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春の王子と雪の天使 シリーズ

花の公爵令嬢と雪の男爵令嬢 〜悪役たちの綺想曲〜

作者: 青空 杏奈

数多くいる悪役たち。


自分のために生きる、正統派悪役令嬢。

家族のために生きる、訳あり悪役女幹部。


様々な悪役が登場する物語を目指しました。

 花ひとひら。風に乗る。


 花ひとひら。ふわりと舞う。


 花ひとひら。ハラリと落ちた。

 公爵令嬢の足元に、花瓶のバラの花びら、一枚落ちた。


「お前との婚約の約束は、白紙に戻すと言ったはずだが」


 王太子は言った。青い瞳で、まっすぐ見つめながら。

 公爵令嬢のファムは、小首を傾げる。


「……レオ、きちんと理由を教えてくださいませ」

「僕に言わせるのか? ファムが一番よく分かってるはずだろう」


 王太子、レオナールの視線は、段々と冷たさを増す。

 公爵令嬢は、しおれたバラの花のような、悲しみを浮かべた。


「レオが、他の娘に目を奪われたから、わたくしとの約束を破るのでしょう?」

「……僕が国王になれば、側室を持つ必要だって出てくる。

子供が僕やお前みたいな一人っ子では困ると、なんども説明したはずだ」

「わたくしだけを、見てくださいませ!」

「……お前が、それを言うか? 茶番もいい加減にしろ」


 公爵令嬢の言葉は、王太子に届かない。

 しおれたバラの悲しみに、目を向けてくれない。


 サインを書く手を止め、腕組みした王太子。椅子の背中に身を預けながら、公爵令嬢を見上げる。

 生まれついての王者、獅子の視線は冷たいままだった。


「わたくしは、この国で唯一の王女ですわよ。わたくし以外に、王妃になれる存在は居ませんわ。

レオがわたくしと婚約しないのなら、国王になる資格を放棄するのと、同じですわね。

どれだけ、貴族の反発を招くか、おわかり?」

「僕が、そんな言葉に屈するとでも?

公爵派の貴族が反発しようと、国王派の貴族は、僕の味方だ。

中立貴族と平民も含めて、世論は僕の考えを支持してくれるだろう」

「子爵家の次は、男爵家。どこまで、わたくしの不快をあおられるの?」

「……ファム。僕は、お前の行いに、人間として軽蔑しか浮かばないと言ったはずだぞ」


 威風堂々。大胆不敵。

 王者の獅子は、一歩も引かない。


 威風堂々。大胆不敵。

 牙を向き、敵意を丸出しにする。


 少し前まで、公爵令嬢に甘い言葉を投げかけてくれていたロマンチストの面影は、どこにも見当たらなかった。


「お前、王族権限で呼び出して、アンジェに荷物持ちさせただろう?」

「将来、わたくしに仕える者に、仕事を与えただけですわ」

「階段の途中で突き落とすのは、どうかと思うぞ」

「突き落とした? わたくしの友人たちは、足を滑らせたようだとおっしゃいましたわよ。荷物で足元が見えなかったのでしょうね」

「滑らしたのなら、足から落ちると思うが。アンジェは、前のめりに落ちて、頭部を強打している。打ち所が悪ければ、そのまま死んでいた」

「まあ。きっと、足を滑らせたときに、荷物を取り落としかけて、荷物を守ろうと身を乗り出したのですわね。

家臣なら、王妃の荷物を守るのも、仕事のうちですもの。命を捧げるのは当然ですわ」


 公爵令嬢は、すました顔で見下だす。

 ちっとも悪びれない相手に、無駄だと悟り、レオナールは追求を止めた。

 別の言葉を投げかける。


「……おい、王立学園の一年用の教科書を大量破壊した犯人は、まだ分からないのか?

ファムの父上、副宰相が調べていただろう」

「存じ上げませんわ。お父様の仕事は、秘密主義ですもの。お父様の報告を待ってくださいな」

「待てんから、娘に聞いてるんだ」

「秘密は、秘密ですわ。王太子が決まりごとを曲げては、いけませんわよ」


 王者の視線を受けても、公爵令嬢は落ち着いて受け流す。

 一輪のバラは、高嶺の花として、咲き誇る笑みを浮かべた。


「事の重大さが、分かっているのか?

我が国最高の学問機関、王立学園の教科書は、先人たちの叡知の結晶。

あれが破損するなんて、国にとって、大きな損失だぞ!」

「あら。形あるもの、いつかは壊れますわ。損失といっても、たった二十冊ですわよね」

「百十冊中、二十冊もだ! 失われた箇所を修復するのに、人手も、時間も、資金もかかる。

あちこちの部署から、役人を寄せ集めて、新しく書き直すんだぞ。

教科書が足りないから、授業に支障も出てるんだ」

「それでしたら、良い機会ですし、王立学園の体制を見直すべきですわね」

「……見直し? どんな風に?」

「教科書数に合わせて、来年から入学定員を減らしますの。

それから、現在の生徒は、退学させればよろしいですわ。

平民や下位貴族に、最高の学問は必要ありません。余計な知恵をつけられたら、困りますもの」

「……ファムにしては、建設的な意見だな」

「賛同いただけまして?」

「ああ、部分的にだが。おい、アンジェ、聞こえたな?

