シーツが赤く染まっています。▼
【魔王城】
時間は昼の正午くらいだ。
もう日が昇ってしばらく経つ。
ずっと日差しに当たり続け、蓮花は暑いと感じていた。
蓮花は夜通し勇者の遺伝子に近い人間をやっと選定し終え、見つけた。
作業的に人間を仕分けし続け、やっと勇者に近い遺伝子構造の人間を発見した。
もう200人以上を選別している。
しかし、それも全てではない。
これからあと勇者パーティの残りの3人分も探さなくてはならない。
――最初から大変なのは分かってたけど、こんなに根気がいるとは……
選定するその度に泣き叫ばれたり、罵声を浴びせられたり、いくらそれらに慣れているとはいえ流石に疲労の1つもするというものだ。
夜も回って朝になり、昼になり、眠っていない人間ばかりのはずなのに元気なことだ。
――疲れた……少し休みたい……
一先ずは勇者1人分の選別は終わったが、気を抜くことはできなかった。
後ろで静かに蓮花を見ているセンジュと顔を合せるのが気まずい。
別に、あれからセンジュは何を言ってくるわけでもない。
以前と同じ様子だ。
センジュも眠っていないようだったが、平気なのだろうか。
そもそも、個々の魔族がいつ睡眠をとっているのか分からない。
――鬼族は昼間に眠るのかな……というか、センジュさんが眠っているところを見たことがないけど……ゴルゴタ様もそうだ……魔族ってあんまり眠らなくてもいいのかな
「終わりましたかな? 蓮花様、大分お疲れのご様子ですが」
「ええ……少し疲れました。回復魔法で疲労を取ることもできますが、後からの跳ね返りがあるので少し仮眠をとりたいです」
「かしこまりました」
「成果としては、勇者一行の勇者の遺伝子に近い人間1名を発見したと、ゴルゴタ様にお伝えください」
その適合する男は冴えない男だ。
何の特徴もない。
しいて言うのなら、何の特徴もないところが特徴というようなつまらない人間だ。
何に選ばれたのか分からないが、自身だけ別の待遇を受けていることから何かを察したように恐怖に飲まれ、今は魔族たちがその男を拘束している。
相変わらず、言っていることはワンパターンだ。
「助けてくれ」
「家族がいるんだ」
あるいは
「俺はお前たち魔族の役に立てるから殺さないでくれ」
というような内容だ。
確かに、他の人間よりも役に立つだろう。
これからその何の特徴もない男をベースに、勇者の組織を移植して勇者を作り出していく。それにはこの人間の“核”が邪魔になる。
つまり、最終的にこの適合する男は殺されてしまうということだ。
「お伝えいたします。少しお休みください。ゴルゴタ様が蓮花様に魔王城の一室の部屋を与えるとおっしゃっておりましたので、そこのベッドでお眠りになってください。お休みになられている間、わたくしがゴルゴタ様をうまく説得いたしますので」
「そうですか……正直、眠くて判断能力が鈍っています……このまま作業を続けることはできないかと…………」
センジュと話している間にも蓮花の瞼は下がってきていた。
ここ数日あまり眠れていない。
常にゴルゴタと共に行動し、ゴルゴタの狂気の声が他の魔族に響き渡る中、その魔族らの断末魔を聞きながらうとうとと目を閉じて数分眠るということの繰り返しだ。
断末魔の叫びでさえ、蓮花はもう聞きなれてしまい何も感じなくなっていた。
「蓮花様、適合しない他の人間はどうされるつもりなのですか?」
「……食事にでも使ってしまってください。若い人も何人かいますし、調理方法によっては雑食の人間も美味しく食べられるでしょう」
センジュはその素っ気ない言葉を聞いて、複雑な感情を抱く。
センジュの顔を見ていなかった蓮花はそのまま言葉を続けた。
「例えば……そうですね……まず2か月程草食の生活をさせて身体を整えます。それから首の頸動脈を切断して逆さ吊りにして血抜きをしてから腹部を裂いて内臓を傷つかないように取り出し――――」
「……えー、コホン。その説明は結構です。今はどうぞお休みになられてください。部屋の場所までご案内いたしますので」
「はい…………あるいは他に使い道があるかも……」
蓮花は眠気におぼつかない足取りでセンジュの後をついていく。
魔王城の正面の扉の付近はあまりにも血の匂いと死体の腐敗した匂いと、胴体を切断された際に飛び散った排泄物などの匂いで立ち込めている。
最初は多少の抵抗感もあったが、よもやそんなことはどうでもいい。
