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第87話 タイム・トゥ・カム

 恭介たちがベヒーモス変異個体の討伐クエストを受注し、ゴウバヤシ達がヴェルネウスへ向けた出発準備を整え、そして瑛を含めた4人の皇下時計盤同盟ダイアルナイツが。両者のちょうど中継地点にて寄り道をしていた頃。

 小金井芳樹は、ゼルガ剣闘公国にいるというクラスメイトたちを捕獲するため、血族の居城を出立した。


 同行するのはビショップのアケノと、六血獣ゼクスブリードとして新たに戦力に追加された血族化サイクロプス。そして、六血獣の実験用個体として事前にアケノが用意していた血族化ワイバーンだ。

 小金井としては、クラスメイトと衝突する可能性があるこの任務は気が進まない。だが、この道を選んだのは自分自身だ。この作戦に参加することで、仲間たちが命を落とす可能性がわずかでも下がるというのなら、自分がとった選択肢にも、意味がある。


「アケノさん。移動手段がヘリって、どうなの」


 窓の外に変わる景色を眺めながら、小金井がぽつりと呟く。


 2年4組のクラスメイト達にちょっかいを出し続けたせいで、血族の戦力は徐々に低下している。が、元の世界からの救援物資は、引き続き送られ続けていた。スオウ達と過ごした居城にも、発電機やら薄型テレビ、それに据え置きのゲーム機などはあったのだが、ここ最近、送られてくるものはどんどんエスカレートしている。ヘリコプターやジープ、無線機など。確かに移動手段としては極めて有用かつ安全なのだろうが、ファンタジー世界的な情緒はあまりにもない。血族化したワイバーンは、その翼を大きくはためかせながら、ヘリコプターの隣を飛んでいた。


 情緒がない、と言えば。


 小金井は、隣に座る女性を見た。

 額から生えた一本角、顔の半分ほどもある巨大な単眼。見た目の強烈なインパクトにはいまだに慣れない。サイクロプスと名乗った彼女は、それ以上の呼び名を教えてはくれなかった。ぎょろりとした大きな瞳は、窓の外を眺めているだけで、やや退屈そうだ。口元には風船ガムを膨らませている。

 一般的に知られるサイクロプスとの見た目の際はさておいても、彼女の装いは極めて特殊で、ファンタジー的な情緒にかけていた。


 特殊部隊を思わせる対衝撃スーツに、ターレット式の三連レンズがついた専用ゴーグル。何より目を引くのが、天井から突き出しそうな長さのライフルだ。

 軍オタとしての知識もそこそこ持ち合わせる小金井は、これがロシア製のアンチマテリアルライフルであると、予想をつけていた。確証は持てないが、カタログで見たことがある。

 スーツのベルトには拳銃とナイフ。いずれも、元の世界から送られてきた支給品だろう。


 対物ライフルだの拳銃だの。そんな物騒なものまで、こちらに送りつけてくるようになったのだ。


「(軍用品でファンタジー世界に殴り込みか……。そんなラノベ、あるよな)」


 リアル軍隊とファンタジー軍隊どっちが強いかなんて、流行によって変わるものだから、今までに読んだものを参考にしようとまでは思わないが。だが、血族側はそもそもの基礎スペックが人類を大きく上回っている。そこに装備として軍用品を持ち込めるのは、大きなアドバンテージな気がした。