不適格な生徒に退学勧告を出すよう、父上へ提案する。予定変更を伝えてきてくれ」


 王太子は、仏頂面のままで、執務室の隣の部屋に声をかける。

 扉のない出入り口から、国内でも屈指の美少女が顔を出した。


「アンジェさん? どうして、ここに……」

「一緒にお茶を飲もうと思って、僕が呼んでいた」

「ファム嬢、ご機嫌麗しゅう」


 絶句して固まった公爵令嬢を尻目に、優雅に淑女の礼をする、男爵令嬢アンジェリーク。

 公爵令嬢よりも白い、雪のような肌と、輝くような金髪が特徴の娘。

 北地方の美男美女の代名詞、「雪の天使」そのものである。


「レオ様。国王陛下の秘書官殿に予定変更をお伝えするのは構いませんが、お茶の準備ができませんよ?」

「帰ってきてから、いれてくれ」

「承りました。ファム嬢、私は一時的に席を外しますので、失礼します」


 白いスカートの裾を揺らし、廊下に出ていく男爵家の娘。

 公爵令嬢へ向けるものとは違って、優しい眼差しで、王太子は見送った。

 お気に入りの娘が執務室から消えると、再び仏頂面に戻る。面倒くさそうに、公爵令嬢に声をかけた。


「おい、ファム。お前も、一緒にお茶を飲むか?

アンジェが戻ってきたら、お前の分も入れてもらってやる」

「……お茶くらい、わたくしが入れて差し上げますわよ」

「ほう? じゃあ、茶葉は、一さじと半分。お湯は、ポットに三分目まで入れた後、少し待って八分目まで入れて蒸してくれ。

それから、今日は甘いやつを飲みたい気分だから、 砂糖をさじに半分まで図って、カップに頼むぞ。

続いて飲む二杯目は、砂糖とミルクを入れるから……」

「あなたの好みは、毎回、毎回、細かいですわ!

わたくしが入れるのですから、口出ししないでくださいと、いつも言っていますわよね?」

「はあ? アンジェは、僕の注文に完璧に応えてくれるぞ。

男爵の娘ができるんだから、王女のファムが出来ないわけないだろう!」


 花ひとひら。風に乗る。


 花ひとひら。幾重にも舞い上がり、嵐を呼んだ。

 高嶺の花は仁王立ちになって、仏頂面の相手を睨み付ける。


「なぜ、わたくしが、下等な男爵家と比べられなければなりませんの? 不愉快ですわ!」

「怒鳴るな、うるさい。そのカン高い声を引っ込めて話せ」

「レオだって、怒鳴りますわ!」

「お前みたいに、耳障りな声は出さない」

「耳障りとは、失礼ですわね!」

「うるさい。感情的に、しゃべるな。王女が感情を率直に表すなと、いつも注意しただろう。民の上に立つ者が、余裕を持たないで、どうする」


 威風堂々。大胆不敵。

 王者の獅子は、一歩も引かない。


 威風堂々。大胆不敵。

 耳鳴りを誘発させる高嶺の花を、本気で追い出したくなった。


「もう少し、落ち着いてしゃべれ。

アンジェは怒っても、冷静に対処してくれるから、きちんと話し合いができるぞ」


 改めて腕を組み直した王太子は、立ったままで、文句を述べる相手を見やる。

 わざと公爵令嬢の怒りに油を注ぎながら。


「下等な男爵と、高貴なる王家のわたくしを比べるなと言いましたわよ! 聞いていらした?」


 バラの花のトゲが、見え隠れする。公爵令嬢は、獅子を正面から睨んだ。

 自分だけを見つめずで、子爵令嬢によそ見をして、側室を持とうとした相手を。

 今度は当て付けのように、可愛い顔の男爵令嬢をめでる、王太子を。


「お前のどこが、高貴なんだ?

僕と言う存在がありながら、他の男を取っ替え引っ替え自室に呼んで、二人きりになる、ふしだらな女が!

浮気性の王女なんて、我が国や王家の誇りにならん。恥だ!」

「浮気? 人聞き悪いこと、おっしゃらないでくださる?

あなたが、わたくし以外の下等な血筋に目を向けるから、相談していただけですわ」

「はあ? 王妃教育は真面目に受けない、王立学園の順位は常に半分以下。異国の言葉だって、西国の言葉しか話せない。

挙げ句の果ては、他の男に色目を使って、浮気癖の本性を丸出しにする。

こんなアホな女を、嫁にしたいと思うわけないだろう。いくら僕でも、我慢の限界だ!」


 不機嫌な獅子も、つられて冷静さを無くしていく。

 逆ハーレムを作って、裏切った公爵令嬢へ、爪を振り上げ、牙を突き立てる。

 近衛兵や侍女がいる前で、分家王族の王女をののしった。


「レオ様、ファム嬢、静かになさってください。廊下まで声が聞こえておりますよ。

王家にとって不利な内容を、王子や王女が口にするのは、あるまじき行為です」


 執務室の扉を開け、男爵家の娘が戻ってきた。口喧嘩していた二人を一喝して、黙らせる。

 落ち着き払って、スカートの裾を持つと、執務室の主に淑女の礼をした。


「レオ様、ご命令を中断したこと、お詫び申し上げます。

ですが、お二人の会話が眉をひそめる内容でしたので、緊急性があると判断し、引き返してまいりました」

「あ、ああ。気にするな。お茶の後で良いぞ」


 スカートから手を話し、洗練された立ち姿に戻る、男爵家の娘。

 慌てず騒がす、淡々としゃべる雪の天使を目にして、毒気を抜かれた獅子は、少し牙を緩めた。


「ファム嬢。お話があるなら、あちらにお座りください。

少しお待ちいただくことになりますが、お茶の準備をしますので」


 自分よりも背の高い相手を、臆することなく見上げる男爵令嬢。

 淡々と言葉をつむぎ、自分のペースを貫く。

 手のひらを上にしながら、ゆったりした仕草でソファーセットを示した。

 公爵令嬢の視線が向いたことを確認して、ソファーに歩き出す。


「今日は、レオ様の希望で、心安らぐ薬草茶をご用意しております。

高ぶった気持ちを押さえるには、最適だと思いますよ 」


 歩きながら説明していた男爵家の娘。不意に振り返った。

 意味ありげに、公爵令嬢と目を合わせえる。


「そう言えば、以前、あなたに入れていただいたお茶は、どんなお茶なのですか?

