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幕間10 ある奴隷の女

 ダーグアオン帝国幹部『五渾将』が一人、『膨れ女』己則天。

 ニャルラトホテプとなる以前――ただの人類だった頃、彼女は帝国の奴隷だった。


 帝国における奴隷の扱いはピンキリであり、政治家の従者を務める者もいれば、使い捨て同然の過酷な労働を強いられる者もいた。肉体労働や接客業務だけでなく、古代ローマのように教師や医師などの知的労働にも従事するのが帝国の奴隷だ。だが、その地位はあくまでも貴族の所有物である。故にその扱いはあくまで個々の貴族に委ねられていた。


 中には奴隷を家畜以下に扱う貴族もおり、則天の所有者もそちら側の人間だった。否、則天がいた環境はその中でも最も劣悪だったと言っても過言ではない。


 彼女の所有者である男はタガの外れた嗜虐症者(サディスト)だった。夜な夜な女を拷問するのが趣味であり、一夜明けて無傷で済んだ女は皆無だった。彼にとって奴隷とは欲を満たす為の消耗品に過ぎなかった。時には奴隷以外の女――平民や貴族にさえも手を出し、度々トラブルになる事もあった。それでも男は嗜虐をやめる気にはならなかった。


 則天を相手にしてもそうだった。奴隷達の中でも一際美しかった彼女は一息には使い切ら(ころさ)ないように何夜も拷問を受けた。


 しかし、元より堪え性のない男だ。一ヶ月もしない内に彼は則天を殺す事に決めた。


 その日の夜、五人の奴隷女が男の地下拷問室に集められた。則天をメインディッシュに四人の女を前菜として拷問しようという腹だった。

 男はまず則天を十字架に磔にし、彼女の両上腕と両前腕にナイフを突き立てた。苦悶に歪み、悲鳴を上げる彼女に男は笑いを堪え切れない様子だった。ナイフを捩じって更に痛みを与えた。

 そうして動けなくした彼女を一旦放置し、四人の女を手に掛けた。皮膚を裂き、骨肉を削り、鮮血を啜り、たっぷりと苦痛と屈辱に塗れさせてから殺した。「次に犠牲になるのはお前だ」と則天に見せ付けながら念入りに四人を殺した。


 そうして、いよいよ興奮も最高潮となった男は則天にナイフを振りかざした。


 その時だった。則天にニャルラトホテプが宿ったのは。


 則天の絶望と怒りと死んだ四人の悲痛と無念。哀れなる魂に誘われて、霊脈よりその混沌『膨れ女』は出現した。凶悪なるそのニャルラトホテプはまず四人の亡骸を呑み込んだ。そして、怯える男を無視して則天へと憑依した。五人の魂と肉体は混沌を媒介として混ざり合い、一人の魔女になった。


 男は恐怖のあまり立ち竦んでいた。その間に魔女は自らの肉体を変形させた。両上腕と両前腕の傷は本物の口となり、更に両腕が大きく膨らんだ。四つの口は男の四肢を捕え、噛み千切り、端から貪っていった。男の絶叫が響いたが、拷問の為に地下に作られた部屋だ。助けに来る者がいる筈もなく、男は喰い殺された。


 その後、帝国軍に自らの身を売り込んだ彼女は戦場という戦場を駆け抜け、戦果を挙げていった。戦果に見合う地位を受け取る事で身を守り、安全を確保した後、彼女が進んだのはかつての彼女の所有者と同じ道だった。


 即ち、嗜虐症(サディズム)。他者を(なぶ)り、甚振(いたぶ)り、殺す事に愉悦を見出す道だった。


 ただの人間だった頃から他人を傷付ける事に関心があった訳ではない。むしろ、その犠牲者側だった彼女は痛みを憎むべきですらある。しかし、彼女に集まった五人の怨念と『膨れ女』が受け継いできた邪念が彼女を血みどろの道へと走らせた。

 所有者に奪われた人生と尊厳を埋めようとするかのように、彼女は他人の人生と尊厳を奪い続けた。しかし、幾ら悲鳴と鮮血を集めた所で埋まる穴などない。悲鳴は穴より霧散し、鮮血は穴から漏れ出ていった。


 それでも彼女は際限のない殺戮を続け、いつしか彼女に寄り付く者はいなくなっていた。例外は彼女に殺される心配のない実力者である一部の皇族と他の『五渾将』だけだった。


 だが、この世界の強者とは孤高であるからこその強者だ。守られる必要がないから群れようと思わない。力と引き換えに人格が破綻しているから群れる事が出来ない。結局、帝国幹部にまで上り詰めた所で彼女は孤独のままだった。


 そして今、森の中で独りで死を迎えた。己の理不尽が招いた神の不条理によって。




 ――――ワタシの人生って何だったんだろうネ?




 最期の最後、頭部が地面に落ちるまでの刹那、則天の頭の中にそんな疑問が芽生えた。それに対する答えを得るよりも前に頭部が地面に落ち、血を散らしながら跳ねて転がる。


 そのまま彼女の意識は永遠に失われた。

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