未来の話を聞きますか?▼
【メギド デルタの町の上空 上位天使の聖域】
「不快だ。ここにいるだけで何もかもを吐きそうになる」
上位天使の住むデルタの町の上空、具体的には大樹の上に作られている町には下の聖域よりも濃く、更に酷い嫌悪感が私を襲った。
ここには白い腕章をつけた天使しかいない。
いくら聖域を無効化できることができるとはいえ、これほどの濃度であると流石の私でも気分が優れない。
物理的な問題ではなく精神的な意味でも勿論優れないのだが。
大樹の上に作られた一番大きな城に私は足を踏み入れた。
聖域にいるだけで疲労するというのに、ここまで上昇飛行をしたことで更に私は疲弊していた。
大天使の聖域にのこのことついてきたのは軽率だったかと考えがよぎるが、敵意は感じない。
知っていることを全て引き出し、『時繰りのタクト』を持って帰る他、ここに来た意味はない。
「どうぞおかけになってください。安心してください。貴方が座った椅子や、貴方が触れたテーブルは全て破棄いたしますので」
「私も天使の聖域に入ったこの服も靴も破棄する予定だ。触れている皮膚すら破棄したいくらいだ。気が合うな」
余程私の事が気に入らないらしい。
それは私も同じだ。
ルシフェルは余裕な態度で上辺だけの笑みを浮かべているが、四大天使の方は険しい顔をして私の方を睨んでいる。
「さて……じゃれあっているほど時間は残されていないので、結論から申し上げます」
「最初からそうしろ」
ルシフェルは『時繰りのタクト』とテーブルの上に置き、指を組んで私を正視した。
「貴方はゴルゴタに勝つことはできない」
脅しや、威圧、私を貶める為にそう言ったわけではないことは声色で分かった。
「それは『時繰りのタクト』で見てきた未来か?」
「ええ。愚者であると思っておりましたが意外と鋭くていらっしゃる。貴方はどの分岐でもゴルゴタに勝つことはできなかったのです」
真っ直ぐ私の目を見てルシフェルはそう言っている。
――くだらない嘘ではないようだな……
「ほう……興味深い話だな。詳しく聞こうではないか」
天使族がどういった分岐を辿ってきたのかは分からないが、未来が分かるなら私が勝てない可能性を全て潰していけばいいだけのことだ。
「貴方がそれぞれの分岐で最期どうなったのかは知るところではありませんが、ゴルゴタは人間を滅ぼし始めます。それはアギエラ復活という未来もありましたし、ゴルゴタ本人が滅ぼし始めるという未来もありました。そのいずれの未来でも貴方はゴルゴタを止めることはできなかった。それは我々天使族だけに関わらず、非情に不味いことになるのです」
深刻な声色でルシフェルはそう言う。
人間が滅ぼされ始める事について天使族がそれほど興味を示しているようには思えない。
それの何が問題なのだろうか。
「ゴルゴタは人間を滅ぼした以降、どうするつもりだったのだ?」
「ゴルゴタのそれ以降はありません」
「どういう意味だ……?」
「ゴルゴタは勇者に殺されるのです」
その言葉を聞いて私は言葉を失った。
大天使の手前、表情を変えずに話さなければならない。
私とゴルゴタが兄弟であることを悟られる訳にはいかない。
兄弟であると知られたら、必要以上の責任を追及されることになるだろう。
だが、そんなことよりもゴルゴタがどこの何の勇者に殺されるのか、私は表情にこそは出さなかったが気がわずかに動転する。
「あの役立たずの無職のろくでなしどもがゴルゴタを殺せるとは思えない」
「それが、特異点が訪れたのですよ。それは人間族の極端な減少が引き金になっているとわたくしたちは結論づけています。ご存じでしょう? 三神伝説ですよ」
私が薄々感じていたその現象について、天使族は勘づいているようだった。
――三神伝説か……熱心なことだ……
「その突如として現れた勇者はゴルゴタを倒すのみならず、我々天使族、龍族、悪魔族などの上級魔族を駆逐するべく動き始めたのです。そして魔族と人間の全面戦争が始まった。それはあまりに非生産的で不毛です。その未来は回避したい」
「ならば、その勇者をあらかじめ殺しておけばよいではないか」
簡単な話だ。
勇者となりえるものをあらかじめ始末しておけば勇者など現れない。
私の言葉を聞いてルシフェルは笑いながら答えた。
「はっはっは、我々も勿論そう考えましたよ。ですが、その勇者になる勇者を排除しても、他の者がやはり勇者として現れるのです。不思議でしょう? 勇者というものは突然現れるのですよ。前触れも何もない」
確かに筋が通らない。
未来で勇者となる者を始末してもまた別の者が勇者となる……
それほどの実力がある者が現在いるのであれば、とうにゴルゴタの元に向かっていてもおかしくはない。
それに、アギエラ復活の前にゴルゴタを殺した方がその勇者にとっても都合がいいはず。
――母上が殺された際も勇者の現れは突然のことであった……これは偶然ではないと結論付けるのが自然なのか……?
