ゴルゴタの過去を聞きますか?(1)▼
【ゴルゴタ 67年前 魔王城地下牢】
もう随分長くここにいる。
最初の方は毎日暴れていた。
今ではその記憶すら曖昧だ。
壁や鉄格子を殴る蹴る魔法を使うなど様々な方法を試したが、この鉄格子はただの檻になっている訳じゃなかった。
難解で特殊な魔法が鉄格子に刻み込まれており、俺にはどうすることもできなかった。
暴れるか、叫ぶか、泣き叫ぶか、それしかない毎日だ。
隙間から出られる程広く開いている訳もなく、唯一広く開いている場所は食事の出し入れをする箇所だけだ。
「ゴルゴタお坊ちゃま、朝食をお持ちしました」
「…………」
いつも、毎日3回、時間は分からないがセンジュが食い物を俺のところに持ってきた。
兄ちゃんは滅多に来ない。
兄ちゃんが来てもいつも同じ話になるだけだ。
兄ちゃんは俺が考えを改めないとここから出すつもりはないらしいけど、俺が考えを変える訳がない。
兄ちゃんがオカシイんだ。
それに従うセンジュも。
『血水晶のネックレス』があったとしても、他の魔族だってこんなことは望んでいないはすだ。
母さんが人間に殺されたっていうのに、なんで仕返しをしないのか、毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日……――――考えていても兄ちゃんの考えは全く分からない。
俺の頭には、人間を滅ぼし尽くすという考えしかない。
「………………今日は、魚のムニエルでございます。珍しいスパイスが手に入りましたので、それを使用しております。勿論、毒味はしました。お身体に害はございません」
俺がチラッと食い物に目をやると、良く解らねぇお上品な料理が皿の上に乗っていた。
その隣に、いくつもの本が添えて置いてあった。
俺はそれにうんざりしている。
ここは何もすることがない。
だから、センジュが俺を退屈させまいと、あるいは兄ちゃんの考えが少しでも分かるようにと本を毎回持ってくる。
最初は投げつけて返していたが、俺は狭い空間での身体のトレーニング以外は本当にそれ以外にすることがなく、仕方なく本を読むようになった。
色々な本をセンジュが持ってくる。
魔王城にある本を全部俺に読ませようとしているに違いない。
もう兄ちゃんは魔王城にある本は全て読んで頭に入っているだろう。
「ゴルゴタお坊ちゃま、本日のご気分はいかがでしょうか? お食事はお口に合いますか? 本はどのような本がよろしいか、おっしゃっていただければご用意いたします」
ここ最近はセンジュや兄ちゃんが来ても何も話さなかった。
俺はここから出て人間を皆殺しにするという意志を伝えもしなかった。
話もしたくねぇのにセンジュが毎日、あれこれ話しかけてくる。
俺はそれについに痺れを切らして返事をした。
「いつまで俺をここに閉じ込めておく気だよ……もう長いことになる……日を数えるのもやめちまったけどな……」
この話をするときはいつもセンジュは暗い表情をする。
だが、俺からの返事があったことでセンジュは少しだけ嬉しそうな顔をした。
ここにくるときにはいつも暗い表情をしている。
いつもそうだ。
俺に明るく取り繕っているように見えて、心の底から笑っている訳じゃない。
「……お気持ちは落ち着かれましたか?」
センジュからその言葉を聞いた瞬間、俺は横たわっていたベッドから身体を起こし、「ガシャン!」と檻の鉄格子を掴んだ。
どれだけ力を入れてもやはりビクともしない。
そして、喉が裂けるほどの大声で俺はセンジュに怒声を浴びせた。
「落ち着くわけねぇだろ!!? こんなところでやることと言えば、センジュが持ってくるクソつまんねぇ本を読むこと、食う事、寝る事、他に何もねぇ!」
「………………」
申し訳なさそうな顔をするだけでセンジュは何も言わない。
何も言えないんだと思う。
兄ちゃんの肩を持っているものの、俺を完全に見放したわけじゃない。
そのくらいは分かる。
でも、俺はセンジュを軽蔑していた。
「勉強すれば兄ちゃんの言ってることが分かるっていうけどなぁ、そんなこと一つもわかんねぇよ!! 毎日毎日……気が狂いそうだ!」
ガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャ!!!
