セッション97 清算
ネフレンが杖を床で叩く。直後、床から一枚の扉が現れた。あれはネフレンの魔術『黒く描く地下納骨壁画廊』だったか。詳細は不明だが、恐らくは空間を繋げるタイプの魔術だ。繋げた先が亜空間なのか単に離れた場所なのかは分からないが。
扉を開けると、ネフレンは黒い布に包まれた亡骸をその中に仕舞った。兄弟の亡骸を無事入手し、ネフレンが安堵の息を吐く。
「さて、余は目的を果たしたし、そろそろ帝国に帰還したいんだけど……殿下達はどこだい?」
「ああ、シロワニ達なら……」
続きを言おうとしたら足音が聞こえてきた。そちらに目を向けると、シロワニとナイ、信長とイタチが二階から階段を下りてきた所だった。
「おっはよー、ネフレン」
「おはよう、殿下。ナイ達も」
「ええ、おはよう御座います」
ネフレンとシロワニ達が会釈を交わす。
実はこの三人はイタチ邸で一泊していたのだ。イタチの協力者として来て貰ったとはいえ敵国の人間。宿屋に泊まらせたらどんなトラブルが起きるか分かったものではにない。故に彼らにはイタチ邸に留まって貰ったのだ。ただ一人、ネフレンを除いて。
「お前もイタチん家に泊まれば良かったろうに」
「生憎と地下じゃないと安心出来なくてね。余は壁画廊の中が良い」
「であるか。……お前、旅行とか楽しめねえ質だな」
信長が呆れているような憐れんでいるような溜息を吐く。が、吐かれたネフレンは馬耳東風の無表情だった。旅には興味がないのかもしれない。
「えー、もう帰るの? もうちょっとゆっくりしていけば? ヨルもネフレンともっと話したいだろうし」
「すみませんが、そういう訳にはいきません。もう戦争が始まっていますので」
「戦争?」
ハクが首を傾げるとナイが頷く。
「ダーグアオン帝国と北条共和国との戦争です」
「! なんで……!?」
「『五渾将』が全員帝国から離れているという情報を入手したからですよ。対帝国における最大の脅威である我々がいないのをチャンスと見て、『今なら勝てる』と攻め込んできたのです」
「それって一大事じゃん! なんでそんなに落ち着いているんだ?」
ハクはそう言うが、しかしそれでもシロワニ達は平然としていた。確かに誰も彼も焦っている姿なんて想像出来ない連中ばっかりだが、それにしたって冷静が過ぎる。
「わざとだからですよ」
「わざと?」
「おう。帝国には共和国からのスパイが何人か来ているんだがな、そいつらにわざと情報をくれてやったのさ。『「五渾将」が総出でいなくなる』ってな」
「なんでそんな事を……?」
困惑するハクにシロワニが少し困ったように答えた。
「皇帝は戦争狂でね。定期的に戦争しないと暴れるの。戦闘狂でもあるから、そっちの欲求を満たせてあげればある程度は落ち着くんだけど」
「だから共和国を煽ったっていうのか? スパイを通じて?」
無茶苦茶だ。良くそんなので国家元首やっていられるな。周りも良く止めないものだ。戦争以外の政治はうまくやっていたりするのだろうか。いやそれにしたって厄介な君主過ぎる。逆に言うと、そんな皇帝でも問題ない程帝国は盤石なのか。
「とはいえ、我が国が敗北するのを看過する訳にもいきません。ですので、早めに帰国して我が軍と合流しませんと」
「そういう事情なら引き留める訳にはいかねーな」
ハクとヨルムンガンドには残念だろうが、仕方ない。なお、ロキと己則天の肉体を乗っ取った安宿部は先に帰国している。二人とも重傷であり、治療に専念するのと安全を確保する為には一刻も早く自国に戻るべきとの判断だ。
「そういえば、シロワニへの借りはどうする?」
先の国奪りでは信長と複数の等価交換を行った。
信長が参戦する代わりにロキの身柄を引き渡す事。ネフレンが参戦する代わりにヘルの器を引き渡す事。ナイが参戦する代わりにロキの身柄を捜索する事。則天が参戦する代わりにカプリチオ・ハウス側にも攻撃する事。これらは一応プラマイゼロという形になった。
しかし、シロワニが参戦した代わりは未だに支払われていない。清算が為されていないのだ。
「老婆心で忠告するが、借りはすぐにでも返しておくべきじゃぞ。後に回すと大抵は面倒な事になる」
「わたしは沢山人を殺せたからそれで充分なんだけどなー」
「殿下。その借り、使う予定がないのならば俺が貰っても良いか?」
「良いけど、何をするつもり?」
シロワニのあっさりとした承諾と問いに信長はこう答える。
