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 リストニアの住人のほとんどは学院の関係者なので、学院を頂点に放射状にひかれている街道に立ち並ぶ店も花屋や色にまつわる店が多く、花彩師ではなく色を使って品物を作る職人を目指している生徒たちが共同で店を立ちあげている場合も少なくない。

 その中心地と言える烏と木苺通りにレンカは連れてこられていた。

 さすがに夏季休暇中とあって普段より人気はまばらだが、それでも十分にぎやかだった。こんな場所に来るのは久しぶりだ。思わずきょろきょろと店を覗いていると、横で笑みが漏れる気配がした。

「なにか見たいものがあるなら寄るよ?」

 甘い顔をいっそう和ませて笑う彼に、レンカは顔に熱がのぼるのを必死にごまかしてかぶりを振った。

「結構です。早く買い物すませてください」

「素直じゃないなあ」

「だったらもっと素直な生徒に頼んだらどうですか? たくさん来るんでしょう?」

「まあね。でもそういう子に荷物持ちさせるのは可哀想だから」

 こちらをからかってくる男に突っかかるのもばからしくて、視線を店の方へと戻した。くだけた口調についてはぜったい言及してやらない。どうせこちらが年下なのはあきらかなのだし、気にしてはいけないと自分を戒めた。

 買い出しというのは嘘ではなかったらしく、彼は日用品からレンカには用途がよく分からない薬草の類など幅広い商品を買い込む気のようだ。

 日用品と薬草などが同じ通りにあるはずもないので、これからいろんな通りをあっちこっち引きずりまわされるのは目に見えている。

 こんなはずではなかった、という科白が頭の中をふらりと旋回した。

「ほら、ちゃんと付いてきて」

 数メートル歩いただけで早々に飼い主に抱っこをせがんだ三毛猫にまで、にゃあにゃあと呼ばれては姿をくらますのも容易に出来ない。すでに持たされている二つの袋を放り投げてやりたい衝動を抑えながら、グラン・ビアスの背に続いてにぎやかな通りを横切った。

 一本奥へ入るとにぎやかさはさらにまばらになる。代わりに通りのそこかしこに嗅ぎ慣れない薬草や花のにおいが広がっていた。

 グラン・ビアスは迷わぬ足取りで軒先に乾燥させた薬草を吊るしてある露店に向かう。歩幅が広い彼にこちらを慮るつもりはないようで、レンカはせっせと小走りしなければならなかった。

「こんにちは」

 座り込んで眠たげな瞼をこすりつつ店番をしていた少年は、客が来たと分かるとすぐにぴょこんと立ち上がった。

「いらっしゃい」

「いつものはある?」

 どうやら常連らしい。少年は「いつもの」なんていうなんとも曖昧な言葉だけで、的確に目当ての薬草を軒先から外し、袋に詰めていく。レンカからすれば十分な量だったが、グラン・ビアスには違ったらしい。小首を傾げて少年に問いかける。

「あれ、いつもより少ないね?」

「今年もあいかわらずの冷夏だし、これ以上は収穫出来ないって父さんが」

 少年の言葉は、昨日聞いた生徒たちのそれよりもずっと些細なものだった。レンカへの悪意を微塵も感じないからこそ、痛みもない。けれど、確実に広がった苦味は隠せなかった。

「分かった。ありがとう。店番お疲れさま」

 グラン・ビアスは少年に多めの銅貨を与えて、あっさりと店を後にする。もちろん買った薬草はレンカが持った。

 さっさと次の店に向かう背を追いながら、レンカの気持ちはあきらかに沈んでいた。

 冷夏の影響を分かっていないつもりではなかった。でもいざ当てつけではなく、本当に困っている人に直面するとなんとも言いづらい靄が胸中に広がる。

 四季を彩る責務は並大抵の重さじゃないのだ。個人の感情で乱していいものではない。教師が授業で何度も説いた言葉の意味が、ようやく理解に至ったような気がした。

 やっぱりレンカは、実習生の候補になるべきじゃなかった。才能があるとかではなく、自分にはまだまだ足りないものばかりだ。

「気にすることないよ。あんなの挨拶と同じくらいの意味しかないんだ。聞かせてごめんね」

 触れるか触れないかの指先がレンカの頭を軽く撫でていった。レンカの髪は太いので、あまり撫でられるのは好きじゃない。

 おもわず渋面になったのを彼は違う意味に勘違いしたようで、小さく息を吐くように苦笑された。

「別にいじめるために付いてきてもらったわけじゃないからさ、もっと肩の力抜いてよ。そんなに俺信用ないかな?」

「いや、それはある方がおかしいと思いますけど」

 二日前と今日の態度のどこを鑑みれば、彼を信用出来るようになるのか分からない。きっぱり否定したレンカに、彼はひどいこと言うね、とさらに笑みくずれた。あらかた予想していたくせによく言う。

