鬼族の長と話してください。▼
【鬼族の町】
鬼族たちは酷く動揺していた。
それは、ゴルゴタが来たからでも、ゴルゴタが人間の女を連れているからでもなく、最強の鬼と謳われるセンジュがいたからだ。
魔王城からあまり出ない生活を続けていたセンジュが生きているかどうかすら鬼族らは分からなかったが、いざそこに現れると圧倒的な存在感を示し、他の鬼族たちを圧倒した。
ただ、そこに存在しているだけで。
「よぉ、クソ鬼ども……俺様に随分舐めた態度とってくれたなぁ……? 鬼族の長を今すぐ連れて来やがれ。そうすれば皆殺しだけは勘弁してやるぜぇ……」
実際に脅しているゴルゴタよりも、鬼族たちはセンジュに恐れおののいていた。
ただ、黙ってそこに存在しているだけであるのに、鬼族たちは恐怖を感じ慌てて鬼族の長を呼びに散って行った。
鬼族の町は木製の家屋が多く、独特の町の風景が広がっている。
蓮花は初めて来たので物珍しそうに辺りを目だけ動かし見渡していた。
竹が生い茂っており、石の敷き詰められた道が作られている。
あまり穏やかな雰囲気ではないので、ここで呑気そうな態度を取る訳にはいかない。
鬼族が大人しく従ったように見えても、総攻撃を受ける可能性もあることは理解していた。
ここは鬼族だけが住む場所だ。
他の種族は誰も立ち入らないし、立ち入る事も当然鬼族が許さない。
ここで鬼族の一斉攻撃に遭わなかったのは、単にセンジュが間に入ってくれたからに他ならない。
「なぁんか、俺様じゃなくてジジイの方にびびってねぇかぁ……?」
若干不機嫌そうにゴルゴタはセンジュを見た。
センジュは蓮花の隣にピッタリと立ち、一切の隙を見せていない。
ただ立っているだけであるのに一切の隙があるように見えなかった。
「ほっほっほ、わたくしなどただの老獪です。恐れられるような存在ではありませんよ」
「ふーん……」
機嫌の悪そうなゴルゴタとただ静かに立っているセンジュの間に挟まれて、2人の威圧感に蓮花は圧倒されて言葉を発することもできなかった。
「メギドお坊ちゃまのこともありますし、穏便に済めばいいのですがね……」
「アイツ、半分鬼族だったからなぁ……でもよぉ、鬼族ってのはンな小せぇこと気にするタマかぁ? つーか、メギドの親父、今も生きてんのか……?」
メギドの母親が前の魔王だったことは知っているが、メギドの父親の話というのは全く人間の間では聞かない話であった。
聞いていないふりをしながらも、蓮花はセンジュの言葉に耳を傾けた。
「さて……随分交流がありませんでしたから解り兼ねますね。しかし……仮に生きていたら、どうなさるおつもりなのですか?」
ゴルゴタの返事によってはセンジュは力を行使しなければならないと考えた。
鬼族と揉め始めたら蓮花を守るためにも、ゴルゴタを止める為にも、致し方ないと考え少しばかり語気を強めて言ったが、ゴルゴタはセンジュの考えに反し投げやりに返事をした。
「別にぃ……キョーミねーよ……俺様も親父のことなんざどうだっていいしなぁ……最初からいねぇもんだと思ってっからよぉ……」
「……左様にございますか」
ガリッ……ガリッ……
ゴルゴタは自分の親指をかじって血を滲ませていた。
せっかく出てくる前にシャワーを浴び、血まみれの服を着替えて来たのにも関わらず、早速服の袖の部分に血がついてしまっている。
どうやらあまりゴルゴタは機嫌が良くないらしいことをセンジュと蓮花は確認する。
センジュはゴルゴタが「父には興味がない」と言っているのは嘘ではないが、しかし真実でもないと感じた。
ゴルゴタは母に対して執着を示すが、父に対してはわずかな憎しみを抱いていることをセンジュは知っている。
母を守らなかった父を、何も干渉してこなかった父を、顔も知らない父という存在を、ゴルゴタは心のどこかで憎んでいた。
