“その者”を見極めてください。▼
【メギド 魔王城庭】
私は渋々歩くという苦行をし、庭にいるという右京の元へと向かった。
右京の発する魔力を頼りに私が嫌々歩いていくと、右京はセンジュの言った通り、庭にいて他の鬼族と共に何やら話をしている様子だった。
私の気配に気づいた右京は、身構えるように身体を硬直させ警戒する。
他の鬼も同様に、あるいはそれ以上に私に恐怖して震えている。
「そう警戒せずとも、私はゴルゴタのような暴挙を働いたりはしない」
少しは警戒心が薄れたものの、少しでも私から敵意を感じたらすぐに腰の刀を翻し、私に刃を向けるだろう。
その刃が私に当たることはないだろうが、もめたい訳ではないので私は静かに右京に近づく。
「……貴方が蘭柳様のご子息のメギド様か。こうして向かい合うのは初めてだが、初めてである気はしない」
向かい合うのは初めてであるにも関わらず、いきなり家族の話とは、やけに距離をつめてくる男だと感じる。
私と父に面識がない事くらいは知っているはずだ。
込み入った事情にずけずけと入ってくるその姿勢に、私は眉を顰める。
「父のことなど知らぬ。興味もない。先に言っておくが、私の家族の事に立ち入ってくるな」
「…………」
右京は何も言わず、ただ私を見つめている。
見つめているというよりも、観察されているというように感じて、とても気分が悪い。
察しはつく。
私と父の面影を重ねているのだろう。
私は父の顔など知らぬ。
私が母上のように美しい顔立ちをしていることを考えれば、父にはあまり似ていないとでも考えているのだろう。
そんなことは今どうでもいい。
私は目的を伝えに来ただけだ。
「端的に言うのなら、私がここにいる以上、お前は用済みだ。鬼族の町に帰す」
私の言葉に心の底から安堵したのか、右京は緊張した面持ちを解き、明るい表情になった。
周りの鬼族もそれを聞いて縋るように右京を見つめる。
その不安げな表情の他の鬼族を右京は宥めた。
「……ここの鬼族たちも連れ帰っていいか? かなりやせ細って消耗している。ここにいてはあの狂った男にいつ殺されてもおかしくない。実際に、鬼族の亡骸と思しきものも見つけた」
「間違っていない指摘だな。ゴルゴタはお前たちの命なんて全く尊重していない。いつ奴の虫の居所のせいで塵にされても不思議はないな」
ゴルゴタは今、魔王城にいる魔族の数など全く気にしていない。
記憶力は母上譲りで私には劣るもののそれなりに良いが、いなくなったとしてもゴルゴタにとってはどうでもいいことのはずだ。
特に今は勇者らに意識が集中しており、私が城を一時的に抜ける事すら気にしていない。
というよりは、ダチュラが私を監視していると思っている今が、暫しここを離れる好機だ。
ダチュラが騒ぎ出す前に帰ってくれば、私が城を空けていたことなどゴルゴタは知る由もないだろう。
空間転移の負荷を考えれば、そうすぐには戻っては来られないが、ダチュラが私がいなくなったと大騒ぎするほど頭が悪いとは思わない。
私を見失ったなどとゴルゴタに報告すれば首が飛びかねない事柄だ。
いくらダチュラが頭が悪くとも、私の不在を騒ぎ立てたりしないだろう。
――とはいえ、隠し立てしたのがバレた場合は更に凄惨な事態になるが、その点に関しては私には関係のない事だ
「私は構わないが、責任はとれない。それでもいいなら助力はしよう」
「私は鬼族の未来を担う存在だ。一片の取りこぼしもしない」
雄弁に語るその様子は誇らしげだったが、私はその無謀な考えに呆れが混じる。
「殊勝な心掛けだが、それは到底不可能だ。そのような心構えでは相対的には取りこぼす数の方が多くなる」
私が冷たく言い放つと、右京は眉間にしわを寄せて苦悶の表情を浮かべた。
悲し気な表情だ。
悲し気と言うよりは、私を憐れむような目で見ている。
「貴方も半分は鬼族。そして蘭柳様のご子息……私は、貴方も救いたいと思っている」
嫌な予感はしていたが、とんだ妄言を口走りだしたと私は更に呆れ、首を左右に振りその言葉を否定する。
「私を救うだと? 何を訳の分からない事を言っている。妄言が過ぎるぞ」