ずっと、聞きそびれていたので、教えてください」


 しんしんと。しんしんと。

 雪が降りつもる。


 しんしんと。しんしんと。

 部屋の中を、寒い冬の季節に変えていく。


 男爵令嬢は、春の国唯一の王女を見据える。


「……わたくしの家の特製品ですわ。門外不出の品ですの。

詳しく教えることは、できませんわ」

「そうですか。それほど貴重な物を、血を吐いて療養生活に入った、私のお見舞いに持ってきて、飲ませてくださったのですね。

残念ながら、あの直後も血を吐いてしまい、昏睡状態になったので、味を覚えていません。もう一度、飲ませていただけませんか?」

「……少し難しいですわね。お見舞いだから、特別に準備しましたもの。

元気になった、今のあなたには、お見舞いは必要ありませんわよね」

「それは、残念です」


 しんしんと。しんしんと。

 雪が降りつもる。


 しんしんと。しんしんと。

 黒いものも、白い色に変えていく。すべてを自分の色へ。


 水面下で、火花を散らす二人。男爵家の娘の方が、優位だった。

 それを感じ取った王太子は、公爵令嬢に声をかける。


「おい、ファム。お前がお茶を入れてくれるんじゃないのか?

茶葉は、一さじと半分。お湯は、ポットに三分目まで入れた後、少し待って八分目まで足して蒸らすんだぞ」

「お断りしますわ。レオの注文は、多すぎますの。

わたくし、家に帰って飲みますわ」


 興をそがれた公爵令嬢は、くるりと踵を返す。

 部屋の主に、突然押し掛けた非礼も、仕事の邪魔をしたお詫びもせずに、出ていってしまった。


「疲れた。おい、アンジェ。お茶」


 公爵令嬢のことなど、さっさと忘れ、お気に入りの娘に声をかける王太子。

 男爵家の娘は、ジト目になると王太子を見やる。


「一杯飲んだら、仕事に戻ってくださいね」

「分かってる」


 ソファーに身を投げ出した、王太子。いつものように、男爵令嬢を隣に座らせる。

 ぽつりとこぼれた、獅子の小さな声。


『アンジェ。さっきは助かった』

『どういたしまして』


 男爵の娘は、ごく自然に返事をする。異国の言葉、北にある雪の国の言葉で。



*****



 雪に追い払われた一輪のバラは、公爵家の自室で、簡素なお茶会を開いていた。


「目障りですわ!」


 花ひとひら。荒れ狂う風に乗る。

 

 花ひとひら。己の身に宿したトゲを、鋭く尖らせようとしていた。

 お茶会に同席する相手に、視線を向ける。新興伯爵家の四男に。


「あの下等な者を、追い払う方法はありませんの?」


 切れ長の瞳を持つ男は、長い足を組み換えて、高嶺の花を観察していた。


「ファム姫。何度も言いますが、雪の天使を敵に回すのは……」

「下等な血筋よりも、高貴なるわたくしの方が、天使と呼ばれるべきですわ!」


 言葉の途中で、公爵令嬢が割り込む。男は、嵐の真ん中に立っているバラから目をそらした。

 切れ長の目は、窓の外を眺める。白い雲にひきつけられた。


「『白き大地の白き宝を制する者は、国を制する。雪の天使は、白き宝を守る』

春の国の王家の言い伝えですよね?」


 篝火狐鳴(こうかこめい)社鼠城狐(しゃそじょうこ)

 キツネは、かがり火の下で鳴いて、 民衆を惑わせる。


 篝火狐鳴(こうかこめい)社鼠城狐(しゃそじょうこ)

 城に住んでいるキツネは、権力を傘にきて悪事を働く。

 排除するためには、城を壊さねばならなず、普通は難しかった。


 キツネ目の男ボリスは、明日の天気を話すかのように、軽い口調で言葉をつむぐ。


「雪の天使は殺すよりも、生け捕りにする方が価値があります。

少し前に、姫が独断で消そうとしたから、父君に怒られたのを、お忘れですか?」

「陸の塩の採掘権なんて、どうでも良いですわ! そのせいで下等な者が、王宮にきてしまいましたのに!」

「姫、心を静めて。よく考えてください。

白き宝、すなわち貴重な陸の塩は、春の国の経済を、建国の頃から支えています。

山と湖、それぞれの塩の採掘権を受け継ぐ血筋は数多くありましたが、四年前に滅んでしまった。

今は好機。偶然生き残っていた雪の天使を、一人手に入れるだけで、父君の計画は達成されます」


 王位を夢見る男は、顔を窓に向けたまま、切れ長の瞳を動かした。

 春の国、唯一の王女。高嶺の花に熱い視線を送る。


「ファム姫。雪の天使の重要性は、わかりますね?