「なぁ、キミ」


 サイクロプスが外を眺めながら言った。


「あ、俺……ですか?」

「キミだ。ハイエルフ」


 種族名で呼びあう決まりでも、あるのだろうか。


「キミはどうして血族化を受け入れたんだ。ハイエルフは希少種で、血液の補充は期待できない」

「どうして……って聞かれると、困りますけど」


 小金井は頬を掻く。


 正直に答えるのははばかられた。このサイクロプスは血族側の存在だからだ。

 小金井は“王”への忠誠心から血族化を受け入れたわけではない。決意の発端は、むしろ翻意である。それを気取られるのは避けたかった。


「アラクネとローパーが軟禁されている部屋を見た。キミの指示らしいな」


 小金井の答えを聞かず、サイクロプスは一方的にしゃべり続ける。意外と、こちらの話はどうでもいいと思っているのかもしれない。それはそれで気楽な話だが。


「あのアラクネは、キミの恋人か?」


 クリティカルな質問だった。小金井は思わず噴き出しそうになった。


「それともローパーの方が恋人か?」

「それは絶対に違います」


 性別以前に、さすがに触手原は難易度が高すぎる。小金井もそこまで上級者を謳う気にはなれなかった。


「そこまでにしておけ」


 コクピットで操縦桿を握ったまま、アケノが2人の会話を制止した。シスター服のビショップは、どうやらヘリの操縦もできるらしい。血族の因子に関わる研究もほとんどが彼女が進めているし、実際のところ、多芸な女であった。

 アケノはヘルメットにインカムをつけている。キャノピー越しにまっすぐ前を見たまま、彼女は言った。


「王片を捜索中のシャッコウから連絡があった。ヴェルネウスにて、王片の保有者らしきスケルトンの噂が立っている」

「………!」


 小金井は息を飲んだ。恭介だ。


 新大陸にて、小金井は王片を保有していると知りながら恭介を見逃した。血族としては明確な利敵行為である。彼に王片の使用を控えるよう言っておいたのは、恭介の身体が耐え切れないという理由ももちろんあるが、その力を行使することで、王片の所在が発覚することを避けたかったからである。

 それが、こんなにも早く露呈してしまうとは。

 今の小金井は、血族のひとりとして行動しなければならない。生殺与奪権を握られているのだ。次に恭介と見えれば、彼と戦う必要が出てくる。


 王片の奪取だけで状況をごまかせれば、それでいい。

 だが、もし恭介自身が血族に捕まってしまった場合。蜘蛛崎や触手原のように、軟禁するだけでは済まないだろう。彼は既に因子を取り込み、フェイズ3に覚醒しているのだ。今の自分のように、“王”の忠実な手駒として行動せざるを得ない。


「………」


 小金井の様子に、アケノは気づいたようだが、特に口を出さなかった。

 代わりに続ける。


「冒険者自治領の付近にヘリを降ろし、一度シャッコウと合流をする」

「了解」


 サイクロプスは短くそう答えた。小金井も、ややトーンを落とした声で同じように頷く。


 窓越しに外を眺めていたサイクロプスは、ふとゴーグルを降ろし、ターレット式の三連レンズを回転させる。単眼モノアイの彼女専用に誂えられたゴーグルだ。レンズの倍率をしばらく弄って、外を眺めていた彼女だが、やがて退屈な顔のままゴーグルを上げた。


「なにか見えたのか?」

「色々とね」


 アケノの言葉に、サイクロプスは曖昧な返事をする。そっけない性格だ。


 いざともなれば、小金井は恭介たちを逃がすために多少の無茶をしても構わないと思っている。だがその場合、血族の城に残してきた2人の安全は保証されない。

 ここは彼らの幸運を祈るしかないのか。小金井は、動揺を気取られないよう、視線を窓の外へと向けた。




「むっ」


 凛がにょきっと身体を伸ばし、周囲を窺うように視線を向けた。


「どうした、凛」

「なにか、視線を感じた……」

「こんな街道のど真ん中でか?」


 ナップザックを背負った烏丸が振り返り、周囲をきょろきょろと見回す。


「俺には見えねぇな。勘違いじゃないのか?」


 他の一同も、凛の言葉に立ち止まり、視線を配った。


 ゼルガ剣闘公国から冒険者自治領ゼルネウスを繋ぐ街道は、だだっ広い平原のド真ん中を通っている。広いといっても、北に10キロもいかないあたりに、獣王連峰の峻厳なる峰が連なっているわけだが、それでも半径数キロは何もない平原だ。

