初恋の話を聞きますか?▼
【魔族の楽園 タカシ】
こんなに数多くの魔族を見るのは初めてだった。
だが俺は今それどころではなく、頭の中がぐるぐると回っているようで頭痛もあるし、発熱しているようにも思う。
気分が悪く、立っているのも座っているのもやっとの状態だ。
周りの魔族が何族なのかなど、気にしている余裕はない。
「タカシさん、大丈夫ですか? まだ体調が良くないのではないですか?」
「あぁ……まだちょっとな……なんかひでぇ気分だぜ……」
「元気だけが取り柄の男から元気がなくなったらこの世から消滅したのと変わらないな」
メギドの言う厭味に反論できるほどの元気も俺にはなかった。
メギドの言葉の意味を追いかけるのがやっとだ。
「…………わりぃ、ちょっと横になるわ……」
俺は何の魔族の家なのか分からない家の、何が原材料なのか分からないベッドに横になって天井を仰いだ。
横になると幾分かはマシになるが、頭が掻き混ざられているような感覚がする。
「カノン、もう少し回復させてやれ。悪態もつけないほど弱っているらしい」
さすがのメギドも俺のこの状態を見て情けをかける言葉を使った。
「タカシさんの体力が持つ限り回復魔法を使いました。その反動が起きているのかもしれません。空間転移の負荷は相当のものですから……この程度で済んでいるのはいい方かと思います」
「なら、お前もつらいのではないか?」
「僕は……蓮花さんの回復魔法が残っている様です。徐々に効力が消えていくタイプのようですね……これなら身体への負荷も少ないです。本当に彼女は優しい方ですよ……」
横になったまま部屋を見ると、佐藤やメルも苦しそうな表情をしているように見えた。
俺と同様に横になってダウンしている。
琉鬼は平気そうな顔をしているが、俺たちの会話に入るタイミングが分からないのか、黙って端の方に座っていた。
クロは部屋には入らず、外で外部を警戒しているようだった。
「そうか……何故そこまであの女のことを気にかけているのか、その真意を問いたいのだが? その盲目状態で再び対峙した際に、お前は我々を危険に晒しかねない」
その言葉にカノンが暗い表情になったのが分かった。
あまり話したくなさそうではあったが、カノンは重い口を開いて言葉を続ける。
「…………蓮花さんは……憧れなんですよ」
「憧れだけの感情ではないだろう」
「僕、それ知ってるよ! 結婚したいってことでしょ?」
メギドが話している中、レインは割り込んで話に入っていった。
それも龍族がおよそ知っているとは思えない概念の「結婚」というワードが出てきたのでメギドも驚いた表情をしていた。
カノンは更に驚いた表情で目を見開きレインの方を凝視している。
「け……結婚なんて! そ、そんなことは……!」
明らかに動揺して顔を赤らめているカノンを見て、メギドは頭を抱えて首を横に振りながらため息をついた。
「……お前があの女に熱を上げていることなど、とうに分かっている。そんなことよりも、熱をあげている理由を聞かせろと言っているのだ」
「熱? 熱あるの? 空間転移の負荷に人間は弱いなぁ」
レインの無知さに物凄くつっこみを入れたいが、その気力は俺には残っていない。
こうして耳を傾けて内容を理解しようとしていることで手一杯だ。
「僕は……別に、結婚したいとかそんなことは思ってなくて……!」
「はぁ……バレバレの嘘をよくつけるな……私は嘘が分かる魔道具をつけているのを忘れたのか?」
「僕もね、ノエルと結婚したいから分かるよ! ずっと一緒にいたくて大好きってことでしょ?」
顔を赤らめて言葉に困っているカノンは珍しく慌てているようだった。
下手なことを言えばメギドに指摘されるし、かといって表立って蓮花に好意を持っていることを口にできないカノンは言葉を失くして慌てるしかなかったようだ。
「…………話がややこしくなるからレインは少し黙っていろ」
「えー……」
レインはノエルの話を更にしたいようだったが、メギドにそれを牽制されてシュンと頭を項垂れた。
レインはいつなんときもノエルという女性のことを気にかけている様だ。
見つけることが出来たらいいのだが……
と、ぼんやりと回らない頭で考える。
「本当に話さなければいけないですか……?」
「当たり前だ。すべて白状しろ。あの女は敵側の人間だぞ」
「……大した話じゃないですけど……いいですか?」
「あぁ。大した話でなくてそこまで入れ込んでいるのならお前は間違いなく重症だな」
あまり明るい表情ではなかったが、カノンは蓮花との話をぽつりぽつりと話し始めた。
