『死の宣告』を受けました。▼
【タカシ】
空を覆う暗雲からは雷が轟き、雨が降り出してきた。
俺も、勇者も、町の人も呆気に取られて鏡鳥の映すそれを見つめる。
メギドだけはどこからともなく傘を取り出し、雨に濡れないようにさしていた。
「どもどもー? ヒャーハッハッハッハ! 挨拶が遅れて大変失礼いたしましたねぇ。うっかり挨拶のかわりに全員殺しちまうところだったぜ! キヒャヒャヒャ……」
雨が降っているにも関わらず、その狂気じみた発言や笑い声はよく遠くまで響き渡っていた。
「そのミクロンな脳みそに俺様の姿を刻み付けとけよぉ!? どうせすぐ死んじまうせどなぁ!?」
ゴルゴタと名乗った男は話し続けた。
「俺様が魔王になったからには、70年前の続きと行こうじゃねぇか。大魔王クロザリルよりももっと凶悪な魔王になって、人間どもを根絶やしにしてやろうって寸法だ。名案だろぉ?」
「なんだって……!?」
俺はメギドを見たが、あいつは鏡鳥の方をジッと見つめてなにも言わない。
ただゴルゴタが話している姿を見ているだけだ。
「ちまちま猿どもをくびり殺すのはめんどくせぇからよぉ……俺様はこれから『人喰いアギエラ』の復活の準備に入るぜぇ? 『人喰いアギエラ』が復活すれば毛のない猿はこの世から一匹残らず食い尽くされて消え去り、晴れて魔族だけの世界になる。っつー新しい魔王様からのご報告ってわけだ。残りの短ぇ余生をありがたく思えよ!? ヒャハハハハハッ」
顔の半分を片手で押さえ、目を見開いて笑っているゴルゴタという男の狂気に、既に俺は飲まれてしまいそうだった。
「ヒヒヒ……」とようやく笑い終わった矢先、声色がガラリと変わって声が低く、ドスをきかせた声となる。
「俺様は探してンだよ……大魔王クロザリルを殺した強ぇ勇者様をよ……」
右目を押さえたまま、鋭い眼光でこちらをにらんだ。笑っていないゴルゴタは物凄い威圧感だった。
俺は無意識的に恐怖で脚や手が震える。
メギドを前にしても一切震えなどこなかったのに、ゴルゴタのその威圧感を前にすると今まで感じた事のない恐怖を覚えた。
「少しの間俺様が表舞台から席を外してる間によ……勇者とかいう無職野郎どもは腑抜けになっちまったんだなぁ? 俺様は残念だぜぇ? もっと骨があると思ってたのによぉ? ま、んなことどうでもいいけどよ、せいぜい俺様を退屈させんなよぉ? ヒャーッハッハッハッハ!」
ゴルゴタがそれを言い終わると、鏡鳥は「くえーっ」と再び鳴き、翼を広げた。
飛び去ろうと翼をはためかせる。
「メギド! 行かせていいのか!?」
「あれは過去の映像の再生だ。鏡鳥を引き留めても意味はない」
「ていうか、どういうことなんだよ! お前が血まみれで倒れてたってことと関係あるのか!?」
俺がまくしたてると、メギドは鬱陶しそうに俺を見てため息を吐く。
「暑苦しい。鬱陶しい。気持ち悪い。顔が悪い」
「それ以上言わないでくれる!?」
鬱陶しそうにするメギドから出る言葉の後半はただの悪口だった。
雨が激しくなる中、途方に暮れていたのは俺たちだけじゃない。
襲ってきた若い勇者は唖然とした面持ちで虚空を見つめている。
突然、ガクリ……と膝をついて崩れ落ちた。
雨に打たれて安っぽい鎧から雨の雫がしたたり落ちる。
「魔王が……代わった……? いつ……? 俺の仇は……お前じゃないのか……?」
「先ほどから貴様の勘違いだと言っているだろう。勇者とは頭の悪いやつしかなれないのか? そう考えればミコシ、お前も勇者向きだな」
「タカシだ! 誰が勇者になんかなるか!」
「そうだな。お前は全然勇ましくないからな」
「余計なお世話だ! ていうかお前どこから傘出したんだよ!」
メギドはさっさと自分が壊した宿の方へと向かって行った。
窓から心配そうにメルとレインが見つめてくる。
俺もうなだれている勇者に「立てよ」と言って、片腕を取って立たせる。
町の人たちは理解が及ばないようで呆然と立ち尽くし、メギドと俺たちを見ていた。
「さ、さっきのは一体何だったんですか、魔王様」