 誰かが見ている、ともなれば、それは尋常ならざる視力の持ち主ということになる。少なくとも、恭介たちが周囲を観察する限りでは、そういった存在は確認できない。


「まぁ、烏丸くんの視力がアテになるわけじゃないけど」


 雪ノ下がそっけなく言うと、烏丸はクチバシをバチバチ鳴らして反論をした。


「なんだと雪ノ下。カラスはな。目がいいんだぜ。しかも紫外線も見えるんだ」

「烏丸も紫外線見えるの?」

「ああ、実はずっと黙っていたが視界がめちゃくちゃカラフルでビビる」


 御座敷の質問に、烏丸は鼻を鳴らして胸を張った。自慢げな彼を、雪ノ下は冷ややかな目で見つめている。


「なんか、割と最近、雪ノ下って烏丸をぞんざいに扱うよな」

「おっ、恭介くん知らないな? ゆきのんは人間時代から烏丸くんを冷ややかに見てるよ」


 烏丸自身には聞こえないような小さな声で、凛は恭介にそっと耳打ちをした。

 クラス内において雪ノ下のグループと烏丸のグループはそれなりに接点があったが、それはもともと御座敷と壁野のつながりから生じた接点であって、努力家の雪ノ下は努力もせずに大口ばかり叩く烏丸を内心見下していたらしい。


「……知りたくなかったぞ」

「たぶんあたし、恭介くんが知りたくないクラスの人間関係、もっとたくさん知ってるよ」


 ヒエラルキートップのリア充グループに属していただけのことはある。彼女の観察眼と竜崎の政治力で、2年4組は回っていたわけだ。


「紫外線が見えると、いろいろ見なくていいものも見ちまうからなぁー」


 烏丸は上機嫌で、自分の視力についてうんちくを語る。


「例えば人の顔のシミとかな……。雪ノ下の顔なんか……」


 といった瞬間、烏丸のクチバシが凍結した。雪ノ下が鬼のような形相で彼を睨みつけている。


「烏丸くん、サイテー」

「今のはないよね……」


 壁野とあずきも口々に呟く。おかっぱ頭の御座敷は、ニコニコ笑いながら、烏丸のクチバシを溶かそうと撫でてやっていた。


「まぁ、ゆきのんの顔はたぶんタンパク質じゃなくってH2Oでできてるから、UVケアの必要とかなさそうだけどね……」

「お前たち、いい加減にしろよ……」


 集団の先頭を歩いていたレスボンが、隻腕のまま額を掻いている。


「日が暮れるまでに目的の封鎖地点まで到着しないと、クエストの進行に遅れが出るんだからな」


 すっかり、引率の先生のようなポジションに収まっている。

 レスボンとレインは、さすがにヴェルネウスまでついてくる気はないようだが、今回のこのクエストに関しては手伝ってくれる約束をした。礼金は、クエスト報酬の半分だ。隻腕になったレスボンは冒険者ランクを落とさざるを得ない。結果、受けられるクエスト、得られる報酬もランクダウンするわけだが、このベヒーモス変異個体の討伐クエストは、今の彼が得られるものとしては破格の報酬を得られることになっている。

 ある程度貯蓄があるとは言え、今後の生活を続ける上では、やはり資金が大いに越したことはない。


 2人は今後の活動方針について、『ゼルガ剣闘公国でモンスターの飼育でもするか』と言っていた。

 故郷のピリカ南王国に帰るつもりはないらしい。レスボンはそもそも放蕩息子だし、今、南王国はクーデターの後始末でゴタゴタしている。


 思考がここに及ぶと、恭介はまた陰鬱なことを思い出さなければならなくなる。かぶりを振って、思考を追い出した。今は他にするべきこともたくさんある。


「レスボン、目的地は遠いのか?」

「……目測としては、」


 レスボンの代わりに、寡黙な筋肉質の女戦士レインが、ハルバードを手にしたまま北の獣王連峰を指した。


「獣王連峰の山々が、西に向かうに連れて、大きくこちら側に逸れている。あの山が、街道と接触する付近……。そのあたりが、封鎖地点だ」


 ベヒーモスは山間部に生息する魔物だ。肉食に近い雑食性で、しばしば人や家畜を襲う。山から降りて人里まで姿を見せることは滅多にないものの、この街道の途中ではエンカウント率もそれなりに高い。


