セッション36 童女
待合室に戻ると、ステファが見知らぬ子供と一緒にいた。
「あ、お帰りなさい、藍兎さん」
ステファがふにゃりと笑う。人懐っこい笑みだ。こういう笑顔に子供は寄ってくるんだろうなと思う。
ステファに頷きを返しつつ子供を見る。
「ただいま。……で、誰それ?」
「あたし、蛇宮ハク。あんたは?」
「藍兎だ」
子供――ハクの自己紹介に名乗りを返す。
くしゃっとした癖のある白髪が愛らしい女の子だ。年齢は十歳半ばだろうか、理伏よりは年上そうに見える。目尻は吊り上がり、瞳孔は緑色で縦に細い。いわゆる蛇眼だ。服装は女袴と呼ばれるもので、上はピンク色で下は緋色だった。
「ここでお父さんを待っているらしくて。寂しそうにしていたのでつい声を掛けてしまいました」
「つい、か。お人好しめ」
困っている人を見掛けると頼まれてもいない癖に助けようとする。ステファの長所でもあり短所だ。藪蛇をつつく結果になる事もしばしばだというのに。
まあ、それで懲りないのが狂人なのだが。
「で、ここにいるって事はその父親も転職目的か?」
「ううん。パパはここの神様に用があるんだ」
「地球神達に?」
「そうとは限らないですよ」
僕がそう訊くとステファが否定した。
「彼らの上には神たるニャルラトホテプとノーデンスがいますから、カダスの神殿にはその二柱を奉る部屋もあるんですよ。彼らにまつわる神殿が少ないので、二柱にコンタクトを取りたい人がこの神殿を使う事は多いですね。あっち、奥にその部屋があるんですけど」
「へー」
そういえば朱無市国においてノーデンスには個人的な信者がいるだけで、神殿はないという話だったか。信者は自分の家で礼拝しているのかなと思ったが、カダスの神殿が礼拝所を提供していたのだな。ニャルラトホテプへの礼拝も同様か。
「で、どの神様なんだ?」
「それは教えてくれなかったんだけど……」
「まあ……言えませんよね。仮にニャルラトホテプを信仰していると言ったら面倒事が起きかねませんから。ニャルラトホテプは基本敵ですからね」
「そういうものか……」
まあニャルラトホテプは魔物の印象が強いからな。忌避されるのも無理もないか。
「ねえねえ、あんた、転職したんでしょ? 何になったの?」
「ん? ああ、戦士・槍兵だよ」
「教典を見ても良い?」
「ああ」
童女に教典を開いて手渡す。すると童女は何が面白いのか、職業欄以外のページも嬉々としてめくり始めた。
「つーか、ステファも人が悪いな。転職したら発狂するって事、言ってくれりゃあ良かったのに」
そんな童女を目端にやりつつ僕はステファを非難した。
先程の一件、発狂した事について。冒険者事情に詳しい彼女の事だ。転職のリスクについても知っていただろう。それを事前に僕に教えてくれていれば……まあ何の対策も出来なかったろうが……せめて覚悟や心構えくらいは出来た筈だ。
「えっ? ……あ、ああ! すみません! そういえば、言っていなかったですね!」
言われ、慌てた様子でステファが僕に謝罪する。
「いえ、何にするにしても発狂するのはいつもの事だという思い込みがありまして、ついうっかり……」
「あー……まあ、そりゃあな」
確かに警告されても今更感はある。つくづくヤベー時代に来たものだ。怖い怖い。