「…………初めは……不愛想だし、何を考えているのか分からないし、冷たい印象を持っていたんです。なんというか、怖い人だと思ってたんですけど……」
俺も蓮花に対峙した際に不愛想だとは思った。
機嫌が悪そうで、冷たい印象だった。
カノンの言ったままの印象だ。
「……確かに何を考えているのかは分からないな」
「そうなんです。でも、ある日仕事をしている彼女を見て、不愛想ではあるんですけど仕事は的確で、相手の細かい仕草とか見て記録していて、患者さんの事をちゃんと考えてて、それを見てもしかしたら怖い人じゃないのかなと思ったんです」
そのメギド当人は蓮花の回復魔法で片方の翼を失わずに済んだ。
佐藤の首が飛んだときはもう駄目かと思ったが、それも瞬時に繋がって生き返った。
首が飛んだ後に瞬時に駆け寄って回復魔法を展開した辺り、ゴルゴタの指示があったとはいえ、それほど悪いやつには思えない。
「回復魔法士会で論文の発表とか聞く機会も結構あって、見かける機会が多くなって、気が付くと目で追いかけるようになりました。好きとかじゃなくて……ちょっと気になるというか。回復魔法士会の中では若い人は目立ちますから」
「難しい魔法だからな。才能がある若い者は目立つだろう。カノンも十分目立っていた」
「僕もどちらかと言えば疎まれてたので……蓮花さんはもっとだったと思います。女性ですし、男性の多い回復魔法士会ではやりづらかったと思いますよ。でも、実力で勝るものがおらずにコネもなく、それでも上に立って誰も寄せ付けずに仕事をしてましたから……市民からは腕の確かな回復魔法士として慕われていました」
俺は蓮花という存在を知らなかったが、都心部ではその回復魔法の腕を振るっていたのだろう。
俺の村は他の町と大して交流もなかったし、知らなくてもしかたないとは思うが、そんなに有名な回復魔法士だとは知らなかった。
「忙しい人でした。いつ眠っているのか分からないほど働きづめで。そんな彼女が座って休んでいるときに、僕は話しかけようとしたんです。回復魔法を教えてもらいたいのもありましたし、純粋に話してみたくて」
「…………」
「そうしたら、怪我をしている獣族の子供が蓮花さんに近づいてきたんです。多分、群れからはぐれて町の付近まで来てしまったところ、驚いた人間に攻撃されてその魔族は血を流して敵意を剥き出しにしていました。僕は、危ない! と、声をかけようとしたのですが、その魔族に気づいた蓮花さんは声をあげたり逃げたりしませんでした」
あの蓮花という女性が叫んだり慌てていたりする様子がどうにも思い浮かばない。
どんな時でも冷静に対応していそうだと、俺は勝手にそう考える。
「どうしたというのだ?」
「そっと……自分の鞄から食べ物を取り出し、その獣族に差し出しました」
「ふん……魔族をそう簡単に手名付けられると思われているのは心外だな」
メギドは腕を組んで嫌そうな表情をする。
レインも「そうだそうだ」と首を縦に振っていた。
「蓮花さんは……怖がってたりしていなかった。その後、獣族は蓮花さんの食べ物を差し出した手ごと咬みついたんです」
「子供であればそうだろうな。『血水晶のネックレス』の呪縛があっても本能的にそうしてしまうのも分からなくはない」
「僕は殺されてしまうと思って、辺りを見渡して武器を探しました。偶然、そのときは周りに誰もいなくて、助けを呼ぶこともできなかったんです」
「それで?」
「蓮花さんは咬まれても声をあげることはなかった。痛かったと思いますけど……咬まれた状態でも蓮花さんは少しも動揺したりせず、獣族の方を見ていました。少しすると獣族は咬みついていた手を放し、倒れてしまったんです。出血が酷かったからというのと、そのネックレスの効果でしょうね」
「ほう」
魔族にとってそんなに強い牽制力がある魔道具の片方がゴルゴタの手の中にあるのが恐ろしい。
そのネックレスが2つで1つの魔道具で良かったと思う。
そして、人間を根絶やしにする方向に使うことができるものが、今までメギドの手にあって良かったと改めて感じる。
「蓮花さんは倒れた獣族に回復魔法を使いました。突き刺さっていた矢を抜いて、矢に塗られていた毒の解毒をし、助けたんです。自分の手の怪我よりも先に、獣族を治したのです。その後、憲兵が獣族を追ってやってきました。蓮花さんは気絶している獣族に布をかけ、ここには来ていないと嘘をつきました」
「…………何故助ける必要がある?」