ゴルゴタの家族関係の話については蓮花は何も分からなかったが、だが、父の話になった後に目に見えて機嫌が悪くなったゴルゴタを見て、あまりいい思い出がないようだということは察する。
なんとも言えない気まずい空気の中、散って行った鬼族らが戻ってきた。
「鬼族の長が来たようですね」
センジュの言葉に蓮花は前方の鬼族たちをみると、やけに堅苦しく動きにくそうな恰好をした1人の鬼族がこちらへ向かってやってきた。
他の鬼族らは遠巻きに見ているだけで近寄っては来ない。
これは、何かで本で見たことがある。
「和服」という種類の服だ。
幾重にも折り重なった丈夫そうな布の上に、袖の広い文様のついている羽織りを着ている鬼だ。
顔はそう年老いているようには見えない。
ゴルゴタらの前までゆっくりと歩いてくると、何を言わずとも鬼族の長らしき鬼は話し出した。
「何の用なのかは分かっている。そして、断ればどうなるのかも分かっている」
低い落ち着いた声をしており、取り乱している様子はない。
真っ直ぐにゴルゴタとセンジュ、そして蓮花を見つめた。
「なら話が早ぇな……それで? 返事は?」
「…………不本意だが、協力しよう」
快諾とはいかないが、すぐに鬼族の長が協力すると言ったことに対しゴルゴタは露骨に不快感を示した。
「あぁ? ンだよ……最初からそう言えば俺様が直々にこんなド田舎まで来なくて済んだのによぉ……ちっ……」
「人喰いアギエラの復活の儀、協力する代わりに、条件が1つある」
「厚かましい野郎だなぁ……?」
イライラしているゴルゴタが鬼族の長の首元を掴みあげる前に、センジュは話を続けた。
「条件とは?」
「人間を滅ぼした後の鬼族には、関わらないでいただきたい。我々にとって人間族など、いても居なくてもいい存在。長い間不干渉だ。魔王の呪縛も気にならない穏やかな生活をしている。私はそれを守りたい」
「ふーん……俺様も別に鬼族に恨みはねぇよ……あのクソメギド以外にはなぁ……キョーミねぇし、放っておいてやる。俺様もアギエラ復活以外にてめぇらに用はねぇ」
「……なら話はまとまったな。私の名前は右京。まずは互いのことを少し知りたい。センジュ様と魔王は分かっているが、その人間の女性は何なのか教えていただきたい」
急に話を振られ、右京に睨みつけられた蓮花はビクリを身体を震わせる。
どちらかというと友好的とは言えない態度に、ゴルゴタやセンジュにも緊張が走った。
「自己紹介なんざ必要ねぇだろ。コイツは俺様のお気に入りの玩具だ。てめぇには関係ねぇ……」
「人間を滅ぼそうとする魔王が、何故人間を連れているのか疑問を持つのは当然」
「んなこと、テメェに関係ねぇっつってんだろぉ……痛めつけられなきゃ減らず口は治らねぇのか……? 俺様は別に、てめぇの脚の1本や2本、引きちぎって連れて行っても良いんだぜぇ……?」
ガリッ……ガリッ……
ゴルゴタは尚も自分の親指を食い千切り続けている。
手が血まみれになり、服の方にも血が滴って行っていた。
だというのに、指の傷はすぐに再生する。
――何者なんだ、この魔王は……龍族と悪魔族の混血らしいが……混血であっても魔族にそんな再生能力はないはずだ……
その狂気的な仕草と言動と態度を見て、これ以上蓮花のことに触れるのは得策ではないと右京は判断した。
下手に刺激たらどうなるのか想像できる。
魔族開放後、魔王城に行った鬼族が誰一人として帰ってこない。
このゴルゴタの様子を見ているに、殺されていることは容易に想像できた。
「……いい。深くは聞かない。ただ、協力するという事のみ」
「けっ……それでいいんだよ。手間かけさせやがって……ジジイ、コイツ連れて地上から魔王城戻れ。俺様はコイツと飛んで戻る」
「ここから天使族の町も近いですが、一度お戻りになられるのですか?」
「あぁ……明日にでも行けば良いだろ。アギエラ復活の儀まで、コイツには魔王城で雑用でもさせとけ」
