セッション12 和芭
「いや、本当、すんまっせんでした……!」
三メートルを超える巨漢が僕の前で平謝りしていた。
ここは飯綱会の本部――飯綱邸だ。木造建築の一階建てが四軒並び、土蔵まで完備されている。床面は当然畳のみだ。門と玄関までの間には広い庭があり、松や桜の木が植えられていた。見事な武家屋敷だ。
王国で言えば王城に匹敵する重要施設だ。
で、その一室、僕達の目の前にいるこのおっさんが、
「謝りゃあ歯が新しく生えて来ると思ってんのかよ」
飯綱会長――十二代目酒吞童子。つまり、この国の王様だ。
そして、つい先刻僕を殴り飛ばしたのもこのおっさんである。
「へい、すんません! きちんと歯が生えるまで面倒見させて貰いますんで!」
おっさんは額を畳みに擦り付けたままそう言った。
「えっ、歯って本当に新しく生やせんのか?」
「ええ、出来ますよ。錬金術とか外科手術とか、諸々駆使すれば欠損した四肢も再生出来る時代ですから。まあ、相応にお金は掛かりますが」
そうなのか。便利な時代になったものだな。一〇〇〇年前に比べてこの時代、文明や技術は全て廃れたものだと思っていたが、逆に凌駕したパターンもあるのか。
「申し訳ねえ。出てっちまった娘にあまりに似ていたもので」
「歯を折る程の力で娘さんを殴る気だったんですか?」
「いやあ、ついカッとなっちまって……悪い癖ですわ」
ようやく顔を起こした男の額には角が生えていた。僕と同じ二本角だ。厳つい顔立ちに相応しい雄々しい角は、うつ伏せで寝る時にはさぞ邪魔だろうなと思わせる。
そう、娘。
このおっさんは僕を勘当した自分の娘だと勘違いして殴り掛かって来たのだ。僕が気絶している間、僕が娘当人かどうかでステファと相当揉めたらしいが、僕の『冒険者教典』を見せた事で解決した。
『冒険者教典』の本質は魂の観測にある。魔術の確認も修得も魂を観測する機能の応用に過ぎない。そして、魂に偽装は効かない。偽名を使う事は出来ず、逆に言えば、表示されている名前は一〇〇パーセント本名なのだ。
「教典に書いてあるのが藍兎殿の名前である以上、儂の娘ではないのは確実なのですが……いやはや、それにしても娘に似ている。こんな偶然があるもんだ」
言いながら会長がしきりに顎をさする。
成程、道中で食屍鬼に矢鱈注目されていたのは、僕が会長の娘に似ていたからか。
「ええと、娘さんについてお聞きしても?」
「ええ、いいですぜ」
会長が頷く。
「名前は飯綱和芭。儂ん所の長女です。まあ、難しい話じゃありませんでな。跡取りになる予定だった長女が『てめェの将来は自分で決めたい』と言い出して大喧嘩、そんで父親が『二度と帰って来んな』と親子の縁を切ったってだけの話なんですわ」
「そうでしたか……」
名家に生まれた箱入り娘が束縛を嫌って家出。よくある話だ。
しかし、この顔が家出した娘に似ている、ねえ……。
この肉体はあの盗掘屋のお嬢のものだが、そういえばお嬢の素性は分からず仕舞いのままだったな。まさかとは思うが……
「あー……その娘さんって今どこにいるって分かりますか?」
「いんや。風の噂で朱無市に向かった事までは聞きましたが、そこから先は音沙汰ありませんな」
「そうですか。朱無市か……」
お嬢と出会ったのも朱無市近くの山道だったな。
……まさか。いや、しかし……
「まあ、関わんねェ方がいいですよ。親として恥ずかしい話だが、あんにゃろう昔から人の家に忍び込んでは宝探しだとか言って、家具を荒らし回ったりしてたんで。今でも碌でもねえ事してるに違いねェや」
忍び込んで宝探し、ね……。
お嬢一味の生業は盗掘屋。立ち入りが許可されていない遺跡に忍び込み、遺物というお宝を探す職業だ。
――これアレだな。ほぼ確実にお嬢が会長の娘様だな。一〇〇パーセントとは言い切れないが、ここまで状況証拠が揃っているなら否定する方が難しい。いつかは調べなきゃとは思っていたが、よもやここで判明するとは。
……どうする? ステファには黙ったままだったが、さすがに親御さん相手には事情を説明しておくか?
