第1話 少女
「アンちゃん、アンタ一人旅かい?」
私が馬車に揺られていると、不意に同席していたヒゲを生やした男が話しかけてくる。
「……女です」
「おっと、そりゃ悪いな。マフラーしてるんで、どっちかわからなったんだ。そんで、嬢ちゃんは一人旅かい?」
「はい。あなたもですか?」
「いんや、俺は兵士として徴集されててな。今日から暇をもらったんで久しぶりに息子と女房に会えるんだ」
「そうですか。それはよかったですね」
「だろ? だから、少し話し相手になってくれねえか? このままだと嬉しすぎて歌でも歌っちまいそうだからよ」
「はい。私で良ければ」
私の返事に、嬉しそうに歯を見せて笑う男性。
その姿は、兵士として徴集されていた時代ではありえなかった笑みだろう。
「そういえば嬢ちゃん、名前は?」
「『ミコト』です」
「いい名前じゃねえか。紹介が遅くなって悪いが、俺はリキって言うんだ。それと……」
リキは言葉を不自然に止め、カバンの中をあさる。
「これが、俺の女房と娘だ。娘……ミウって言うんだけどな。来月15になるんだが……いかんせん反抗期でな。俺は屁をこく自由すらなくなっちまったよ」
「はは、大変そうですね」
「そう思うだろ? でもよ、どんなに憎まれ口叩かれようが俺はミウが可愛くて仕方ねえんだ。不思議だろ?」
「ふふ、そうですね」
「ミコトちゃんは今年で何歳になるんだ?」
「……17です」
「……そっか。色々大変だとは思うが、頑張れよ」
「はい。ありがとうございます」
「ああ、それと。ミコトちゃんはどこか目的地とかはあるのか?」
「……『世界樹』です」
「……そうか、『世界樹』か」
『世界樹』。それは、この地球に突如根を張った大木。
大きさは世界樹の名に恥じぬ大きさで、世界を覆ってしまうほどだ。
なんでも、世界樹のふもとは戦争のない緑あふれる世界なのだとか。
「しかし、そりゃまたなんでだ?」
「……小さいころからの夢なんです」
「そうか。じゃあ、一つだけ忠告しておこう」
リキが不意に真面目な顔をしてこちらを見つめる。
私もそれにならって、リキの目を見つめる。
「ここらへんは追いはぎが多い。しかも、ただの追いはぎじゃねえ」
「……というと」
「なんでも、弱ったふりをして助けさせ、そのお礼と称してアジトに連れ込んで物を盗む」
「それは……」
私の言葉を遮るように馬車が急に止まる。
「おい、どうした!」
「申し訳ありません。急に、人が飛び出してきたもんで……」
御者の言う通り馬車の通り道である場所には、一人の老婆が立っていた。
「お願いします! 一滴でいいので、どうか水を!」
「噂をすれば、だ」
……この人がその俗なのだろうか?
しかし、どうもそんな感じは見受けられない。
「ケッ、のどが渇いてる癖に叫び声だけは一丁前だな」
リキが吐き捨てるように言う。
確かにその通りだ。ここまで演技が上手いとなると、そうとう稼いでいるのだろうか?
だが……。
「あ、おい! ミコトちゃん!」
「すいませんリキさん。母から『正しいことをしなさい』と言われ続けていますので、見捨てることはできないんです」
私は荷物と水を持って馬車から飛び降りる。
それを見た彼が私を制止しようと大声を出すが、私はそれを無視して水を差し出す。
「どうぞ。少ししかありませんが」
「ああ、ありがとうございます……」
私が水の入った筒を渡すと、それを一気に飲み干す老婆。
「是非お礼がしたいので、どうか我が家に招かれてはくれませんか?」
「いえ、そこまでのことは……」
「駄目です! ここで貴方様に帰られては我が一族の立つ瀬がありません! どうしてもというのなら……」
言葉を遮り、どこからか取り出したナイフを自分の首に近づける。
「もうこの世に留まってはおれません」
「……わかりました。私が行くことであなたの命が助かるのなら」
「ああ、ありがとうございます!」
お礼をしながら、深々と頭を下げる老婆。
その時の顔に、不自然に口角が吊り上がっていたのを私は見逃さなかった。
連れてこられたのは、先ほど走っていた平原とは打って変わって深い森の中だった。
その中に、ポツンと一軒家が立っている。
「どうぞ、狭い家ですが」
「いえ、おかまいなく」
「いえいえ、命の恩人をほっぽっておくなどとてもとても……」
そう言って申し訳なさそうに笑う老婆。
