セッション3 教典
異世界モノにはありがちだが、この世界にも『冒険者』という職業がある。特定の仕事に就かず、その時々の依頼をこなす者。その日暮らしの無頼漢。己の実力のみを頼りにする何でも屋。冒険者とはいうものの別に四六時中旅に出ている訳でもなく、一所に定住している者もいる。
ステファもそんな冒険者の一人だ。
「私、実は他所の国の出身でして」
街中を歩きながらステファが自分の身の上を話し始める。
街には大勢の人間で賑わっていた。市国と名付けられただけあって朱無市国は領土面積はかなり狭いが国力は他国と比べても上位にあり、東日本にいる冒険者は大体ここを拠点としているという。
「へえ、朱無市国の生まれじゃねーんだ?」
「東北地方出身です。これでも公女なんですよ」
「公女か。お貴族様って事なんだな」
「はい。まあ、序列は低いのですが。それよりも『大帝教会』って御存知ですか?」
「いや、知らねー」
「そ、そうですか……私、信者なのですが……知りませんか、そうですか……」
「お、おう……」
僕が頭を振ると、あからさまにステファは落ち込んだ。
そんな顔されても知らねーもんは知らねーよ。一〇〇〇年前になかったもん、そんな教え。もしかして今のは常識だったのかな? だとしたら不味い事言ったか?
「あー……その、だな」
「……いえ、これも私の布教不足が故! 布教に掛ける努力が足りないのです! もっともっと精進せねば!」
などと困っている内にステファは一人で納得してしまった。追及されなかったのは幸いだったが、結構一人合点してしまうタイプか、こいつ。いや助かったけど。
「『大帝教会』は宗教の一つで、ノーデンスという神を信仰しています。ノーデンス神はこの世の『秩序』を司る神であり、秩序を求める者を守って下さるのです」
「ノーデンスか……。ふーん、ギリシャの主神とか北欧の大神みたいなもんかな」
「ギリシャノゼウス? オーディン?」
僕の返しにステファがきょとんとした顔をする。
もしかしてゼウスもオーディンも知らないのか、こいつ?
「……なあ、ギリシャ神話や北欧神話って知っている?」
「? いえ、聞いた事ないですね」
「……そうか」
僕は非現実の世界観が好きだ。神話や伝奇の情報を良く漁っていた。ギリシャ神話や北欧神話だけでなく、日本神話やケルト神話などを嗜んできた。伝承や民話にも多少の知識がある。
それが今は残っていないのか。よもやタイトルにすら聞き覚えがないとは、寂しい話だ。この時代、一〇〇〇年前の知識は残っていないと見るべきか?
「何ですか、それ」
「あー……いや、何でもない。話の腰を折ったな。大帝教会が何だって?」
「え、あ、はい。ノーデンス神への信仰は本来、種族に限定されません。秩序はあらゆる種族に降り注がれて然るべきです。しかし、教会は同時に人類第一主義をも掲げました。彼らは人類以外の信仰を認めず、教会を国教とする祖国は人類以外の存在を許していません。――私は、そんな現状に納得出来ませんでした」
話している内にステファの目付きがやや鋭くなる。
「信仰は垣根なきものであるべきです。私はそう信じて、十七歳になった日、国を飛び出しました。国内が駄目なら国外で、私が自由な信仰を布教しようと決意して」
「ふーん。ってことはお前、家出中なのか。度胸あるじゃねーか」
「いえ……いやあ、そんな……そんな事ないですよ。えへへ」
ステファが照れて締まりのない笑みを浮かべる。
だが、実際大した事だと思う。こいつと同じ年齢の頃、僕は完全に親の庇護下だった。目的も目標もなく、現状に甘んじていた。そんな僕からすればこいつの発起心は本当に眩しい。
「それに、うまく行っていないのが現状でして。なかなか冒険者としての生活は厳しく、布教どころか今日の飯さえ儘ならない状況で」
「そんな状況でよく僕を助けたな、お前」
「それは祖国の教育の結果というか。一日一回、善行をしないと呼吸が苦しくなるよう育てられましたので。藍兎さんを助けたのもその一環と言いますか」
「何それ。呼吸が苦しくなるって、精神病んでたりしてんのか?」
「えへへ。えへへ……へへ、へへへへへ…………」
低く虚ろな声で笑うステファ。
そういえばこの娘、初対面の時から目にハイライトがないような……というか先刻から笑顔にお面のような無機質さがあるような……いやいや。
「という訳で、どうですか? 藍兎さんも大帝教会を信仰してみませんか?」
「あー……きちんと教義を教えて貰ってからな。それより目的地はまだか?」
「ああ、ほら。あれが冒険者ギルドですよ」