「貴方自身が一番分かっているはずだ。貴方を見ていれば分かる。貴方は大きな心の傷があるが、それを見せまいと振舞っている。その様子は、クロザリル様を失った蘭柳様にとてもよく似ている。だから、私は分かる」
――母上を失った父の様子に似ているだと? 「失った」などと、とんでもない戯言だ……
顔も見たことがない存在に「似ている」などと言われるのは気味が悪い上に、気分もすこぶる悪い。
母上に会いに来ようとすればできたはずだ。
それもなかったのに「失った」などと、見当違いもいいところだと感じる。
これ以上話していても埒が明かないと悟った私は、この話を終わらせて目的を果たすことにした。
「黙れ。時間が惜しい。すぐに転移する。転移の負荷の心配でもしていろ」
右京や他の鬼族の了承を得ずに、私は空間転移魔法を展開した。
すると、あっという間に景色が変わり、鬼族の町の前に降りたった。
急に現れた私たちに驚いたのか、門番の鬼族が腰の刀に手をかけたが、現れたのが私であることや、右京、その他鬼族であると分かるとその手を放し、かけよって崩れる者の肩を抱いた。
「右京様! 右京様が戻られた! メギド様もいらっしゃる! 皆に報告してこい!」
「はい!」
慌てた様子で片方の門番は走って門を開け、中へと入っていった。
すぐに他の鬼がくるだろう。
空間転移の負荷がかかり、私は頭痛や眩暈がしてきた。
足元がふらつくだろうが、そのような弱さを見せては何をされるか分からない。
半分が鬼の血とはいえ、私は魔族を裏切った背徳の魔王。
何をされてもおかしくはない。
――早々に立ち去るべきか……?
そう考えたが、私の中で1つ小さな引っ掛かりがあり再び空間転移の魔法を発動させるのを阻害する。
――父など……
今更父に会ったところでなんだというのだ。
親子の会話などできようはずもない。
こんな状況で世間話をする方が異常なのだ。
それに、父も私に会いたいなどと思っているはずがない。
今まで生まれてから1度たりとも顔も見せなかった父だ。
母を見捨てた父だ。
そう考えると、私もゴルゴタが父に抱いているのと同様の不快感を私は抱いていることに気づく。
――私が父を恨んでいるはずがない。いいだろう、顔の1つでも見て帰ってやろうではないか。この崇高なる私を生み出したことへの労いでもかけてやろう
「メギド様……急に具合が……」
私は空間転移負荷の症状を隠し、悠然と立っているが、他の鬼たちは違った。
不調を全面に出し、倒れて頭や腹部、口を抑えて地面に横臥し、顔面蒼白になっている。
右京も倒れているまでにはなっていないが、片膝をついて冷や汗が出ていた。
それでも、他の鬼を気にして私の方を見つめてくる。
「長であるなら無様な姿を他に見せるな。空間転移は負荷がかかる」
「……想像していたよりも、負荷が重い……メギド様は虚弱体質であるのに、よくこれに涼しい顔をしている……」
虚弱体質などと言われて心中穏やかではなかったが、私もこの涼しい顔を保つのがやっとだ。
無様に地面に転げ回って服を汚すわけにはいかない。
「ふん。王たるものは簡単に弱みを見せてはならないのだ。常にその座を狙われているのだからな」
「だが、今の王はゴルゴタだ。貴方のような強者を、どのようにして――――」
「やかましい。よく喋る鬼だな。私はお前と話すことなどない。黙っていろ」
右京を黙らせたところで初老の鬼が1名、血相を変えて走ってきた。
もう脚が自由に動かないのか、杖をついて、石段の僅かな段差に躓きながらも懸命に走っている姿が見える。
その周りには、その身体を支える鬼が数人、その心もとない走り方に大変不安そうな表情をしてその老獪の脇を支えていた。
それを何事かと私が見ていると、どんどんとこちらへと近づいてきている。
初めは右京を案じてとのことだと思ったが、その方向は途中から私の方へと向かって来ていることに気づく。
その初老の鬼は私に手を伸ばしたが、私はその意図が分からず、反射的に宙に身体を翻し、かわした。
羽ばたいてその鬼と距離を取る。
「メギドっ!!」
持っていた杖もその辺りに放り出し、それでもその鬼は私の方へと向かって来た。
――なんだ? なんなのだこの鬼は……?
