セッション37 加護
「ねえ、藍兎。これ何?」
「ん? どれだ?」
童女が教典の一ページを指差す。スキルの欄だ。このページには僕がこれまでに習得した魔術が記されている。割とこういう紙媒体を見るのは好きなので、チェックは小まめにしていた。だが、
「『黒山羊の加護』……? 知らねースキルだな」
「え? 藍兎さん自身も知らないんですか?」
「ああ」
今は知らないスキルが追加されていた。
「転職をきっかけに習得したのでしょうか?」
「かもな。……いや、どうだろう? スキル自体は元々持っていたのかもしれねー」
確かシュブ=ニグラスの異名が『千の仔を孕みし森の黒山羊』だった筈だ。であれば、このスキル名で関係ないとは思えない。
そして、僕には名称すら不明なスキルがある。
蘇生能力だ。触れていたものの生命とスキルを奪って蘇るスキル。もしかしたらこの『黒山羊の加護』がそのスキルの名称なのかもしれない。
「以前から持っていたスキルが転職をきっかけに可視化したとか?」
転職は魂を書き換える行為だという。書き換えられた事で魂が調整され、非表示の不調が解消されたのかもしれない。
いや確証は一切ないのだが。
「藍兎さん、バグってたんですか?」
「かもしれないってだけだ。結局何も分からねーよ」
なんで今、バグという発想が出て来たのか、自分でも良く分からない。
もしかしたら前々から自分でも分からない程の小さい不調があって、それを今ようやく自覚したのかもしれない。……まあ、元々他人の肉体だしな。それ位の不具合はあってむしろ当然だろうよ。
「それで結局、どういうスキルなの?」
「えっと……多分生き返るスキル」
「生き返る? すっごーい! パパだって持っていないよ、そんなスキル!」
「パパ?」
何故そこでパパの名が出てくるのか。言い回しから察するに、凄腕の魔術師だったりするのだろうか。
「ハクちゃんのパパはどういう人なのですか?」
「パパはね、えっらいんだよ。それに、色んな事を知っているんだ。魔術も鍛冶も、モンスターの知識もいっぱい。神様みたいだって言ってた人もいたよ」
「へえ。神様みたいとは凄ぇ言われ様だな」
そうそう使われる事のない褒め言葉だ。
恐らくはこの娘が自分に分かり易い様に端的に言い換えただけで、本当はもっとありふれた言葉――神童とか神才とか呼ばれていたのだろう。
「あ、パパ!」
ハクが通路の奥を見て、パッと顔を明るくする。
噂をすればか。あれがハクのパパか。
通路を歩いてきたのは中年の男性だ。とんびコートに身を包んだ厳つい髭の男。手にはステッキを持ち、頭には山高帽を被っている。大正浪漫を彷彿とさせるファッションだ。
……いや、というか、この剣と魔法の時代にローブではなくコートが実在していたとは思わなんだ。
ハクが跳ねる様に椅子から立ち、男性へと駆け寄る。
「バイバイ、ステファ! 藍兎!」
「あ、おう。じゃーな」
「ええ、さようなら」
男性と共に去るハクを見送る。男性はこちらを一礼したが、何も言わず去っていった。
「……あの格好、『山岳連邦』の貴族が良く着ている衣装ですね」
「へー。他国の貴族か」
山岳連邦というのは旧群馬県、旧新潟県、旧長野県に跨る国だ。幾つもの部族から成る連邦国家であり、それぞれ部族の代表者が集まって政治を為していると聞く。部族の代表者は血統で選ばれるが、議会制である為、独裁者がたった一人ではないという点で今時珍しい国だ。
「他国の人間がなんで朱無市国にいるんだ?」
「さあ……」
この神殿にいるからにはノーデンスかニャルラトホテプに用があったんだろうが……分かんねーな。
「とりあえず用も済んだし、帰りましょうか」
「そうだな。何か買ってく? 食料品とか」
「えー。デートの帰りに食料品はやめましょうよ」
「……それもそうだな」
デートって言葉に結構拘るな、こいつ。
武具を買ったり転職したりと、無骨なイベント続きでデートっぽくはないと思うのだが……まあしかし、
「あ、そうだ。お土産屋あるんですよ、この神殿。効果は低いけどお守りとかあるんです。藍兎さん、お揃いの買いませんか?」
「女子ってお揃いって好きだよなー」
ステファが楽しそうなので良しとするか。
この後、お揃いのイヤリングを買って、一緒に昼食を食べて帰った。小っ恥ずかしい気持ちはどうしてもあったが、まあ……たまにはこういう日も悪くねーな。




