セッション84 獣王
「ご、ごごご『五渾将』――!?」
現れたネフレンに有紗や隊員達が一様に驚愕する。ナイの時といい則天の時といい、皆が皆、『五渾将』の登場にビビってくれる。やはり彼らのネームバリューは相当に高いようだ。
「……そこか」
ネフレンがそう言うと、スフィンクスは前足を振り下ろした。前足はヨルムンガンドを羽交い絞めにしていた来栖を叩き潰し、地面に埋め込んだ。来栖は透明だったにも拘らず、その攻撃は寸分違わない正確さだった。
「透明化か。姿を隠す手段としては二流だね。気配も隠せなければ臭いも隠せない。そんなんじゃ見逃さないよ」
そう言って、ネフレンがスフィンクスの背から降りる。来栖から解放されたヨルムンガンドは尻餅を突いていた。
「大丈夫かい、其方?」
「SHUUU……!」
そんな彼女にネフレンが手を差し伸べるが、ヨルムンガンドは応じなかった。困惑と警戒の顔で唸り声を上げている。
「? ……ああ、御免ね。この仮面が怖いのか」
ネフレンが後頭部に手を伸ばすとファラオマスクが割れた。花開くように十以上のパーツに分かれ、肩当や胸当に変形する。そうして仮面の下から現れたのは、
「これで良いかい?」
三護と同じ顔だった。
黒髪黒瞳、浅黒い肌と差異はあるが、骨格は三護と瓜二つだった。否、正確には三護の器と瓜二つと言うべきか。三護の器は『シュリュズベリィ・プロジェクト』という計画で生み出された人造人間だ。冥王ヘルの器も同様。つまりネフレンの正体は――少なくともその肉体は三護とヘルと同じ、プロジェクトの産物という事になる。
「S? SHA?」
「ああ、この顔かい? これについては後でね。今は――」
ネフレンがヨルムンガンドの手を引いて立たせる。彼女が自分の足で立てるのを確認してから、グルンと視線を有紗達へと向けた。
「――あいつらを殺すのが先だ」
殺す、と言われた警護隊員達がサッと青褪める。あの『五渾将』に殺害宣言を受ければそういう顔になるだろう。恐怖に縮こまっていないのは有紗と猛雁くらいのものだ。有紗は不愉快そうに眉を歪めていて、猛雁は無表情だった。
「何が何だか良く分かりませんけど、とにかく貴方もわたくしの敵ですのね」
「理解が早いね。知能は低くないようだ」
「きぃーっ! 何ですの、その澄ました態度! 腹が立ちますわ!」
ネフレンに小馬鹿にされ、有紗が顔を真っ赤にして地団駄を踏む。
「やってしまいなさい、来栖!」
「UUU……!」
有紗の合図に従い、ネフレンの背後から不可視の気配が飛び掛かった。来栖が復帰してきたのだ。地面に埋め込まれる程の打撃を受けてまだ動けるとは。これも『外なる神の体液』の力か。
夜闇に透明な身を躍らせて来栖がネフレンに迫る。
寸前、スフィンクスが来栖を横殴りにした。
「なっんですって!?」
その光景に有紗が目を丸くする。見えない来栖を正確に仕留めてみせたスフィンクスに驚いたのだ。そんな彼女の様子に気付いたネフレンが解説する。
「このスフィンクス――野獣には視覚もなければ嗅覚もない。そんなこいつがどうやって周囲の情報を得ているのかというと、魂だ。こいつは魂を感知する事で世界を認識している。透明になろうが幻術を使おうが、野獣の前では意味を成さない」
「QQQ!」
「UUU!」
スフィンクスと来栖が取っ組み合う。来栖が透明な為スフィンクスが一匹で暴れ回っているようにしか見えないが、そこでは確かに二匹が戦っていた。
「今ですわ! あのケダモノは来栖が抑えています! あんな小僧一人、お前達全員で捻り潰しなさい!」
「お、おおおお!」
「GRRRaAAA――!」
有紗の号令に警護隊員達と猛雁がネフレンへと立ち向かう。スフィンクスの守りを失ったネフレンは一見無防備だ。だが、