「山と街道の接触地点かぁ……。ちょっと遠いねぇ」

「遠いから急ぐんだろう」


 見たところ、十キロ以上はありそうな距離だ。まだ日は高いといっても、確かに、そうのんびりもしていられない。後ろで烏丸と雪ノ下達がギャアギャア騒いでいる一方、前の方では白馬が街道脇の草をもっしゃもっしゃ食べているし、犬神は気まぐれにツノウサギのハントなどをしている。


「そういえば凛、俺にくっつかなくて大丈夫か?」


 恭介は、一生懸命這って移動する凛に視線を落として尋ねた。


「ん? あーうん。へーきへーき! 恭介くん、ちょいと見ててみ?」

「ん」


 恭介が彼女の言葉通り、律儀に視線を落とすと、凛はにゅるっと脚を生やした。

 まるで生まれたての小鹿のように、ぷるぷる震えながら立ち上がった凛(足つき)は、そのまま1歩、2歩と街道の上を歩いていく。恭介は『おお』と感嘆の声を漏らした。


「歩けるようになったのか……」

「あたしも恭介くんの知らないところで日々成長しているのだよ……」


 だが、やはりモノに寄りかからずに歩行を続けるのは身体に相当な負担がかかるようで、凛はべしゃっと元に戻ってしまう。

 そういえば、と、恭介は、この世界に転移してから間もなくのことを思い出した。ダンジョン下層部の死霊の王を撃破してから更に数日後、剣崎たちと共に、朽ち果てた重巡洋艦の探索を行っていた時だ。あの時、確か凛は、人間の上半身に変形していた。あれ以来、凛の身体が人間に化けたところを、見てはいないのだが。


「まぁ、脚を生やして歩くのは5分が限界かなー……」

「5分ももてば十分だと思うんだけど、どのみち移動にはあまり使えないんじゃないか……」

「そうかもしれない。やっぱり恭介くんの身体を借りよう」


 にゅるん、と凛の身体が恭介に巻きつく。骨の上にスライムの肉が絡みついて、結局、いつものストリーム・クロスとなった。


「で、そろそろ良いか、お前たち」


 レスボンがこめかみを揉みながら、改めて言った。


「はーい、せんせー」


 凛が肩のあたりから触腕を伸ばし、のんきに呟く。

 自分の代わりに仕切ってくれる人がいるのは、けっこう楽だなと、恭介は改めて思った。割と自分はリーダーに向いていない性格なのだ。ゴウバヤシ達と合流すれば、仕切りも彼に任せられるし、戦力的にもだいぶ余裕が出来そうだ。

 余裕ができれば、いろいろなことを考える余地もできる。


「ま、まずはベヒーモス退治だね」


 思考を読んだ凛がそう呟き、恭介も頷いた。さすがに、血族並に強いモンスターがそうゴロゴロしているとは考えづらいのだが、既にクエストを受注した冒険者が何組か行方不明になっているらしいから、あまり油断はできない。

 恭介は、ひとまず目的地に向かうため、後ろのほうでいまだにいがみ合う烏丸と雪ノ下をなだめに入った。




 で、なんとか目的地にはついた。街道の封鎖された区域に入り、レスボンの指示通り、野営地の設営をする。

 冒険者はこうやって、目的地に拠点を作ってから、メインターゲットを達成するための探索を始めるものらしい。さすがにサバイバル技術に関しては、彼らから学ぶべき点はいろいろ多かった。今までは魔物のスペックにあかせた力押しの野営を済ませてきたのだが、もっとクレバーなやり方は、いろいろあるということだ。


