セッション67 狂想
「……で、見せたい記事って何だよ?」
理伏が帰宅し、朝食を済ませた所で話を切り出す。
ちなみに本日の朝食内容は白米と豚汁、茄子の漬物だった。ここ談雨村―ー現在の秩父地方は農業が強く、人口も少ないとあって自給自足を可能としている。さすがに海産物はないが、そこは贅沢を言えまい。
「うむ、まずはこのページを見ろ」
「これは……冒険者特集か」
冒険者ギルドからのニュースが記載されたページだ。冒険者に関する事件や発表についての情報がここに書かれる。今回のページには「功績と実力を称え、以下の冒険者に二つ名を授ける」という見出しが付けられていた。以下の冒険者として紹介されている中に、僕達の名前があった。
イタチ一派改め『カプリチオ・ハウス』の五名。
『朱無童子』、古堅藍兎。
『青空聖女』、ステファーヌ・リゲル・ド・マリニー。
『古賢者』、三護松武。
『剛弓の貴人』、阿漣イタチ。
『駿れし一矢』、風魔理伏。
「この間のクーデターの件でAランクに昇格したのでな。ギルド公式の二つ名はその報酬という訳だ」
「これで箔が更に付いたっつー訳か」
ていうか、パーティー名『カプリチオ・ハウス』にしたんだな。カプリチオは確か奇想曲、狂想曲という意味だったか。クラシック音楽における楽曲の一形式だが、むしろ形式に縛られない例外的で気まぐれな楽曲だ。
「とはいえ俺様はこの二つ名、少し不満だがな」
「なんで?」
「『剛弓』と『号泣』で音が被っているのがな……覇王は涙なんぞ流さんというのに」
「ああ、そういう……」
しかし、それは是非もあるまい。音が被るのは日本語には良くある事だ。お食事券と汚職事件とか、励ますとハゲ増すとか。
「イタチや三護、理伏の二つ名は分かり易いけど……『青空聖女』って何?」
「あ、私、恥ずかしながらまだ自分の教会を持っていなくてですね……カダスの神殿の庭を借りて礼拝や集会を行っているんです」
ああ、それで青空。
青空が見えるとはつまり屋根がないという事だ。転じて屋外、野外という意味になる。青空教室や青空市場といった単語になら聞き覚えがあるのではないだろうか。
「まあ、ステファにはピッタリなんじゃねーかな。青空って爽やかなイメージがあるし」
「えっ、そうですか? 有難う御座います、えへへ……」
にへらと照れ笑いを浮かべるステファ。可愛い。
なお、ステファの信者は先日、目出度くも一〇〇人を突破した。クーデターで有名になった結果、ステファに関心を懐いたり、元々ステファと同じ神を信仰していたり、治癒役を求めたりした人々が集まったのだ。今や『大帝教会ステファーヌ派』といえば、冒険者間でもかなりの知名度を誇る宗教団体だ。
「んで、僕なんだけど……『朱無童子』?」
「『朱無市国を代表する鬼』という意味で付けられたのだろうよ」
確かに鬼は『○○童子』と名付けられる場合が多い。現に食屍鬼の頭領――飯綱会長などは代々『酒吞童子』を襲名している。だが、
「僕が朱無の名を冠するのか? 大仰じゃねーか?」
「大仰だからこそ良いのだ。大仰であればこそ、ケチをつける輩は現れる。そんな奴が現れたらこう言ってやれば良いのだ。――『文句があるなら自分を倒してみろ』とな。名を上げるチャンスが向こうからやってくるのだ。苦労はない」
「ええ……」
僕、そういう血気盛んなの苦手なんだけど。イタチと関わった時から半ば諦めていたが、なかなか波風を立たせずに生きられないものだ。
「イタチ、『まずは』と言ったな。次はどのページを見せたいのじゃ?」
「これだ。驚け、何と一面だぞ」
イタチが新聞を整えて一面を晒す。そこには、
「…………えっ?」
「これって……!?」
記事を読んだ皆が皆絶句する。そこにはこういう見出しが書かれていた。
――――『阿漣イタチ、秩父盆地に建国宣言』と。
「お前っ! おっっっ前! この記事はどういう事だ!?」
「どういう事も何も、そのままの意味だ。俺様は談雨村を含めたここ一帯を、俺様の領地にした」
「…………っ!」
衝撃の強さに二の句が継げない。
やりやがった。この狂人め。覇王だの何だのと普段の言動からして、いつかやるだろうと思っていたが、本当にやりやがった。本当に自分の国を建てやがった。
「……理伏、お前、知ってたな?」
新聞には『秩父盆地に建国』と書いてある。秩父の住民に無断で建国はさすがに無茶だ。となれば、事前に民達と話し合いがあったに違いない。それを談雨村の民である理伏が知らない筈がない。