…………。
………………。
………………よし、黙っておこう。
話すと長いし、勘当したとはいえ娘の死を告げられるのは酷だろうし、今の僕は娘の亡骸に寄生しているようなものだからな。「娘の亡骸を荼毘に付すから返せ」と言われても返せない。返し方も分からないし。最悪、その場で殺されかねん。
「あー……そ、そういえば、あの……三護松武さんがここにいるって聞いたんですけど」
「三護先生ですかい? 先生に何か御用事で?」
「はい。ギルドで先生宛に宅配の依頼を受けまして」
「ああ、そいつァ御苦労様です」
会長が頭を下げる。
このおっさん、強面だけど礼儀正しいな。恐らく、為政者として然るべき教育と経験を受けて来たのだろう。人は外見じゃねーな。外見少女で中身おっさんの僕が言えた義理じゃないが。
酒吞童子といえば有名な鬼の名前だ。平安時代の京都に君臨し、外道の限りを尽くした悪の頭領。真偽はともあれ、その十二代目を名乗っているのだから、この人は自分が末裔のつもりなのだろうが……律儀なせいでいまいち『鬼感』がないな。
「ですが、今、先生は出掛けていまして」
「そうですか。本人に直接渡すよう言われているのですが……いつ頃戻られますか?」
「そうですな……いや分かりませんな。戻りましたら宿屋の方に使いの者をよこしますので――」
「――親父、大変でさぁ!」
会長の言葉を遮り、若い男が闖入して来た。彼も鬼型だ。
「てんめェ、客人がいんだぞ! 後にしろィ!」
「そうは言うけど、親父! 一大事なんですぜィ!」
会長が男を怒鳴りつけるが、男も引き下がらない。余程切羽詰まっている様子だが……?
「阿漣の餓鬼が、例の谷で行方不明になっちまったんでさァ!」
「何だとォ!?」
男の言葉に会長が瞠目する。
阿漣? 阿漣って確か……
「ギルド本部総長がそんな名前だったよな?」
「はい。阿漣ジンベエさんという方だったかと。親戚でしょうか?」
ステファと耳打ちし合っていると、気付いた会長が教えてくれた。
「ええ。儂はジンベエの奴とは昔馴染みでして。それで今、あいつの孫を預かっていたんですがね」
「孫でしたか。しかし、総長と知り合いとは」
さすがは飯綱会の王様やっているだけはある。
「それで、谷というのは?」
「『奈寿野谷』です。ここから西にある渓谷なんですが、儂ら食屍鬼でも容易に近付かない場所です。くそ、何だってそんな所に……」
ぎりっと歯軋りの音が聞こえた。
「ジンベエの孫に何かあっちゃあ奴に顔向け出来ねェ。儂も捜索に加わって来ます」
会長が立ち上がる。表面こそ落ち着いているが、顔色や眉間の皺、冷や汗までは誤魔化せない。内心では相当焦っている事が伺えた。
ふと、隣を見るとステファがうずうずしていた。
ああ、こいつアレだな。いつものアレだ。
「自分も行きたいんだろう、ステファ?」
「えっ? なんで分かったんですか!?」
「分からいでか。このお人好しめ」
人が困っている所を見ると手を差し伸べられずにはいられない。一日一善の業がある故に、例えそれがなかったとしても。こいつはそういう人種なのだ。こいつとは付き合って十数日は経つ。それ位は知っている。
会長に顔を向ける。
「捜索は人手が多い方が良いでしょう。僕達も手伝いますよ」
「えっ、いやしかし、これ以上の迷惑を掛ける訳にゃあ……」
「でしたら、クエストという形にしましょう。僕達は冒険者なので。迷惑ではなく、ただの売り買いですよ。ギルドを介さない交渉ですが。報酬の相談は後程。今は一刻を争います」
言いながら立ち上がる。ステファの顔を見るとパァァァと華やいでいた。
「これでいいんだろう、ステファ?」
「――はい! さあ、行きましょう!」
満面の笑みで張り切るステファ。
やれやれ、あくまで他人事だというのに、ここまで意欲に溢れているとは。僕には全くもって理解不能だ。
「……感謝します」
「いえ、礼は総長のお孫さんが見つかってからで。参りましょう」