「はい、じゃあ荷物持ちさんにせめてもの気持ち。どうぞ」

 差し出されたのは、硝子細工で作られた手のひらサイズのヒマワリだった。普通のヒマワリよりも濃い色をしている。ちょうど、レンカの瞳と同じくらいの。

 こんな繊細な商品が売っているような店に入った覚えはない。いったいいつ買ったのだろうと疑問に思っているうちに、あいてる手のひらに押しつけられてしまった。

「は? も、もらえませんこんなの」

「せっかく買ったんだから、もらっておいてよ」

 こういうのは本当に困る。だいたい優しくされるのには慣れていないのだ。

 誰もがレンカとの間に一線を引いてしまうから、その線を超えないように息を殺してきたのに。むやみやたらに近づかれたらどうしたら良いか判断出来ない。

 頭の中では返したいと切実に思っているのに、ヒマワリを持つ手はすっかり硝子で作られた細い茎を大切に握ってしまって手放せない。

 無性に負けたような気分になっていたら、「やっぱり色がぴったりだね」などと聞こえたが、レンカは完全に空耳だと思い込むことにした。

「きれいなのでもらっておきます。ありがとうございます」

 グラン・ビアスはいちいち反応を楽しんでいるらしく、嫌味たらしいぐらいきれいな弧を唇にえがいた。

「どういたしまして。やっぱり夏の花は色が濃くていいね。鮮やかっていうか」

『暑い夏がいいな。空がとびきり青くて全部の色が鮮やかな、そういうの』

 ハイルの声が鼓膜に響いた気がして、急に息がしづらくなった。これも空耳だ。だってもうあの人はどこにもいない。

「そうですね」

 なんとか平静を保ったことには、さすがに気づかれなかったようだ。再び歩き出したグラン・ビアスの背を追っていくと、曲がり角の十字路に出た。そこで彼が振り返る。

「ちょうどいいからここで待っていて。荷物は持っていくから」

 言うなり、片手に抱いていた三毛猫をレンカに寄越してきた。見た目以上の重さにおもわず他の荷物を取り落としそうになる。もう片方の手で彼が荷物を支えてくれなかったら、せっかくもらったヒマワリが壊れてしまうところだった。

 たしかに他の猫より丸々としていたが、これはさすがに重すぎる。腕が痺れだすのも時間の問題だった。

「この子太りすぎじゃないですか……」

 人の呻きなど素知らぬ顔で、三毛猫はのんびりとひげを伸ばしてあくびをした。だらしのないたるんだ頬がなんとも言えない愛嬌をかもしだしている。

「この子じゃなくてミッケね。最近食欲旺盛なんだ。じゃあよろしく」

 ペットによく似た顔をして、グラン・ビアスはすたすたと行ってしまった。

 これなら荷物を持っていた方が楽だったのではないだろうか。でも肉づきのいいふかふかのお腹がなんとも手触りがよくて抱き心地がいいので、一度抱くとおろす気になれなかった。

 それにしても「ミッケ」という名前を、彼が付けたのかと思うとどうにも似合わない。もっと大仰なほど華美な名前を考えつきそうなものだ。そういうセンスには恵まれなかったのかもしれない。

 眠たそうに目を細くしたミッケを落とさないように抱え直し、レンカは見るともなしに空を見上げた。灰色の雲が立ち込めているが、さいわい雨の気配はしない。学院に戻るまではもつだろう。

 ふと、耳に馬の蹄と車輪の音が届いた。

 体が硬直したのがいやでも分かった。

 息が乱れるのをなんとか抑えようとして、腕の中のぬくもりに縋る。ミッケはされるがままになっていてくれた。

 そのうちに視界の隅から馬車がやってくる。規則的で、穏やかな音の羅列は人々の生活を乱す様子もなく溶け込んでいる。体半分しか乗れていない人もたくさんいるのに、誰も落ちる心配なんてしていないみたいだ。

 あの人が乗った馬車がもしこんな風なら、投げ出されたりはしなかったかもしれない。もう決まってしまった過去を今さら思い返しても仕方ないけれど、そんなことを思わずにはいられなかった。

 突然、ミッケが重さを無視した素早さでレンカの腕をすり抜けて、進んでくる馬車に近づいた。

 まるでレンカを誘うように。

 一歩、足を踏み出してしまえば、後の数歩は簡単だ。なにも考えなくていい。ただ前に向かえばそれで終わる。

 レンカの体は自らの意思すら関係なく、馬車に向かっていった。誰も馬車に突っ込もうとする少女には気づかない。レンカの視界にはもはやミッケすら映っていなかった。

 蹄と車輪の規則的な音が、レンカに必要な距離を教えてくれる。

 あと六歩、五歩――そこまで来て、ふいに馬と目が合った気がした。歪んでぐらついていた視界が一気に息を吹き返したと同時、足が竦んだレンカの腕を誰かが引っ張った。

「危ないよ。そんなにふらふらして」

 彼にしては珍しく切羽詰まった声音をしていたように思う。

 レンカがぼんやりとあたりを見回している間に馬車は通り過ぎ、人がまばらな通りには静けさが戻っていた。

 だめだったのだ。失敗した。理解したそばから、じわりと心臓の裏側から這い上がってくる恐怖心に吐き気がする。

「ごめん――」

 グラン・ビアスの言葉さえうまく聞き取れない中で、視界をよぎったのは青の瞳。よく知った色とは似て非なる、青。

 ――暗い影を落とした中でさえ明るく輝く青を、レンカはひとりしか知らない。

 まなうらに現れた青を自覚した途端、気づけばグラン・ビアスの肩を力任せに押していた。

「謝るなら毒薬を作ってください」

 声が震えているのが、どうか彼に伝わりませんように。

 叶わない恋と共に、思い出もレンカ自身もぜんぶ息絶えてしまえばよかったのだ。そう思っていたはずなのに。

 痛ましげに緩められる目じりを見たくなくて、レンカは硝子のヒマワリを彼に押しつけて踵を返した。


 こんな時ばかり落ち着き払った馬よりも、分かったふりをするグラン・ビアスよりも、馬車をこわいと思った自分がなによりも許せなかった。


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