「余一人? そんな訳がないだろう」
「SHI!?」
ネフレンはヨルムンガンドを守るように胸の内に引き寄せると、いつの間にか持っていた杖を地面に突き立てた。
「――列記せよ、『黒く描く地下納骨壁画廊』」
地面の下から木々を吹き飛ばして、二つの石壁が現れる。目や月、獣面人身の怪物が描かれたエジプト感の溢れる壁だ。高さは三メートルにも達する。
石壁の真ん中に縦に線が入り、左右に開いた。石壁は扉だったのだ。扉の中には闇が広がっていて、奥どころか一メートル先も見えない。
その闇の中から二体の獣が飛び出してきた。一体は野獣と同じスフィンクスだ。しかし、背中にハゲタカの翼が生えているのと、顔が宇宙ではなく単なるのっぺらぼうである点で違った。
もう一体は黒いライオンだ。漆黒のたてがみを振りかざし、威風堂々と四つ足で立っていた。顔にはファラオマスクが嵌められており、スフィンクス達とは別の意味で表情が窺えない。
無貌のスフィンクスが猛雁に組み掛かり、ライオンが警護隊員達に相対した。無貌の爪を受け止めた猛雁はさすがだったが、警護隊員達はただの人間だ。瞬く間に引き裂かれ、血飛沫を散らして肉塊と成り果てる。
「ひっ……ひいいいいい――っ!」
「もう嫌だ! もう嫌だ! 何なんだ、この化け物共は! 付き合っていられるか!」
「あっコラ、待ちなさい! 逃げるんじゃありませんわ!」
無残な死体となった同僚を見て、とうとう隊員達は逃げ出した。先程は有紗に止められたが、今度はどんな制止も効かなかった。得物も捨てて一目散に山を駆け下りていく。
「逃げるなと言っているじゃありませんの!」
有紗が何本もの注射器を取り出し、投げナイフのように投擲する。内の五本が隊員達の首に刺さり、中の薬液が体内へと入り込んだ。隊員達の肩がビクンと跳ね、地の底から響くような呻き声を上げた。
隊員達が変身する。肉体が巨大化し、服と鎧が耐え切れず破け飛ぶ。露わになった肌にはシダ植物の葉脈のような経路が走り、黒いタールに似た粘液を穴という穴から滴らせていた。
「ふ、ふふふ……オホホホホ! これで戦力は確保出来ましたわ! まだ負けてませんわよ、『五渾将』!」
有紗が狂った笑みをネフレンに向ける。先程の注射器投擲の技術を見る限り、猛雁や来栖にもそうやって刺して怪物に変えたのだろう。身内を犠牲にする事に一切の躊躇を持たない精神性。やはり醜悪な性格だ。
「馬鹿だね。余の使い魔が野獣、無貌、黒獅子の三体だけだと思ったかい?」
「……へ?」
ネフレンの言葉にきょとんとする有紗。ネフレンが地面を杖で叩くと、彼の正面に石扉が現れた。今度は三つだ。
「来い、蝙蝠、盲いた猿共よ」
石扉が開かれ、中から獣が現れる。左右の扉からは黒い布で目隠しをした類人猿、中央の扉は巨大な蝙蝠だ。三体とも二メートル近い大きさだ。
類人猿が両拳を振るい、葉脈じみた怪物達をあっという間に叩き潰した。突然の展開に有紗が呆ける。その隙だらけの彼女を蝙蝠が足の鉤爪で捕らえた。翼を広げた蝙蝠は更に大きく見えた。
「あっ、ちょ、コラ! 放しなさ……ぐげ」
有紗が抗議の声を上げようとするが、蝙蝠が聞く耳を持つ筈がない。鉤爪に締め付けられた有紗は呼吸が出来なくなり、気を失った。曲がりなりとはいえ有紗は一集団のリーダーだ。そのリーダーが意識を失った今、警護隊員達に戦意は欠片も残されていなかった。
そんな彼らにネフレンは微塵も容赦しなかった。
「全力で逃げろ。そして余の名を世間に知らしめるのだ。余は『暗黒のファラオ』ネフレン=カ。帝国最強の魔物使いだ」
ネフレンが獣達を警護隊に嗾ける。絶叫を上げて逃げ惑う隊員達。逃げ遅れた者から獣の爪牙に引き裂かれて屍を晒していく。
一方的な蹂躙が始まった。




