セッション11 鉄拳
「――で、馬車だとどこまで行けるんだっけ?」
「太東岬の所までですね。そこから先は徒歩です」
「そうか」
江戸川付近の駅でシロワニ達と別れた後、僕達は南方――旧千葉県へと向かった。
川を越えた辺りで洋風建築は見なくなり、代わりに瓦屋根や障子、縁側といった日本の伝統的な様式が増えて行った。
それに比例して見られる様になったのは、獣の如き亜人だ。
犬に似た顔立ちだが獣毛は生えておらず、肌の質感はむしろゴムに似ている。手には鉤爪があり、人類よりも攻撃的な肉体だ。一方で、そんな見た目に反して文明種族である様子で、目の前の彼らは鍬や鋤を使って田畑を耕していた。
彼らの名こそが食屍鬼。先に説明した人外種族だ。
道を行く傍ら、農作業する彼らを眺める。人間ではない者が人間的な営みをしている光景は違和感を禁じ得ないが、それは僕が一〇〇〇年前の人間だからであって、今はこれが当たり前なのだろう。
ふと、食屍鬼の一人が僕と目が合った。何やら驚愕した様子で、すぐ近くにいた食屍鬼を呼んだ。呼ばれた食屍鬼も僕を見て顔を強張らせていた。
「……何だ? 僕に何かあったのか?」
「さあ? 鬼型が珍しいのでは?」
食屍鬼には下位種族の獣型と上位種族の鬼型がいる。獣型が農作業をしている彼ら、鬼型が僕だ。鬼型は獣型に比べ、より人間に近い容姿をしているが、額に生えた角が人外である事を明確に物語っている。鬼型は血統か、自己拡張によって獣型から進化する事で生まれる。
食屍鬼達は警戒する様に僕を見ていたが、結局何も言わず、何もしてこなかった。本当に何なのだろうか。
「しかし、シロワニ達と別れちまったのは寂しいよな。仕方ねーけど」
「まさか。目の前から悪逆がいなくなって清々しましたよ」
「枕投げは随分楽しそうだったが?」
「…………っ!」
ステファが顔を真っ赤にして無言になる。あの夜相当はしゃいでいた自覚はあるようだ。
「仲良くなる気にはなれねーのか? 『種族問わず』がお前の目指す世界なんだろう? だったら、まずお前が相手を差別しない様にしねーとな」
「……それは、分かっていますけど……。いえ、そうですね。差別はいけない事です。頑張ります」
口ではそう言ったが、ステファの表情は不服そうだった。
まあ仕方あるまい。一度身に染み付いた恨み辛みというのはそう簡単に落ちないものだ。それこそ大抵の人間は死ぬまで恨みっ放しだ。
だが、そこを乗り越えてこそステファの目標は叶えられる。頑張って欲しいものだ。完全に他人事だけど。
「そういや、ステファは三護ってどんな奴か知ってる?」
ギルド受付嬢が言うには、三護は魔術オタクで有名らしい。有名人ならばステファも何かしらの噂話を聞いているかもしれない。
「名前だけなら聞いた事があります。まず、『みご』という姓なのですが、これはミ=ゴが良く使っている名前なのです」
ミ=ゴ。
人外種族の一つ。医療に秀でた種族であり、特に外科手術は他の追随を許さないと聞く。……その外科手術で僕を性転換してくれないものだろうか。タダじゃ駄目かな、やっぱり。
「そのミ=ゴが名前を必要とした時、名乗る姓が『みご』です。巳午、観悟、味檎と当てる漢字は人によって違いますが……三護を名乗っていて有名人なら心当たりは一人しかいません」
それは、
「三護松武。かつてミスカトニック大図書館の館長を務めていた、老賢者です」
◇
「え? 昨日追い出した?」
飯綱会首都・夜刀浦にて。
ギルド受付嬢に指定された住所――三護松武が住んでいる長屋に辿り着いた僕達だったが、家主の娘に告げられた言葉は「もう彼はここにはいない」という無情の言葉だった。
「おう、そうなんだよ。あの人、いつまで経っても家賃払わねえでさァ。うちだって高名な先生を追い出すなんて真似したかァなかったんだけど、こっちも商売なんでな」
「マジかよ……」
予想外の展開にステファと顔を見合わせ、困惑する。
「……賢者じゃなかったのかよ?」
「いえ、確かに彼は立派な方ですが……同時に金遣いが荒い事でも有名なのです。魔導書や邪神像を買い集めた為に生活費に困る事はしょっちゅうだったとか。行倒れになった事も一度や二度ではなかったそうですよ」
「あー……そういうタイプの狂人か。……しょーがねージーサンだな」
目先の欲に溺死する系の人だったか。魔術を習得するとSAN(正気)が減って発狂するからな。習得し過ぎて狂気が常態化したのだろう。発狂内容:依存症、といった所かね。
ちなみにステファの場合は発狂内容:強迫観念に分類される。
僕? 僕は狂ってなんかねーよ、ははは、嫌だなあ。ははは。
「えっと、どこに行ったか知ってる?」
「とりあえず昨晩は会長の家に行くっつってたな。古い友人なんだとよ」
「会長って……」
飯綱会の会長か。旧千葉県を治める首長。他国でいう所の王様に当たる人物。この国は王政ではないが、国家元首を血統で決めているのだから大差あるまい。
「さすが高名な賢者様。会長とも知り合いだとは」
「とりあえず、そちらに行ってみますか」
「そうだな。情報提供有難うよ」
「いや、それは構いやしねェんだけどよォ……あんた……」
「ん? 僕?」
宿屋の娘は僕を指差した。何だろうか。
「あんた、ひょっとして和芭様かィ?」
「和芭様?」
聞いた覚えのない名前だ。
ステファと顔を見合わせるが、彼女も知らないようで首を傾げていた。
「違ェのかィ? いやァ、ウチは新参者なんで直接は知らねェんだが、和芭様ってのがいてだな……」
娘がそこまで口にした時だった。
「和芭ァァァァ! てめえ、どの面下げて帰って来たァ――!?」
と落雷みたいな怒鳴り声が飛んで来た。
何事かと思った時には眼前は拳で塞がっていた。強い衝撃が左頬を痛打する。身体が何メートルも吹き飛ばされ、とにかく殴られたのだと気付いた時には既に遅く。
僕は意識を失った。