「確かに妙な話だな……」
勇者出現の対策が取れないのであれば、根本的な解決をしなければならない。
私が収めた争いがまた始まってしまう。
私のこの70年の苦労も水泡に帰すというわけだ。
「それで、今までどんな分岐を辿ってきたのか教えてもらおうか」
「そうですね……初めの勇者となった者を殺した際は非情に大変なことになりました。誤算でしたね……あの時は我々も滅ぼし尽くされる寸前でした」
何かの冗談で私を騙そうとしている訳でもない様子だ。
――勇者になる者を殺したことで何の弊害がある……? 天使族が滅ぼし尽くされるほどの力とは、私とゴルゴタとセンジュ以外に何かあるのか?
「何故だ?」
「その初めの勇者は男だったのですが、その男の伴侶の女が半魔として不完全に覚醒し、我々に仇討ちを始めたのです」
「半魔……? 魔族と人間の混血ということか? それはありえない」
魔族と人間の間に子孫ができるはずがない。
人間を魔人化させるという研究があったのは知っているが、早々そんなことは成功しないはずだ。
――魔人化した人間がその女だということか?
「魔人化している女ということか?」
「いえ、そういうわけでもないのです。推測ですが、人間の身体に魔族の核が入っているのではないかと思います。今は人間として暮らしている無力な女なのですが、一度覚醒すると恐ろしいことになると思い知らされました。今はその者らは天使族の保護という名目でデルタの町の中で匿っています。勇者として覚醒しないよう、外界の干渉ができない場所に隔離しております。そうすればその者が勇者になることはありませんでしたので」
「にわかには信じがたいな……天使族を滅ぼせるほどの力がその女にはあると?」
「ええ……認めたくはないですが、すさまじい魔力を宿しております。我々は彼らに手を出さないこととしました」
そんな得体の知れない者がいるなど、この混乱の極みの状況で考えたくもないことだ。
要するに、男は勇者として覚醒すると魔族を滅ぼし始め、女は男を殺されると天使を滅ぼし始めるというわけだ。
それが天使のみで留まるとは思えないが。
――今はただの人間か……ならばわざわざ今確認しても徒労に終わる。核がどうとかいう話も私は確認する術を持っていいない……
「わたくしどもは勇者が現れる前にゴルゴタを襲撃したこともありました。ですが、ゴルゴタは龍族でも悪魔族でもない化け物でした。塵になる程焼き尽くし、切り裂いて細切れにしても、凍らせて動きを封じても、とにかく何をしても殺せないのです」
「…………」
「信じられますか? そんな生き物は人間でも魔族でも見たことがない。あれが今までどこで何をしていたのか全く分かりません。突然出てきたという点においては勇者と同じです」
ゴルゴタがどこで何をしていたのかは私がよく分かっている。
それに、ゴルゴタが死ねない身体になってしまった理由も私は知っている。
だが、天使族にそれを教える義理はない。
私は黙したままそれを聞いていた。
「お恥ずかしながら、わたくしたちを総員してもゴルゴタを倒すことはできませんでした。ゴルゴタ単体の問題でもありますが、センジュがゴルゴタ側についていることもかなりの弊害となりました。なぜ魔王家の執事のセンジュがゴルゴタ側についているのですか? センジュが貴方ではなくゴルゴタ側につく理由がわかりません。貴方に心当たりがあるのかとは思いますが……?」
私はそれについて、確定的なことは分からない。
ただ、今までゴルゴタを閉じ込め続けた負い目があるのではないかとは思う。
だが、それでも私側ではなくゴルゴタ側につく理由は分からない。
「センジュは私に何か隠している。私としても、何故私側ではなくゴルゴタ側につくのかは分からない」
「左様でございますか……わたくしもセンジュ本人に尋ねたのですが、答えていただけませんでした。ですが、ゴルゴタが一緒に連れていた人間の女を庇っているようでした。あの人間の女、顔に番号の刺青があったところを見ると、人間でいうところの咎人なのでしょうね」
――蓮花か……ゴルゴタが気に入っている女だからセンジュに護衛をさせているのだろうな……
「人間を滅ぼそうとしているゴルゴタが、何故人間を連れているのかは分かりませんがね……お気に入りの玩具だとかなんだとか言っておりましたが」
「…………」
どうして連れているのかは分かっているが天使族の手の内が分からない以上、私は情報を与えるわけにはいかない。
幾度となくあった分岐の私も同じことをしただろう。
「ゴルゴタはセンジュとその人間の女を連れて、間もなくわたくしたちの元へと現れます。要望はアギエラ復活の為の封印解除です」
それを聞いて私は即座に身の危険を感じた。
こんなところで再度ゴルゴタに会うのはまずい。
ここは天使の領域だ。
天使族に今の力量を測られたら、私の名誉に更に傷がつく。
とはいえ、焦りを見せる訳にはいかないので冷静に私は振舞った。
「間もなくというのはいつだ?」
「はっはっは、ご安心ください。1時間、2時間という程の話ではありませんよ。あと数日後程です」
「紛らわしい言い方をするな。私はこんなところで勝ち目のない交戦はしたくない」
「貴方もゴルゴタを恐れているのですか? 貴方らしくもないですね……」
ルシフェルは笑顔を崩さずに、静かに言葉を続けた。
「その身体の呪印のせいですか?」