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第89話 列強

「ハイエルフの交戦開始を確認……」


 サイクロプスの大きな瞳が、反対側の斜面で発生した戦いを捉えた。


 対物ライフルを運用する際、彼女は二脚を必要としない。スコープを必要としない。ライフルの反動を受け止めるだけの強肩と、2キロ程度の距離なら容易く見通せる視力があるからだ。専用のターレットゴーグルはあるが、これはそれより遥か先を確認する際などにしか、用いられない。

 この時もサイクロプスは、裸眼によって戦場を完全に把握していた。反対側の山の斜面に陣取り、敵と味方の動きを目で追うのが彼女の仕事だ。そして必要とあらば、超長距離の精密射撃で、味方の支援を行う。


 標的のスケルトンと接触したハイエルフは、おそらく皇下時計盤同盟ダイアルナイツの1人と思しき個体とも遭遇していた。その後、ハイエルフは当該個体との戦闘を開始。標的は取り残された形となる。

 スケルトンは左腕が不自然に肥大化し、そしてより禍々しい形状へと変質していた。サイクロプスはターレットゴーグルを降ろし、レンズを切り替える。魔力感知式レンズに切り替えた瞬間、そのスケルトンの左腕からは、過剰なエネルギーが漏れ出しているのを視認することができた。


 やはり、あれが王片なのだ。


 サイクロプスは、ゴーグルをあげ、対物ライフルのストックを肩に当てた。斜面に生える木々が邪魔だが、それでも、腕一本を吹き飛ばす程度ならば容易なことだ。顔の半分を占めるような大きな瞳に、ターゲットの姿が写る。


「見つけたッ!!」

「……!?」


 狙撃に集中をしていたサイクロプスは、その時、横合いから殴りつけるように接近するその存在に気づくのが、いささかばかり遅れた。身体をわずかに逸らすが、少女の蹴撃を回避しきることはできない。全身に鈍い衝撃が走り、気が付けば彼女の身体は大きく吹き飛ばされていた。

 鈍痛に軋む身体を引っ張り上げ、サイクロプスは顔をあげる。そこには、濃いピンク色の髪をした、まだ10歳ばかりの少女が立っていた。彼女の周囲には、不気味な色合いをしたエアロゾル状の物質が霧のように漂っている。冥瘴気ミアズマだ。


 皇下時計盤同盟ダイアルナイツに1人、冥瘴気を操る少女がいるという噂は、サイクロプスも耳にしたことがある。すなわち、目の前にいる彼女がそうなのだ。

 よく見れば、彼女は狙撃で腕を吹き飛ばしたあと、瞬時に再生させて姿を消した少女だった。逃げたのかと思ったが、どうやら、こちらの居場所を悟られたらしい。


冥瘴剣ミアズマカリバーッ!!」


 少女は叫ぶなり、瘴気の中から1振りの剣を引っ張り出す。闇を塗り固めたような黒い剣身は一切の光を反射せず、宵闇の中に溶け込んでしまう。

 サイクロプスは、再びターレットゴーグルを下ろした。レンズを切り替え、大気中に散布された魔力量を改めて確認する。少女の周囲では、漂う冥瘴気ミアズマが魔力を食い尽くしているため、その姿がぼやけてしまう。同時に、少女の手から伸びる60センチほどの、魔力が一切存在しない空間が見えた。その60センチが、すなわち彼女の得物の長さだ。


 ターレットゴーグルには2つの意味がある。1つは、こうしてサイクロプスの目では見えないものを確認するため。もう1つは、その大きさゆえに弱点となりうる彼女の単眼を保護するためだ。ゴーグルを下ろしたことで、サイクロプスは臨戦態勢となる。対物ライフルを肩にかけ直し、腰のベルトのリボルバーに手を伸ばした。


冥瘴闘法カラミティ―――」


 少女は剣の柄を両手で握り、腰構えを取る。サイクロプスがホルスターから銃を引き抜き、撃鉄に手をかけるまでの間に、少女は剣を勢いよく振り上げた。


霞斬りストラッシュ!!」


 振り上げられた冥瘴剣ミアズマカリバーの刃は、そのまま空間を引き裂く。大気中に潜む魔力を食い散らかし、同じ瘴気へと変えて、瘴気の間を伝播する力は瞬間的に空間の接合面を分離させた。サイクロプスは身体を後ろへと飛ばして、斬撃の射程範囲から逃れる。

