セッション8 旅行
ガタンゴトンと馬車が揺れる。
晴天の下、草原はさあさあと揺れる。剥き出しの土を馬車馬が蹴り上げ、ゆったりながらも前へと進んで行く。
そんな馬車の中で僕は、
「あー……きもっちわりー……」
車酔いと戦っていた。
「馬車ってこんなに揺れるんだな……そりゃそうだよな、舗装もされてねー道を動物が牽引する乗り物で行くんだもんな……そりゃ揺れるよな……」
「えっと、大丈夫……じゃないですよね」
そうですね、駄目ですね。
対するステファはまるで平気そうだった。やはりこの時代に生まれた人間は鍛え方が違う。でも、中身はともかく僕の身体だってこの時代のものの筈なんだけどな。馬車に対する意識の違いのせいだろうか。
「はい、『弱体回復聖術』です」
淡い光が僕の体を包む。たちまち気持ちの悪さがフッと軽くなった。
「有難う。……車酔いって弱体化の一種なんだな」
だったらどこかで弱体耐性アイテムとか売ってねーかな。
「次の駅でなら商店もありますし、そちらで探してみましょうか」
「そうだな。すまねーな、迷惑掛けて」
「いえいえ。あ、停留所ですよ」
馬車が徐々にスピードを落とし、簡素な小屋の前で止まる。バスは駅以外にもこういった停留所でも停まる。草原以外には幾つかの家しかない何もない場所だが、ここから乗り降りする客もいるのだ。ダンジョンに用がある冒険者とか。
「乗りまーす」
今回の停留所でも乗客がいた。荷台に入って来たのは二人。荷台には既に多くの乗客がおり、座れる場所は少ない。その少ない座席――僕達の前の席に二人は来ると、
「すみません。御一緒しても良いですか?」
「ええ、構いませんよ。どうぞ」
ステファが促し、二人が座る。
そこでようやく二人の様子を観察しようとした時、気付いた。
「あ」
「あ」
乗って来た二人は金髪美少女とカソックの青年。
シロワニ・マーシュとナイ神父だった。
◇
「…………」
「……おい、いつまでむくれてんだよ」
ぷくーっと頬を膨らませるステファの横で溜息を吐く僕。
シロワニ達が乗って来た時からこの調子だ。これでもナイを認識した瞬間に即抜剣しようとした時よりかは落ち着いているのだが。
「仕方ねーだろ。ここで暴れたら他の乗客に迷惑が掛かる。つーか、最悪死人が出かねねーんだから」
「それは……そうですけどー」
むすっと顔を背けるステファ。やれやれだ。
一方の帝国二人組の様子はというと、
「お? やるか? やるのか~? んん?」
「……あまり煽らないで下さい、皇女殿下」
何か楽しそうだった。こっちもこっちでやれやれだ。
「そういえば、自己紹介をしていませんでしたね。私はナイ・R・T・ホテップ。帝国にて将軍と大神官を兼任しています」
神官。確か帝国の宗教家はそういう風に呼ばれているんだったか。導師を頂点として、大神官、神官長、神官の順に地位が高い。大神官となれば幹部クラスだ。
「……ん? あれ、大神官? お前、『ナイ神父』って呼ばれてなかったっけ?」
「カソックを着ている事から付いた渾名みたいなものでして。大神官が正しいです。神父ではありません」
「神父じゃねーのになんでカソック着てんだ?」
「趣味です」
…………そうですか。趣味ですか……。
「この男のこういう所が嫌いなんですよ。神父は教会の称号なのに、敵対宗教の人間が名乗っているなんて」
ステファが歯を皿の字にして怒りを示す。宗教家の気持ちは僕には分からないが、神官が神父と呼ばれているのは確かに変だった。
「まあまあ。そして、こちらにおわす御方が――」
「――シロワニだよー。よろしくねっ」
「藍兎。古堅藍兎だ。で、こっちの不貞腐れているのがステファ」
「ステファーヌです。余所余所しくステファーヌと呼んで下さーい」
言って、更にそっぽを向くステファ。愛想の良い普段とは別人の有様だ。
「何でそんなに仲良く出来ねーんだよ、お前」
「そりゃあ仕方ありませんよ。片方はダーグアオン帝国の皇女で、片方は大帝教会の信者ですから」
当事者達に代わりにナイが答える。
「帝国は一〇〇〇年前、邪神と共に人類に戦争を仕掛けた張本人達。対する教会はその帝国に誰よりも抗った尖兵です。その両者の末裔同士が顔を合わせているのですから、そりゃあ穏やかではいられませんよ」
「そんなもんかねー……」
「将来の勇者と魔王が相乗りしている、と言えば状況が分かり易いでしょうか」
「ああ、成程。そりゃ仲良く出来ねーな」
勇者と魔王は争い合ってこその関係だものな。ステファが即抜剣しようとしたのも頷けるというものだ。
だがまあ、あくまで例えは例えだ。他の乗客がいるのだから、この場では抑えてくれないと困る。
「ミイラ君はどこに行くの?」
「ミイラ君? 何です、それ?」
「あ、いや……おい、シロワニ」