「ベヒーモスは夜行性だ。なので、一度休憩をしてから、いくつかの手に分かれて探索を開始する。といってもまぁ、2チームくらいが無難かな」


 レスボンは焚き火を囲うメンバーに、向けて、そのような話をした。


「獣王連峰の地形にも明るい、俺とレインが2つのチームを主導する」


 レスボンのチームが、白馬、雪ノ下、犬神。

 レインのチームが、烏丸、壁野、御座敷、あずき。


「ウツロギとリンは、この野営地で待機して欲しい。原則としてベヒーモスは、人間の生活圏に立ち入るようなことはしないんだけど、今回の特異個体は旅人の野営地も積極的に荒らし回ることが多いらしい」


 襲撃を受けても、単体で迎撃できるような配置、というわけだ。2人でお留守番というのもなかなかに退屈しそうな話だが、ここは冒険者のプロによる指示であるから、素直に従う。

 レスボンのチームの方が、若干生え抜きといったイメージのある構成だが、リーダーであるレスボンが戦力としてほとんど期待できない状態なので、仕方がなくはある。レインのチームは防御支援の得意な壁野と、運気上昇役の御座敷が前衛2人を支援する形なので、体制としては堅牢だ。


「この場合、ベヒーモスに出くわすのが幸運なのか、出くわさないのが幸運なのか……」

「まあ、僕の《運気招来》でも、もともとの運勢が悪いとどうしようもないし。気休めみたいなもんだよ、烏丸」

「今日の天秤座、運勢はどうだったけな……」


 ごそごそと準備を始める他のメンバーを、恭介たちはのんびりと見送る。犬神は一度茂みの奥まで引っ込んで、狼の姿になってから戻ってくる。満月ではないので、毛並みは銀色だ。丁寧に折りたたまれた彼女の服を、あずきが持って出てくる。


「じゃあ、行ってくるわ。2人とも」

「留守番よろしく!」


 レスボンのチームが東側の探索。レインのチームが西側の探索だ。今日は初日なので、深入りしすぎないよう、早めに切り上げると言っていた。


「はーい、いってらっしゃーい」

「お土産よろしくな」


 恭介たちも、のんびりと手を振って見送る。


 やがて、カンテラの灯りが木々の間に隠れて遠ざかっていく。完全に見えなくなるあたりで、凛が呟いた。


「久しぶりに2人っきりになってしまった」

「ああ」

「どうしよう、恭介くん」

「どうしよう、ってなぁ……」


 パチパチと音を立てる焚き火をみながら、恭介は頬を掻いた。


「2人きりになっても、意外とすることがないんだよな。俺たちの場合……」

「まぁ、こういうシチュエーションでイチャつくと、だいたい殺人鬼に殺されるしね……」


 こうなるとわかっているなら、冒険者自治領で暇つぶしの道具でも探してくれば良かった。と、恭介は思った。




 瑛たちの野営地は、山間部の少し踏み入ったところにある。

 封鎖されているのは街道のみだ。獣王連峰の山々は、入山規制などがかけられているわけではない。彼らは、北のファーリアル獣王国から山を乗り越える形で街道に入っていた。本来ならばこのまま、山の中を移動しつつ、冒険者自治領を経由してヴェルネウスに向かう手筈であったが、メロディアスのわがままを聞き入れた結果、この山の中に野営地を設えて一晩を過ごすことになった。


 冥獣病によって凶暴化したベヒーモスは、メロディアス・キラーの手で既に3体ほど鎮静されていた。

 当人の話によれば、特殊な瘴気によって発生する冥獣病は、帝国領で発症した場合は即座に彼女に知らされる手筈となっているが、領外では帝国の力を借りず解決しようとする側面が強いため、発見が遅れるのだという。

 当のメロディアス、どう見ても10歳ちょっとくらいにしか見えないその少女は、仕事を終えて疲れたのか、すっかり眠り込んでしまっている。瑛は、焚き火に照らされるその寝顔を、ぼうっと眺めていた。