雪の天使を盾にすれば、雪の国も手出しができない。春の国の北地方を、合法的に僕らの物にできます。

姫は、僕や父君の意見に賛同してくれますね?」

「……お父様やボリスが望んでいるのなら、仕方ありませんわね。一人くらいは、見逃してあげますわ。

その代わり、わたくしの家来として、きちんと教育してくださいな。誰が上なのが、下等な血筋に教え込むべきですもの」

「その為には、雪の天使を一人は、生け捕りに。憎い血筋だろうと、生かしておくことが前提条件なのを、お忘れなく」


 篝火狐鳴(こうかこめい)社鼠城狐(しゃそじょうこ)

 キツネは、かがり火の下で、 民衆を惑わせる。


 篝火狐鳴(こうかこめい)社鼠城狐(しゃそじょうこ)

 城に住んでいるキツネは、権力を傘にきて、悪事を働く。


 王位を夢見る男は、明日の天気を語るように、軽い口調で念押しして笑った。

 細められた切れ長の瞳は、笑っていなかったけれど。


「……ええ、私たちのためですものね」


 花ひとひら。風が止んでくる。


 花ひとひら。嵐は静まり、バラは穏やかさを取り戻す。

 公爵令嬢は王女らしく、咲き誇る笑みを浮かべて、お茶に手をつけた。


 心の中で、雪の天使を生け捕りにするよう、後で配下に指示をだそうと思いながら。



*****



 王宮で暮らす男爵令嬢の所に、故郷から特産品の藍染反物が届いた。

 運んできてくれた者たちを部屋に招きいれ、雪の国の言葉で、世間話を始める。


 春の国の北地方は、北にある雪の国と国境を接する。

 春と雪、二つの言語が飛び交う土地だった。


 屈強な肉体を持つ客たちは、声が大きい。雪の国の言葉によるバカ騒ぎは、いつものこと。

 最近では、周囲の住人たちも諦めた。強面の男に注意できる気概もない。

 親分と美少女のひそひそ話は、部下の大きな声にまぎれて、部屋の外まで聞こえなかった。


『三日前、チビ姫がさらわれかけた』


 美少女の顔から感情が消える。

 男爵領地に住む末っ子が、誘拐されかけた。


『公爵派の騎士が手引きして、実行犯に引き渡したんだ。

見張っていた仲間が、国王派の騎士に知らせて、実行犯を取り押さえさせたぞ。

一応、顔を立ててやったからな』

『恩を売ったの間違いでしょう。それで?』

『公爵派の騎士が、隙を見て殺しやがった。口封じだろう』

『……母からは?』

『王都のことは、姫さんに任せるって、言ってたぜ』

『丸投げですか……誘拐未遂が起こった直後では、さすがに弟や妹たちを守るので、手一杯なんでしょうね』


 男爵家の長女は、深いため息をつく。

 平穏に暮らしたいのに、生まれ持った血が許してくれない。


 父方の祖母は、春の国の王家の子孫。

 六代目国王を祖先とする、湖の塩の採掘権を持つ伯爵家出身だった。

 伯爵家には、山の塩の採掘権を持つ、侯爵家の血筋も混ざる。


『姫さんは、どう考えてる?』

『……私のように殺そうとせず、誘拐ですからね。今度は王家の血筋ではなく、塩の採掘権が狙いでしょう』


 四年前に、塩の採掘権を持つ親戚たちが、全員亡くなった。

 現在の祖母は、山と湖の塩の採掘権を主張できる、唯一の血筋になる。

 自動的に孫たちは、二つの陸の塩の採掘権と、春の国の王家の血を受け継ぐことに。


 だから、結婚できる年齢になったアンジェリークは、半年前に王宮へ召し上げられたのだ。

 自分の政治的利用価値を知っている男爵令嬢は、頭をフル回転させる。


『……まず春の国、西の公爵の権力をそぎおとします。

私を殺そうとした、 一人娘のファム嬢に、消えてもらいましょうか』

『俺たちの出番で?』

『いいえ。私の視界から、消えてもらうだけですよ。

頭がお花畑の彼女には、お似合いの舞台へ移ってもらいましょう』


 しんしんと。しんしんと。

 雪が降りつもる。


 しんしんと。しんしんと。

 美しさと冷たさを持ち合わせるのが、雪の特徴。

 男爵令嬢は、家族と白き宝を守るために、雪の天使として動き始める。


『春の国に揺さぶりをかけて、国外追放するように、持っていきます。

国外追放させれば、ファム嬢は西国に身を寄せるでしょう。

今は泳がせておき、情報収集を最優先に』


 すらすらと将来の見通しを立てる、男爵令嬢。

 自信満々の相手に、親分は意義を唱える。


『西国へ行かない場合は?』

『行きますよ、絶対に。ファム嬢は、他国の言語は、西国しか話せませんからね。

そして、選民意識の高い彼女は、王女の自分が王妃になるのが当然と考えています。

公爵家のツテを使い、将来の王妃になるべく、西国へ向かうと思いますよ』

『姫さん、そんなに単純に人間は動かないと思うぜ?』

『動かすように持っていくんです。私の得意分野ですよ』


 そこまで話したとき、部屋のドアが叩かれた。

 王太子の怒鳴り声も聞こえる。


「おい、アンジェ! いつまで大騒ぎしてるんだ!

使用人たちが怖がって、僕に苦情が来たぞ。さっさと帰らせろ!」


 威風堂々。大胆不敵。

 生まれついての王者は、吠え立てた。


 男爵令嬢は、雪の天使としての顔を崩さない。

 部下たちに静まるように命令して、ドアのカギを外した。

 開けたとたんに、獅子がうなり声を発する。 


「お前、何の話をしていたんだ!」

「春の国の王家の悪口です。うちの妹が、誘拐されかけたそうですね。

今さっき、民から聞きました。どういうことですか?」


 しんしんと。しんしんと。

 雪の天使は、淡々とした口調で先制攻撃を仕掛けた。会話の主導権を握る。

 王太子が口を開く前に、畳み掛けた。


「レオ様。私が王宮に来れば、家族の安全は保証する。いかなる驚異からも守ってくださると、春の国王陛下は、お約束してくださいました。

それなのに、妹が誘拐されかけ、その事実を伏せましたよね?

