05.(困ります)
*
海岸組は砂浜から海に入り、そのまま歩き潜っていった。アミュレットの加護は、確かに彼らを包み込んでいた。
深さは三人の中で一番の背丈を持つ者の、ゆうに倍以上はあろう。努めて沈むよう歩みを進めないと浮き上がってしまう。
銀色の小魚の群れが横切った。音もなく、滑るように、流れるように。ひとつの生き物のを思わせた。
美しい、とヤマブキは思った。確かにこの地は、一度は訪れるべきであろう。
足下では影が揺らめき、海底はうねる潮の作った砂の波紋に、もう一つの波を重ね描く。
見上げれば、海面で光が弾け、海と空とが引っ繰り返ったかのようだ。
自分はいま、とても不思議な体験の中にある。
何故だろう、懐かしいと感じるのは。
何故だろう。心穏やかに休まるのは。
初めてなのに初めてでない。浮遊感。海の底には、過去と未来の記憶がある。生命が生まれ育ち産み死にそしてまた生まれる輪廻。
目を閉じる。ぶくぶくと、空気の泡が膨らむ音。さゆさゆと、潮が砂をさらう音。
このままずっと沈んでいられたらどんなに素晴らしいだろう──と思った刹那に邪念が割り込んだ。
それは、浜辺で着替えてからこっち、ずっと気になって、でも力づくで抑え込んでいた思いだ。
──無理だ。
観念した。どうにも気になる。
何故、と云われても困る。
どうして、と問われても困る。
おそらくそれは自分が女で、彼らが男なのがいけない。いけないのだ。
自分に渡された水中装備は、計ったようにぴったりであった。だが、彼らが受け取ったのは、体格に対して一廻り小さいのではなかろうか。
推測は確信に変わる。
ヤマブキは横目で、共に探索をする仲間の両足の付け根を盗み見た──膨れておる。
あの中は蛇のような小刀のような、茸があると云う。以前、妹のメブキが云っていた。
姉と違って、華やかな妹であった。王都にて、王女近衛隊の女騎士をしている。同じ女騎士に、何とかと云う変な者がおり、何かと角突き合わせているらしい。
「知ってるぞ」とヤマブキは応えた。「むしろタケノコが近い」
「姉さん。それは子供の頃のお話よ」
「変態すると云うのか!?」
「わたしたち女が、女らしく体つきが変わるように、男たちも変わるの」
「成程」然もありなん。ヤマブキは妹の胸を鷲掴みした。「あんっ」
「お主の方が柔らかい……」
「お返し!」
「あんっ」
「姉さんの方が小さい?」
「ンなっ!?」
「剣術に力を入れ過ぎです」
「仕方ないでゴザろ!?」
「ところで」と妹は続けた。「殿方のアレは、文字通り刀に良く似たものらしいです」
「なんと!」
「いざ対峙すると、鞘から抜けるとか」
「なんとぉ!?」
ゴールとライトの股間の膨らみは同じくらいに見える。体格は、ゴールの方が一廻りは大きい。
ヤマブキは経験こそはなかったが、妹に負けず劣らず耳年増であった。
ここでヤマブキは考えた。
ゴールが標準だったら。ライトはおっきい。
ライトが標準だったら。ゴールはちっちゃい。
そしてロジャーの姿を思い起こした。
うん。彼のそれはタケノコっぽい。
「おい、ヤマブキ」ゴールが呼びかけた。「さっきから(おっぱい)聞こえてるぞ(もみたい)」
「ゴールさん」ライトがさわやかに微笑む。「駄々漏れですよ」
「ゴール! 拙者のお乳は(ちんこ)赤ちゃんの為で! お主みたいな(きのこ)不埒者に(へび)触れさせたりは(かたな)しないィ!!」
「いや、違う(ちくび)! 誤解だ(たってね?)!」
