日常はいつだって
「はあ・・・。女子が使ってる、日焼けどめクリームがほしい・・・」
アパートの前で訪問販売員ともめた次の日は、雲のない青天だった。
一也は、登校のために通学路を行きながらも、痛むように目をしばしばさせてしまう。
(この、無意味なまでの陽光のハレーションは・・・。ぼくに学校なんかより、夜の仕事でもしてろってことなのか ーー)
どんどん酸化が進んでいく光に、思わずつぶやきが漏れてしまった。
もともとは、子供に混じっての学校生活なんて、楽にいける自信があったのに・・・。
「おはよっ!」
そんな風にのろのろ歩いていると、クラスメイトに肩を叩かれてしまった。
「ーー やあ。水上さんか」
「ふふふ・・・相野くんは、いつも眠そうだねえ。
数学の宿題はやってきたのかな?」
彼女は、ショートカットの、快活さと容姿で男女から人気がある、白陵 のヒロインだ。
「まあ自信はないんだけど、いちおうね」
ごまかすようにあくびをしながら、一也はとなりに並んだ少女と歩いていく。
もっと短いスカートの女子はいるのに、水上 紗良の足は、目をそむけさせる力があるのだ。
眩しいものというのは、それを蹂躙するときは別にして、ヴァンパイアにとって天敵になる。
「じつは、私もあんまりできなかったのよ。 あとでノート見せてもらってもいい?」
朝からくっきりとした笑みで、彼女は言う。
「ぼくも、数学はそんなに得意じゃないからねえ・・・」
「でもキミは、授業ではよく怒られてるけど、宿題の答えは間違ったことないよね?」
その時、ふっと空気が冷たくなったように感じ、少年はあわてて前を向いた。
「ーー そんなわけないじゃないか」
「今日、当てられるかもしれないの。お願いします」
ぺこりと頭を下げて、友人を見つけた彼女は離れていく。
あとに残されるようになった一也は、地味な外見をしていた。
吸血鬼は、多くが見目麗しいと言われるが、余計な人間関係を持たないためにも、それを魔力でカモフラージュしているのだ。
ーー あらゆる意味で、目立ったことなど一度もない。
なにか失敗をやらかしていたのかと、彼は水上が友達に向ける横顔を、呆けた表情で見つめていた。
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平穏に過ごすようにはしているのだが、少年もいちおう、人にとっては ”捕食者” と呼ばれる存在である。
たまにだが、獲物を探すことはあった。
・・・まずは魔眼をかけ、そっと路地裏につれ込み、やわらかく牙を立てていくのだが・・・。
そこでは血の代償に快楽が与えられるので、意地の悪い同族につかまった獲物は、夢のような中で危険にさらされることもあった。
「・・・さーて。
今日のところは、どうしようかな」
一也は、ぼんやりと自分の席に座ったまま、考え事をしていた。
ついさっき、昼休みのチャイムが鳴ったばかりである。
(お腹はすいてるんだけど・・・今月は、2ヶ月に1度の、生活保護の振り込みがない月だし、この弁当じゃあな)
とても恥ずかしくて、机には広げられそうにない。
ーー おにぎりが二つに、大豆プロテインが一さじ。
およそ人間の動きと筋肉の回復において、これ以上の低価格はないという、不死者ぎりぎりのパフォーマンスだった。
もしばれたら、変人呼ばわりされてしまう。
(・・・それに、本当の食事 も、できるだけガマンしてるんだよ・・・)
それを思い出すと、ひもじさで立つ力もなくなる。
ーーえ。
体を揺らされたのは、そのしばらく後だった。
「ねえ! ・・・」
考えが何も続かない状態だったので、机に突っ伏したまま、返事をするのが遅れてしまった。
「美術室まで、来てほしいんだけど」
それを聞いて、ぐりっと首だけ横に向けると、その生徒はふてくされたようにつま先を動かしている。
細いウエストから、どこか知っているような足へのライン ーー
・・・あれ? たしか水上さんの用事は、すんだはずだったよな。まだ何か、あったっけ・・・。
放心していた一也が目をこすり、やがてのけぞると、そこに立っていた "橘かすみ" も身を引いていた。
「なんで教室にいるんですか、先輩!」
「何でって・・・」
困ったような細い眉に、全員が注目している。
「少し、相談したいことがあるんだけど」
緑ではなく、一也たちの一学年上の、三年の藍色のリボンをつけた彼女は、自分たちの正体も気にせずバカ正直に告げていた。
水上紗良と校内で一、二を争う彼女の容姿は、素顔を隠していない吸血鬼だからに過ぎない。・・・特に橘かすみは、雰囲気が静謐であり、身長はやや低めだがミステリアスな気だるさで、”小さな黒天使”として一部から狂信的な支持を得ているのだ。
「とりあえず、出ましょう」
『ーー 一也なんかに、エンジェルフォール級の高嶺から、花が落ちてきたぞ!』と友人たちがわめいている。
先輩への配慮のためか、ほとんどの者が息をのんで見守っているだけなのだが・・・。
女子の方に、衝撃の反応がけっこうあるようだ。
センパイ・・・同性のほうが獲物、多いんですね。
彼女は 人間 を外見で惹きつける、まっとうな生き方をしているのだ。
「そこ、うるさいよ! ただの遠い親戚ってだけなんだから!」
そうクラスメイトに真実を告げ、一也たちは教室から逃れていく。
こういうことは、一体、いつ以来になるだろうか・・・。
ヨーロッパに拠点をもつ、『正道教会』が "大粛清" を行ってから、自分たちは肩身がせまいのだ。
そんな少年の日常が動くのは、大抵がこんな感じの、誰かの無神経のせいなのである。