 真っ二つに切断された空間は、周囲の木々を粉砕し飲み込んだ後、すぐさま元の形へと繋がった。


 空間の繋がった直後、サイクロプスは銃口を少女の頭部へと向ける。引き金を引く動作に、なんの躊躇いもなかった。


 人間であれば肩の骨が砕け散るほどの衝撃を、サイクロプスの細い豪腕はたやすく受け止める。飛び出した銃弾は、驚異的な加速と殺人的な質量を持って、少女の額へと着弾した。真っ赤な花が散って、少女の頭が半分ほど吹き飛ぶ。が、それも一瞬、すぐさま冥瘴気が集まって彼女の頭部を再生させる。


「化物……!」


 サイクロプスは舌打ちと共に短い罵声を飛ばす。


「まぁね」


 再生したばかりの頭を片手で押さえながら、少女は笑った。


「化物だよ。あたしもあなたも。戦いに特化させて身体をいじくられた怪物だ」

「………!」


 サイクロプスは再度、対物ライフルを構えた。銃口を少女に向ける。この至近距離で、ヒトの形をしたものを相手に使うような武器ではない。だが、サイクロプスは躊躇しなかった。

 ライフリングを辿って弾丸が飛び出す。弾丸は、今度は少女の胸を破壊した。肉と骨を吹き飛ばすだけでは飽き足らない。強化ガラスや航空機のキャノピーも貫通する、アンチマテリアルライフルの大口径弾だ。人体などたやすく破壊せしめる。だが、勝利の確信には至らなかった。正面からやり合うには、あまりにも分の悪すぎる相手だ。少女の身体が再生を始めている隙に、サイクロプスは斜面を駆け下りる。


 ターレットゴーグルをあげ、戦況を再度確認する。


 アケノがユニコーン、雪女と交戦中。他の血族候補を、時計盤同盟の男が追っていた。あれは第6時席“剣暴術数”。あそこにいる血族候補たちが、すべて帝国側の手に落ちるのは、時間の問題であるように思えた。

 シャッコウは交戦中。ハイエルフもだ。だが、広い視野で見れば戦況は既に収束しつつある。血族候補の捕獲。両軍がそれを済ませれば、自然と撤退せざるを得なくなるだろう。となれば、いま一番気にかけるべきは、王片の力を宿した、あのスケルトンだ。


 サイクロプスは遊底を引き、空薬莢を排出する。


 あのスケルトンがどちらの手に渡るか。王片が帝国に奪われた場合、リカバリーするのは難しい。

 そこでふと、サイクロプスは、背後から少女の気配が追ってきていないことに気づいた。同時に、広く発達した視界の片隅に、素早く動く影のようなものを発見した。サイクロプスは斜面を転がるように走りながら、そちらの方へと目を向ける。木々の間を獣のように駆ける、1人の男の姿があった。


「あれは……!」


 直接の面識はないが、見覚えのある姿だった。うかうかしてはいられない。サイクロプスは、斜面を蹴る脚に、更に力を入れた。




「せいやぁぁぁぁッ!!」

「たぁぁぁぁぁッ!!」


 瑛と小金井の激突は、それだけで大気を揺らし、木々を軋ませ、大地を捲り上げた。


 小金井はおそらく、血族の配下に下ったことでフェイズ3に到達している。具体的にどのような能力であるのかまでは不明だ。だが、フェイズ1の時点で精霊魔法を自在に使いこなした種族能力や、竜崎から聞いたフェイズ2と思しき精霊憑依能力を考えたとき、今の力は間違いなくその延長線上にあるものだ。

 身体の構成を火、水、風、地のいずれかに素早く変質させているその能力。《精霊融合》とでも呼ぶべきものなのか。もともと高水準であった彼の魔法能力で肉体を操作しているのだから、攻防において隙がない。