一人の男がそう尋ねると、メギドはその男に向かって威風堂々と言い放つ。
「あいつが魔王だということは嘘だ」
「なら、私たちは大丈夫ですよね……? 根絶やしにするなんて物騒なことを言っていましたが……」
少しほっとしたような表情で男や町の人々はメギドを見つめる。
「『人喰いアギエラ』が復活すればあいつの言っていた通り、人間は食い尽くされてこの世からいなくなる」
「え……」
「あの狂気的な男をなんとかしなければ、言う通りに人類は滅びるだろう」
「な……なんとかしてくださるんですよね!?」
その言葉にメギドは心底嫌そうな表情をして男を見た。
「…………少しは、自らでどうにかしようという考えはないのか?」
呆気に取られている町の人を残したまま、メギドは宿の中へと入って行ってしまった。
当然俺も何が起きたのかさっぱり理解できずにいた。
隣に立っていた勇者と目を見合わせ「何が起こったかわかるか?」とアイコンタクトを取ってみるも、勇者も呆然と立ちすくしているだけで何が起きているのかわからない様子だ。
――『人喰いアギエラ』……?
色々なことが一気におこって俺には何が何だか解らなかった。
ただ、尋常ではないことが起きていることだけは解った。
◆◆◆
メギドは極めて説明したくなさそうに険しい表情で、腕と足をそれぞれ組んで椅子に座っていた。
先ほどまで殺気立っていた勇者はすっかり消沈し、黙ってメギドを見ていた。
メルとレインは佐藤に対して警戒しつつも、俺が「もう敵意はない」と説明するとおずおずとメギドの陰から出てくる。
「メギド、全部説明してもらうぞ。さっきのあれがなんなのか、お前が大怪我をして俺の村に来た訳も、全部だ」
「説明の義務はない」
バッサリと切り捨てられ、俺は反射的に眉間にしわが寄る。
しかしメギドはすぐ後に言葉を続けた。
「……が、特別にこの私から話をしてやる」
組んでいた腕を一度ほどき、膝の上で指を組みなおしてメギドは話し始めた。
「簡単に言うのなら、私はゴルゴタにまったくもって卑怯な不意打ちで傷を負わされた。不本意ながらも空間転移で『はじまりの村』の近くに飛び、身の安全を確保したということだ。意図してそこに転移したわけではない。なるべく遠くへと考えて転移した先がたまたまそこだった」
「魔王の座を狙う魔族に強襲されたのか……あんなに強いお前がボロボロだったもんな。そんなに強いのか?」
「……不意打ちだったからな。卑怯な手を使われ、不覚をとった」
苦虫をかみつぶしたような表情でメギドはそう言う。
「なんだよ、話してくれてもよかっただろ? 俺たち、仲間なんだから」
「そうですよまおうさま。あたしたちがまおうさまのお役に立ちます!」
「…………」
メギドは少し驚いたような顔をして俺たちを見ていた。
「僕はこの世界の事情よく分からないけど、ノエルを探す手伝いをしてくれるなら手を貸すよ」
ひょこりと出てきて、レインもそう言う。
「…………そうか」
てっきり「お前たちは仲間ではなく家来だ」というものだとばかり思っていた俺は、その素直な態度を見て少しだけほっとした。
「その……『人喰いアギエラ』ってのが復活するまでにはどのくらいの時間があるんだ? 解るか?」
「そうだな、3日だ」
「は……? たった3日?」
ここから魔王城までの道のりを考えれば、到底3日ではたどり着くことすらできない。
「そのアギエラってどんなやつなんだ? 復活したらやばいのか?」
「『人喰いアギエラ』は食人鬼だ。人間を食べることを好み、霧のような微細な姿となって広範囲の人間を取り込み食らう。前魔王の私の母の手にも負えず、殺すこともできずに封印した。復活したらかなり厄介だ」
「そんなのがあと3日で復活するのか……?」
一気に絶望の淵へと俺は叩き落された。
それに、メギドはあの鏡鳥の映像は過去の映像だと言っていた。
ということはもう明日、今日にも復活してもおかしくない。
「まぁ、それは絶対にないだろうがな。私が封印を解く場合は3日だが、そう簡単に破れる封印ではない」
「え……お前の場合? なんだよ……驚かせるなよ……」