どうにもならないことは分かっているのに、俺はその檻を強く揺さぶった。
それだけではなく、本気で檻を殴った。
殴っても無駄だと分かっているのに、それでもこの怒りをぶつける場所が他にない。
俺が檻を殴る度に俺の手の方が傷ついていく。
皮が剥がれ、骨がむき出しになり、折れても、それでも俺は殴り続けた。
痛みなどもう感じない程痺れてきている。
「ゴルゴタお坊ちゃま……手が壊れてしまいます! おやめください!」
「そんなに俺を止めてぇなら入って来いよ! ここを開けろ!!」
メキッ……バキッ……
檻と骨がぶつかる音よりも、俺の手の骨が折れる音の方が鮮明に聞こえるような気がした。
「ゴルゴタお坊ちゃま、おやめください!」
「もうこんなところ居たくねぇ! 死んだほうがマシだ!!」
もう手の感覚がない状態で、俺は自分の鋭い爪を首に突き立て、思い切り切り裂いた。
俺は首には「頸動脈」という、切ると大量に血が出て死ぬという太い血管があるという知識を本で得ていた。
だから俺はそうすれば楽になれると考えていた。
焦ったセンジュが檻を開けた瞬間に俺は外に出ればいい。
真っ赤な血が俺の首から噴き出し、それを俺は見つめていた。
センジュの焦った顔が見える。
これなら俺は外に出られるだろう。
だが、俺の思っていたよりも早く意識が遠のき、俺はその場に崩れ落ちた。
――こんなところで……死ぬのか……俺……
「ゴルゴタお坊ちゃま!!」
センジュは何を言っても開けなかった檻の扉を開け、中に入ってきた。
――今なら出られる……
そう思いながらも、思ったように身体が動かない。
俺が思っているよりも早く体内から血が流れ出て行く。
もう意識を保っているのがやっとだ。
センジュが俺の名前を呼ぶ声が聞こえる。
それがやけに遠くなってきた。
そして、俺は意識を手放した。
◆◆◆
それからどのくらい経ったのか分からない。
俺は胸の辺りに強烈な違和感を感じ、意識が戻った。
辺り一面俺の血で真っ赤になっているが、首の出血は何かしらの方法で止まっている様だった。
冷たいことは分かる。
恐らく、氷の魔法で無理やり止血してあるんだろう。
俺が目を開けるとセンジュと、それから兄ちゃんの顔が見えた。
――兄ちゃん……なんてツラしてんだよ……
いつも兄ちゃんは澄ました表情をしていて、いつも変化はない。
表情に乏しい兄ちゃんが慌てたような様子で俺の方を見ている。
檻は開いているのに、指先が思うように動かない。
それどころか、俺の意思とは関係なく動いていた。
「ゴルゴタお坊ちゃま、お気を確かに!」
センジュの声がするが、俺は胸の違和感が激しい痛みとなり、胸だけに留まらず全身へと激痛が巡って行った。
喉が切れ、声もろくに出せないはずなのに俺は気づけば激痛に絶叫していた。
「あぁああああああぁあああああああっ!!!!!」
「どうか、どうか……」
視点すら定まらない中、センジュの顔が一瞬見えた。
涙を流しているように見えた。
それが本当に泣いていたのかどうか、俺の記憶は定かじゃない。
俺はただ、全身に走る感じた事のない激痛に身体を跳ねらせ、叫ぶばかりで何も思い出せない。
自分の声で自分の耳がどうにかなってしまいそうになりそうな程、俺は叫んでいた。
「ああああああああああああああぁあああああぁあああっ!!!!」
――痛い、痛い痛い痛い痛いイタイイタいイタイイタいイたイイタイ!!!!!