 小金井の方は、まだ予想がつけられる。


 だが、瑛の方の能力は、いったいどのようなものなのか。


 黒い甲冑から放たれる一撃一撃は、いずれもが極めて重い打撃である。背中から吹き出す蒸気と炎は、果たして瑛の能力によるものなのか、それとも、この黒い甲冑の力によるものなのか。瑛は恭介たちと離れる瞬間まで、フェイズ2に覚醒したような様子はなかった。だが、いかに帝国側から特殊なアイテムが貸与されていると言っても、フェイズ1の状態でフェイズ3の小金井と互角に渡り合えているとは考えづらい。

 すなわち、瑛はフェイズ2に覚醒しているのだ。だが、それがいったい、どのような力であるのかまでは、わからない。


 瑛の拳が、小金井の身体を捉える。小金井は身体を瞬時に精霊融合させ、風と化して逃走を開始しようとした。だが、その途端瑛の全身から高熱の蒸気が吹き出す。熱気に包まれた小金井の身体は逃げ場を失い、精霊化が解除された。蒸気による熱のダメージか、山の斜面を転がる彼の身体は、痛みにのたうつ様子が見られた。


「火野……っ!」


 片手を地につき、咳き込みながら瑛を見上げる小金井。だが、瑛の歩みは止まらない。瑛の両手の拳、甲冑のガントレット部分が、真っ赤に赤熱化するのがわかった。拳が振り下ろされる瞬間、小金井の身体は弾けるようにして姿を変えた。


「だぁっ!!」


 瞬時に全身を炎へと変えた小金井は、その炎を包み込むようにして、土と岩でできた鎧を紡ぎ出す。赤熱化した拳を片手で受け止め、もう片方の手で、瑛の甲冑を思い切り殴りつけた。


「……!!」


 だが、瑛の身体は動じない。殴りつけてきたもう片方の拳をつかみあげると、彼は背面のスリットから凄まじい蒸気を噴き出した。自然、力比べの姿勢になり、そのまま小金井の身体をたやすくねじ伏せる。地面に倒れ込んだ岩の鎧を、瑛は片足で思い切り踏みくだいた。

 小金井は残った岩の鎧もすべて炎に変えて、瑛の攻撃から離脱する。互いに決定打を与えきれない状況が続いた。両者が離れ、にらみ合う。2人はにらみ合った姿勢のまま、再度ぶつからんと大地を蹴る。その時だ。


「瑛! 小金井!」


 2人の激突の間に、恭介が割って入る。彼は小金井を横合いから突き飛ばし、瑛の甲冑めがけて思い切り拳を叩きつけた。分厚いコンクリートの壁を殴りつけたような、鈍く薄い手応え。恭介も手加減したつもりは一切なかったが、瑛の甲冑はびくともしなかった。


「邪魔をするな、恭介!」


 瑛が激昂も顕に叫ぶ。


「小金井が今までに何をしてきたか、放っておいたら何をしでかすか! 本気でわかっているのか!」

「うるさいっ!!」


 だが、恭介も噛み付くように叫び返した。おおよそ彼らしからぬ反応に目を見開くのは、小金井の方だ。

 瑛も、思わぬ言葉を浴びせられて意表をつかれたのか、一瞬動きが硬直する。


 既に恭介の身体はエクストリーム・クロスとなっている。顔の作りが人間に近づいているからこそ、その表情はより鮮明になっていた。両目を吊り上げ、眉間にしわを寄せ、口を大きく結んだその表情は、空木恭介がいまだに浮かべたことのない、憤りのものであった。


「俺が涙を流して『2人とも喧嘩はやめてくれ』なんて言うとでも思ったのか!? 俺は喧嘩を止めにきたんじゃない。お前たちを一発、殴りに来たんだ!」


 恭介の激昂を前に、瑛も小金井も静まり返る。


「……あ、ウツロギ、俺も殴る?」

「瑛を殴ったからな。そうしないと不公平だ。後でいいけど」


 恭介の視線は、瑛へと向けられている。その間、彼と合体した凛は無言のまま、周囲に気を配っていた。


「瑛、おまえは帝国側についたんだな」

「………ああ」


 やや間があってから、瑛が答える。


「理由があるのか」

「帝国と約束を取り付けた。力を貸せば、帰還の手助けをしてくれると。だから僕は……」


 おおかた、そんなところだろうとは思った。瑛も、自分1人でなんとかしようと抱え込むタイプだから、さもありなんだ。


「俺も小金井じゃないが、帝国のやり口は信用できない。抜けられないのか?」

「ダメだ……。猫宮たちが捕まっている」


 それは実のところ、難しい問題と言えた。猫宮たちが捕まっているなら、実質、瑛は人質を取られているも同然なのだ。だが、他人にさほど頓着しない彼が、そこまで『クラス全員で無事に帰還する』ということに固執しているのは、恭介にとっていささか不自然に感じられた。