「アキラ、休んでいるときくらい、中から出てきてはどうですか?」


 髪を濡らしたフィルハーナが、いつもに比べればいくらかラフな格好で戻ってくる。近くにある湖で、行水をしてきたらしい。


 瑛が動かすこの黒い甲冑は、ランバルトによって用意された特注品だ。火野瑛の本体は、いまだにあの矮小なウィスプそのものである。フェイズ2に至った彼は、その小さな身体に見合わぬほど壮絶な火力を生み出すことが出来るように至ったわけだが、身体そのものにはなんの変化もなかったりする。


「………」


 瑛はしばし躊躇したが、胸部の装甲部分をパカッと開き、中からまろび出る。

 真っ赤に燃える炎の身体に変化はない。少なくとも、平常時はそうだ。焚き火とは別に現れたもうひとつの光源に、メロディアス・キラーの寝顔が照らし出される。


「退屈しのぎに、あなたの、クラスメイト? のことを、話してもらいたいのですが」

「退屈しのぎなんかに話すようなことじゃない」


 ふわりとした笑みを浮かべるフィルハーナに対し、瑛の声は硬い。


「では、そうですね。単純に興味のあることを聞きます。ウツロギという少年についてなのですが」


 人間時代からポーカーフェイスを貫いてきた瑛であるが、この瞬間の動揺はさすがに隠し難かった。炎のゆらめきが不自然な形を作る。


「……どうしてその名前を知っている?」


 ランバルトに協力を申し出、帝国側について以来、恭介の名前を出したことは一度としてなかったはずだ。

 瑛の問いに、しかしフィルハーナの笑みは崩れない。


皇下時計盤同盟ダイアルナイツともなれば、情報の入手経路もいろいろとあるものです。特に私はほら、テレパスメイジですから」


 嘘だ、と瑛は直感的に思った。いや、嘘だとまでは断じないが、彼女は何かを隠している。だが、それを追及し、問いただすような真似は瑛は苦手だ。せめてもの意趣返しにこのまま黙り込んでいても良かったが、瑛は焚き火の炎を見つめながら答える。


「僕の、」


 その続きの言葉を探すのには、しばらくかかった。


「友達だった、男だ」

「だった、ですか」

「ああ。たぶん、もう、そうじゃない」


 ピリカ南王国で、猫宮美弥にぶつけられた言葉を思い出す。


『ウツロギが知ったら、たぶんキミを、許さない』


 その通りだ。きっと今の自分を恭介が知ったら、怒るだろう。

 でもそれで良いのだ。もう彼は、自分がいなくても大丈夫だし、その恭介には、彼らしくないことをして欲しくない。だから代わりに、自分がそれをやる。嫌われたって、構うものか。


 フィルハーナはにこにこと微笑んだ顔のまま、何も言わなかった。


 ちょうどその時、がさり、という足音がして、見張りに立っていたランバルトが戻ってくる。


「どうしました? 交代にはまだ早すぎません?」

「見張りが戻ってくる理由が、交代しかないと思うのか」


 腕を組んだまま、神経質そうなエルフの剣士は実に神経質そうなことを言う。


「ああ、敵ですか。ベヒーモス?」

「ではない。敵とも限った話ではないが、ここから東に2000メーティアほど。足音が4人分だ。その足音とは別の気配がもう1つ。気配は合計で5つ」

「冒険者でしょうか?」


 首を傾げるフィルハーナ。


「それを確かめにいく。2000メーティアならすぐだが、どうする」

「行きましょう。退屈ですし」


 なんの躊躇もなく立ち上がるフィルハーナ。瑛も甲冑の中へと戻る。

 ばしゅう、と背中から蒸気が吹き出して、焚き火に照らされた黒い装甲がゆっくりと立ち上がった。動作を確かめるように、自らの両手を、開いたり握ったりを繰り返す。メロディアスを起こすか、と思っていると、こちらから声をかけるまでもなく、彼女はむくりと起き上がった。寝起きの良いことだ。