これが演技なのか、少し疑わしくなってきた。
私は出されたお茶をすすりながら老婆の感謝の言葉を聞く。
……毒は含まれてはないらしい。体に異常はない。
「おばあちゃん、お客さん?」
「ああ、ルック。今日はとても大切なお客様がいらしてくれたんだよ」
「そうなの?」
ルックと呼ばれた少年がこちらに向き、お辞儀をする。
私もそれに対して少しだけお辞儀する。
「お姉……さん?」
「そうだよ」
「お姉さん。なんでマフラーしてるの? お外は寒くないよ」
「……ファッションだよ。気にしないでね」
「ふーん」
「こら、ルック! お客様に失礼でしょ!」
「いえ、気にしてませんので」
私はもう一口お茶を啜る。
正直なところ、かなり美味だ。多分、来客用だと思うくらいには。
「お気に召しましたか?」
「あ、はい。どうも」
「茶菓子もありますよ。遠慮せず食べてってください」
「あ、いただきます」
「お姉さん! 僕も食べていい?」
「うん。いいよ」
「ありがとう! いただきます!」
「それでね、お姉ちゃん! この前、おばあちゃんと一緒に魚釣りしたんだ!」
「そうなんだ。楽しかった?」
「うん! いっぱい釣れたよ!」
「そっか。良かったね」
私は今食べている茶菓子を食べ終えると、椅子を引いて立ち上がる。
「それじゃあ、そろそろ私はここらへんで……」
「いえいえ、今日はもう遅い。こんな森の中で女の子が一人で歩いてたら、襲ってくれと言っているようなものです」
確かに、話し込んでしまったらしく、外はもう暗くなっていた。
……そういえば、この二人は危なくないのだろうか?
深い森の中に老婆と子供。襲われない方が不思議だ。
「泊ってってください。その方が、ルックも喜びます」
「……わかりました。お世話になります」
「お姉ちゃん、泊ってくの?」
「うん。もしかして、迷惑?」
「ううん。そんなことはない……けど……」
「ルック。変な事言うもんじゃないよ」
「……はーい」
……なにか、嫌な事でもあるのだろうか。
「ではお客様。こちらの部屋が空いてますのでどうぞこちらへ」
「あ、ありがとうございます」
連れてこられたのは、ベッド以外物の置かれていない部屋だった。
あるのはたった一つの小さな窓だけ。部屋というよりは、牢獄だ。
「それでは、おやすみなさい」
「はい。おやすみなさい」
私はベッドに横たわりランプの灯を消す。
そして、枕の下に拳銃を隠して横になる。
……私は、どうなるのだろうか。
そう言った気持ちだけが、胸の中に渦巻いている。
どれくらいたっただろうか。不意に、部屋の戸が叩かれる音がする。
「……お姉ちゃん、起きてる?」
……ルックだ。だが、声を忍ばせているあたり、様子がおかしい。
「……どうしたの?」
「……いいから、ドアを開けて」
私は枕の下にある拳銃をポケットに隠し、扉を開ける。
「お姉ちゃん、荷物を持って早く逃げて」
「……そっか。やっぱりここは」
「ここはなんだい?」
男の声が会話に割り込んでくる。
その声を聴いて、ルックは目を見開き動揺し始めた。
「よおルック。まさかお前みたいな悪党が人助けするなんてなあ!」
「うるさい! もう、お前らの言う通りになんてしない!」
「ああ、そうかい。立派になったもんだな。俺よりも人を殺してる癖によ!」
その言葉が終わると同時に、ルックは何者かに吹き飛ばされる。
しばらくすると、男の声の持ち主であろう大柄な男が現れる。
「ま、そういうことだ。さっさと荷物を置いて消えたら、命はとらね……」
一つ、私の手に握られているモノから乾いた音がする。
その音が鳴り終わった後、男は地に伏せ物言わぬ死体になった。
「おねえ、ちゃん……?」
「ルックくん。もしかして、キミはこういう事をずっとしてたのかい?」
「えっと、その、強制されてて、あの、その、そうしないと、おばあちゃんをころすって、その……」
「そっか。だから仕方なく人を殺してたんだね。もしかして、おばあちゃんもかな?」
「ひ……う、うん! だけど、おばあ」
もう一回、銃声が家に鳴り響く。
いや、その音に駆け寄ってきたであろう老婆のも合わせると二回か。
私は人殺しの言葉を信用しない。
それが誰であっても、どんな奴であっても。
それがたとえ、自分であっても。
これで、ここの人たちに殺される人はいなくなった。
だから……また一つ、『正しいことをした』のだ。