「瑛、おまえは、何をしたいんだ?」


 恭介は、瑛を正面から見据えながら尋ねる。甲冑に包まれた瑛からは、その表情を読み取れない。やがて彼は、静かにこれだけ言った。


「……言えない」

「そうか」


 恭介も短く答え、ジークンドーの構えを取る。


「やめてくれ、恭介。君では僕には勝てない」

「知ったことか……!」


 口にした言葉には、再びの怒気が滲んだ。


「寝言言えなくなるまで殴ってやる!」

「猫宮たちがどうなるかわからないんだぞ!」

「おまえが本気でそれだけの為に動いているなら、俺だって協力する……!」


 恭介は、構えをとったまま瑛ににじり寄る。


「協力する! おまえも、小金井も、それに俺だって、1人でなんでもできるほど器用にできちゃいないんだ! 瑛、おまえはどうしたいんだ!」

「………!」


 恭介がにじり寄るたび、瑛は動揺を顕にしながら後退した。

 あとひと押し、あるいはふた押し。だが、どのみち瑛の動揺は大きい。


「信じてくれ、恭介……。僕は、必ず、君たちを元の世界に返す……!」

「じゃあどうして、俺にそれを手伝わせてくれない!」

「君に手を汚して欲しくないんだ!」

「……ウツロギ、下がれ!」


 問答の最中、背後から聞こえた小金井の声に、恭介ははっとする。


「ハッハァ――――ッ!!」


 テンションの高い叫び声と共に、横合いから怪物が飛び込んできた。筋骨隆々の体躯に、オールバックの頭髪。殺意に滾る赤い双眸と、口元から覗く大きな犬歯が、その怪物の出自を明らかにする。先ほどフィルハーナと戦っていたルークだ。血にまみれた拳を叩きつけられた瞬間、恭介の身体はいともたやすく吹き飛んだ。


「少しばかり、お友達ごっこが過ぎたようだぜ! スケルトン!」

「ぐうっ……!」


 吹き飛んだ恭介の身体は、木々に叩きつけられる。液化が機能しない。直後、エクストリーム・クロスが解除され、恭介と凛の身体が分離して地面へと落下した。


「シャッコウ、何をするんだ!」

「寝ぼけたこと言ってんじゃねぇ!」


 シャッコウと呼ばれたルークは、小金井の批難に怒号で返答する。


「ダイアルナイツ相手に今消耗するわけにはいかねぇんだろうが! とっとと王片を回収して撤退すんぞ!」


 王片の在り処がバレている。当然か。あれだけ大々的に言いふらされたのだ。恭介は片腕を押さえたまま立ち上がる。シャッコウがこちらに向けて歩いてくるところを、今度は瑛がタックルし、それを阻んだ。


「恭介を血族の手には渡さない……!」

「ほう、言うじゃねぇか!」


 瑛がシャッコウの身体に組み付き、シャッコウはその甲冑を押さえ込むように応じた。自然、勝負は力比べに移行する。フィルハーナ相手に殴り合いの死闘を演じ、恭介の身体をいともたやすく吹き飛ばしたシャッコウの膂力は、しかし、瑛のそれと確かな拮抗を見せる。


「あ、ぁん? こいつぁ……!」


 シャッコウの声音から、嘲りのうすら笑いが消えた。瑛の背面から、凄まじい蒸気が吹き出す。同時に、瑛の黒甲冑が、力比べに競り勝つように、ぐぐ、とシャッコウの身体を押し上げていった。