「水の中でも話しができる護符の力は」と、ライトはさわやかに続けた。「考えていることも相手に伝えるようですね(おしり)」
「お主もか(たけのこ)!」
*
海中からにょきっと突き出した岩に、波が砕けている。潮の流れも割れている。
このまま船で進むのは危ないな。ロジャーは思った。この肌をぞわぞわとさせるのは、知らぬ感覚ではない。
──近くに、〝ホール〟がある。
そう考えれば、幾つかの疑問に納得のいく解答が得られる。
例えば、魔物が出たとか。
例えば、その魔物が幾つもの生き物の特徴を持っているとか。
例えば、……彼女が、具合が良くないと云ったこととか。
先に船から海に飛び込んでしまった長耳エルフを思った。大丈夫だろうか。
ひょこっと波間からクリムが顔を出した。ロジャーは云った。「潮の流れが怪しい」
クリムはジッとロジャーを見つめた。
「一旦、岸に戻る」ロジャーは手を差し出し、捕まるように促した。
しかし長耳エルフは、
「ていっ」
船底を押し上げ、ひっくり返した。
不意を突かれたロジャーは、ぶくぶくとそれはもう気持ちよく海に沈んだ。
「何のつもりだ」ぶくぶく。
長耳エルフは、無駄のない泳ぎで水をかき分け、沈むロジャーの背にすいと絡みついた。
それはまるで、生者を暝い黄泉へと誘うかのようであった。
「何が目的だ」ぶくぶく。
がっしりと腰に両足が巻き付き、片手は首に廻され、これはもうかなりダメな感じじゃないかなぁとロジャーは思った。
手足で水を蹴ろうにも、浮き上がるのを邪魔される。このままでは一緒に溺れてしまう。
心中、と場違いな言葉が脳裏をかすめた。
水中心中。
なんちゃって。
「違う」冷ややかにエルフは否定した。
口の中から小さな真珠のようなものを取り出し、「断じて」重ねて否定する。
それからぐいと、ロジャーの水着の背を引っ張り、肌との隙間にそれを落した。
「何をした?」
「ファラリスの仇討ち」
「死んでないだろう?」
「ファラリスの角の仇討ち」
ロジャーはぷく、と口から泡を吐いた。背に落された、こりっとした硬いものを感じる。
「それはヤマブキが相応しいだろう」
「そうだけど、そうじゃない」
「なら、仕方ないな」
「そう。仕方ない」クリムの身体が離れた。「カーリィ、ここよ」
そして第三の声。「座標、確認。転移、実行。確定化、開始。クリム、ご苦労さま」
背に落された小さな塊が、ぶわっと勢いづいて膨れた。
水着が破れ、突き出した腕とも足とも云えないぐねぐねとした何かが、ロジャーの全身に絡みついた。
沈み行くロジャーは、眩しい海面の光を受けて影となった長耳エルフに呼びかけた。「あの雄牛の角を折った者はもういない」
長耳エルフは太陽を背負って、宙に浮いているようだった。
「それでも」と彼女は云った。
その姿がどんどん小さくぼやけていく。「それでも」
「そうだな」とロジャーは、ぷく、と泡を吐き出した。
ぐねぐねと不定形な何かに絡みつかれ、ロジャーは暝い海の底へと沈んで行く。手足の自由を奪われたまま。
*
「はっ!」
突然、ルーシィが声を上げた。
彼女は板張りに木組みの浜茶屋、〝海の家・メロウメロンズ〟でバイトをしていた。
「焦げるわよ! 早く食べなさい!」
彼女はグリル台の上で、優雅にうつぶせで寝そべっていた。「右の肩甲骨のあたりよ!」
特別なお料理──女体焼き、である。
後に彼女は語る。「今回の仕事はどうしたって報酬が渋そうだもの」
その通りである。
「だからダブルワーク」
「早くお食べ下さぁい」
かわいい女給が次々と肉を置く。肉を焼く。
「うおおお!」
男たちが箸を付き出す。
