蓮花のお願いを聞きますか?▼
【魔王城 蓮花の部屋】
伝説の勇者の記憶が戻った。
いや、正確に言うのであれば、蓮花が記憶を呼び戻したというのが正しい。
それから約半日が経ったが、ゴルゴタはあの地下牢から出てくる様子はなく、センジュ、そしてメギドも地下にずっといるようだった。
やはり、家族を殺された遺恨が強くあるようで、あの何かと文句を言うメギドですら地下から出てこない。
蓮花はその後の事は分からない。
記憶を戻した後、伝説の勇者らはそのあまりの衝撃だったのか気絶してしまった。
気絶した後、ゴルゴタは蓮花に勇者らの身体の神経を繋ぐように言ったが、メギドがそれを止めた。
神経系統を繋げると、ある程度身体が動くようになってしまう。
動けないようにする方法はいくらかあるが、関節を外しておいたり、骨を折っておいたり、筋肉を切断しておいたり、腱を切っておいたり……
色々方法はあるがゴルゴタの目的は憂さ晴らしの拷問だ。
初めから相当な痛手を残しておいてもゴルゴタは満足しない。
それに、ゴルゴタは真っ向から伝説の勇者をぶちのめしたいと言っていたが、万が一にも間違いがあってはならない。
記憶を取り戻した勇者らの危険性を考え、一度保留になった。
今は首から上も動かないようにしてあり、奇跡の力などで復活されては不都合なので、より一層厳重に拘束を強めた。
その後の王族の間での話し合いの場に蓮花は相応しくないので、席を外したいと願い出た。
ゴルゴタは蓮花が離れる事を渋ったが、蓮花がそれらしい理由を述べ、ゴルゴタを丸め込んだ。
ずっと遺恨のあった者たちの処遇について「完全に部外者の回復魔法士の自分がいると冷静な判断ができない状態であろうから、王家の関係者3名でよく話し合ってください」というような内容だ。
その後のことは蓮花は聞かされていないし、さして興味もなかった。
ただ、もう自分は死を覚悟して伝説の勇者を生き返らせなくてもいいという安堵もあり、肩から荷が下りたようで幾分か他の事象について考える時間ができた。
――さて……久々に誰の監視もついていない……
と、思われたがゴルゴタは蓮花の監視の命を預けた者がいた。
「ちょっとは片付けるってことをしたらどうかしら?」
監視の命を請け負ったもの――――それはダチュラだ。
この人選には蓮花も頭を抱えざるを得ない。
――ゴルゴタ様、本当に何も分かっていらっしゃらない……
この人選は他の何でもなく、明らかなミスだと蓮花は感じる。
ダチュラは毛先の金色の髪を指で弄びながら、わざとらしく胸を腕の上に乗せて誇張し、そして虫を見るような目で蓮花を見ていた。
監視という名目では確かにしっかり監視はするだろうが、命を狙われないようにという意味では一番リスクの高い人選だ。
――それだけゴルゴタ様が信じているという証でもあるのだろうか……ゴルゴタ様がこれがまた妙に抜けているのか……
軽く頭を抱えて蓮花は首を左右に振る。
その蓮花の部屋は人間の検体がいくつも無造作に転がっていた。
それを調べる為の器具や本や資料、ペンなどがそこら中に散乱している。
「……すぐに取れる位置に置いてあるのですよ。片付けると取り出す手間があるので」
「おまけにベッドは血まみれで……よくそんな場所で眠れるわね」
敵意を剥き出しにしているダチュラをこれ以上刺激しないために「あれはゴルゴタ様のせいでついた血です」とは言わなかった。
シーツを洗濯するのも手間であるし、悠長に洗濯などしている時間もない。
血のついていない端の方を使って眠るようにしている。
それに、ついこの前まで城内全域で血塗れだったのに、多少の付着している血を指摘するダチュラは、本当にただの厭味で言っているだけなのだと蓮花は考える。
そこに、蓮花は意を決して切り込んだ。
「…………あの、ダチュラさん、お願いがあるんですが――――」
「嫌よ」
内容も聞いていない内にダチュラは蓮花の申し出を断った。
それも想定内だ。
だが、今までの蓮花の見てきたダチュラの行動について考えれば、乗せる方法などいくらでもある。