「う、お……!!」


 あのルークに、力比べで勝っている。その事実は、恭介をいくらか驚愕させた。あれは黒甲冑の力か、あるいは、瑛自身の力か。


「大したものでしょう」


 その声にはっと振り返ると、全身から血を流したフィルハーナが穏やかな笑みを浮かべたまま立っている。彼女の首からぶら下げた懐中時計だけが、妙な輝きを放っていた。


「あれは第5時席ファイブ・オクロック“焚骨砕神”謹製のゴーレムです。非常に頑健な素材で出来ていますので、動力次第ではあれだけの力を発揮できます」

「動力って……」

「アキラです。神の炉心とでも言うのでしょうか。現行の魔導炉をはるかに上回る出力だそうです。詳しいことはわかりませんが」


 フィルハーナはにこりと笑ったまま、背中に手を回し、『さて』と言った。


「さて、ウツロギ。アキラの気持ちは聞いたでしょう。我々の軍門に下ってください。身の安全と、最終的な帰還を約束します」


 恭介は、ちらりと凛を見た。彼女はすっかり伸びてしまっており、動きが取れない。

 フィルハーナの実力は目の当たりにしている。ここで反抗して敵う相手でないこともわかっているが、恭介はどうしても、彼女の言うことに素直に従うのが、癪だった。

 帝国は胡散臭い。今のところわかっているのは、それだけだ。帝国は決して悪ではない。少なくとも、血族ほど明確に対立しうる存在ではない。だからこそ、瑛も、自ら軍門に下ることを是としたのだ。


 だが、ここで彼らのもとには降れない。


 理由は、いくつでも挙げられる。

 挙げられるが、恭介はこの時、理屈で物事を考えることを放棄した。


 帝国は気に食わないのだ。圧倒的な力を引っさげて、上から押さえつけようとする、その態度が。


「ウツロギにそれ以上近づくな」


 恭介とフィルハーナの間に、小金井が割って入る。この場に再度、ダイアルナイツ級の力を持つ敵が両陣営2人ずつ、計4人揃った。だがこれだけではないはずだ。恭介が周囲に視線を配る。


 直後、恭介の左腕が、肩のあたりから吹き飛んだ。


「なっ……!」


 痛みはない。ただ、衝撃があった。吹き飛ばされた左腕は、落ち葉の上に落下してがさりという音を立てる。数拍遅れるようにして、木々の枝を擦りぬけ、1人の女性が着地した。


 その場にいる一同の視線が、吹き飛んだ恭介の左腕へと釘付けになる。

 レッサーデーモンの左腕骨を接合しただけの左腕。だが、そこには古代、神話戦争時代の遺物である神の力“王片”が宿っている。帝国と血族。そのどちらの勢力も、欲してやまない力であった。


「よくやったぜ、サイクロプス!」


 シャッコウが叫ぶ。

 吹き飛んだ手を回収するため、シャッコウが瑛を引き剥がそうとするが、彼はぐいと腕を引っ張って、その身体を大地へと叩きつけた。単眼の女性サイクロプスが肩に、大きなライフルを手にもったまま走り出す。彼女の行く手をフィルハーナが遮り、サイクロプスの細身の身体に、正面からストレートパンチを叩き込んだ。サイクロプスの身体が木々の合間を転がっていく。

 フィルハーナはきびすを返し、転がった腕骨に手を伸ばす。が、それは横合いから飛び込んできた小金井によって阻止された。恭介は片腕のまま、その王片をどちらの勢力にも渡すまいと落ち葉の上を駆け抜ける。だが、彼の目の前に、剣を片手にした細面の男が出現し、その行く手を遮った。


「なるほど、王片か」


 男は、腕骨を拾い上げて呟く。


「よもやこんなところで手に入るとはな。知っていたのか? フィルハーナ」

「いえいえ。驚きでした。ランバルト」


 男の問いに、フィルハーナはすっとぼける。そこで初めて恭介は、フィルハーナが王片の情報を帝国に秘匿していたことを知った。

 男はフィルハーナとおなじく、首から懐中時計を下げている。皇下時計盤同盟ダイアルナイツの一員だった。


 皇下時計盤同盟、フィルハーナ・グランバーナ。ランバルト・ゴーダン。それに、火野瑛。

 赤き月の血族、ルークのシャッコウ。サイクロプス。それに、小金井芳樹。


 両者に挟まれるようにして、恭介と凛の姿がある。


 瑛と小金井は、どちらも恭介のことを気にしているようだったが、両陣営の興味は、いま完全に王片へと移行しつつあった。血族側、シャッコウとサイクロプスは、すぐにでも王片を持つランバルトに飛びかかりそうであり、フィルハーナはそのランバルトを庇うように立つ。