「助けた真意はわかりません。自分の手を治した後、蓮花さんはその獣族を抱きかかえて、町の外へとむかって行きました」
「お前は結局声をかけなかったのか?」
「えっと……はい。警戒させちゃうかなと思いまして……」
「…………」
――もどかしい! 俺だったらソッコー声かけるのに……カノンは慎重な性格なんだな……
回復魔法士は慎重な性格ではないと勤まらないだろう。
俺には絶対できない職業だ。
俺にとって回復魔法士なんて、天の上の存在でしかない。
「それで、町の外について蓮花さんが地面に横たえたときに獣族は意識を取り戻しました。飛び上がるように警戒して殺気立っている獣族に、再び蓮花さんは食べ物を差し出しました」
「……懲りない女だな」
「獣族も警戒していたんですけど、蓮花さんが地面に食べ物を置くと、獣族は置かれたものを懸命に食べていました。蓮花さんは木の根元に腰かけてそれを黙って見ていました」
「…………」
警戒されないように遠くで見守っているその様子に、やはり邪悪さは感じない。
尚更、何故ゴルゴタと一緒にいて、何故人間を滅ぼそうとする方に加担するのか俺には分からない。
「獣族が食べ終わって、座っている蓮花さんの方へ近づいて行こうとしたときに、蓮花さんは獣族に小石を投げつけました」
邪悪さはないと感じていた矢先、突然のことで俺は混乱する。
口を挟もうとするが、だるさで声を出すのが億劫に感じ、できなかった。
「ほう……」
「獣族は驚いて、そのまま走って逃げて行ってしまいました」
「石投げるなんてひどいよ! ちょっといい人間かもと思って聞いてたのに!」
レインはその蓮花の行動に憤慨し、小さな鱗のついている足を何度も床にたたきつけ地団駄を踏んでいた。
「いや……恐らく優しさでやったのだろうな」
「石を投げつけるのに優しさなんてないよ!」
殺気立つようにレインは怒っている。
龍族は……レインしか見ていないものの他の種族に対して無頓着と思っていたが、何故なんでこんなに怒っているのだろうか。
――やっぱ、同じ魔族に石を投げられたら嫌な気分になるよな……俺もこの話聞いてて全然いい気分じゃねぇし……どこが優しさなんだ?
「甘やかすことだけが優しさではない。その子供の獣族に人間への警戒心を忘れさせないために最後は突き放したのだろう。群れに帰る際に、人間の匂いが強くついていたら迫害を受ける可能性もある。だから近づけさせなかった。そうだろう?」
そのメギドの言葉を聞いて、俺はハッとした。
そんな考え、俺には全くなかった。
メギドの言葉を聞いて、訳も分からず俺は目頭が熱くなってくるのを感じる。
そうするしかできない今の魔族と人間との関係に悲しい気持ちになった。
「僕も、そうだと思います。蓮花さんは……本当に優しい人なのだと、僕はそのとき分かったのです。獣族の未来を考えてあえて突き放した。なかなか普通の人はできないですよ。目の前のものに情を移すのが人間ですから……。その後も落ちていた小鳥を助けたり、枯れかけてる植物を治したりしてるのを見てます」
「ふーん……龍族はそんな低俗な迫害なんてないけどね! 僕はノエルに優しくしてもらって良かったと思ってるし」
「……ある意味、レインにその絆を植え付けた罪はあるだろうな」
「?」
レインは何の事なのか分からないというような表情をしている。
確かにそうだ。
レインはノエルに優しくしてもらったからこそここまで執着している。
転生してきてまで国中を探している。
見つからないことに対して寂しそうな表情をしているのを何度も見ている。
その獣族が人間に慣れないように拒絶するその度量、俺にはない。
その先のことまで俺には考えられねぇ。
人間を滅ぼすって考え方も俺には分からない先のことを見越しての考えなのだろうか。
――いや、そんなの絶対駄目だ……どんな理由があってもそんな乱暴な考えに賛成できない
「それで……あの女がお前を知らなかったことを考えれば、その後も声をかけらなかったのだろうな」
メギドが更に呆れながらカノンに問うと、カノンはバツの悪そうな顔をして顔を背けた。
「あははは……はい。お恥ずかしながら……何度も声をかけようとはしたのですが……声をかけられるタイミングを悉く逃してしましまして……結局逮捕されて、その後はどうすることもできなくなってしまいました」
「…………まぁ、話を聞く限り、これほどまでに入れ込む動機にしては弱い気もするが。どうやらお前自身が執着しすぎる気質のようだな」