「くだらないことではありません。他でもない、ゴルゴタ様のことです」
「あんた、あたしの話聞いてなかったの? あたしは嫌って言ったのよ。耳が詰まってるならお得意の回復魔法で治したらどうかしら?」
あくまで拒絶の態度を続けるダチュラだったが、完全に黙しているよりは交渉の余地があると判断できる。
ましてゴルゴタのことについてのことであれば、必ず食いついてくるはずだ。
それに、ダチュラは下手に出ればすぐに乗せられると蓮花は踏んでいた。
「私に対して明確な敵意を持っているのは分かりますが、ゴルゴタ様の為です。貴女がゴルゴタ様を想う気持ちはこの世で1番だと思います。だから、他でもないダチュラさんにお願いをしたいのです」
ダチュラは名前を引き合いに出され、否応なしにゴルゴタのことを鮮明に思い出した。
彼の笑顔、彼の狂気、彼の怒り、彼の憎しみ、様々な感情が渦巻き、何か大事なことを蓮花がゴルゴタに黙っているのではないかと考え、渋々蓮花の話を聞くことにした。
「なによ。くだらないことだったら鞭打ちの刑にするわよ。あたしの鞭1回で内臓まで飛び出すわ」
「それは結構です。好きなだけその蛇腹鞭で打ってください。私のお願いというのは……その……ゴルゴタ様を……」
その言葉の続きはすぐには出てこなかった。
なんと言って良いか分からなかったというのもあるし、漠然としすぎていてダチュラも困ってしまうということは蓮花も分かっていた。
だが、これだけは言っておかないといけないと考え口を開く。
「彼を、お願いします」
「は?」
その妙な上から目線なその言葉にも苛立ちを感じ、まるでゴルゴタが自分のものであるかのような口ぶりで、ダチュラは尚更苛立ちを覚える。
ダチュラが口を開く前に蓮花はそのまま畳みかけた。
「私はゴルゴタ様とは利害関係があるだけの他人です。ですが、ダチュラさんはゴルゴタ様の腹心です。ダチュラさんの方がゴルゴタ様に近い存在と言えます」
一度苛立ちを覚えたが、しかしそれを精算するように蓮花に持ち上げられ、ダチュラは動揺するとともに、先ほどの苛立ちは打ち消され、悪くない気分になった。
「ま……まぁね。立場を弁えてるのは良い心掛けよ」
得意げにダチュラは胸を張る。
先ほどまでの刺々しい言葉から、棘が幾分かとれたような感触を蓮花は得た。
予想通りの反応であり好都合であったが、蓮花は不安を覚える。
これだけ唾棄している蓮花に対してですらこんなに簡単に操作されてしまうのであれば、もしこれが悪意のある者からの言葉であればゴルゴタを危険に晒すことになるだろう。
実際にゴルゴタに容易に利用されて、メギド魔王の態勢を崩してこの世に混乱を齎している。
――ちょろいなぁ……この人……人じゃないけど……
これだけちょろいと本人の未来が心配にすらなってくる。
ゴルゴタが右と言ったら右、左と言ったら左。
そんな生き方で良いのだろうか。
そんなことをふと考えるが、蓮花は構わず話を続けた。
「確実に言えるのは、本物の当時の伝説の勇者が見つかった以上、その蘇生の為にここに置いてもらっていた私は、もうほぼゴルゴタ様と利害関係はありません。それどころか、ゴルゴタ様にとって邪魔者に……脅威にすらなりえます。ですが、貴女は違う。私は切り捨てられる覚悟はできています」
「……確かにそうかもしれないけど……あんたが切り捨てられるとは思えないわ」
小さい声でボソリとダチュラは投げやりに言う。
やはりダチュラ自身よりもゴルゴタは蓮花を取ると考えているのだろう。
その考えを取り払い、ここは穏便に和睦したいと蓮花は考える。
「あの方は気まぐれですから、分かりませんよ。それに、私が切り捨てられないにしても、私はただの人間です。ゴルゴタ様より早くに死ぬことは決まっています。あの方は危なっかしいですから、誰かが側で支えていないと破滅の一途を辿ることになるでしょう。それを、貴女に止めてほしいのです。伝説の勇者も見つかりましたし、理性的な判断を支える方が必要なのです」