不信感を持って当然でしょう」


 男爵令嬢は、春の国の王太子相手でも、一歩も引かない。

 口達者な雪の天使は、正論を突き付ける。


「犯人は分かっているのですか?」

「……実行犯たちは、血気盛んな騎士が現地で処刑したらしい」

「犯人の目的も確認しないうちに?

ならば、領地に戻らせてください。処刑を実行した騎士と、話してきます」

「ダメだ! 妹が、さらわれかけたのに、お前を帰すことはできない。危険だ!」

「危険とおっしゃるなら、レオ様はどうやって、私の安全を確保してくださるのですか?

王宮に来て、何回、命の危機にさらされたか、ご存知ですよね?」


 王太子は沈黙した。

 下手な発言は、自分や国王である父親の立場を危うくする。


「春の国の王家が、守ってくださらないのならば、雪の国の王家を頼ります。

貴重な二つの陸の塩の採掘権を持つ唯一の血筋を、喜んで保護してくださるでしょう」


 しんしんと。しんしんと。

 雪の天使は、最後の一手を打った。


 しんしんと。しんしんと。

 北地方と国境を接する、雪の国の力をちらつかせて、春の国に決断を迫る。


「……落ち着け。バカな考えは捨てろ。その件に関しては、何とかする」

「その件って、何を指しておられるのでしょうか。何とかするなどと、抽象的な表現で、信頼を得られるとお思いで?」

「ぐっ……お前、本当に口が立つよな!

お前の妹の誘拐未遂の件だ。父上に相談して、安全対策を強化する」

「誘拐を提案した犯人も、みつけてください。

常に王宮の騎士団に守られている妹を、わざわざ誘拐しようとするなど、塩の採掘権を狙っているとしか思えません。

春の王家に反逆の意志を持つ、国賊と考えた方がよろしいでしょう」

「お前の考えも含めて、父上に相談する」

「春の国の王太子としての発言ですね?」

「……ちっ、面倒な女だ。

そうだ。僕は、将来の国王として、塩の採掘権を持つ血筋を守らねばならない」

「ありがとうございます。王太子、レオナール王子の発言、しかと耳に焼き付けました」


 澄ました顔の男爵令嬢に、王太子は一瞬、顔を歪める。

 腕組みすると、地底から響くような声を出した。


「アンジェ。勝手に僕の前から居なくなることは、許さない。

お前の頭脳と血筋は、春の国のために使ってもらう。王宮に召しあげたとき、命じたはずだ!」

「守ってくださる間は、おそばでおりますよ」


 自他共に認める、頭の回転の早さと、外交手腕を持つ男爵令嬢。

 白き宝を守る雪の天使は、感情の読めない微笑みを浮かべてみせた。



*****



 数日後の早朝。

 春の国の王都にある、西の公爵家の屋敷で、ひそかな話し声がしていた。


「ファム姫。一足先に故郷に帰り、到着をお待ちしております」


 切れ長の目を持つ男は、予定よりも半年早く、故郷へ戻ることになった。

 新興伯爵家の四男は、王立学園を自主退学したから。


 公爵令嬢の逆ハーレムの構成員として、春の国内を騒がせた不届き者には、国王から退学勧告が出された。

 王立学園の教科書が足らないならば、生徒を減らせば良いという、公爵令嬢の発案に乗っ取って。


「ボリス。準備を整えたら、わたくしも、すぐに後を追いますわ」


 花ひとひら。木枯らしに吹かれる。


 花ひとひら。同じ目的を持った相手に、寄り添おうとしながら。


「愛しいあなたと離れることは、本当に辛い……」


 篝火狐鳴(こうかこめい)社鼠城狐(しゃそじょうこ)

 キツネは甘い声で惑わせる。


 篝火狐鳴(こうかこめい)社鼠城狐(しゃそじょうこ)

 城に住んでいるキツネは、権力を傘にきて悪事を働く。


 切れ長の目を細めると、春の王女の腰に手を回し、そっと抱きしめた。

 公爵令嬢は、嬉しげに背中に両手を伸ばしてくる。


「……姫、僕が贈った香水をつけてくださったのですか?」

「ええ。やっぱり、わたくしに似合うのは西の高級品ですわね」


 積極的に鼻腔をくすぐる匂い。つけすぎて、キツく香る香水は、ボリスの趣味とは違う。

 自分の美しさを象徴したい、公爵令嬢の自己満足。


 男は香水を我慢して、右手を動かして、公爵令嬢の髪をすくい上げ、耳にかける。

 顎に手をかけると、ゆっくり上を向かせた。

 バラは目を閉じて、続きを待つ。額に感じる、柔らかな感触。


「ボリス!」


 バラは目を開けると、すねたような眼差しになった。

 両手を男の背中から、首の後ろに移動して、力を込める。


 気品と血筋を持ち合わせた、一輪のバラの花。

 高嶺の花として国民に愛された王女が、最後に相手に選んだのは、王位に野心を持つ男だった。


「……姫は、積極的ですね」


 男は愛想笑いを浮かべると、目を閉じて、もう一度顔を近づけた。

 公爵令嬢は、うっとりして、唇の感触を楽しむ。

 しばらく抱きあっていた二人は、男の方から離れた。


「姫、そろそろ行きます。日が高くなる前に、王都を離れなくては」

「ええ、また西でお会いしましょうね」


 男は、部下が貸し切りにした辻馬車に乗り込み、護衛の私兵と共に、王都から旅立った。

 財力がない新興伯爵家は、夜逃げするように王都から逃げ帰ったと、印象づけるために。


 二つほど街を通りすぎ、大きな商業都市へ。辻馬車を降りた男は、偽装した迎えの馬車と落ち合う。

 出迎えの者たちは、なぜか顔が強ばっており、キツネ目の男は奇妙に思いながら馬車に乗り込んだ。

 耳元へ、青ざめた側近が報告する。西国の言葉で。


王子(・・)、雪の国が動きました。隊列を組んで南下し、春の国との国境を目指しているようです』

『……早急に帰国する。飛ばせ、戦争に巻き込まれたら終わりだ』

『はっ!』


 篝火狐鳴(こうかこめい)社鼠城狐(しゃそじょうこ)