「びっくりしました……」
「魔法の準備に、屈指の魔法の使い手をそろえなければならないからな」
でも、逆に言えば屈指の魔法の使い手が揃えば早く復活してしまうということか。
「でも、時間がないのは事実だな。空間転移で城に戻れないか?」
「無駄だ。城の周辺には空間転移を阻害する魔法がかけられているだろう。魔法に頼らずに帰る他ない。それに、空間転移は身体への負荷が大きい。100%の力で臨むならやはり使わない方がいい」
「そうか……」
「あのやけに笑ってた自称まおうの人はなんなんですか?」
メルがそう聞くと、メギドは少し考えるようなそぶりを見せる。
「……魔王の座を狙っているのだろうな」
「そんなの今までもいっぱいいたんじゃないのか? お前が仮に魔王城から追い出されたとしても、そう簡単に魔族全体が変わることないだろ。お前が70年も魔王やってたんだから」
「魔族全体に制約を課しているのは、この血水晶のネックレスの強い魔法だ」
メギドがジャラジャラとつけているアクセサリーの一つを俺たちに見せるように手を取った。
赤い数珠で連なった中で、銀の六芒星がついている。
「お前の手元にあるじゃないか」
「これは2つで1つとなるよう設計されている。その片方を強襲された際に奪い取られた」
「そ、それってどうなっちまうんだ?」
「魔族全体の制約の力がなくなった。結果として、今魔族は制約を逃れて好き勝手しているようだ。ゴルゴタを支持する魔族も多いだろうな。ずっと抑圧されていた鬱憤が爆発しているらしい」
俺はうなだれていた勇者を見た。
恐らく町を魔族が襲っているという話も、嘘じゃないと解る。
この勇者の家族が魔族に殺されたという話は本当なんだろう。
この前の魔族の強襲未遂も、おそらくメギドの言う制約がなくなったからだ。
「お前、名前は?」
俺は床に座っていた勇者に名前を尋ねる。
勇者は相変わらず暗い顔をしていた。
「佐藤……です」
「佐藤? ずいぶん普通だな」
「名前なんてどうでもよかったですから。とにかく魔王を倒したくて、最近勇者登録をしました……」
メギドや俺を気まずそうに見ていた。
髪の毛からまだ水が滴っていたので、俺はタオルを渡す。
「なんで勇者になんかなったんだよ。わざわざ勇者登録なんかしなくても、魔王打倒はできるだろ?」
「勇者連合会に入れば、勇者のコミュニティで魔王の情報が得られるので……一応、月に決まったゴールドを納めるというのが条件みたいですけど……」
「金とるの? 辛気臭い宗教みたいだな」
勇者佐藤は兜を外してタオルで乱暴に髪の毛を拭いていた。
「……色々特権もありますからね。俺はただ、魔王の情報がほしくて勇者登録しただけですから……」
「でも魔王の情報も最新じゃなかったみたいだな」
「私の情報とはどんな情報なのだ? 私の3サイズなどか?」
「何の役に立つんだよそれ!」
「……どこに拠点を置いているか……何が長所で短所は何か……弱点とか……」
佐藤が腰につけていたポーチから1枚の紙を取り出す。
それを俺は受け取って内容を見た。
メギドの肖像画が大きく描いてある下に心許ない情報が書いてあった。
「えーと……魔王メギドは魔王城から出てこない上に、人間に対して危害を加えてこない温和な魔王である……温和……か?」
バシャンッ
雨に濡れた髪をふき取って少し乾き始めている俺に対して、メギドは水を魔法をわざわざ使ってぶっかける。
手に持っていた紙は無事だった。
いつも的確に俺に水をぶっかけてくるそのコントロール能力には感服せざるをえない。
「やっぱり温和じゃねぇわ。この情報、完全に間違ってる」
俺は濡れた顔や髪をベッドの脇に置いていたタオルをとって、水を拭きとる。
「私によこせ」
紙を差し出すと乱暴にメギドにその紙を奪い取られた。
紙に目を通していたメギドの表情が徐々に険しくなり、佐藤に対して苦情を言い始める。
「なんだこれは。私の弱点が“心臓”と書いてあるぞ」
「誰でもそうだろ! テキトーかよ!?」
その勇者情報網に対してツッコミをいれざるを得なかった。
