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セッション88 皇女

 則天が忌々しげに眉間を寄せる。対するシロワニは楽しげだ。


「一応、こうなった経緯を説明しておこうか?」

「……いや、必要ないネ。事前に殿下がイタチに全面的に味方するのは取り決めてあった事ネ。だったら、こういう流れもあるだろうとは予想していたヨ」

「そ。なら良かった」


 シロワニがニコニコして答えると、則天は溜息を吐いた。無理もない。皇女が臣民に戦いを強要してきたのだ。普段であれば皇族に傷一つでも付けたら死罪にすらなりかねないというのに。則天が頭を抱えたくなるのも分かる。

 故に則天はシロワニにこう確認をしてきた。


「訊きたいのだけど。ワタシが殿下を怪我させても不敬とはならないネ?」

「うん、そこは平気。それも事前の取り決め通りだから。則天がわたしを返り討ちにしてもわたしは不問にするし、他の皇族にも何も言わせないよ」

「そっか。なら、別に問題はないネ」


 シロワニの答えを聞いた則天は獰猛に嗤い、


「生意気な小娘が。戦場では貴賤なんて何の役に立たないって事を教えてやるネ」


 全身から殺気を解放した。野生の獣なら即座に逃げ出すだろう恐ろしい殺気だ。それを一身に受けてなおシロワニの笑みは崩れない。否、より一層の笑みを浮かべていた。


「そういう訳だから、理伏達は逃げて良いからね」

「は? いや、自分達も戦うで御座る! 己則天は風魔忍軍の仇敵。退く訳には……!」

「良いから良いから、無理しないで。一応、イタチの援軍でわたし達は来てるからさ。きみ達に死なれたら困るんだよね」


 理伏にひらひらと手を振り、シロワニが一歩前に出る。その位置は理伏と則天の間であり、則天からはシロワニが理伏を庇っているように見えた。


「じゃあ、始めよっか。うっかり殺しちゃったらごめんね」

「ほざけ! ――五連『中級氷結魔術(フロストフラワー)』!」


 シロワニの軽口に則天が吠え立てるように魔術を発動する。五つの氷花がシロワニへと撃ち出された。一つ一つが砲弾に匹敵する氷塊だ。当たればシロワニといえどただでは済まない。


「十連『中級流水魔術(スプラッシュ)』――『海王の砲撃戦(バトルシップ)』!」


 迫る氷花を前にシロワニは十の魔法陣を展開する。魔法陣より解き放たれた水流が氷花を五つ全て撃ち落とした。一つの水流につき氷花一つとの相殺だ。残った五つの水流が則天に向かう。


「『黒面黒毛狐九尾刃コクメンコクモウコキュウビジン』!」


 則天が振るった扇から黒刃が飛び交う。黒刃が水流を横から喰らい付き、切り裂いてその勢いを削った。大量の水飛沫が森の中に飛び散り、一瞬だけ視界が曇る。

 その一瞬の隙を突いてシロワニは別の魔術を発動していた。


「『初級流水魔術(ウォータージェット)』応用技――『海王の銃撃戦(デストロイヤー)』!」


 シロワニの指先から水弾が発射される。水弾は極限にまで圧縮されており、一センチメートルの太さもなかった。水弾は則天の左肩に着弾し、そのまま貫通した。両の穴から血を流しながら則天がたたらを踏む。

 前にも言ったが、則天は帝国最強の防御力を誇る。五右衛門の掌底でも理伏の『時津風(トキツカゼ)』でも突破出来なかったのが彼女の肉体だ。それをシロワニの水弾は貫いたのだ。なんという威力なのか。


「グ……チッ!」


 左肩を抑え、則天が舌打ちをする。則天の鮮血を見て、殺人狂(シロワニ)が心底楽しそうに笑った。


「ほーら! まだまだ行っくよー!」


 シロワニが再度『海王の砲撃戦(バトルシップ)』を展開する。先程は則天を要塞に例えたが、そこへ行くとシロワニは軍艦だ。圧倒的火力なのは双方同じだが、則天が全方位に対応出来る防御型なのに対して、シロワニは一方面を殲滅するのに向いている攻撃型だ。


「ナメるな! 五連『上級流水魔術(メイルシュトローム)』!」


 則天を中心に五層の渦潮が展開される。渦潮はシロワニの『海王の砲撃戦(バトルシップ)』を受け流し、明後日の方向に飛ばす。そこにシロワニが再び水弾を撃った。


「『海王の銃撃戦(デストロイヤー)』――!」


 超圧縮された水弾が渦潮を貫通する。しかし、このタイミングでシロワニが『海王の銃撃戦(デストロイヤー)』を撃ってくる事を則天は予測していた。身を転がして渦潮を突き破り、水弾の軌道から逃れる。水弾は誰もいない場所を通って消えていった。


「そりゃそりゃそりゃそりゃ!」

「五連『中級疾風魔術(ダウンバースト)』!」


 三発四発と『海王の銃撃戦(デストロイヤー)』を放つシロワニ。しかし、上空より落ちる風圧が水弾を地面に叩き落とした。上級(サイクロン)であろうとも高威力の水弾には破られる。ならば正面にではなく、(うえ)から力を加える事で軌道をずらしてしまおうという判断だ。それぞれの魔術の特性を知っている良い判断だ。


