08.(海は疲れます)
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漁師たちが海獣を船で曳航しているその反対の海岸では、別の騒動が起きていた。
魔物が頭頂を海食柱にぶつけた時、魔族たちは海中を伝う衝撃に飲まれた。
彼らはその場でぷかりと浮き上がってしまった。
岸で待機していた調査団のリーダーである、マーマンのナイルは、すぐさま船を出した。
彼は、気絶した魔族たちを適当に網で捕らえ引きずって泳いでいる長耳エルフと出会い、ひどく驚かされたが、同時に深く感謝した。
こうして誰ひとりとして失うことなく、船に乗せることができた。
魔族ギルドの調査は、終わった。
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魔物は退治された。化け物を喰らう者、モンスター・イーターによって。
海が赤く燃えている。ヤマブキは捕らえられ、浜に打ち上げられた海獣と、それを取り巻く港町の人々を遠くから見ていた。
「どうした、ヤマブキ」
「ゴールか」彼女は視線を砂浜に落し、「彼は……あの魔物を喰らう者は、一体、何なのだ?」
「さぁな」ゴールは云った。「なぁ、ヤマブキ。魔物がいなかった時代を知っているか」
「遠い昔の、今とは違う時代」
ゴールは頷いた。「俺はこう思っている。世界は、その時代に合わせて、必要なものを用意しているんじゃないかって」
「つまり──世界が望んだと、」
ややあって、ゴールは答えた。「分からん」
ヤマブキは口を開きかけ──思い直したようにきゅっと唇を結んだ。
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どこにでもお調子者は居る。
そのお調子者が云った。「これ、食えるんじゃないか?」
「ははは」男たちは笑った。
「ははは」しかし、否定はしなかった。
どこにでもお調子者が居るのと同じくらいに、どこにでも無謀者が居たりする。
「どれ……」とナイフと鉄串で肉を切り取り、火で炙って口にした。
「げー」生臭いし、気色悪い生き物の肉である。焼いたところで無事で済むはずがない。
「うっ!」
「毒か!?」
「わ、分からん、もう一切れ……うっ!」
「毒か!?」
「も、もう一切れ……うっ!」
この辺りで、他の者も手を出した。
「うっ!」
「うっ!」
あちこちで声が上がり、切り取った肉は直ぐになくなった。
「これは売れる」
と云うことで。
海獣を解体した。
後に、この時の切り身や干し肉が、大きな収入となり、町に例年以上の景気を呼び込んだ。
魔物の骨格の一部は今でも町の庁舎前に飾られている。幸運の象徴として、町を訪れたものは必ずそれに触れていく。
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「ハイ、皆さん。お疲れさま」
ルーシィが布袋を持って現れた。
ゴールは彼女に、「ありがとよ」銀色の銃を返した。「助かったぜ」
一方でヤマブキは「すまぬ」と謝った。「借りた刀を無くしてしまった」
「大丈夫よ、気にしないで」
銀色の銃は、彼女の手の上ですいと形を崩し、指の隙間から砂のようにこぼれ落ち、風に乗ってかき消えた。
「それにしても、今回の依頼人は渋チンね」
「ほう?」ゴールが目を眇め、続きを促した。
「自分たちも参戦したし、アレを解体するからってゼロのつもりだったのよ」