「無論。秩父の住民とイタチ殿との仲介をしたのは拙者で御座りますので。ゴブリン事変の時、朱無市国が役に立たなかったのを取っ掛かりとしまして、市国からの離反を促しました。市国に対する不満は募りに募っていたので御座りまする。事変以降、市国から何の補助も手当も貰っていないですしね。納税は続いているのに」
やはりか。となると、洞窟牢の前で理伏はしらばっくれていたという事になる。こいつめ。
「三護殿も住民の説得に協力してくれたで御座りますよ」
「三護……!」
「ははは、悪いのぅ」
と全く悪びれていない様子で三護は謝罪した。この野郎め。
「ていうか、建国って具体的には何をしたの?」
ハクが純粋な疑問を三護にぶつける。自然と皆が三護に目を向ける。注目の中、三護は顎をさすって少し考えると、逆に僕達に質問した。
「そうじゃのう……汝ら、国が国足り得るには何が必要だと思う?」
「え? えっと……」
改めて問われると難しい質問だ。大抵の人間にとって国は生まれた時から当たり前にあるものだ。その当たり前を再定義するのは少し難しい。国とは何か。どこから国であり、どこから国ではないのか。確か僕の覚えている限りでは……
「……領域、人民、主権……だったかな」
「ほう。さすが藍兎じゃな。良く知っていたわい」
国際法において国家には三つの承認要件がある。
一つ、領域。一定に区画された土地や海を有する事。
一つ、人民。国家に恒久的に所属する住民がいる事。
一つ、主権。対外的にも対内的にも独立した統治権を持つ事。
近代以降の国々はこの三要素をもって国家として認められる。
「そうだ。領民がいても領土がなければ住む場所がなく、領土があっても領民がいなければただの荒野だ。そして、主権がなければ領土も領民も守る事は出来ない」
主権とはざっくり言うと、他国に介入されずに自国を統治する権利だ。仮にこれを持たない国があった場合、他国からの略奪に抵抗出来ない。略奪を拒絶する権利がないからだ。
他国には国民を養う義務があり、主権を持たない国は獣の巣と同義である。であれば、国民の為に狩りをするのは当然の帰結。その様な地獄を避ける為に国家に主権は必要不可欠なのだ。
「つまり、この三つを揃えた時に建国は成るという事だ」
「へえ……でも、主権ってどうすれば手に入るの?」
「クーデターに参戦する際、俺様が栄に約束させた報酬が何か知っているか?」
「えっ、いや……」
分からない。急にそう言われてもすぐには思い浮かばない。
いやしかし、この場面で問うという事は答えは一つだけか。
「……主権を貰ったって事ですか?」
「うむ。栄には議長として俺様の建国を承認させた。俺様の国には主権があると山岳連邦にお墨付きを貰った訳だな。後ろ盾と言っても良いだろうが」
こいつ、そんな密約をしていたのか。
ああでも、そうだ。先のクーデター、イタチだけは物理的な報酬を何ら受け取っていなかった。ただ働きなどする奴ではない、何かしらは頂戴している筈だとは思っていたが、よもや『建国の承認』を報酬にしていたとは。
「この身は既に覇王だが、世間的にはただの冒険者だった」
だが、これで、
「俺様は名実共に国王となったのだ」
イタチが頬が裂けんばかりに口角を上げて嗤う。その威容に僅かに唾を飲み込む。実際に国王になったと宣うイタチに、本当に覇王の兆しが見えた気がしたからだ。
「こんな事をして、市国の上層部が黙っていませんよ」
兆しが見えたのは僕だけだったのか、ステファは頭痛を堪えるかの様なしかめ面をしていた。
「拠点移動したのはこの為ですか……。市国のイタチ邸、街中に留まったままでは簡単に袋叩きにされてしまうから。一足早く脱出した訳ですね」
そうだ。確か秩父地方は朱無市国の属していた筈だ。名義上とはいえ、ここは市国の領土だ。そこに建国なんて真似をして許される道理などない。市国にとってはまさに領域と人民を奪われ、主権を侵害された訳なのだから。
波風どころじゃない。津波が来るぞ。
「無論、その辺りについても策を考えている。だが、それは現場を見せながら説明した方が良いだろう」
そう宣うイタチは心底楽しそうだった。その笑みを見て思い出す。
……ああ、そうだ。ゴブリン事変の後に僕は思ったんじゃねーか。ステファとイタチが『王』になった時、「アレ僕が貢献したんだぜ」と自慢出来たら痛快だろうなと。よもやその機会がこんなにすぐに訪れるとは。
「逃げられると思うなよ。貴様らは既に『カプリチオ・ハウス』の一員。市国上層部の連中にとっては俺様と同じ穴の狢だ」
いや、まだだ。まだ小国だ。否、きちんとした国家ですらない。
これから始まる戦いを経て、ようやく僕は胸を張れるのだ。
「――――さあ、国奪りを始めるぞ」




