第3話 親子
私は宿に戻り馬車の予定表を見て眉間にしわを寄せていた。
今日の便は終わり、次は明日の朝だそうだ。
つまり、早朝に起きて支度しないといけない。朝が弱い私には、それは死刑宣告も同然だった。
もちろん、歩きで行ける距離ではない。
そういえば、大昔『デンシャ』と呼ばれる高速で動く機会の箱があったらしい。
なんでも、いつでも四六時中動き回って世界中を旅できたらしい。
……まあ、もうそんなものはこの時代にないのだが。
私はため息をこぼしメロンパンを一口かじる。
「……しょっぱい」
思わず口から言葉がこぼれ出る。
私はメロンパンは甘い方が好きなのだが、しょっぱい方もやぶさかではない。
……が、それにしてもひどすぎる。もうほとんど塩みたいな味だ。
これだったら、塩舐めてた方が低価格だったと考えるくらいにはしょっぱい。
まあ、返品しようにももう外は暗く、きっとパン屋もやっていないだろう。
私はため息をこぼし、着換えとタオルを持って部屋から出る。
この宿は、トイレは共有で風呂に至っては存在していない。
なので、町の浴場にいかなくてはならないのだ。
……正直、値段だけ見て宿を決めるのはダメだなと思いました。
「……」
「……」
私は蒸し風呂で一人の女性を見つめていた。
その女性とは、昼間男性と「中東に行こう」と話していた女性だ。
もちろん、見つめているのは私だけではない。
相手も同じようにこちらを見つめている。……というか、睨んでいる。
「……何見てんだよ」
「いえ、視線を感じるので」
私の返答に苛立ったのか、大きな音で舌打ちされる。
「お前、中東の出だろ」
「はい」
私の返答を尻切れに、沈黙が流れる。
しばらくたつと、さらに苛立った様子で話し続ける。
「……なんでかとか聞けよ」
「……何故分かったのですか?」
「目だよ。その茶色い瞳はここらへんじゃ中東出身しか見かけねえんだ。実のところ、あいつも中東出身だからな」
「あいつ、とは……?」
「わかんねえのか? 私の横にいた男だよ」
……私は一つ疑問を覚える。
何故、中東出身が中東に女を連れて帰ろうとするのか?
あそこでは性犯罪や人身売買といった話を何度か耳にしたことがある。
それに、観光にしても危なすぎるだろう。
「……なんで中東なんですか?」
「なんでも、昔自分をバカにしてた大人に復讐したいんだって。それで、面白そうだから私もついていこうって思ったわけ」
……復讐。
私はその言葉を聞いて、少しだけ胸が騒ぐ。
「復讐って、具体的にどのような?」
「さあ? 私が知るわけないじゃん。復讐すんのはあくまでもあいつだからね」
「そうですか」
……まあ、期待はしていなかったが。
もし、その復讐の内容に『殺人』が入っていたのなら、その男を中東へ向かわせるわけにはいかない。
「それでは、そろそろ帰りますね」
「ああ」
風呂から出て着替え終わった私は、少しだけ夜風に当たっていた。
どうやら、少しのぼせてしまったらしい。
大きく欠伸をしていると、不意に後ろから男の声が聞こえて振り返る。
「よ、ミコトちゃん。元気してるかい?」
「リキさん。こんばんは」
「おう。……しっかし、本当そのマフラー肌身離さねえのな」
どうやら、このマフラーが私の目印になっていたらしい。
「さて、そろそろミウのやつも来るか?」
「娘さんもいられるのですか?」
そんな人物は見受けられなかった……いや、一人だけいた。
そして、予想が的中してしまった。
「よっ、ミウ。案外遅かったじゃねえか!」
「……ウザ。なんで待ってんの? 気持ち悪い」
「おいおい、そんな言い方ねえだろ? 昔は父さんと一緒に風呂だって入ってたのによ」
「うっせぇ! クソ親父、死ね!」
「ハッハッハ。それじゃあ帰るか」
まさか、とは思ったが本当に家族だったのか。
……まあ、言われてみれば似てる……だろうか?