「なんですって?」ライトの顔が蒼白になる。「嘘ですよね? 嘘だと云ってください」
「半分がやっとってとこ。さ、皆で分ける前に道具、返すわ」
にゅるん、と腹から武器を出した。
「ハイ、ゴール。〝ヘル・アンド・ヘヴン〟よ」
「ハイ、ライト。あなた、棍棒はそろそろ卒業してもいいんじゃない?」
「ハイ、ロジャー。〝勇者〟の焼印は何度見てもダサいわね」
そして、「ハイ、ヤマブキ。この刀、いいわね」と二振りの刀と財布を返した。
「これは預かり賃では?」
「預かり賃だけど、あなたが戻ってきたから戻しただけ」
恭しくヤマブキは受け取った。「ありがとうでゴザる」
「なんだよ。くそっ」
「ゴール?」
「……う、うんち」
おほっほほっとルーシィは笑う。「こう云う稼業だもの。持ち主が無事に戻ってくるとは限らないじゃないの」
「……そうでゴザるな」としんみりしたヤマブキに、しかしルーシィは朗らかに笑った。「故買とか質流れとか面倒いからね」
「そんなつもりが!?」
おほっほほっと、ルーシィはこれまた良い声で笑った。ヤマブキは狐につままれたような気分になった。
彼女はそう、……不確定金属牝狐。
騙し誑かし、正体を見せぬ、オナゴの本性を煮詰め、体現したのが彼女なのだ。
同じ女でありながら、自分と違って恐ろしい。彼女を反面教師とし、注意せねば。
なるまいて。ああは、なるまいて。
ぶつぶつ、ぶつぶつヤマブキは口の中で繰り返し唱えた。
「それではお待ちかね、分け前の時間よ」
ルーシィの言葉に、皆の期待が膨らむ。「今回は難易度が高いということもあって失敗も考えられました」
一同を見渡し、彼女は続ける。「わたしは自分の仕事もしてたので(お肉、たくさん焼いたのよ)、その分はわたしの懐に入ります」にゅるんと報酬の一部を腹に仕舞った。
「まぁそうだな」腕を組んだゴールが頷く。
「それから装備一式含む準備金を差し引きます」
「まぁそうだな」腕を組んだゴールが頷く。
「ハイ、ヤマブキ。準備金を差し引いたのがあなたの取り分よ」
「ありがとうでゴザる」
「他の人は、そこから道具の預かり料の立て替えと、立て替えの立て替えと、立て替えの立て替えの立て替えに利息がついて、オケラです」
「あぁ!?」ゴールは組んだ腕を解いて詰め寄った。
「というのは可哀想なので、わたしから施しを受けることになりました」
「ほんっとにお前は……」渋面のゴール。「施しって何だよ……」
「足を舐めた人から順に貰えます」
「あぁ!?」ゴールは声を上げたが、ロジャーは黙って跪き、ルーシィの足の甲にキスをした。
「良くできました」とルーシィはロジャーに取り分を渡した。
「さ、お次は? ライト? ん?」
「い、いいんですか……」
心臓が口から飛び出そうといった様子でライトがルーシィに躙り寄った。「いいんですよね……?」
「ええ、勿論」
ライトはルーシィの足をしゃぶった。愛おしそうにしゃぶった。赤ん坊が母の乳を飲むかように。
片足では物足りなかったのか、両足の指を交互に丁寧にぴちゃぴちゃ音を立ててしゃぶりつくした。
ヤマブキは硬直した。
……きっしょ!
「はい取り分よ。ご苦労様」
ルーシィの差し出す報酬を、ライト両手で受け取った。「ありがとうございます」
「で? ゴール?」
「その唾液まみれの後に指名するとか、ほんっといい性格だなァ!?」
「そうよ。わたしは夏の海の女神だから」
ぐりぐりと唾液まみれの足を砂浜に突っ込み、砂だらけにした足を向けた。「優しいでしょ?」
ヤマブキは戦慄した。
……えっぐ!