「うおおお!」
男たちは焼けた肉肉野菜肉魚介と口に運ぶ。
「うおおお!」
男たちは舌を火傷する。
「誰!? ドサクサでお尻にお箸を刺したのは!」ルーシィが激高した。
「うおおお!」
男たちが腕を振り上げた。
「お客さん、困ります」
黒服がやって来た。
*
賞金稼ぎたちは、海辺で水をかけ合って、キャッキャと笑い合っていた。
水に潜ると思念までもが伝わってしまうルーシィのアミュレットの所為だ。
「呪われた術符だ」ゴールは剥がそうとしたが、ヤマブキがそれを止めた。
「まだ不要と決めつけるの早い」頬を赤くさせ、もじもじしながら。
「ゴール! 別に拙者は海の中で致したわけでは(はぁ、きもちいい)!」
「やっぱ呪われてるじゃねーか(おしっこ)!」
彼らは水中から出ることでこれを解決した。
「こんなことをしていて、良いんでしょうか」ライトが至極もっともなことを口にした。
「向き不向きはある」ゴールはキリッと云い切った。
「船もあるから、その時が来れば現場へ馳せ参じ、協力すればいいだけでゴザる」ヤマブキも追従した。
「でも……」
「なぁ、ライト」納得できないでいる若者に、歴戦の賞金稼ぎは云った。「この仕事は派遣屋の案内所で見つけて引き受けた。で、この面子で組んだわけだ。つまり、」
「つまり?」
「アガリの一部は派遣屋に渡る。仲介料だ。で、残りは山分けだ。めっちゃ働いたヤツもいるだろうし、怠けるヤツもいるだろう。死ぬ奴だって出るかもしれない」
「なら、」
「いいや。ライト。最初に取り決めをしただろう? 納得したからここにいる。そうだろう?」
「物は云いようですね……」
「心配するな。魔物はロジャーが釣り上げる」にやりと笑う。「そして俺たちが止めを差す」白い歯が煌めいた。
「適材適所だと?」
「まぁ、そんなところだ。見ろよ、ルーシィなんか浜茶屋で楽しそうにしてるぜ?」
「そうでゴザるよ」ヤマブキも朗らかに云う。「気を揉んでばかりでは疲れるでゴザろ、ほら!」ばしゃっと、一際大きく水をかけてきた。
*
海面が遠い。日差しが薄く揺らめいている。
静かだ。音のない世界。光が薄れ闇に飲まれていく。
姿が不定形な状態でも、カーリィはロジャーの体を搦め捕っていた。逃れられようもない。
「ああ、もうっ」
カーリィは不満げに鼻を鳴らした(鼻があればだが)。質量の転移はできても、形態の確定化がままならない。
ぶく……、と小さな泡が上っていく。海面に向かって。ヒトの棲む世界へ向かって。
身体は意思に反して絶え間なく、むくむくと変化を続ける。必死にカーリィは制御を試みる。
身体はクラゲめいた柔らかさのまま、四方八方に膨れては縮み、どうしたってヒトガタになりきれない。
ぐい、と身体が引っ張られるのを感じた。ハッ、とカーリィは理解した。
〝ゲート〟だ。近くに〝ゲート〟がある!
カーリィは形を問わず、必死に己の身体を留めることに集中する。飲まれたら、負けだ。
情報が大量に流れ込んで来る。激しく複雑な演算で対抗を試みるが──追いつかなかった。
負けた。
情報の奔流にカーリィは飲まれた。
全身が破裂した。いや、破裂したようだった。
彼女の身体は全方位に向け、細く長く、太く短く、鋭い棘だらけとなり──ロジャーを刺し貫いた。
「ぐぼッ」
血と空気の混ざったものが口から吐き出された。
ふたりは暝い海の底へと真っ直ぐに落ちていく。
そして海底に寝そべる巨大なそれの柔らかな部分に、ぷすり、と突き刺さる。
闇の中で、アメシスト色の光が一瞬、放たれた。