「ミコトちゃんもこっちだろ? 一緒に帰ろうぜ」
「おい親父、こいつ知ってんのか?」
「おう。帰りの馬車で巡り合った戦友だ。そうだろ、ミコトちゃん!」
「はい。そうですね」
戦友、と呼ばれるには少し違和感はあるが。
「……あ、思い出した」
「なんだぁ? もしかして、親への愛を思い出したのかい?」
「な訳あるか。私さ、明後日から中東行くから」
ミウの一言に、周辺が凍り付く。
「……何、言ってやがんだ?」
「だから、中東行くって言ってんの」
「あほかテメエ! そんなにあの世に行きてえのかよ!」
さっきまで穏やかだった雰囲気が一変した。
無理もない。中東を経験したのだ。親だったらふつう止めるだろう。
そして、後ろから一人その喧騒に参加するものが現れた。
「親父さん。悪いけど俺とミウはもう決めたんだわ」
「……誰だ?」
「あ? 俺はいわゆるミウの彼氏で、中東旅行発案者でーす!」
「てめえが……」
暗闇で顔は見えないが、確実にリキの声は震えていた。
リキは男の胸ぐらをつかみ、にらみ合っている。
「おいおい、そうキレんじゃねえよ。俺が中東制覇して、新しい国つくんだからよ」
「……てめえ、本気で言ってんのか?」
「当たり前だろクソジジイ。俺は俺のことをバカにしてた大人全員俺の配下につかせ、嬲り殺しにすんだよ」
「違うな、確かにてめえは馬鹿にされてたんじゃねえよ、馬鹿にされてるんだよ!」
……なるほど、聞く前に目的が聞けて良かった。
「うっさいなぁクソジジイ」
「……ミウ?」
「これは私たちで決めたことだ。親でしかねえアンタが口出すんじゃねえよ!」
ミウの非情な一言に、力なく項垂れるリキ。
『親でしかない』。その一言がなによりも重かったのだろう。
「……ミコトちゃん」
「なんでしょうか?」
「……親って、本当に無力なんだな。自分のガキ一人にここまで心を動かされるなんて」
その言葉を言いながら、空を見上げ、雄叫びをあげながら泣き始めるリキ。
「うおおおおおおおおおおお!!」
「……リキさん」
私は泣いている彼の背中をさすり、男を見やる。
その姿は、昼間出会った場所に向かっていた。
「なあミウ。出発はいつにするんだ?」
「……」
「そうだな、俺としては明日でもいいんだぜ?」
「……」
「おい、何で無視すんだよ」
「うるさいなぁ!」
「あ? なんだてめぇその態度!」
そう言って男はミウの胸ぐらをつかむ。
それが意外だったのか、ミウの方は小さく悲鳴を上げる。
「ミウさん、ですね」
「……お前、さっきの!」
「あァ? ああ、もしかしてさっき隣にいたガキ」
私は男の言葉が最後まで続く前に、引き金を引く。
一発、二発。乾いた音が夜空にこだまする。
「……え?」
「さて、帰りましょうか。立てますか、ミウさん」
「お前、え……? なんで、殺したの?」
「いや、この人ひとりに中東の人何十人も殺されたら困りますので」
私は早朝の風に体を冷やされながら馬車を待っていた。
「……ミコトちゃん」
「なんでしょうか、リキさん」
「アンタ、あいつ殺したんだって……?」
「はい。……もしかして、殺したらいけなかったでしょうか?」
「お前……それは本気で言ってるのか?」
何か間違ったことを言っただろうか?
「……なんで、殺したんだ?」
「……言いましたでしょう? 私は、母から『正しい事をしろ』と言われ続けましたので」
私の返答に大きくため息をつくリキ。
「……もう、二度と顔を見せないでくれ」
「はい。わかりました」
私はそう言っていつの間にか来ていた馬車に乗り込むと、リキに手を振る。
「それでは、お元気で」
「……」
返事はない。
……致し方ないだろう。『正しい事』はいつの世も理解されないのだ。
私は、また一つ『正しい事』をした。