「(きょう……すけ、くん……)」


 頭の中に意識が流れ込んでくる。同時に、足にぴたりと接触する姫水凛の感触があった。


「(凛、無事か……!)」

「(逃げよう、恭介くん……)」


 混濁した意識の中で凛が発した提案は、その時の恭介には、到底許容しがたいものである。


「(帝国と血族がにらみ合ってる今が、チャンスだから……。そうじゃないと、結局、どっちかに捕まっちゃう……)」

「(他のみんなが無事かどうか、わからない)」

「(無事かどうかはわからないけど、生きてるよ)」


 凛の意識は、徐々にはっきりしたものになってくる。


 そう、彼らが敵に殺されている可能性は、実は限りなく低い。帝国には瑛がいて、血族には小金井がいる。その事実自体は、恭介にとって腹立たしいものではあったが、彼らの存在は、両陣営に捕獲されたクラスメイトの安全を保証するものでもあった。

 最悪なのは、クラスメイトが全員、どちらかの陣営に捕獲されてしまうことだ。そうした場合、帝国と血族の戦いの中で、両陣営に捕獲されたクラスメイトを助けることは不可能に近くなる。


 凛が逃げようと言ったその提案は、確かに理屈に叶ったものなのだ。


 しかし……、


「(理屈とかじゃない)」


 凛の意識がきっぱりと言った。


「(恭介くん、火野くんに言ったよね。恭介くんは、何がしたいの?)」

「………」

「(あたしはね、恭介くんに、無事でいてほしいの。だから、この提案をしてるの)」


 恭介は、目の前の状況を確認しながら、思考を整える。


 自分が何をしたいか。

 王片を取り返したい。瑛を正気に戻したい。約束通り小金井を一回殴っておきたい。姿の見えないクラスメイトを助けたい。無事かどうかもわからないみんなと合流したい。

 考えれば、次々に浮かんでくる。


「(恭介くんがその気なら、あたしは囮になる)」


 その言葉を聞けば、恭介も白旗を上げざるを得ない。


「くそったれ……!」


 小さく言葉を吐き、恭介は俯いた。


 したいことはたくさんある。

 だが、そのために『凛を犠牲にする』のは、恭介が一番したくないことのひとつだ。


「(逃げるしかないのか? 本当にそれしか手段がないのか?)」

「(立ち向かったって、無事なんかじゃいられないよ。恭介くん。今のあたし達は、無力だ)」


 凛が残酷な物言いをするのは、おそらく恭介に逃げて欲しいというその一心によるものだろう。


「(恭介くんは、火野くんや小金井くんを許せないかもしれない。けど、だからって、ここで戦って捕まっても、満足するのは恭介くんだけだ)」

「(わかったよ……!)」


 いささか、乱暴な言葉が出るほどに、心がささくれ立つ。


 両陣営、3対3でにらみ合う。

 白馬は、雪ノ下は、烏丸は、壁野は、御座敷は、御手洗は、犬神は。果たして無事なのか。どこにいるのか。もし、彼らがどちらかの陣営の手に落ちているなら、今の戦力で救出することは極めて困難だ。

 その時恭介は、闇の中に輝く金色の双眸がこちらをじっと見ていることに気づいた。木々の合間から注ぐわずかな星灯りを、銀色の毛並みが反射する。こちらの様子を窺うように鼻先を動かしているのは、獣化した犬神響の姿にほかならない。