「エルフは?」ふと、ロジャーが口にした。
「あの子なら帰ったわ」さらりとルーシィは答えた。「そもそも員数外だったし」
「そうか」ロジャーは頷き、海に目を向けた。
その横では、砂だらけの足を凝視し、苦悩するゴールの姿があった。
*
夕暮れに染まる海を、一艘の船が走っていた。
「〝ゲート〟はあったわ」カーリィが云った。
いつもの女の姿であった。しかし、いつもと違って白磁を思わせる体表に、色鮮やかな釉薬を溶いたような模様はなかった。夕陽が既に美しく彼女を飾っていたからだ。
ナイルは疑問を口にした。「魔物はそこを通ってきたのでしょうか」
「たぶんね」
「しかし、あんな魔物は見たことがないです」船をひとりで漕ぎながら、ナイルは云った。
「異界を渡る時に何かあったのでしょうね」カーリィは欠伸をかみ殺しながら応えた。
「カーリィ殿」
「ん?」
「お休みになられては? なに、船ならこのナイルひとりで大丈夫です。他の者も直ぐに目覚めましょう。それに……」
向けた視線の先には、クリムが小さく身体を丸めてすぅすぅと寝入っている姿があった。
「海は疲れますからね」
「そうね」カーリィは未だ目覚めぬ魔族たちを足でぐいぐいと押しやり、「あら」と云う。「ハジカミも来てたのね」
顔を寄せ。くんくん。
「くっさ」分かっていることを口にした。
なのに、くんくん。
「くっさ」分かっていながらも、つい嗅いでしまう。
ナイルが変なものを見るような目付きをしているの気がつき、カーリィは笑った。
そして魔族を押しのけ、作った寝場所で横になると、「お言葉に甘えさせてもらうわ」目を閉じた。
「ねぇ、ナイル」
「何でしょうか」
「いつまで水着、着てるの?」
「調査団は、帰るまでが任務です」
その答えに、カーリィの口元が小さくほころぶ。
「ん……」クリムが寝返りを打ち、そのままカーリィの腕の中に収まった。
「しょうがないわね」
不確定金属生命体は、小さなエルフを抱き寄せた。「おやすみなさい」
やがて、ふたりの寝息が重なる。
まるで姉妹だな。ナイルは思った。いや、母娘かも。
ナイルは櫂を持つ手に力を込めた。波を切り、船は進む。
「母さん……」
エルフの寝言は潮風に乗り、夕闇に沈む空に溶けた。
*
夕陽の下が今、水平線の向うへかかり始めた。浜辺には賞金稼ぎたちが並び、目を眇めながら、その日最後の光を全身に受けていた。
「解体して肉を切り分け、燻したり塩漬けにして商船に乗せれば、あちらこちらで売れるでしょうよ」ルーシィが云った。
「結局あいつらの丸儲けかよ!」ゴールは憤慨した。
「自分たちの問題は自分たちで解決する。美しいことじゃあない?」ルーシィは微笑む。
「賞金稼ぎが居ない世界ですね」ライトの言葉に、「ええ」とルーシィは頷く。「そんな仕事はない方がいいのよ」
その言葉を合図に、ひとり、ふたりと、夕陽に背を向け歩き出した。
ああ、そうかもな。ゴールは思った。賞金稼ぎが必要とされない世界。
「何を黄昏ているでゴザるか?」ヤマブキが訊ねた。
「もし、俺が賞金稼ぎでなかったら、どうなんだろうかな、と」
「難しいでゴザるな」
「ヤマブキもか」
するとヤマブキは、苦笑交じりに、「自分は剣しか知らないから……」
「そうか」
「でも……いつかは子を産み、育てたいと……」
思わぬ告白に、ゴールの心臓はぴくん、と跳ねた。
まさか、ヤマブキは。
もしや、ヤマブキは。
「なぁ、」訊ねかけたゴールの言葉を、「おふたりともー!」ライトの呼びかける声が遮った。「宿に戻りましょーう!」
「今、行くでゴザるー!」
ヤマブキが両手を口の端に添えて応えた。それからゴールに向き直り、「さ、行くでゴザるよ!」
その笑顔は夕陽で輝き、湿った髪はうなじに墨の流れの跡のようであった。「どうしたでゴザる?」
「いや」ゴールは小さく首を横に振り、「よし」と云った。「よし、行くか」
そして砂浜に、足跡だけが残される。程なくして日は沈み、空と海の境界は星で分かれた。
潮騒が耳に残る。波が足跡を消し去るまで。いつまでも。いつまでも。
─了─