「五連『中級迅雷魔術(ライトニング)』!」

「おっとっと!」


 シロワニの頭上を稲妻が襲う。魔力の流れで攻撃を感知していたシロワニは右手に大きく跳躍した。シロワニを追って雷が五連続で落ちるが、届かない。雷光に照らされて刹那、森の闇が晴れる。


「うーん、やっぱりこの二つだけじゃ『五渾将』は追い詰められないなあ」


 焼け焦げた臭いを放つ地面を見て、シロワニは口端を歪める。皇族と『五渾将』、どちらが強いのかと思って見ていたが、今の所は互角である様子だ。


「じゃあ、もう一つ追加しよう。『上級流水魔術(メイルシュトローム)』応用技――『海王の白兵戦(トライデント)』!」


 シロワニの周囲に渦巻きが現れる。則天の渦巻きが水壁だったのに対して、シロワニの渦巻きはまるで蛇の蜷局(とぐろ)だ。一本の水流がシロワニを守っているかのように旋回している。


「そりゃ!」


 シロワニが腕を振るうと水流が回転数を増す。速度が最高潮になった瞬間、水流は水槍となって射出された。砲弾投げの要領で遠心力を得た水槍が猛烈な勢いで則天を狙う。


「チイィッ!」


 則天が身を躱して水槍を避けると、水槍は彼女の背後にあった樹木に喰らい付いた。太いも細いも関係なく、幾本もの樹木がスナック菓子の如く容易く抉られる。人の身で受ければどうなるか、想像するまでもない。


「あっはっはっ! さあ、どんどん行くよ!」


 シロワニが『海王の砲撃戦(バトルシップ)』を展開する。それを則天が五連魔術と黒刃で相殺する。そうして拮抗した所に『海王の白兵戦(トライデント)』が放たれる。一方の則天は魔術も黒刃も使った直後で動きが鈍っていた。


「クッ……『中級大地魔術(スタラグマイト)』ッ!」


 そんな無理な体勢でも魔術を使ってくるのはさすがの『五渾将』か。地面から突き出した岩槍が『海王の白兵戦(トライデント)』を防ぐ盾となる。岩槍は砕かれたが、勢いの削がれた水槍は則天に躱された。

 そこに『海王の銃撃戦(デストロイヤー)』が差し込まれる。咄嗟に首を振る則天。頭部を狙った水弾は寸での所で回避される。しかし、完全には躱せず、則天の額から少なくない量の血が溢れ出た。


「……カハッ、ハハ! やるネェ、小娘!」

「あははははははは! 楽しいね!」


 怒気を込めて則天が笑い、シロワニが無邪気に笑う。

 十の砲撃、超威力の水弾、中近距離両用の水槍のコンボ。隙のない攻撃だ。これが帝国皇女シロワニ・マーシュの実力か。


「まだまだ踊ろうよ、則天!」


 シロワニが再び『海王の砲撃戦(バトルシップ)』、『海王の銃撃戦(デストロイヤー)』、『海王の白兵戦(トライデント)』を展開する。まさしく怒涛の勢いで迫るシロワニに則天は、


「いいや、お前とはここで終わりネ! ()()上級大地魔術(グラビティ)』――『絶対暗黒領域(ブラックホール)』!」


 今までに見た事がない術を繰り出した。


 則天の斉唱魔術は五つの口それぞれで魔術を詠唱する事である。違う魔術を五つ出す事も可能ならば同じ魔術を五つ束ねて出す事も可能だ。しかし、魔術を五つ重ねる事まで可能とは聞いていない。

 束ねると重ねるは違う概念だ。絵の具に例えれば分かり易いか。同じ色を並列して描くのと交差して描くのでは濃さが異なる。この濃さが魔術の威力を比喩する。


 則天の目の前の漆黒の球体が現れた。黒球はシロワニの水を引き寄せる。極限まで高められた重力だ。大量の水が黒の中に吸引されていく。あっという間に水は飲み干され、シロワニの手元には一滴の水も残っていなかった。


「……ありゃ?」

「――『領域解除(リリース)』!」


 則天が黒球の重力を解く。抑え付けられていた力がなくなった水塊は爆発するように噴出し、シロワニの下へと帰った。しかし、既に水塊はシロワニの制御下になかった。噴出した水塊はシロワニを強かに打ち付け、彼女の身柄を弾き飛ばした。「きゃんっ!」と悲鳴を上げてシロワニが木々の合間を飛んでいく。かなり遠くまで飛ばされたらしく、ここからでは彼女の姿が見えなかった。


「ふぅ……フン、小娘め。あれじゃあ大したダメージになってないネ。またじゃれつかれても面倒だし、今の内にここから移動しておくカ……」


 飛んでいったシロワニを見送って則天がぼやく。主家を相手にしているというのもあるが、相性の悪さに辟易している様子だ。

 シロワニと則天とでは則天の方が不利だ。火力を敵一体に集中出来るシロワニに対して、則天は多数が相手でこそ輝く。二人の戦闘力は同程度だが、戦闘スタイルが異なる。総じて戦えば則天が押し切られてしまうのだ。それでもなお一旦はシロワニを退けたのはさすがは歴戦の魔法使いと言うべきだろう。

 シロワニが戻ってくる前に退散しよう。そう判断してその場を離れようとした則天だったが、それを許さない者がいた。


「あああああ――っ!」


 雄叫びを伴って則天に刃が突き出される。

 疾風の動きで吶喊(とっかん)した者の名は、理伏だった。

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