「なによ……随分先の話をするじゃない……っていうか、あんたの提案のせいでゴルゴタ様が悪い方向にどんどん行ってるんじゃないの?」
「悪い……ですか」
恐らく惨たらしい行為に対してそう言っているのだろうが、それが一概に悪いことだとは蓮花は思わなかった。
「あの方はずっと牢に繋がれていたのでしょう。それなら楽しい事の1つや2つあってもいいと思います。私が来たばかりのときは常に苛立っているご様子でしたし、適度なガス抜きは必要です。最近は随分穏やかになったと思いませんか?」
「確かに……常に殺気立ってたゴルゴタ様は、最近随分落ち着かれたけど……」
「元々の攻撃性を他に向けることで、ゴルゴタ様本人への攻撃性を抑えるようにもしています。ゴルゴタ様が不死であるとしても、あれはよくありません。痛みを感じるとそれを緩和する麻薬物質が脳内から放出されますが、それに依存性があり、それによって癖になるという説があります。なので、ストレスによって自傷行為をするのなら、ストレスをまず和らげ、何を言うでもなく自傷行為自体を減らすように……と考えているのですが」
そこまで考えている蓮花に、ダチュラは感心すらし、そして自分の至らなさと無力さに罪悪感すら覚えた。
ゴルゴタに対して忠義は尽くしているものの、根本的な問題については何も具体的な策はとれていなかった。
それを、蓮花は本質を見抜き、ゴルゴタがいい方向に行くように調整している。
知識量の差はあるものの、そんなことをダチュラは考えたことすらなかった。
それに劣等感を隠し切れずに目を逸らし、下唇を噛み、自分の腕に爪を立てる。
――やっぱり……勝てないわ……
肉体美でいくら勝っていようとも、ゴルゴタはそれに目を向けようとしない。
どちらかといえば何かと奇想天外な発想をしてゴルゴタを驚かせる蓮花の発想力と実力、知識力を評価している。
「話を戻しますが……貴女方魔族の寿命と比べれば、人間の寿命なんて瞬く間です。昨今の人間の平均寿命は45歳くらいですよ。まぁ、魔族の介入でそれは大きく変動していて統計のし直しをする必要がありますが、私は折り返し地点を過ぎています。平均寿命の観点からしてもあと半分もありません」
「でも、あんたは自分の身体の老いもコントロールできるんじゃないの?」
「まぁ……できますけど…………」
「なら、そうすればいいじゃない」
肯定的な言葉に蓮花は驚いた。
ダチュラは蓮花に消えてもらいたい一心だと思っていたからだ。
だからダチュラが自分の生命活動について、延命の選択を込めた返事をされたのはかなり意外だった。
「意外ですね。貴女は私に今すぐにでも死んでほしいと思っていると思っていましたが」
「なっ……そうよ! あたしはあんたに今すぐにでも死んでほしいと思っているわ!」
まるで照れ隠しをするかのように、ダチュラは早口でまくし立てる。
それを見て蓮花は笑った。
「ははは、そうですよね」
苦笑いで蓮花は自分の髪をくしゃくしゃと掻いて誤魔化す。
死んでほしいという割に、最初の方の敵意は感じない。
これは蓮花が回復魔法士をしていたときの経験だが、どれだけ険悪な仲の者でも、話をすれば分かり合えることもある。
話をしなければ、お互いに自分の想像の中の相手を作り上げてしまう。
だから、本当の相手を知るためにはまず話し合いが必要。
相性はそれぞれあるが、話し合いで解決することも多い。
――まぁ、とりあえずは殺気立つ敵意も和らいだことだし……これで話が進めやすくなったかな……
「何にしても、ダチュラさん、ゴルゴタ様をお願いします」
「言われなくてもそうするわよ」
「そうですね。私が言った事はゴルゴタ様には内緒にしてください。お耳に入るとせっかくの内緒話が台無しですから」
「ふん……別に大した話でもないんだし、わざわざあんたがゴルゴタ様を心配してましたなんて言う訳ないでしょ」
蓮花はダチュラにゴルゴタを支えることを願い、その意思を伝えた。
それをダチュラが叶えてくれるとは限らない。
だが、一縷の望みを託し、蓮花はダチュラに行ったのだ。
これから起こる災厄に備えて。