「最後に放ったヨグ=ソトースの一撃。あれについて詳細を知りたい」
ヨグ=ソトースの一撃――『彼方なる父よ、威光で照らせ』の事か。
ヨグ=ソトース召喚による虹色の球体を砲弾とする魔術。市国貴族を壊滅に追い込んだ大量殺戮兵器。あれは確かに凄まじい威力だった。信長が興味を持つのは不思議ではないが、しかしそれはシロワニへの借りを消費してまで知りたい事なのか。
「あれは脅威だ。いや全く見事なもんだぜ。数十キロメートル先にある目標を一キロメートルもの範囲で殲滅する砲弾。あれがウチの国に撃たれたらと思うと背筋が冷える」
だからこそ、
「情報が欲しい。あれが現時点でどの程度の脅威なのか。あれに帝国を滅ぼし得る可能性があるのかを」
信長の言う事はもっともだ。例えば、あの大量殺戮兵器は自分達に向けられた場面を想像するとゾッとする。対抗策の一つや二つは練っておきたくなるだろう。となれば情報を求めるのは当たり前だ。だが、
「あれは俺様の切り札だぞ。借りを返す為に答えはするが、俺様が正直に話す保証があると思っているのか?」
そうだ。正直に話す必要はない。適当に嘘を吐いたり、嘘でなくても言わずに秘密にしたりすれば良い。それを予測出来ない織田信長ではない筈だが……。
「何だ、王が偽りを口にするっていうのか? お前の王道も大した事はないな」
「貴様ぁ……! 挑発してくれるではないか」
「おい、イタチ……!」
不味い。今の挑発のされ方は不味い。イタチは王である自分に誇りを持っている。正確には王である自分に狂っている。偏執病だ。王の権威を傷付けられて黙っていられる筈がない。それがどれ程の不利益だと理性では分かっていてもだ。
「良かろう。ならば、イエスかノーで答えてやる。何でも質問するが良い」
案の定イタチは信長に応じた。三護が頭を抱えるが、しかし止めようとはしない。止めても無駄なのを知っているからだ。
仕方がない。今や狂気なくしてイタチではなし。シロワニの借りを清算する方法が僕に思い浮かぶ訳でもないし、代案がない以上は見に徹するしかないか。
「是か非かか。具体的には説明する気はないと。まあそれくらいの縛りは是非もないな。では訊かせて貰おう」
信長がしたり顔でイタチに近付く。睨んでくるイタチに間近で顔を合わせ、信長は質問を口にした。
「あれの射程距離は帝国に届く程か?」
「……ノー」
「砲弾の威力・範囲はあれ以上広げられるのか?」
「イエス」
「生物以外には通用するのか?」
「ノー」
「連続して撃つ事は出来るのか?」
「イエス」
「準備期間なしで撃てるか?」
「ノー」
「昨日撃った時に安宿部明日音の死体を贄に捧げていたが、撃つのに贄はどうしても必要か?」
「イエス」
「安宿部の死体は残り五体だったな。つまりあと五発は撃てるという事か?」
「イエス」
「安宿部の死体以外の何かでも贄にする事は可能か?」
「……イエス」
「今後、射程距離を延ばす事は可能か、もしくは検討しているか?」
「…………イエス」
「であるか」
訊きたい事を全て終えたらしい信長がニヤリと笑う。対するイタチは苦々しい顔だ。回答を渋る場面が幾つかあったが、それが原因だろう。イタチとしては――兵器を預かる者としては答えたくない質問だったのだ。……それでも答えてしまう辺りが狂人なのだが。
「成程な。大体は理解した」
「ん? もう良いの?」
「ああ。現状としちゃあこんなもんだろう。よし、それじゃあそろそろお暇するか。またな、イタチ」
「ふん、次に会う時は貴様と戦う展開であれば良いがな」
「くく、可愛くねえ弟分だな。信勝を思い出すぜ」
信長が玄関へと歩を進める。彼の後にシロワニとナイ、ネフレンが続く。
「じゃあな。お前の指揮は思っていたより悪くなかったぜ」
そう言い残して信長達帝国幹部は立ち去った。彼らの後ろ姿が見えなくなった所で僕は玄関の扉を閉め、こう言葉を零した。
「嵐みてーな連中だったな……」
「全くだ。だが、あの嵐こそがいずれ越えねばならん壁だ。帝国が世界征服を諦めていない以上、俺様が覇道を歩む以上、いつの日か必ず衝突は避けられん関係よ」
「はー……気が重いな」
ゴブリン事変。山岳連邦や二荒王国、ギルド本部へのスパイ活動。三護によれば北条共和国にも忍び込んでいたという。幾つもの国々への敵対行為。帝国が世界征服を諦めていないのは明白だ。
あの強大なる『五渾将』との戦う自分を思い浮かべて頭が痛くなるのを感じた。やれやれ。