「センジュ!? ゴルゴタは助かるのか!?」
「ゴルゴタお坊ちゃま、どうか……」
激痛はそれほど長くは続かなかった。
耐えがたい激痛が襲ったかと思ったら、俺の折れた手の痛みも、首の傷の痛みも何もなくなった。
俺が自由に身体を動かせるようになったとき、俺は檻が開いていたことは分かっていた。
逃げ出せる絶好の好機だった。
だが、俺は泣きながら謝るセンジュや、俺の為に焦っている兄ちゃんの顔をただ見ているという選択をした。
人間への憎しみよりも、俺が兄ちゃんやセンジュに見捨てられていなかったことに安堵したからかもしれない。
「愚かなわたくしをお許しくださいとは言えません……ですが、どうかこんな形で終わらないでくださいませ……貴方様の命はわたくしにとっても、メギドお坊ちゃまにとっても何よりも尊いものなのです……貴方様を失っては、何も意味がないのです!」
何を言っているのか、俺はすぐには理解できなかった。
何故センジュが俺に謝っているのか、その後、嫌という程分かることになる。
ただ、俺は安心していた。
忙しくしてる兄ちゃんが俺の為に駆けつけてくれたが嬉しかった。
俺は、兄ちゃんに捨てられたと思っていたから。
たった1人の家族に、見限られたと思っていたから。
俺が死にそうになってるときに駆けつけてくれたことが何よりも嬉しかった。
それに、兄ちゃんは俺の血で血まみれになっていた。
兄ちゃんは汚いものが嫌いだ。
汚れることが嫌いだ。
なのに、俺の血で服や手を汚してまで俺を助けてくれた。
それだけで、俺は良かったんだ。
それだけで……
俺は、再び気を失った。
◆◆◆
「センジュ、ゴルゴタは本当に大丈夫なのか?」
メギドは幼いながらも王たる風格の表情だった。
だが、今は焦燥の表情を浮かべ、狼狽している。
服や手についた血を気にしている様子はない。
いつもならメギド本人の服や手が汚れた瞬間に服を脱ぎ捨て、手を水魔法で洗ったりするのに、気が動転しているのか、そうしようとはしなかった。
「『死神の咎』はゴルゴタお坊っちゃまに上手く適合したようです……危険な状態でしたが、なんとか持ち直しました。次期に目をお覚ましになるでしょう」
「なんだ? 『死神の咎』とは」
メギドがセンジュに尋ねると、センジュはメギドの真っ直ぐな目を見ていられなくなり、目を逸らした。
目を逸らしたまま、話を続ける。
「簡単に申し上げますと……死ぬことができなくなる魔道具でございます」
それを聞いたメギドは目を見開いて更に動揺する。
これから先、ゴルゴタが暴れて自身を傷つけようとも死ぬことがないのは一先ず安心できるが、「永遠の生」の苦しみは幼いメギドは既に理解していた。
周りの親しい者が自分よりも早く死に絶えていく光景を、必ず見なければならないのだから。
たった独りの孤独を与えた。
永遠に。
それに、そのような死の法を覆すような魔道具が存在しているのは、死の法に抵触する禁忌なのではないか。
「何……? 死を超越するような法外な魔道具が城にあるとは知らなかったぞ」
「……これは、使わないつもりでした。城の奥深くに封印していたのです。あまりにもこの魔道具は危険で、残酷過ぎる……死ぬことができなくなるという永遠の苦痛を与えるのです。どんなに残酷な拷問よりも凄惨です……しかし、これをする他にこの場を凌ぐものはありませんでしたので、やむを得ず使用しました」
センジュは尚も涙を流した。
白いハンカチで目元の涙を拭いながら、酷い後悔と後悔の念に苛まれ、言葉を発するのもやっとだった。
メギドは考えた。
その魔道具を取り出すことができれば、不死でなくなるかもしれないと。
「…………その『死神の咎』は身体から取り出せないのか?」
「今ならまだ心臓と癒着している程度で、心臓ごと切り離すこともできますが、長い時間が経てば身体に溶け込み、二度と取り出すことはできないでしょう」
――なんということだ……これでは……どうすることもできないのか?