「えへへ。嘘嘘、何でもないよ」
僕がミイラ呼ばわりされた事に怪訝な顔をするステファ。僕はシロワニを睨むが、彼女は悪戯っぽく舌を出して笑った。この餓鬼め。
「それで、藍兎達はどこに行くの?」
それでも、こうやって話題を変えてくれる辺り、一応内緒にしてくれる気はあったようだが。ナイに伝言を頼んでおいて助かったか。
「飯綱会に、ちょっと依頼をこなしにな」
「何の依頼?」
「それは言えねー。一応守秘義務とかあるしな。そっちはどこに行くんだ? ……ていうか、勝手に城を抜け出したら皇帝に怒られるんじゃなかったのか?」
「ああ、それ? 私の独り言、よく覚えてたねー。でも、大丈夫。今回は仕事で出て来たんだもん。御目付役にナイも付いて来させたし」
「仕事?」
「ギルド本部に用があってね」
ギルド本部は旧茨城県にある施設及び組織だ。
冒険者ギルドを始め、宅配ギルド、傭兵ギルド、商工ギルドといった全てのギルドを統括している。国家ではないが国家レベルの財政力を持ち、東日本のどの国にも何かしらのギルドはある為、各国に対しても強い影響力を持っている。
「……帝国が何の為にギルド本部に行くんですか?」
「勧誘だよ」
「勧誘? 誰の?」
「ギルド本部の長、全ギルドを纏める者――総長・阿漣ジンベエをさ。総長の種族は深きものだからね」
深きもの共。
人外種族の一つ。魚人の一種で、若い頃は人類と変わらないが、年を経るにつれて肉体が魚に近付いていく。若年期でも蒼海色の瞳で人類と区別が出来る。
ダーグアオン帝国の民はこの深きもの共が支配層だ。というより、深きもの共が集って出来たのが帝国だ。かくいうシロワニも深きものである。
「でも、総長は帝国の所属じゃなくてね。というか、どこの国にも所属していなくてね。その癖、権力は強い。その辺の個人ならともかく、帝国としても無視出来ないんだよ。可能なら味方にしておきたい位に」
「総長に帝国に恭順しろと、そう言いに行くのか?」
「……総長が応じるとは思いませんが」
「わたしもそう思う。五年前の事件もあるし」
「五年前?」
何だそれ。
「ちょっと事件があってねー。わたし、当時七歳だったからよく知らないんだけど」
「シロワニ様」
「ああ、うん。まあこっちの話って事で。でさー、交渉なんだけど。無駄だと思ってても行かなくちゃいけないんだよねー。無駄かどうか実際にやってみなくちゃ納得しないって人が帝国にも多くてさー」
「ああ、分かる分かる。やる気とか挑戦とかに矢鱈拘る奴っているよな。『やってみなくちゃわかんない』とか言ってさー。コストの無駄遣いだって予想出来ねーのかねー」
「ほんとそれ。もっと賢く生きて欲しいよねー」
「藍兎さん、敵と意気投合しないで下さい」
ステファに睨まれてしまった。
「あー……って事は、途中までは一緒の馬車なんだ」
「ええ。房総半島手前までは御一緒します。そこから私達は北へ、そちらは南に向かう事になりますね」
「そっか。じゃあ、そこまでよろし――」
「話の途中ですまないが、飛竜だ!」
「…………!?」
御者の声が馬車内に響き渡る。その直後、乗客の中でも物々しい連中が一斉に馬車の外に出た。ステファもナイもだ。
「えっ、えっ、何? 何だ?」
つられて僕も外に出る。と、そこには、
「SSSYAAAAA――ッ!」
空を飛ぶ爬虫類がいた。
象よりも巨大な体躯。鱗に覆われた全身。細長い首に細長い尾。馬に似た頭部。背中には一対の翼を生やした怪物が空中で劈いていた。明らかに一〇〇〇年前にはいなかった生き物だ。
しかも、一匹や二匹ではない。二十を超える爬虫類が空を占領していた。こちらを睥睨している四十以上の瞳。当然、友好的である筈がない。獲物を見付けた捕食者の目だ。
「さあ! 応戦しますよ、藍兎さん!」
「応戦って、僕達にアレを倒せって事か!?」
「はい。冒険者には有事の際に戦力になる事で、馬車の料金が安くなるサービスがあるんです。ですから、冒険者の乗客はこうして皆して戦うんですよ」
「成程……」
このサービスによって冒険者は馬車を安く使え、バス側は冒険者を護衛に雇う費用が抑えられるという訳か。良く出来た商売だな。
しかし、戦闘か。ここ数日、ローパー討伐に際してステファと一緒に、それなりに実戦には参加して来た。武器は刀。戦い方を知らない訳じゃない。だが、ローパーはEランクの冒険者でも倒せる雑魚エネミーだ。それをいきなり竜を退治しろと言われても自信がない。
というか、そもそも動く物を殺す事にまだ慣れていない。こちとら一〇〇〇年前のサラリーマンだぞ。屠殺の経験すらねーわ。
「来ますよ、藍兎さん!」
「お、おう!」
クソ、うだうだ考えている暇はなしか。
「こうなったらやるだけやってやるか!」
「SSSSSY――ッ!」