「そう……なんですかね……よくわからなくて。調べれば調べるほど……気になってしまって……どうしてあんなことをしたのか、動機も何も分からないまま、隠滅するように殺されてしまうなんてあんまりです」
「……漠然とした話だが、お前が固執する理由もおおよそ分かった。これ以上聞いても恋愛感情というものは私の理解も及ばないだろうしな。だが、これから先、ゴルゴタを追う限りあの女と交戦することもあるだろう。覚悟はしてもらうぞ。あの女は今、敵側の人間なのだ。しかも、ゴルゴタにいらぬ入れ知恵をしている辺り、かなりタチが悪い」
明らかにカノンの表情は曇った。
やはり自分がずっと思っていた思想を捨てるのは難しいのかもしれない。
ずっと信じてた相手と敵対しなければならないのは苦しい気持ちもあるだろう。
――俺も、メギドが……メギドに限らずこの中の誰かが敵側になったら納得できない気持ちになるんだろうな……
「お前はなにかの間違いだと思っているようだが、人間を滅ぼそうという強い意志に偽りはなかった。それは事実だ。そして、同族を何十人も殺していることも。あの女は決意をもって目標に向かっている。お前も人間を滅ぼされたくなかったら覚悟を決めることだな」
「…………」
何も言えなくなってしまっているカノンを見て、メギドは更にカノンに釘を刺す。
「……念のために言っておくが、あの女の為にゴルゴタ側につこうと考えても、お前がゴルゴタ側につくことなどできはしない。あの女がゴルゴタのお気に入りである以上は、近づくことはできないだろうな。寧ろ、お前がゴルゴタに容易に殺されるのがオチだ。嬉々としてゴルゴタはお前を殺すだろう。惨い拷問を受けるのが関の山だ」
メギドに釘を言われたカノンは下唇を噛み、誤魔化すように笑った。
「ははは……なんでもお見通しだということですね…………裏切るとか、そんなつもりはないですよ。でも、やっぱり蓮花さんを敵だなんて思いたくなくて、気持ちの整理が必要なだけです……」
「その整理の間も時間をとっていられない。もう目前のことだ。だが、今は空間転移の負荷を癒すことに集中しろ。私は明日、ひとりであの好かない天使族のところへと行く」
――メギド1人で天使のところへ行くのか……?
今まで「天使」と口にするだけで嫌そうな態度をとっていたメギドが、1人で天使らの住処に行って穏便に事が済むとは思えない。
「危険ですよ! 天使族と魔王はずっと対立していたはずです。そこに1人でいくなんて、自殺行為です!」
「僕はノエルがいるかもしれないから行きたい! 天使なんてどうせ大したことない連中なんでしょ?」
カノンとレインから反対の声が上がる中、メギドは腕組をしたまま短くため息をつき、言葉を続けた。
「はぁ……私もそう思わなくはないが、ここは魔王として威厳を持っていかなければ天使族に示しがつかない。レインやクロを連れて行くと、逆に弱みとして見られる可能性がある。あくまで交戦しにいく訳ではない。交渉しに行くのだ」
俺はまだまともに喋れるような状態じゃなかったが、メギドの服の端を力なく掴んだ。
「なんだ? 気安く私に触れるな」
「……い……くな……」
渾身の力を振り絞り、俺は首を横に振った。
それを見てメギドは俺の手をゆっくりと振り払う。
「私を止めたいのなら、止められる程の元気を早く取り戻すことだな」
俺の渾身の制止をメギドは全く意に介していないようだった。
「僕はついていきたい!」
「無理だ。天使族の聖域には、天使族の許可した者しか入れない」
「じゃあ魔王はぜんっぜん無理だよ。僕よりずっと無理。魔王が天使に許可してもらえるわけないよ」
そういう理屈であるならレインの言う通り、メギド程天使の聖域に入れない者はいないだろう。
「私に許可など必要ない。過去に悪魔族が天使族と長らく争っていたのは何故だと思う? 天使の聖域を無効化する術があるからだ。私もそれは心得ている」
「えー、ズルい!」
どうしてもついていきたいのか、レインはバタバタと翼を羽ばたかせながら地団駄を踏んで我儘を言った。
「そのノエルとやらの羽を私に預けるというのなら、代わりに見てきてやる」
「そんなの嫌に決まってるよ! 魔王なんて大雑把なんだから、僕のノエルの羽を失くしちゃうに決まってる!」
――確かにな。レインの大切なものをメギドなら失くしかねないな……
「なら、文句を言わずにここの警備をしていろ。空間転移の負荷は人間にとって数日は響く。ここに……他の者も信用し………ではない…………カノンは――――」
メギドの声が遠くなっていく。
俺はそれ以上意識を保ち続けることはできなかった。