メギドは自分の持っている知識だけでは、ゴルゴタからそれを取り除くことはできない。
魔王城にある本は全て読みつくしている。
自分の無力さを噛みしめながら、メギドは様々な思考を巡らせたが、やはりゴルゴタを助ける方法までは分からなかった。
「ゴルゴタが助かる方法はそれしかないのか……?」
「……今でさえ正気を失いつつあるゴルゴタお坊っちゃまは、死ぬことができないことで、より強く狂気に呑まれるでしょう……しかし、人間への復讐心が強く残る限りここからお出しするわけにはいきません」
「不死になったのなら、勇者に殺される心配もなくなったのではないか?」
「メギドお坊ちゃま……人間の王との約束を反故にするとおっしゃるのですか?」
「…………いや、長い時間の確保ができた分、ゴルゴタの気が変わるのを待つ方がいい。戦争など不毛なことを繰り返しても仕方がない」
ゴルゴタを閉じ込めたのは、他でもないゴルゴタを守るためだ。
勇者にゴルゴタを殺させないために、あんな方法しか思いつかずにそうした。
丁度、魔王城地下に誂え向きの牢屋があった。
何故そんなものがあったのか、どういう原理なのか、いつからあったのかメギドには分からなかったが、センジュは何か知っている様子だ。
だが、何も言おうとしない。
問い詰めても、はぐらかされるだけだ。
その『死神の咎』の話を聞こうとしても、どうせセンジュははぐらかそうとするだろう。
だから、メギドは何としてでも言わないセンジュに問い詰めるのはやめた。
現状は維持できている。
一先ずはそれでいい。
センジュが何か隠していても、メギドに対して悪意がないことは理解していた。
他に方法があれば良かったが、代替案は存在しない。
「……私は、無力だな……どうしてやることもできない。ゴルゴタの気が変わるのを待つことが正解なのかどうかすら解らない」
「今は無理でも、生きてさえいれば未来はございます。ゴルゴタお坊っちゃまの気が変わることもございますでしょう……この魔道具を取り出す術もいずれ見つかるはずです」
「希望的観測だな……もしここから外へ出た際にはゴルゴタは私と衝突することになるだろう。その際に死なない身体というのはあまりに驚異だ。それに、ここに閉じ込め続けるのも現実的ではない」
「……では、ここでゴルゴタお坊っちゃまを殺しますか……?」
センジュはメギドに対しそう尋ねた。
涙をハンカチで拭うのをやめると、ポタリ……と、センジュの目から涙が落ちた。
メギドは分かっていた。もしここで「ゴルゴタを殺す」と言えば、センジュはメギドに従いゴルゴタを殺すだろう。
センジュとして不本意でも、メギドの命令に従うことは分かっている。
「残酷なことを聞くのだな……私がそれほど非情になれないと解っていながらそう私に問うのか」
「…………ええ、今の魔王様はメギドお坊っちゃまでございます。お決めになるのはメギドお坊っちゃまでなければなりません。ですが……出すぎた真似と解りながらも…………このセンジュからの願いを聞いていただけませんでしょうか……」
膝を床に付き、手を前に添えて、深々と頭を下げてセンジュは頭を下げた。
泣きながら。
肩を震わせ、メギドに懇願する。
どうか、ゴルゴタを殺さないでほしいと。
「やめろ。立て」
そう指示されたセンジュは立ち上がったが、尚も頭をあげることはしなかった。
床に、ポタ……ポタ……と涙が落ちる。
メギドはセンジュがこのように取り乱しているのを初めて見た。
いつも涼しい顔をして何でも完璧にこなしている姿しか見ていない。
ゴルゴタの牢に行った後でも、メギドに悟られないように表情を取り繕うのも完璧だった。
その内心がどれだけ乱れていても、表に出すことはなかった。
メギドにはその心の内は分かっていたが、何も言わなかった。
メギドもゴルゴタの牢に行った後は苦しい気持ちになっていた。
それを、センジュとメギドは互いに隠し合う。
「言わずとも解っている。ゴルゴタを殺しはしない。必ずゴルゴタを“解放”できるよう努力しよう……」
「メギドお坊っちゃま……ありがとうございます……」
ゴルゴタはそれ以降、どんなに酷く自分を傷つけてもたちどころに再生する身体を手に入れてしまった。
ゴルゴタは絶望したが、メギドやセンジュが自身を常に気にかけてくれているということだけが心の支えになっていた。
だが、人間への憎しみは消えない。
閉じ込められた憎しみは消えない。
復讐を邪魔されている憎しみは消えない。
憎しみと愛情がぐちゃぐちゃに混じり、ゴルゴタは更に壊れて行った。