セッション13 渓谷
奈寿野谷。
旧東京都から太東岬方面に向かって走る巨大な渓谷だ。一〇〇〇年前にはなく、飯綱会長は五〇〇年前に旧東京都から飛んで来た何かによって作られたと言っていた。だが、昔の出来事なので目撃者はとうにいない。一時期は食屍鬼が廃棄場として利用していたが、ある日を境に立ち入り禁止となった。
そのある日――というか、原因というのが、
「こいつぁ……すげーな」
谷底で生い茂る草木が淡く光っていた。玉虫色と言えばいいのだろうか、見る角度によって変わる、特定し難い色を纏っていた。更には風もないのに勝手に動いていた。
……というか、明らかに地面から離れて歩き回っている植物もいた。あれは一体……?
「マンドラゴラやアルラウネですね。Dランクのニャルラトホテプです」
「グリーン・ローパーより強くて、ワイバーンよりは弱いって事ね。オッケー」
根妖精、花妖精。
いずれも草花系のモンスターだ。マンドラゴラは歩き回る根の姿をしており、アルラウネは花冠から少女の体が生えた姿をしている。どちらも人の形をしているが、中身は植物のままなので会話は通じない。生態に従って人を襲うのみだ。
「トレントもいますね。この辺りは植物系が多いみたいです」
樹人形は樹木系のモンスターだ。見た目はまんま樹木で、根を足代わりにして自由に歩く。ランクはCで、飛竜とはどっこいどっこいの強さ。僕達二人では苦戦は必至なので、出来れば相対したくない敵だ。
「あの光、『第七焼け野』も見られるんですよね」
「『第七焼け野』って東京湾周辺だったか?」
東京都――この島国のかつての首都は帝国が撃ち込んだ『核にも匹敵する生物兵器』によって焼け野の如き荒野と化した。その兵器が七発目だったから『第七焼け野』の呼び名が付いた。
なお、生物兵器が土地に残した後遺症は帝国にも想定外であり、後に帝国はわざわざ法を作ってまでこの兵器の使用を禁止したという。威力が凄まじ過ぎる。
「ある日、この谷に入った食屍鬼があの草木と同じように玉虫色に光った上に、発狂して死んだそうです。それも何人もの食屍鬼が、です。以来、ここは立ち入り禁止になったのだとか」
「怖い話だ」
RPGに出て来る毒の沼みたいだ。歩いているだけでダメージを受け続けるフィールドみたいな場所。あの玉虫色の光は毒に冒された証か、あるいは光が毒そのものなのか。
狂死した食屍鬼のお仲間になる前にさっさと引き上げなくては。
「総長のお孫様は何を考えてこんな所まで来たんだろーな」
「さあ……ともかく、長居していい場所じゃない事だけは確かですね」
ステファも僕と同意見だった。さっさとお孫様を見付けて脱出しよう。
この谷は割と入り組んでいる。飯綱会長とは先程の分かれ道で分かれた。未知の場所での戦力の分散は避けたかったが、今回の依頼は捜索だ。仕方あるまい。
ニャルラトホテプをなるべく避けながら先へと進む事にする。
◇
「……おい、あれ何だ?」
しばらく進んだ先で妙なものを発見した。いや、この谷には妙なものしかいないのだが、それに輪を掛けて目立つものだ。
巨大な案山子だ。十メートルはあるだろうか、木の棒を編んで作られた人型が岩壁を背に座り込んでいた。どう見ても自然に出来た物ではない。完全無欠に人工物だ。
「なんでこんな谷底にこんなものがあるんだ……?」
「誰かが置いていったんでしょうか……一体誰が?」
ステファと疑問を口にし合うが、答えなど出る筈もない。
もっとよく調べてみようと人形に近付く。その直前、
「待て! それに近寄るな!」
と上から制止の声が降って来た。
ステファの声ではない。当然、僕でもない。第三者の声だ。
誰が現れたのかと声が降って来た方を向く。その時だった。
「GGGGG、Gaaaaa――!」
案山子が唸り声を上げて動き出した。
やはりデカい。立ち上がった姿は威圧感に満ちている。
「トレント!?」
「トレント!? こいつもトレントなのか!?」
樹木じゃなくて案山子だぞ、こいつ!
「分かりません……でも、他に似ているニャルラトホテプなんて……!」
「Gaaaaa――!」
案山子が拳を振り下ろす。第三者の声のお陰で距離が空いていた為、回避する事が出来た。目標を失った拳が大地に叩き付けられる。地響きが起きた。
「ちっ、種類なんて特定している暇はねーか! その前にブッ倒さなきゃなあ!」
「そうですね……! しかし、これ程巨大なトレントとなると……!」
ステファが歯軋りする。
トレントの本来のランクはCだが、目の前のこいつは、この巨躯ならばC以上あると思っていいだろう。僕達二人で果たして倒せるかどうか。
……いや、二人ではないか。
「仕方あるまい。俺様も加勢してやろう。とうっ!」
先程の声の主が僕達と案山子との間に降り立つ。
十代後半と思わしき少年だ。砂金の様な髪に蒼海の如き瞳を持ち、顔立ちはやや幼くも表情は力強い。服装は金持ちのお坊ちゃまが着ていそうな高級感を出しながらも動き易い簡素なデザインになっている。旅に慣れた道楽息子という感じだ。
道楽息子。深きもの特有の蒼海色の瞳。そして、このタイミングで現れた登場人物。
もしかして、こいつが――
「そう、この俺様――阿漣イタチがな!」