 キツネは、かがり火の下で、 民衆を惑わせる。


 篝火狐鳴(こうかこめい)社鼠城狐(しゃそじょうこ)

 城に住んでいるキツネは、権力を傘にきて、悪事をたくらむ。


 馬車の中で、背もたれに身を沈めながら、キツネ目の男は考えた。

 雪の国の軍事力を恐れる、春の国の公爵当主は、自分に助けを求めるはずだ。

 予定を早めて、娘を安全な場所へ、送り込んでくるだろう。


『監禁する準備は?』


 王位を夢見る男は、同席する側近にたずねる。

 ファム王女を保護して、監禁すれば、公爵当主の足元を見ることができる。

 自分本意に生きるバラは、顔の良い騎士を与えておけば、ボリスの言いなりにできるだろう。逆ハーレムで、実証されている。


王子(・・)、あの頭の足らぬ女を、伴侶にするつもりですか?』

『まさか。だが、春と雪が戦争をすれば、春は必ず負ける。

春の姫は、唯一の王女として、将来、利用価値が生まれるだろう』

『雪の国を怒らせ、敵に回わした女に、価値がありますか?

雪の姫たちの正体に気づかず、暗殺に何度も失敗し、今度は誘拐未遂。

王子の計画を散々邪魔したうえ、雪の国との戦争を誘発した、愚かな女に』


 三年前、ボリス王子は、死に絶えたはずの雪の天使が、生き残っていると知った。

 それも、雪の王家の血を持つ、雪の天使が。


 西国は、昔から陸の塩の産地を狙い、何度も春の国へ戦争を仕掛けた。

 そのたびに、同じく塩の産地を狙う、雪の国に阻まれた歴史を持つ。


『今回は、千載一遇のチャンスでした。塩の採掘権と、雪の国への対抗策を、一度に手入れられるはずだったのに……王子!』


 雪の天使を生け捕りにすれば、分家王族の末弟に過ぎないボリス王子が、西国の国王になれた。

 ファム王女を王妃にするため、雪の天使を追い出したい春の公爵と、利害が一致したから手を組む。

 自分本位で行き当たりばったりの王女が、全てを台無しにしてくれたけれど。


『……監禁後に「捕まえた」といって、雪へ引き渡せば、恩が売れる。

将来、雪との関係をつくる、足掛かりくらいにはなるだろう』


 切れ長の目に、憎しみの感情が浮かぶ。愛など、最初から持ち合わせて居なかった。

 国王を夢見る男は、冷酷な表情で旅路を急ぐ。

 歴史的瞬間を滅茶苦茶にしてくれた、公爵令嬢の利用方法を考えながら。




 ボリス王子が、西国に逃げ帰った日。

 春の国も、北国の軍隊が南下している情報を掴んでいた。

 緊急の王族会議が開かれ、今後の対応が話し合われる。会議には、副宰相である公爵当主も参加していた。


 夜遅く帰って来た当主は、娘を自室に呼び出す。

 睡眠不足は肌に悪いとぼやく、不機嫌な公爵令嬢を見ながら、父親は口を開いた。


「西の王子の心は、繋ぎ止めているな?」

「ええ、お父様。わたくしの美貌を持ってすれば、殿方の心を掴むくらい簡単ですわよ」


 咲き誇る笑みを浮かべる、公爵令嬢。

 敬愛する父親の言葉を待つ。


「ファム。すぐにでも、西国へ旅立て」

「あら、ボリスは今朝、旅立ったばかりでしてよ?

準備ができたら、迎えを寄越してくれることになってますわ」

「雪の国が、攻めてくる。知っているな?」

「ええ、軍事同盟を結んでおりますのに。力自慢の国は、身勝手ですわね」

「春の国の方から破棄したと、向こうは考えたようだ。ファム、お前の身勝手な行いのせいでな!」

「わたくしの? どうして、わたくしのせいになりますの?」

「お前が独断で、アンジェリーク王女を、何度も暗殺しようとした。

今度は、末の王女の誘拐未遂。さすがに、堪忍袋の尾がきれたようだ」


 父親の言葉が理解できず、優雅に首を傾げてみる、公爵令嬢。

 この国に、王女は自分しかいないはずだ。


「お父様、今、『おうじょ』と、おっしゃいました?」

「そうだ。お前が下等な血筋と呼ぶ者は、雪の国の王女だ」

「あの下等な者は、平民の成り上がりですわ!」

「父親はな。母親は違う、雪の国の分家王族、つまり王女だ!

アンジェリーク王女は母親の代理として、『妹を誘拐しようとした犯人を出さないなら、このまま進軍させる』と緊急王族会議の場で発言した」


 さすがに、公爵令嬢の顔が、青ざめていく。

 この世から消そうとしていた相手は、大陸の覇者である軍事国家の王族だった。


「雪の王族が、なぜ、あんな田舎貴族に……」

「おおかた、湖の塩の採掘権狙いで、雪の王が嫁がせたのだろう。狙い通り、塩の採掘権を持つ子供が、雪の王家に生まれた。

今は、二つの塩の採掘権と、二つの王家の血を持つ、大陸で最も価値のある子供になってしまったが。

春の王も、将来の春の王妃候補と考えているようだな」


 花ひとひら。青ざめていた頬に、赤みが増してくる。


 花ひとひら。嵐の中に立ったバラは、怒りで赤くなっていった。


「……お父様。四年前と六年前に、塩の採掘権を持つ貴族は、始末しましたわよね?