私はそう考えている刹那、その鬼の目からは涙が流れているのが見えた。
何故泣いているのか分からなかったが、私は瞬時に嫌な予感を感じ取った。
その角の形、その手の骨格、見覚えがある。
ついにはその脚がもつれ、その鬼は私の前に倒れ込み動かなくなった。
周りの鬼がそれを起こそうとするが、その手を弱々しく振り払うと、肩を震わせ、声を上ずらせながらみっともなく泣き始めた。
「……っ……うぅっ……あぁああっ……」
「………………」
あえて、私は何も考えないようにした。
だが、何も考えないというのは難しい。
考えないようにすればするほど、私はそのことを考えてしまい、気分が悪くなった。
考えないように、周りの風景などのどうでもいい視覚情報を処理することに集中する。
まるで、目の前には何もいないかのように私は振舞った。
だが、その鬼が身体を懸命に動かし、正座をし、手を前に添えて頭を深々と下げ、まるで土下座をするような姿勢をとっているのが視界に入った時、私は無視をし続けることができなくなった。
そしてその言葉を口に出す前に私は痺れを切らして口火を切った。
「なんだというのだ。騒々しいぞ。いい歳をしてみっともなく私の前で泣いて、恥ずかしくな――――」
「本当に!! すまなかった!!!」
精一杯の声量で、土下座をしながらその鬼はそう言った。
額を地にこすりつけながら、尚も泣き続けている鬼に私は動揺する。
「やめろ……何を言っているのか分からな――――」
「どれだけ、その顔を見たいと……っ! その声を聴きたいと……! お前をこの腕に抱き留めたいとっ……思ったことか……!!!」
涙でぐちゃぐちゃになっている顔面を私に向け、その鬼は涙を流し続け、私に必死の形相で訴えてきた。
「…………」
その言葉に、何と返したら良いのか、どんな顔をしたら良いのか、どんな態度で答えたらいいのか。
そして、どう呼んだらいいのかすら分からなかった。
「……私はお前を父とは思わない」
私から出た言葉はそれだった。
こんなに泣きじゃくり、それなりの身分の者が無様を晒して私に許しを乞うているにも関わらず、私の口からは乾いた言葉が紡がれる。
私を生み出したことへのねぎらいの言葉の1つでもかけてやろうと考えていたのに、咄嗟にそのような言葉は出てこなかった。
「私に父などいない。それなりの身分の者が、易々と頭を垂れるな。みっともないから立て」
そう言われたそれは、より一層肩を震わせて暫く頭を下げていたが、やがてその震えは収まり、顔をあげ立ち上がった時には涙の痕は残っており、充血しているものの鋭い眼光を宿した鬼の表情へと変わっていた。
少しの沈黙の後、はっきりとした声で話し始める。
「…………私は、蘭柳。お前がメギドだな」
「……あぁ。私が魔王メギドだ。ここへは魔族きっての智将などと言われるお前に話を聞きに来た」
「そうか……なら、ついてこい」
私に背を向け、周りの鬼が拾って手渡した杖を受け取り歩き出す。
その背中は大きいはずであるはずなのに、やけに小さく見える。
その背中を見つめながら、私は黙ってついて行った。