言葉が相当に応えたようで、蘭柳は再び顔を伏せ、肩を震わせながら泣き始めた。
その様子を見て更に私に虫唾が走る。
かける言葉など何もないのにも関わらず、その無様さが私の癇に障って苛立ちが募るばかりだ。
その苛立ちに、私は口を噤んでいることができなかった。
「お前が何を言わんとしているか私が分かることくらい、お前なら分かるだろう。私は魔族の未来のために自分の未来を捨てた。その間、その知恵を持て余し無下にして何もしてこなかったお前を、どうして私が軽蔑せずにいられようか。今更、私の父親の顔などすることは、何の価値もない愚かな行為だ」
ただじっと私の言葉に肩を小刻みに震わせ続ける。
その姿から目を背け、再び私は蘭柳に背を向けた。
「仮に私の父であるということを自負しているのなら、愚かしい行為は私の品位すら貶めるということをよく覚えておけ」
蘭柳は去ろうとする私に、何の言葉もかけてこなかった。
ただ、すすり泣く声が後ろから聞こえる。
私を追ってくる気もないようだった。
――あのような情けない者が私の父であるなどとは認めない……
空間転移の負荷も大分緩和され、再び空間転移をするのに不都合のない程度にはなった。
今すぐにでも私はここを去ろう。
そう考えて空間転移魔法を展開しようとした矢先、右京が血相を変えて私の元へと走ってきた。
「メギド様!」
まだ負荷が残る身体で、ぎこちない動きで走ってやってきて、何をするかと思えば私の肩へと両手を伸ばす。
無論、それを私は軽い身のこなしでかわした。
「なんだ、騒々しいな」
「蘭柳様に……実の御父上様になんという口の利き方! 捨ておけぬ!」
必死に私の身体を掴もうとするが、悉く私にかわされ、疲れ果てたのかついには地に膝をついた。
「何をムキになっている。お前がそう気を荒立てることなどないはずだ」
「はぁ……はぁ……貴方が賢いことは認めざるを得ない。だが、どれだけ賢くとも、蘭柳様のお気持ちを察することさえできないとは、とんだ愚か者だ!」
怒っている右京の表情は鬼気迫るものであった。
人差し指を私に向け、私を愚か者と詰る。なんと失礼な輩だ。
家族の事にずけずけと入ってくる点、私に指を向ける点、挙句の果てには「愚か者」なとど私を詰る始末。
「言ったであろう。私の家族の問題に口を出すなと」
「蘭柳様は貴方にあのような言い方をされて良いお方ではない! 取り消せ!」
尚もムキになって私を掴み伏せようとする右京の足元を、私は魔法で少し凍らせて動きを封じた。
動きが封じられた右京は、それでも履物を捨ててまで私につかみかかろうとする。
必死のその様に私は次の魔法を展開しようとすると、そこに横やりが入った。
「やめないか、右京」
後ろからコツン、コツンと杖をつきながら蘭柳が現れた。
またもやその顔には涙の痕が残っている。
それを気にする訳でもなく、こちらへ歩いてきている。
「しかし……!」
「よい。下がれ」
「……っ」
鬼族の長である右京を、蘭柳は下がらせた。
納得できない表情をしている右京は他にも言いたいことがあるようだったが、それでも蘭柳には逆らわない。
再び相対した蘭柳と私は、視線を合わせる。
そこには威厳ある蘭柳の姿ではなく、1人の父としての姿を見た。
「メギド、お前の言う通りだ。私はお前に咎められても仕方がない。そして、クロザリルにも。何を言っても言い訳にしかならぬ。見苦しく弁解をするつもりはない。ただ……」
「…………」
その言葉の続きを私は待った。
だが、その言葉よりも蘭柳の身体が動いていた。
縋るように伸ばすその手を、私はかわそうと思えばかわせたはずだ。
だが、私は戸惑い、立ち尽くしている間に蘭柳のか細い腕に抱き留められた。
母上にされたような優しい抱擁ではなく、弱々しくも力強い抱擁であった。
「長い間、辛い思いをさせた。許してくれとは言わない。だが、また何か躓くことがあればいつでも私を訪ねて来なさい。必ずお前の力になる」
私から腕を離し、顔を見せた時には再びその目から涙がこぼれ落ちていた。
私は身体が硬直し、言葉が出てこなかった。
先ほど蘭柳を責め立てた口で私は何を言えばいい?
どうそれを取り繕えばいい?
何故あそこまでこき下ろした私に、そのようなことが言えるのか?
私を疎ましいと思っているのではないのか?
「…………それは、頭の隅にでも置いておく」
ぶっきらぼうに私は蘭柳を突き放し、空間転移魔法を展開する。
私がそう言った後の、最後に見た蘭柳――――父の嬉しそうな笑顔が脳裏に焼き付いて、私はどうしようもない感情を持て余した。
そして、私は振り返ることなく空間転移をし、魔王城へと戻った。
「良かったのですか、蘭柳様……いくら事情を知らないとはいえ、あの横暴な態度……とても蘭柳様のご子息とは思えません」
「子供の反抗期というのは、どう接するべきか悩ましいものだな」
苦笑いをする蘭柳に、右京は驚いて目を見開いた。
「は、反抗期ですか……!? とてもそうは見えません。彼はもう齢77歳ですよ。反抗期だとしたら来るのが遅すぎます」
「いいんだ……二度と会えないと思っていた。触れる事さえ、永遠に敵わないと思っていた……だが、あんな生意気な子供でも、最愛の者との最愛の子だ。心の底から、生まれてきてくれてありがとうと……そう感じたよ」
涙を拭うと、蘭柳は晴れ晴れとした顔で笑った。