マザーテレサ
「たかしー!ご飯よー!」
うるせえなァ。今ゲームがいいところだったのに…。
「早く食べないと冷めちゃうから、さっさと降りてきな!」
はいはい、わかったよ。
大声で呼びかけられ僕が一階に行くと、父さんが台所にいた。
「おっ。ご飯は炊けてるんだが、魚がもうちょっとだ。ちょうど良かった、これ頼むな」
そう言って父さんは仏壇用に供えられたご飯を僕に渡した。
ご飯って、自分の分かよ。毒づきながらも僕は仏壇に向かった。仏様に両手を合わせむにゃむにゃと意味のない考え事をする、フリをする。
僕の母さんはもうこの世にはいない。僕が生まれたのと同時に死んでしまった。おかげで僕は母さんを知ることができず、その肉声を聞くことは叶わない…はずだったのだが、母親の愛が生んだ奇跡か、はたまた単なる嫌がらせか、約一年前、母さんは声になって僕の前に現れた。
おかげでこの家に僕の安住の地はない。やれ宿題をしろだの、洗濯物をたためだの、隙あらば声が飛んでくる。この声に返事をしても大抵無視されるが、試しにジャ○プを買ってきてと何もない空間に言ってみたら、次の日マガ○ンが僕の机に置かれていたことがあった。
「明日は母さんの命日だな…」
晩ご飯を取りながら、父さんがポツリと呟いた。父さんには声は聞こえない。僕は黙って魚を穿り続けた。
「たかし…」
深夜。僕が物音に気づいて目を覚ますと、部屋に女性の幽霊がいた。若い。20歳くらいだろうか。母さんが僕を産んだのがそれくらいって言ってたっけ。
「…母さん?」
僕は恐る恐る尋ねた。こうして姿をこの目で見るのは初めてだった。
「お別れを…最後に一つ言っておこうと思って…」
幽霊が哀しそうに微笑んだ。
「私は、貴方の…本当のお母さんではないの」
僕は黙った。
…薄々気づいていたことだった。そもそも僕の名前はたかしではなくゆうすけだ。
「私、どうしても子供が欲しくて、成仏できないまま…それで、いけないとはわかっていたんだけど」
幽霊が心苦しそうに呟いた。
「貴方の本当のお母さんには悪いと思っていたけど…どうしても」
「気にしなくていいよ」
僕は言った。本当はもっと気の利いたことを、一年間ありがとうとか、本当のお母さんみたいで嬉しかったとか、たくさんのことを言いたかった。でも、何も出てこなかった。
「ありがとう」
そう微笑んで幽霊は消えた。幽霊に一体どんなルールがあるのか分からない。でも、お別れだ。もう声は聞こえない。
急に静かになった部屋の中で布団に潜り込みながら、明日は二人分、お花を買ってこようと僕は思った。




