セッション43 温泉
竜殺しから数日後。
「ああ……良い湯だなあ……」
僕は露店風呂に浸かっていた。
僕が今いるのは、山岳連邦が旧群馬県草津白根山にある温泉――草津温泉だ。一〇〇〇年前より日本を代表する名泉の一つで、自然湧出量は日本一だという。その湯は古来より『万病に吉』と謳われ、多くの湯治客が草津温泉を訪れた。切り傷やハンセン病、梅毒や皮膚病といった様々な病に苛まされる患者達がここを頼ってきたのだ。
そんな温泉に僕は浸かっている。
別に治したい傷がある訳ではない。先日の竜殺しでダメージは負ったが、あんなものは治癒聖術で癒した。今、温泉に浸かっているのはある人物から温泉旅館『祭倉ノ衆』の宿泊券を貰ったからだ。
「藍兎さん、なんで少し離れた位置にいるんですか?」
「あー……まだちょっとテレがあるんでな」
「?」
僕は一人で温泉に入っているのではない。ステファや理伏も一緒だ。
二人が男湯にいるのではない。僕が女湯にいるのだ。たとえ元々は男性だったとしても、僕の肉体は女性なのだから、女湯に入るのは当然の流れだ。むしろ男湯に入る方が問題がある。
とはいえ、女湯に入るのが恥ずかしい気分はまだ残っている。性転換して久しいが、やはり意識はまだ男だ。断ると変な目で見られるので、こうして一緒に入っているが、出来れば避けたかったイベントではある。
……まあ、眼福ではあるんだがな。
「それにしても怪我人が多いな……」
視線を他の入浴客に向ける。裂傷だらけの者、火傷を負った者、手術痕のある者、様々な怪我をした女性が多く見られた。中には片腕を失っている者までいた。明らかに戦闘による負傷だ。
この時代でも――否、こんな時代だからこそか、戦は男の仕事というのが一般的だ。僕達の様な冒険者でもない限りは、女性は刀剣ではなく包丁を握るものだ。そんな価値観の時代であそこまで傷だらけになっている女性は珍しい。
「そうですね。兵士でしょうか? 連邦では男女共に徴兵していますから」
「ふーん……」
まあ赤の他人の裸体を不躾に見るものでもない。
そう思い、僕は彼女達から視線を外した。
「しっかし、本当に良い湯だ……」
額の汗を湯で流す。
温泉なんて何年ぶりか……いや、ミイラだった一〇〇〇年間は除外するとして。ともかく久しぶりだ。大自然の光景を前にして温かい湯に身を浸す事の、なんと気持ちい良い事か。温泉文化がこの時代まで残ってくれていた事に本当に感謝する。
「そうだねー。でも九州の温泉も負けてないよー」
「うおっ、シロワニ!」
「やっほー、藍兎、ステファ!」
「シロワニ・マーシュ……!?」
気付けば、シロワニが隣で湯に浸かっていた。
びっくりした。いつの間に現れたんだ、こいつ。というか、なんで西日本の……ダーグアオン帝国の人間が旧群馬県にいるんだ。
ステファも突然現れた敵国の人間に身を強張らせている。理伏は、
「帝国……!」
まずい、と思った時にはもう遅かった。既に理伏は空中に身を躍らせていた。
理伏の両親は帝国の幹部に殺された。シロワニが直接殺した訳ではないが、帝国の関係者というだけで理伏にはアウトだ。彼女の復讐スイッチがオンになってしまった。
一糸纏わぬ姿で理伏がシロワニへと飛ぶ。その右手には風が集まっていた。
「『島風』応用――忍術『想空』!」
手刀がシロワニの首を狙う。手刀とはいえ、圧縮大気を纏ったそれは人の首など容易く刎ね飛ばせる威力だ。
だが、届かない。シロワニに理伏の手刀は届かない。
シロワニと理伏の間に立ち昇った湯が手刀を防いでいた。
「なっ……!」
「『上級流水魔術』」
湯が渦を巻いて理伏の横っ面を引っ叩く。水柱を立てて湯に沈む理伏。手加減してくれたのか大したダメージではなかった様で、すぐに理伏は湯から顔を上げた。
「水場で深きもの共に喧嘩を売るもんじゃないよ、君」
「…………っ!」
ニヤニヤと笑うシロワニに、理伏がこめかみに青筋を立てる。
いかん、このままではまた理伏がシロワニに返り討ちに遭ってしまう。シロワニの言う通り、魚人相手に水場で挑むなど自殺行為以外の何物でもない。
「まあまあ、まあまあまあまあ、落ち着け理伏。すっぽんぽんで暴れるもんじゃねーだろ。シロワニも抑えてくれ。僕が代わりに謝るから」
「ステンバーイ、ステンバーイ」
「くっ……!」
「あはははは」
理伏とシロワニとの間に僕とステファがが割って入る。僕がシロワニに向いて、ステファが理伏に向いての位置だ。それでようやく理伏が収まった。いや、収まっていない。鼻息は荒いままだ。それでもとりあえずはシロワニに飛び掛かるのはやめてくれた。
「……で、なんでここにいるんだ、お前」
「観光だよ」
「ただの観光かよ……」
お前の国、一〇〇〇年前からずっと終戦宣言していない癖に。
その結果、理伏がブチ切れてしまったのだから傍迷惑な観光客だ。
「皇女が観光? 護衛も連れずにですか?」
「護衛ならいるよ。離れた所にいるだけで。ほら、あっちこっちから見てきているのがそうだよ」
シロワニに促され、視線を向ける。確かに何人かの女性が鋭い視線でこちらを見据えていた。今はまだ動かないが、いつでも飛び出てシロワニの盾になる準備は出来ている。そういう雰囲気だ。
「わたしのメイドは優秀だからね。護衛も務められるんだよ」
「メイドか……そりゃいるよな、お貴族様なんだから」
むしろいない方がおかしいくらいだ。護衛もこなせるとは意外だが。
しかし、幾ら護衛だからといってお嬢様と使用人が一緒の湯に浸かっているというのは珍しいな。身分差があるのに距離を置かないのは、シロワニ個人の思想なのか、それともマーシュ家がそういう家なのか。さすがに帝国全体がそうだとは思えないが。
「そろそろ上がろうか。のぼせちゃうしね」
「そうだな……」
シロワニが風呂から出る。メイド達も彼女の後に続いた。
「お嬢様、お体をお拭きしますので」
「いーよ、自分で拭くから」
「駄目です! そう言って先日、髪ビショビショのまま歩き回っていたでしょう! 風邪を引かれますよ!」
「えー」
……賑やかな連中だな。
帝国でのメイドがどういう立ち位置にいるのか不明だが、とりあえずシロワニの所のメイドはシロワニを慕っている事だけは確かな様子だ。