ステファに言われて見た先には塔が立っていた。
高い。周辺の家屋が二階建てばかりなのに対して、この塔は五階を超えている。二十階建て三十階建てがゴロゴロあった二十一世紀に比べれば小さいが、この時代ではかなり大きな建造物だろう。石造だが、何となく五重塔を思わせるデザインだ。
塔の内部に入る。受付と思わしきカウンターには一人の少女がいた。青髪のボーイッシュだ。胸のバッジには今屯灰夜と書かれていた。
「いらっしゃい、ステファ君。今日は何用かな?」
「こんにちは、灰夜さん。依頼はありますか?」
「あるよ。ん? 後ろの彼女は誰だい?」
受付嬢が僕を見やる。
「古堅藍兎だ。こいつと一緒にパーティーをやる事になった」
「ボクは灰夜、よろしく。という事は冒険者かい? 戦えるの?」
「いや、戦闘の経験はねーよ」
一〇〇〇年前でも碌に喧嘩などして来なかった。このお嬢の肉体がどれ程戦えるかは知らないが、無茶はしない方が良いだろう。
「ただ、荷物持ちとしてついてくればいいと言われてな」
「そういう事です。灰夜さん、彼に『冒険者教典』を一冊与えたいのですが」
「はいはーい」
受付嬢が取り出したのは一冊のハードカバー本だ。ステファが受け取り、今度はそれを僕に渡す。
「はい、プレゼントです!」
「悪いな。お礼をするっつって付いて来たのに奢って貰っちまうとは」
「いえ、これで私の一日一善のノルマも達成できましたので。ウィン・ウィンです! えへ、えへへ……えへへ……」
「……そうか。心底難儀な体質だな、お前」
本当に発狂しているんじゃなかろうな、こいつ。
「んで、これが冒険者の証か?」
「はい。これが魔導書『冒険者教典』です」
ステファから渡されたこの本は冒険者の身分証明書にして必須アイテムだ。自分の能力や装備品の確認、スキルの習得、アイテムの収納、他冒険者との通信など冒険者に必要な機能がこれ一冊に全て入っている。
アイテムの収納スペースは冒険者ランク(依頼の成功数に応じてランクが上がる)に比例する。ステファの冒険者ランクは最低のEなので、あまり多くのアイテムを持ち運べない。そこで荷物持ちの僕の出番という訳だ。
「……どれどれ……」
早速、本を開いてみる。僕の情報は一ページ目に記載されていた。手に取っただけで、こんなにもパッと僕の情報が載るなんて便利過ぎる本だ。誰が考案して、誰が開発したんだろう。
冒険者ランクはE、職業は盗賊、所属は空欄、種族は食屍鬼。……食屍鬼ってあの食屍鬼だろうか。グールってルビを振るあの人外種族。
パラメーターもあるな。項目は八つ。レベルの概念はないらしい。
・体力:2525
・魔力:801
・筋力値:65
・生命値:54
・精神値:43
・敏捷値:88
・器用値:79
・幸運値:20
「……なあ、このパラメーターの数字、どうやって測ってんだ?」
「その教典が測っているのだよ。パラメーターは握力測定や体温計みたいなものだ。その日の調子で簡単に上下する。特に一桁目はね。だから、ページを開いた瞬間の数値をパシャリと撮って表示しているのさ」
「へぇ……パシャリねぇ……」
なお、精神値は魔法の威力とかに関係するパラメーターとの事だ。さすがファンタジー世界のステータスだ。
項目はまだあるな。『発狂内容』という。何だこれ。
……いやマジで何だこれ。こんな概念、普通のファンタジーにはねーぞ。発狂って何だ。発狂する事があるのか、この世界。えっ、狂うのか? 狂ったらどうなるんだこれ?
……魔導書の冒険者という言い回しも妙だ。本来は冒険者だろう。冒険者ギルドの存在。職業の設定。通信機能と収納機能を備えたアイテム。レベルこそないがパラメーターの概念があるなど、どうにもゲーム的だ。
――――お膳立てされ過ぎて作り物にすら見える世界。
一体誰が『作った』んだ、この世界観は?
「それで、クエストなのだが。この依頼を引き受けてくれるかい?」
「ニャルラトホテプ討伐系ですか。倒しても倒してもニャルは絶えませんね」
「同じく冒険者になりたがる人も減らないから問題ないけどね。依頼数と冒険者数、今の所は釣り合っているよ」
ん? ニャルラトホテプ? 聞き覚えのない単語だな。
質問をしようと思ったが、受付嬢がいる所で無知を晒すのは不味いか。ステファはスルーしてくれたが、受付嬢もそうだとは限らない。後で聞くとするか。
ステファと受付嬢が幾つかやり取りした後、僕に振り返った。
「では、教典も手に入れた事ですし、早速スキルを習得してみましょうか!」
「スキル?」
「はい、魔術です!」