どれだけ掃除をしても結局ゴルゴタによって同じ状況になるだけだ。
その散らばっている肉片が何族なのかなど、蓮花にはどうでもいい情報だった。
センジュはゴルゴタのいる魔王の座を避けるように迂回して、魔王城の中を歩いていた。蓮花はおぼろげにこの広い城の内部構造を把握している。
ここはゴルゴタの部屋の隣の部屋のはずだ。
「こちらが蓮花様のお部屋でございます。お好きなようにお使いください」
扉を開けて中を見ると、ただの一室だというのに豪奢な部屋だった。
ベッドも大きいし、部屋も広い。
化粧台もあるし、無駄に大きなテーブルと高そうな椅子がいくつか並んでいる。
――1人で使うには広すぎるな……
「どうせ、ゴルゴタ様が起こしにくるでしょうから、それまではゆっくり休みますね」
「ええ、ごゆっくりなさってください。わたくしはゴルゴタ様へ報告してまいりますので」
扉が閉められた後、そのただ広い部屋の大きなベッドに汚れた服を脱いでから入った。
良い匂いも黴臭い匂いも何もない無臭のベッドだ。
ただ、皺ひとつないことを見ると誰かが丁寧にアイロンでもかけてくれたのだろうかとぼんやり考える。
――やることがたくさんある……少し眠ったら魔王城にある本を調べに行かないと……
そう考えている間に、蓮花の意識はすぐに途切れた。
【数時間後】
「おい」
乱暴に、上にかかっていた布団をむしり取られた衝撃で蓮花は目を覚ました。
そこには眠る前に想像していた通り、ゴルゴタが立っていた。
いつも通り血まみれで、ゴルゴタが掴んだ布団は彼の手についていた血がつき白が赤に変わっていった。
――せっかく綺麗なシーツなのに、もったいない
起きたばかりで意識があまりはっきりしない中、シーツが染まっていくのを目で追いかける。
「おはようございますゴルゴタ様……」
「ジジイに報告を任せててめぇは俺様に断りもなく休憩とは、いい度胸してんなぁ……?」
「……申し訳ございません」
言い訳をするつもりはなかった。
蓮花は言い訳をされるのが大嫌いだったからだ。
蓮花が素直に謝罪すると、ゴルゴタはガリガリと頭を搔きながら蓮花から視線を逸らす。
ゴルゴタの銀色の髪に血が付着し、赤い髪になってしまっている。
そんなことはゴルゴタは一切気にする様子もない。
「まぁ……ジジイから聞いたんだけどよぉ……人間ってのは1日に7時間くらい寝るもんだってなぁ……俺様たち魔族はんなもんテキトーだからよ……」
「はい……?」
いつもより歯切れの悪いゴルゴタの様子に蓮花は違和感を覚える。
何やら言いづらそうにゴルゴタは視線を泳がせていた。
「だから……人間にしちゃてめぇは根性があるってこったな。ここ最近、寝ずにやることやってたんだってなぁ……」
「……ありがとうございます」
おそらく、センジュから人間の生態について説明されたのだろう。
ゴルゴタが人間を憎んでいるのは理解しているが、人間の生態をあまり詳しくないらしい。
興味もないことであろうから、知らなくても仕方がないことだ。
ゴルゴタは蓮花のベッドに乱暴に座り、入り口の扉の方を見つめた。
ゴルゴタの服についていた新鮮な血液が更にベッドに付着し、更にシーツが赤く染まっていく。
「…………」
「……どうされたのですか?」
何か言いたげなゴルゴタの様子に蓮花は疑問を抱く。
なにかあったのだろうか。
あまり明るい表情をしている様には見えない。
かといって蓮花に対しての過重労働をさせていたということへの罪悪感を感じているとは思えない。
少しの沈黙の末、ゴルゴタは蓮花に問いを投げかけた。
「……それで? てめぇが前に言ってた死の法を破る方法は見つけたのか……?」
「いえ、もう少しというところです」
「でも、クソ勇者を生き返らせる準備は揃ったんだろ」
「ええ。お望みとあれば今すぐにでも取り掛かります」
自分が死ぬことなど全く興味がない事であった蓮花は、あっさりと承諾する。
ゴルゴタは自分の血まみれの指をガリガリとかじる。
血が出ているのだろうが、元々血塗れなのでそれがゴルゴタの血なのかどうかは判別できない。
――機嫌が良いようには見えない。私の仕事が遅いから苛立っているのか、あるいは勝手に休んだことについて腹を立てているのか……
先に謝罪をしようと蓮花が口を開こうとする前にゴルゴタが話し始める。
「…………そうすると、てめぇは死ぬんだろ」