右京を指さしてセンジュにそう指示した。
雑な扱いを受けたと感じた右京は顔をしかめるがこれも鬼族の為と思い、文句を言うのを我慢した。
それに魔王城に行った鬼族の様子も分かることであるし、ここはゴルゴタに素直に従っておこうと考える。
「もうここには用事はねぇ。さっさと帰ろうぜぇ……ウキョーとか言ったな? 逃げようなんざ思わねぇことだなぁ……ここにいる鬼族を皆殺しにされたくなかったらなぁ……キヒヒヒ……」
「……そのくらい弁えている」
ゴルゴタが帰ると言った後、ゆっくりと蓮花は自分の手を後頭部に当てて後頭部を守る仕草をする。
右京は蓮花が何をしているのか分からずその様子を見ていたが、後頭部に手を当てた蓮花を見てゴルゴタは不機嫌そうな表情から、笑みを見せた。
「キヒヒヒヒ……ばぁーか。てめぇの頭の打ちどころが悪くて死んじまったら困るって来る前に言ったろうが」
蓮花の身体を腹部の辺りから軽々と持ち上げ、自身の翼を羽ばたかせ浮き上がった。
「おい、帰るぞ。城まで走れ!」
急に「走れ」と言われた右京は戸惑ったが、センジュが「参りましょう。わたくしについてきてください」と言われて、センジュの後ろをついて魔王城に走っていくことになった。
他の鬼族に「あとは任せた。必ず帰ってくる」と言い残し、右京はセンジュを追った。
ゴルゴタの飛ぶ速度は思ったより早いを右京は感じたが、センジュはその速度に劣らない速度で俊敏に走り、それについて行っていた。
右京もそれに遅れるわけにはいかず、センジュの背中を追った。
――ここから魔王城までかなりの距離があるぞ……その間ずっとこのペースで走らせるわけではないだろうな……?
「おい、ジジイ、ちゃんとついてきてるかぁ?」
「ええ、なんとか」
涼しい返事をセンジュがするが、右京はそれについて行くのがやっとだった。
右京はセンジュの涼し気な様子に驚きを隠せない。
センジュは言い伝えられているだけで500年は生きているはずだ。
それだけ長寿なのもおかしい。
それに、長寿であることを差し引いても、この身のこなしは500年を生きる老人とは思えない速さだった。
「じゃあもっと飛ばしてもいいよなぁ?」
「ほっほっほ……老獪には厳しいですね……」
「遅れるなよぉ!」
ゴルゴタは更に飛ぶ速度をあげた。
センジュもそれに追随するように速度をあげる。右京も速度を上げるが、徐々にセンジュとの距離が開いていった。
――もう私はこの魔王に試されているのか?
右京は走る速度を上げた。
森の木々などを避けながらも素早く駆け抜けた。
本気で走ってやっと追い付ける程度の速度で、10分も走っていると右京は息切れを起こしてきた。
森を抜け、道なき道の荒野を走っている際に、右京の走る速度が落ちていることをゴルゴタが確認すると、ゴルゴタは下降して右京の襟首の服を掴み上げた。
「ほら、もっと早く走れよぉ……!」
強制的に右京をゴルゴタ自身の速度に強制的に合わせさせた。
もし右京が走るのを辞めたら、吊るされて服で首が締まるか、あるいは地面に引きずられるか、そのどちらかだ。
疲れを理由に走る速度を緩める訳にはいかないこの状況に右京は覚悟を決め、全身全霊の力で走ることを決意した。
魔法を展開し、自身の身体に付与する。
一時的に身体の限界を超えて走ることにした。
右京はゴルゴタの手を振り払い、ゴルゴタやセンジュと同等の速度で再度自身の足で走り始める。
「なぁんだ……まだ元気じゃねぇか……なぁ?」
「私を見くびるなよ……!」
「ちゃーんとついてこねぇと、いらねぇ脚を引きちぎられる羽目になるぜぇ……キヒヒヒヒ……」
「侮るな!」
ゴルゴタは再び上空に浮上し、魔王城へと向かって羽ばたいた。
何も言わずにセンジュはゴルゴタの後に続いた。右京も限界を超えて走り続けた。