レオの花嫁候補は全員消えたと、おっしゃいましたわ!

雪の王族だから、あの下等な血筋を見逃しましたの!?」

「見落とした……が、正解だ。部下からは、確実に始末したと報告を受けていた。

……今思うと、雪の国に情報操作をされていたのだろう」

「どうして、下等な者の正体を教えてくださいませんでしたの?

王宮に来る前に、こんなことになる前に、確実に全員消しましたのに!」

「わしが消せなかったのに、お前に消せるわけなかろう。事実、独断でしたことは、すべて失敗している!

いずれアンジェリークが王宮に来るのは、分かっていたからな。密かに西国に渡すつもりだった。

もうすぐ、ボリスに引き渡せたのに、お前が勝手に誘拐未遂を引き起こしたせいで、計画が完全に破綻した!

雪の国が動いた以上、雪の天使は、もう二度と捕まえられない」


 公爵当主の勝手な発言を聞いたファム王女は、眉をつり上げる。

 甲高い声で文句を言う娘を、耳をふさいでやり過ごす父親。

 娘が叫び疲れた頃を見計らい、口を開いた。


「ファム、西国へ向かえ。責任を感じて、しばらく公爵家で引きこもっていることにして、時間を稼ぐ。

雪の国に嗅ぎ付かれないうちに、身を隠すのだ。西の王子に取り入って、時期を待て」

「……今は、ボリスの妻になって、西国の王妃になればよろしいのね?」

「そうだ。もうすぐ春の国も、西国も、わしの思うがままになる。いずれ、雪の国も、屈伏させてやろう」

「あら、経済支配は、うまくいっておりますのね。

戦うしか脳のない西国も、北国も、頭を使った戦いは苦手ですもの」


 花ひとひら。バラは、嵐の中に立つのを止める。


 花ひとひら。誇り高き春の国の王女は、咲き誇る笑みを浮かべた。

 公爵当主は、計画が破綻したと言ったが、経済支配計画は順調だ。

 いずれ、父親が春と西国の裏の王になり、一人娘の自分が、跡を引き継ぐ。

 高貴なる自分には、バラ色の未来が約束されていると信じきっていた。




 部下から報告を受けた親分は、ぼそりと感想を漏らした。


『……他国の分家王族って、アホの集まりなんだな。うちとは、大違いだぜ。

あの程度の隠蔽力と情報操作で、雪の国をごまかしてるつもりなんだからよ。

一応、雪の王と、奥方と、姫さんに、アホたちの計画を知らせておくか』


 親分は、春の公爵家の親子や、西国の分家王族のボリス王子と、雪の分家王族である自分の主を比べてしまう。

 どう考えても、春の国を相手に、堂々と外交戦術を仕掛ける主たちの方が大物だ。


『……おっと、うっかりして大将たちのことまで、奥方や姫さんに伝えるなよ。雪の王の厳命だからな』


 男爵令嬢の所へ、報告に向かおうとする部下に、親分は念押しした。

 六年前、病死したことになっている、男爵家の当主。

 春の公爵たちが、ポロリともらしたおかげで、雪の国の疑惑は確信に変わった。

 本当は塩の採掘権がらみで、公爵家に暗殺された一人だったと。


 男爵夫人も、娘のアンジェリークも、真実を知らない。雪の国王が、疑惑を伏せていた。

 今回のように、チビ姫のためだけに自分たちの私兵を動かして、春の国へ軍事的圧力をかけるような分家王族だ。

 怒り狂って、これ以上勝手に動かれたら困る。


『ん? ああ、俺も、姫さんは、いずれ自力で真実にたどり着くと思うぜ。

……きっと、いつか、春の若さんと力を合わせて、大将たちの仇を取ってくれるさ。弔い合戦は、俺たちも全力を出すぞ!』


 親分は、部下に声をかけるようにみせかけて、己に言い聞かせる。


 勘が告げていた。

 男爵令嬢は、将来、春の国の王子と恋に落ちるだろう。

 国境を超えて、恋愛結婚をした、両親のように。


 そして、暗殺された父親や親戚たちの無念を、必ず晴らしてくれるだろう。

 男爵当主を大将と呼び、心から慕っていた親分たち……春と雪、二つの国の民と一緒に。



*****



 一月後、春の国は平穏を取り戻していた。

 春の王宮に、雪の国から国境で軍事演習を行うと知らせる、正式な使者が訪れたのだ。

 国境をこえて進軍せず、軍事演習という形になったのは、男爵令嬢が機嫌を直したから。


 大嫌いな公爵令嬢は、王位継承権を放棄させた上で、春の国から追い出せた。

 実家の男爵家は、伯爵家に格上げされ、雪の国との国境を守る辺境伯を任せられる。

 それから、春の王家預かりにされていた、父方の死んだ親戚たちの領地は、すべて男爵改め伯爵家の領地になった。

 

 雪の国の王家を頼ると宣言し、実行しかけた雪の天使に、春の国の王家が、最大の譲歩をした結果である。



 平穏を取り戻した王宮内部。

 王太子の執務室では、いつもの光景が戻っていた。


「おい、アンジェ、お茶をいれてくれ」

「はいはい」


 書類整理の途中で、背伸びをした王太子のレオナール。隣の部屋に声をかける。

 部屋続きの入り口から、男爵令嬢が顔を出した。


 ソファーに陣取った王太子は、自分の右隣を叩きながら、男爵令嬢を座らせる。

 初めて王太子の執務室に案内されたときから、隣に座らされていたアンジェリークは、疑問に思わず指定席に腰かけた。


「隣の部屋に、各種予算の見積りの確認、次回の視察地の情報と日程を仕分けしてあります。後で目を通して、サインしてくださいね。

それから、招待された舞踏会の招待状も、階級ごとに分類してあります。確認を忘れないように」

「さすが、アンジェ♪ 細かいところまで気が付くから、以前より処理がはかどって、本当に助かるぞ」

「あなたが側近候補たちに命じていた仕分けが、大雑把だったんですよ。

国王になられたら、書類にかけられる時間は、もっと短くなりますよ? もう少し効率を意識されるべきです」

「分かっている。……でもな、一番効率が落ちたのは、前のアホな婚約者候補のせいだぞ!

