セッション50 政変
山岳連邦には『雲海』と呼ばれる施設がある。
赤煉瓦を積み重ねた大正浪漫感溢れる館であり、連邦議会の議事堂として使われている。外観だけでも立派な建物なのだが、この館には更なる特徴がある。
空中に浮いているのだ。
支えの柱や気球といった物はなく、地上から一〇〇メートル程の位置で、館が小島ごと静止していた。僅かに上下に揺れながらも決して落ちる事なく、館は地上の民草を睥睨していた。『雲海』は『天空議事堂』の二つ名でも呼ばれているのだが、それも納得の威容だった。
『上級大地魔術』という魔術がある。これは加重力によって相手を押し潰す術式なのだが、応用で逆に減重力にする事で小島を軽くして浮かせているのだ。地神ツァトゥグァのお膝元ならではの文化だ。
こんなデカブツを浮かすとなると、掛かる魔力も馬鹿にならないのではないかと思うのだが、議事堂が浮いているのは会議の間だけであるらしい。侵入者及び脱走者対策と権威付けの為に浮いているのであり、普段は他の建物と同様、大地にあるとの事だ。
◇
議事堂内の一室、そこに栄はいた。
室内には円卓があり、そこには彼女を含めて十三人の人間が座っている。連邦議員と議長だ。十二の部族より代表者として選ばれた議員と議長が一人。この十三人が山岳連邦の未来を定める政治家達である。
栄の椅子は下座――扉の前にあった。彼女は最年少の議員である為、妥当といえば妥当な席だ。
「では、浅間議員。報告を聞こうか。ギルドとの交渉はうまく行ったのか?」
議長が口を開き、議会の開始を宣言する。
栄は緊張に身を固くしながらも深呼吸を一つし、議長に応じた。
「はい。傭兵ギルド『ザウム戦士団』と契約を結びました。冒険者ギルドからは八人組のパーティー『蜘蛛の神足』、灰色肌の部族『阿武馬』、魔法使いの研究会『ハオン・クラブ』の派遣を約束されました。また、新進気鋭のイタチ一派とも契約しました」
栄の報告に議員一同が「おお……!」と歓声を漏らした。が、
「しかし今一度、部族の代表者として皆様に問わせて頂きます」
続いた『しかし』の言葉に沈黙と緊張が走る。
「本当に私達は二荒王国と戦争をするのか。我々日ノ本の敵は一〇〇〇年前よりダーグアオン帝国ではなかったのか。対神大戦を起こした人類の怨敵。その彼らが今再び侵略を開始しようとしています。であれば、王国との戦争よりも帝国との戦争に備えるべきではないのでしょうか?」
提案を言い終えた栄が議員達の反応を伺う。
果たして、そこには彼女の予想した光景があった。
「馬鹿馬鹿しい! そんな話、聞く耳持つ訳がなかろうが!」
「そうだ! 打倒蛇人間は山岳連邦の宿願! 無二の執念!」
「日ノ本や魚共の事など知った事か!」
議員達が囂々と非難する。それを栄は冷ややかな目で見た。
「……それが皆様の回答ですか」
「当然だ! 論外だ!」
「そうですか。では、仕方ありませんね」
栄が本を掲げる。彼女の魔導書『エイボンの書』は『冒険者教典』と同様に幾つかの魔術を使用出来る。そして今は霊脈経由による通話魔術が繋がっていた。
「皆さん、入ってきて下さい!」
「――出番だ! ゴーゴーゴー!」
彼女の言葉を合図に廊下にいた通話相手――イタチが扉を蹴り開けた。驚愕する議員達を見据えながらイタチが室内に突入する。廊下には僕達以外にも山岳連邦軍の兵士達が待機しており、僕達もイタチに続いて室内に雪崩れ込んだ。
「な、何だ、お前達は!?」
「動かないで下さい。動けば、その場で斬ります」
動揺する議員達をぴしゃりと栄は黙らせる。席を立った彼女は入ってきた僕達を背に議員達を睨め付けた。この場で誰が支配者なのか分からせる為に。
「浅間議員……! 貴様、我が国を乗っ取る気か!」
「その通りです。意地を張る為だけに国力を浪費し続けるあなた方に、これ以上権力を握らせてはおけません。ここから先は私が政治をします」
兵士達が各々の武器を議員達に向ける。彼らの視線は冷たく鋭い。
それも当然、彼らは単なる兵ではない。前線に送り込まれ、何も得られずに戦い続けてきた事に厭戦感を募らせてきた栄の同志達だ。議員に敵意が剥き出しになるのも詮無き事である。
「赤城議長! この様な暴挙、許して良いのか!?」
「……すまないが、私は浅間議員に付かせてもらう」
「なっ……!」
議長と議員三人が席を立ち、浅間の隣に立つ。
当然だ。何の準備もなしに会議に挑む筈がない。事前に可能な限りの根回しはしてある。出来れば過半数の議員を取り込みたかったが……まあ議長が味方に付いてくれただけでも有難いか。
なお、館内には兵士達以外にも栄が雇った傭兵や冒険者が配置されていて、衛兵達を止めている。議員達が衛兵を頼りにする事は出来ない。
「今ここに山岳連邦は新生する事を宣言します! まずは連邦と王国の停戦、負傷兵の手当てと国力の回復を目指します。並行して帝国への対策に着手。余計な闘争は一切しませんので、そのつもりで」
「ぐ、ぐぬう……!」
栄の声が高々と議場に響き渡る。立たなかった議員達が悔しげに唸るが、突き付けられた武器が恐ろしくて何も言えない。下手な事を言えば、即座に斬り殺されかねないからだ。
栄の次の発言を待つしかない。緊迫が部屋を支配する。そんな中で、
「――御免なさいね。アタシ、貴方には賛同出来ないわ」
と一人の議員が空気を裂く様にそう言った。