 フィルハーナやシャッコウ達は睨み合ったまま気づいている様子を見せない。犬神は、こちらに来いと誘うように鼻先を動かしてから茂みの中に身体を躍らせて消えていく。


「(恭介くん……)」

「(わかってる)」


 恭介は、凛の身体を纏い、身体をゆっくりと後退させた。


「逃すと思うのか?」


 背後からぞっとするような声が響く。振り返るとそこには、いつか見た顔がある。


「アケノ……!!」

「久しぶりだな。スケルトン。空木恭介と言ったか」


 こちらを見下ろす真っ赤な双眸と、口元から覗く犬歯。それ自体はもう見慣れたものだ。だが、ビショップのアケノは、それ以上に恭介にとって忘れがたい存在である。

 3ヶ月前、山中で鷲尾を殺したのがこのビショップなのだ。あの時とは違い、今の恭介と凛にはエクストリーム・クロスがある。他のルークや皇下時計盤同盟ダイアルナイツならともかく、ビショップの1体程度なら、撃退することも可能であるように思えた。だが、


 アケノとは反対側から突き刺さる視線。血族側も帝国側も、どうやら恭介を逃がすつもりは、ないらしい。


 アケノを倒しても、背後の戦力をすべて振り切るのは不可能なのだ。


 結局、あの時と同じだな。恭介は思う。

 あの時も、彼我の圧倒的な戦力差があった。あの時は鷲尾が犠牲になった。次は誰を犠牲にすれば逃げられるのか。拳を握り締める。悔しさと激情で身体がどうにかなってしまいそうだった。


「おいウツロギ、逃げろ!!」


 決して聞きたくはなかった言葉が、耳に入ってくる。顔を上げると、木々の合間を縫うように、闇に溶け込む鴉天狗の身体が舞い降りる。右手に盛った葉団扇が鎌鼬を生み出し、アケノめがけて放たれる。風の刃はアケノの頬を掠め、擦過傷を作った。

 それだけではない。地面から次々に飛び出してきた壁が、フィルハーナやシャッコウ達の身体を取り囲む。それはまさしく合図となった。シャッコウは、自らの身体を取り囲むように出現した壁を拳で粉砕し、サイクロプスもその手に構えた対物ライフルで壁を破砕した。


「ランバルト! 彼らを捕獲したのではなかったのですか!?」


 やはり拳で壁を砕きながら、フィルハーナが叫ぶ。


「そのはずだ。だが、誰かが邪魔をしたな……!」


 ランバルトも、細身の長剣で壁を両断しながら舌打ちをした。


 烏丸はそのまま恭介の腕を引っつかみ、山の斜面を一気に滑空していく。出現する防壁は壁野によるものだ。


「烏丸……、無事だったのか!?」

「まぁな」


 烏丸は苦い顔をして呟く。


 無事ではあったが、といったところだ。これは恭介にとって、悪夢の再現でしかない。自分を助けるために、誰かが犠牲になるような展開を、恭介は見たくはないのだ。だが、今は無事に逃げることだけを考えなければならない。


「白馬と雪ノ下、それにレスボンは!?」

「見てねぇ!」

「そうか……」


 恭介と凛を抱えたまま、烏丸義経の飛行速度は音速を突破する。それだけの速度でありなから、木々の間を擦りぬける巧みなジグザグ飛行は、まさしくフェイズ2能力の賜物だ。

 だが、それでなお行く手を遮るようにして、フィルハーナが前に立つ。


 血族は追ってこなかった。おそらくシャッコウもサイクロプスも、ランバルトが持つ王片を優先して狙っているのだ。


「おぉっと、その拳で俺の速さには追いつけないぜ!!」


 烏丸が叫んだのを聞いていたかは定かではないが、フィルハーナはその拳を大地めがけて打ち付けた。

 打ち込まれた拳が衝撃波を生み、木々を粉砕して土と岩盤を高く打ち上げる。烏丸の身体は、その土と岩の破片でできた壁に、音速のまま突っ込むことになってしまった。


「ぐおあっ!?」


 恭介を放り出しながら、烏丸は地面へと墜落する。クチバシが土を削りながら減速した。


 恭介が顔をあげると、倒れ込んだ烏丸にフィルハーナがゆっくりと近づいているところである。


「ウツロギ、逃げろ!!」


 駆け寄ろうとした恭介に、烏丸が叫ぶ。


「烏丸!」

「たまには俺にもカッコつけさせろってんだよ! 任せな!」


 恭介は足を止めたまま躊躇した。結局、あの時と同じことを、繰り返しているだけではないか。


「鷲尾なんかよりはずっと賢くやるから、心配するんじゃねぇよ! 助けに来るの、待ってるぜ!」


 結局のところ、それを信じることしかできない。親指を立てた烏丸に背を向けて、恭介は再度、斜面を転がるように走り出した。あの時と決定的に違うのは、今回烏丸を見捨てるのは、恭介自身の意思によるものだということだ。