新しい候補が選ばれたんだから、おとなしく引き下がれよ。

子爵の娘は王宮に来れんが、ファムは王女特権でズカズカ入ってきて、文句を述べていたからな。

やっと西国へ留学したし、もう顔を見なくてすむが♪」

「……あなたが、きちんと説明しないから、こじれて面倒な事態になるんですよ。

新しい王妃候補には、最初から理解してもらうことですね」


 ソファーにふんぞり返って、吠え立てる獅子を、ジト目で見つめる男爵令嬢。


「僕はしたぞ! アンジェは性別を越えた親友だと、何度も、何度も説明したのに、ぜんぜん納得しない!

僕とお前が恋人だなんて、アホなことを言うんだ! あいつらの考え方は不思議でたまらん」

「本当に思考回路が、謎ですよね。どこをどう見たら、親友の私とレオ様が、恋人に見えるのでしょうか」


 腕組みして、ぶつぶつと愚痴り出す、王太子。

 小首をかしげながら、男爵令嬢はティーカップを差し出す。


 執務室内で控えていた侍女と近衛兵は、なんとも言えない視線で二人を眺めた。

 思考回路が不思議なのは、どっちだと。


「あ、レオ様、お茶どうぞ。二杯目は、ミルクも入れますか? それとも、レモンを浮かべますか?」

「お、すまんな。今日は、レモンの気分だ」

「かしこまりました。ならば、お茶菓子は、こちらを召し上がりですよね?」

「さすが、アンジェ! 僕が言わなくても察してくれる女は、親友のお前だけだぞ!」

「レオ様の食べたいものくらい、分かりますよ。私たちの仲でしょう♪」


 王太子の仮面を脱ぎ、くつろいだ表情を浮かべて、お茶の匂いを楽しむレオナール。

 アンジェリークは無垢な笑みを浮かべて、愛想よく返事をした。


 王太子が休憩のお茶会をするたびに、歌劇のような場面を、目にし続けている侍女や近衛兵たち。

 ハンサムな王太子と、国内でも屈指の美少女が、一つのソファーに仲良く腰かけている。

 そして、お互いの顔を見て、楽しそうに笑いあうのだ。

 どの角度からみれば、お似合いの二人が恋人ではなく、親友同士に見えるのだろう。

 心の中で、たくさん疑問符を浮かべていた。



悪役のテンプレは、多種多様で、それぞれに魅力がありますね。


正統派悪役令嬢って、自分の欲望に忠実に生きる、公爵令嬢ファムみたいな感じだと思います。

イジメても詰めが甘く、疑惑をかけられる。

暗殺などを目論んでも証拠を残して、最後は地位を追われて、隣国へ逃げるまでが、きっとテンプレ。


敵対する男爵令嬢アンジェリークは、家族を大切にし、味方と認めた人々のために戦う、悪役女幹部。

親分のような自分の部下をかかえており、王太子(組織のボス)に反乱を起こす所までが、悪の組織の幹部のテンプレだと思います。


魔性の女、ファムの被害者、王太子レオナール。

悪の組織のボスらしく、実力主義者で度量が広い性格を目指しています。

可愛い子が大好きで、目移りしてドジを踏むのも、愛されるお茶目なボスの条件。

男爵令嬢(部下)の反乱を、きっちりと終結させて、元の関係に戻るのも、悪のボスのテンプレ。


王位を夢見る男ボリスは、大きな野望を抱き、暗躍するタイプの悪役。

国王になるために特定の人物(今回は雪の天使)をさらい、自分の道具にしようとしていた。

でも、小さな所から計画が破綻して、散々な目に遭う。

最後まであがきながら、再戦を匂わせつつ、退場するまでがテンプレかな。



・公爵令嬢 ファム

モチーフは、魔性の女。傾国の美女。

名前の由来は、フランス語のファム・ファタール。

男にとって、赤い糸で結ばれた運命の相手の意味合い。

また、男を破滅させる魔性の女、いわゆる悪女も指す。


・男爵令嬢 アンジェリーク

モチーフは、悪の組織の女幹部。

名前の由来は、オペラ版シンデレラ「チェネレントラ」のチェネレントラ (=シンデレラ)の本名、アンジェリーナより。

アンジェリークは、フランス語の女性名で、天使のようなという意味らしい。


・王太子 レオナール

モチーフは、悪の組織のボス。

名前の由来は、ルネッサンス時代のイタリアの芸術家、レオナルド・ダ・ヴィンチ。

レオナールは、レオナルドのフランス語発音。

名前の意味は、勇敢な獅子らしい。



・王位を夢見る男 ボリス

モチーフは、野望のために暗躍する男。

名前の由来は、オペラ「 ボリス・ゴドゥノフ」の主人公、 ボリス・ゴドゥノフより。

名前の意味は、 戦いの勝利者らしい。


※ボリスは実在した、ロシアの君主。下級貴族から最高位まで上り詰めた人物。

皇子を暗殺して、君主になったという、黒い噂が付きまとった。


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