「そうですね。今のままではそうなりますね」
ガリッ……
強めに噛んだ指から肉が削げ、血が糸を引いている。
ゴルゴタの指の傷はすぐさま塞がり、ただそこには滴る血しか残っていない。
どんな返答が返ってくるのか分からずに蓮花は息をのんで待つ。
「……ちっ……もう少し猶予をやる。俺様の気が変わる前になんとかしろ」
意外な返答だった。
すぐにでもとりかかれと言われるものだと思っていた蓮花は、死に損なった気分になり少し残念に感じる。
そして、そのゴルゴタの言葉の一旦に不穏な空気を感じ取った。
「わかりました。これから高位魔族のところへ行かれるのですよね?」
「あぁ、ジジイとてめぇを連れて、手始めに鬼族の奴らをぶっ潰しに行く」
どの程度眠っていたのか、窓の外を見て時間を確認する。
今は夕刻だ。
昼頃から考えると、5時間程度は眠っていたらしい。
これだけ睡眠を取れれば一先ずは大丈夫だが、高位魔族のところへ行くのはやはり無謀だと蓮花は感じる。
魔族の頂点であったメギドと対峙したときの緊張感は、今まで感じた事のないほどのものであった。
メギドは温厚であったが、他の高位魔族が黙ってゴルゴタに従うとは考えられない。
ともすれば、蓮花が行くのはただゴルゴタの足手まといになってしまうだろう。
「……その話ですが、やはり私は必要ないのでは?」
「賢いくせにバカかてめぇは。俺様とジジイが行ったら誰がてめぇを見張るんだよ。まぁ、ジジイがいなくても俺様はいいけどよぉ……ぶち殺しちまったらアギエラ復活に支障が出るだろ……だから俺様がやりすぎねぇようにジジイも連れてくんだ。話し合いで解決ってのは性に合ってねぇけどなぁ……キヒヒ……脚の一本でも毟りとりゃ俺様の言う事聞く気になるだろ……ヒャハハハハッ」
「…………見張られなくても裏切るようなことはしませんよ」
ゴルゴタは見つめていた扉から蓮花の方へと視線を移した。
口元が自身の血で血塗れだ。
「わかってねぇなぁ……てめぇが俺様を裏切るなんざ思ってねぇよ。俺様がそんなことも分からねぇほど鈍いように見えるか?」
いつも通り、ニヤリと笑いながらゴルゴタはそう言う。
――変なところが物凄く鈍いと感じるけど……
好きという感情が良く解っていないところが、ありえない程鈍いと感じる。
しかし、ゴルゴタの直感はかなり鋭い方だ。
何もかもが見透かされているような気持ちになる。
それはメギドと対面したときもそうだった。
あの2人の読み合いには肝を冷やした。
特に、メギドが空間転移の魔法を展開し始めた辺りはかなり緊張したものだ。
あれはセンジュがメギドの肩を持っていたから成功したに過ぎない。
「なら、なんで見張りが必要なんですか?」
「簡単なことだ。てめぇをどうにかしてやろうって考えてる輩は腐るほどいるんだぜぇ……? 気づかねぇのかよ、他の魔族どもの殺気によぉ……鈍いなぁ……キヒヒヒヒ……」
「そうですか? 皆さん良い方に感じますが……」
「それは俺様が怖ぇから、てめぇにくだらねぇ愛想ふりまいてご機嫌取って手ぇ出さねぇだけだろ。こんな魔族だらけの場所に置き去りにされてみろ、何分生きれいられるかなぁ……? てめぇが八つ裂きにされてるのも面白れぇが、てめぇを八つ裂きにしていいのは俺様だけだ」
「……えーと、心配して下さっているんですか? ありがとうございます」
「ばぁーか。俺様は俺様の所有物が他の奴にどうにかされるのが我慢ならねぇだけだ」
「…………」
蓮花は暗い表情をした。
それはゴルゴタから、蓮花自身への情の移りを感じるからだ。
魔人化させるという話もそうであるし、前よりもゴルゴタは蓮花に対して優しくなったように感じる。
それではいけない。
ゴルゴタは絶対的な王者だ。
何もかもを蹂躙しつくし、何もかもを持つが、何も持たざる者であらねばらならない。
何も持たざる者は、守るものがある者よりも圧倒的に強い。
自身の弱みを持たないのだから。
「ゴルゴタ様、恐れ入りますが1つよろしいでしょうか」
「なんだよ」
「人間を滅ぼし尽くすのですよね?」
「は? 何を今更当たり前の事言ってんだよ。その為に鬼族のところへ行くんだろうが」
怪訝な表情をしているゴルゴタに言うべきかどうか迷ったが、しかし、蓮花にとって譲れないものがあったので、意を決していう事にした。
「人間を滅ぼしつくすなら、私もその時に殺してください」
ゴルゴタはほんの少し眉をひそめ、蓮花を見つめた。