心臓て。
誰でも弱点だわ。
間違いなく。
「私の肖像画についても納得いかないが、他の情報はまったくのでっちあげだ。魔法が得意とか、体力が少ないとか、何の役にも立たない情報だな」
「体力が少ないっていうのは公式情報なのかよ!」
メギドは「ふん」と再び腕を組みなおす。
「本当にただ勇者連合会にゴールド巻き上げられてるだけだろ……」
「まぁ……国王とも話す機会が与えられるのは最大の特権だと思ってます。一般人じゃ、王様に話をすることなんてできませんし」
「国王となんて話すメリットあるのか? ただのお飾りだろ? 勇者が好き勝手してても全然俺たち庶民のことになんて関知しないしよ」
ただいるだけの存在だ。庶民が苦しんでいようと、自分の懐が温かければ俺たちがどうなっていようと一切何もしない国王だ。
俺は国王なんて認めていない。
「しかし、腐ってもこの国の王。情報網なら彼に勝る者はいないでしょう。国王は魔族の強襲を逃れるために、ベータの町に避難しているようですね。最新の情報を仕入れるのも大切だと思います。魔王城周辺の状況を知ってから行く方がいいんじゃないですか?」
それも一理あるな。
と、俺は考えた。
魔王城周辺がどうなっているのか皆目見当がつかない状態で特攻したところで、またメギドが大怪我をしてしまいかねない。
という考えが先に立ったが、俺たちがついていったら足手まといになってしまうのではないかと不安にかられる。
「俺たちがついていくと、足手まといになっちまうんじゃねぇか?」
「そうだな。悠長に家来を集めている場合でもなくなってしまった。だが……この戦いは私一人では今は勝算は低い。だから魔道具を使ってお前たちも戦ってもらいたい」
「お、俺たちも? 魔道具ってメルの描いた絵が出てくるペンとかのことだよな……まして俺なんて何も持ってないぞ」
不安な表情で俺はメギドを見たが、メギドは自信に満ち溢れた顔をしていた。
「幸いにしてまだ時間はある。魔道具の在り処を人間の王に聞いて『時操りのタクト』と『雷撃の枝』『縛りの数珠』などがあれば大分ネックレス奪還も楽になるだろう」
「王様ならいくつかの魔道具を持っている可能性はありますし、情報を収集がてら戦力になるなら行った方がいいかと。役立つ魔道具を持っているとは限らないですけど、魔道具の場所くらいは解ってるのではないでしょうか」
自分にも何か協力できることがあると思うと、なんだか希望が見えてきた気がした。
俺はいつもメギドに任せきりで何もできないと思っていたが、魔道具があれば俺でもメギドの助けになることができる。
俺はただの足手まといじゃない。
「ベータの町ならここからそう遠くないな。魔王城から遠ざかることになるけど……」
「ここからその町まで何日だ?」
「馬で1日半から2日くらいですね」
「そこに行くぞ。佐藤とか言ったな? お前は魔法の才が多少あるようだから、私が特別に教えてやる。今は完全に戦力外だが、無職をやめて何か他の職業にしろ。家族の仇がとりたいのなら私の家来になれ」
「は……はぁ……」
「無職じゃないんだけどな」と小声で佐藤は言う。まったく乗り気ではなさそうだったが、勇者佐藤は渋々とその提案を承諾する。
「しかし……お前が勝てないなんて、相当ゴルゴタっていう奴は強いんだな……」
「たしかに怖そうな魔族でしたね」
「“勝てない”とは言っていない。勝算は低いと言ったんだ。これだから虫の記憶力は……」
「だってここまで来るのにお前、完全無敵だったじゃないか。勝算が低いなんて想像できないぞ」
「…………うるさい」
機嫌悪そうにメギドは視線を逸らす。
「私が魔王の座に再び座り、優雅に生活するためにあの男を退けなければならない。まだ本調子ではない私の為に家来のお前たちが尽くせ」
「はーい!」
「仕方ないなぁ」
「仇をとる機会があるなら、同行します」
そう言って話はまとまった。
「メギド……お前、やっぱいい奴だな――――へぶっ」
また俺は水をかけられた。
やっぱりいい奴じゃないかもしれないと俺は思い直した。