 現実から目をそらしている時間はないのだ。

 だが、この戦いの場から何人逃げ果せられるか。それだってわからない。


「くそったれ……!」


 恭介はもう一度、腹の底から、その言葉を吐き捨てた。


「生き残る方だって辛いんだぞ! それをみんな……、自分だけ犠牲になればいいとか、そんなことを考えて!!」

「……うん」


 やり場のない怒りを聞き、相槌を打つのは、姫水凛ただ一人しか、いなかった。




「助けてください」


 烏丸義経は、クチバシが地面に埋もれる勢いで土下座していた。


「……賢くやるって言った結果が、それですか」


 拳を握り構えをとったままのフィルハーナが、呆れたような声を出す。

 ずぼっ、とクチバシを地面から引っこ抜く烏丸。


「死んじまったらどうしようもないからな。俺が死んだら、俺を逃がして死んだウォンバットにだって悪いってことになるだろ」


 その名を出されて、フィルハーナの表情が少し曇る。烏丸は気にせず更に続けた。


「あんたは火野よりも話が通じそうだ。俺を捕まえる代わりに、他の奴らは見逃してやってくれよ。良いよな?」

「……その結果、血族に捕まることになるかもしれません」

「でも、その血族は王片を狙ってるんだろ」


 状況はかなり綱渡りだ。実際、烏丸が恭介を逃がしたのも、相手が帝国側であればある程度安全が保証されるだろうと踏んだからだ。これが血族側だったら、どうしていたか自分でもわからない。さすがに血族化されるリスクを受け入れてまで、あのいけ好かない骸骨男を逃がすつもりにはなれなかった。

 こういうところが、雪ノ下あたりに冷ややかな目で見られる原因のひとつなのだろうな、と烏丸も理解し始めていたが、これも持って生まれた性格だ。上手に付き合っていくしかない。


「いろいろ話を聞かせてくれよ。なぁフィルハーナさん。帝国には誰が捕まって……もがっ」


 調子づいて喋ろうとした烏丸のクチバシに、フィルハーナはリングを嵌める。そのまま彼女は、通信魔法で連絡を取り始めた。


「ランバルト、そちらはどうですか。血族は撒きましたか。それは結構。魔物は? アズキアライを捕獲。傷はつけていませんね?」


 烏丸が目を見開いて、ばしばしとフィルハーナの肩を叩く。約束が違う、と言いたいのだが、フィルハーナはそんな約束をしていない。別に、破ったわけではないのだ。肩を叩く烏丸の手を、ぺしっと冷たく跳ね除ける。


「こちらですか? こちらは、カラステングを捕獲して、あとは……」


 フィルハーナは、すっと闇の中に視線を向けた。木々の間を必死にすり抜けて、2つの影が斜面を下っていく。烏丸もそれを見た。

 壁野千早と、御座敷童助である。フィルハーナがその気になれば一気に距離を詰め、無力化することも不可能ではない。だが、彼女は2人から視線を逸らして、こう言った。


「あとは見失いました。はい。血族に捕まってはいないと思いますが。相手には感知能力の高いサイクロプスがいるので、はい。警戒は怠らないようにしましょう。メロキーですか? ……見てませんね」


 どうやら、烏丸の要求を半分は飲んでくれたらしい。他の連中がどうするかはさておき、フィルハーナ個人としては、烏丸以外のクラスメイトを見逃すつもりなのだ。烏丸は感謝の意を込めて、再度フィルハーナの肩をバンバンと叩いたが、やはり今回も、冷たく跳ね除けられてしまった。

次回更新は9月7日かなー。

間に合うかちょっと不安なので、話半分に覚えておいてー。8日までには確実に仕上げます。

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