 木々の合間を抜けるようにして、宵闇の中を4つの影が走り出した。




 皇下時計盤同盟ダイアルナイツが動き出したちょうどその時刻。


 恭介たちの野営地をはさんで、彼らから反対側。すなわち東の山間部を、小金井芳樹達が歩いていた。小金井の足取りは若干重く、表情は硬い。同行者はビショップのアケノとサイクロプス。そしてルークのシャッコウだ。

 血族化ワイバーンは、冒険者自治領からほど近い洞窟の中に待機させている。当初はゼルガ剣闘公国からクラスメイト達を捕獲する際、彼らを運搬するためのジープと、その運転手としての何人かのポーンが用意されていたのだが、ワイバーンは一度彼らに預けることとなった。本来は強襲に運用する予定だったワイバーンだが、さすがにこの山間部を捜索するとなっては、邪魔になるという判断だ。


 王片の捜索を行っていたシャッコウは、やや粗暴な性格と大柄な体格を持つ血族だった。『パワータイプだな』というのが、小金井の率直な感想である。敵幹部の中では、喧嘩っぱやいバトルジャンキーとして扱われるタイプだ。このシャッコウが、必ずしもそうであるとは限らないが。

 オタクの小金井がもっとも嫌悪し、苦手とするタイプの人種でもある。


「……くせぇな」


 すんすん、と鼻を鳴らし、シャッコウは呟いた。


「なんの話だ」


 アケノが尋ねた。


「ケモノの臭いだよ。ここから、そうだな。2キロも離れてねぇ」

「サイクロプス、見えるか?」

「木が邪魔で、2キロも見通せない」


 対物ライフルを担いだサイクロプスはそっけなく答える。アケノはふむ、と鼻を鳴らした。


「シャッコウ、それはただの動物か?」

「ただの動物だったら気にゃしねぇよ。これはアレだな。イヌだ」

「なるほど」


 アケノは頷き、ちらりと小金井を見る。


 イヌ、というのは、文字通りの意味ではない。血族がその言葉を発した場合、多くは血族と敵対関係にある人狼、月狼族のことを指す。

 そして、本来小金井たちと同じ世界で、血族たちに滅ぼされたであろうその人狼だが、その唯一の生き残りが、小金井たちと同じクラスにいて、こちらの世界まで飛ばされてきた。その事実は、ここにいる一同がみな知っている。


 人狼がいる。すなわち、そこにクラスメイト達がいるということだ。


 人狼の犬神響は、現在王片を持っていると思しき、空木恭介と行動を共にしているはずだった。シャッコウが冒険者自治領で得た情報によるものだし、小金井が報告せずにいた、新大陸での情報でもそうだ。つまり、捜索対象である空木恭介の姿は近い。


「あたし、向かい側の山まで移動する」


 ライフルの装填を改めて確認してから、サイクロプスは呟いた。


「こっち側の山は、斜面が南側だから植生が濃い。戦闘が始まったら、狙いやすいように周りの木を切り倒しておいて」

「別にそこまでするこたぁねーと思うが。張り切りすぎじゃねーのか。サイクロプス」

「じゃ」


 シャッコウの軽口には応じることなく、サイクロプスはライフルを肩にかけたまま、斜面を滑るように降りて行った。

 シャッコウは肩をすくめる。


「たかがイヌだろ? それにスケルトンだ。大して強くねーよ」

「用心に越したことはない。死ぬ奴はみな慢心していた」


 アケノはぴしゃりと言い、木々の合間を眺めた。


「で、イヌは殺してもいいんだな?」

「ダメだ」


 指を鳴らすシャッコウに対して、小金井は鋭く否定の言葉を投げる。


「ん?」

「俺が血族入りした条件のひとつだ。クラスメイトはなるべく傷をつけるな」

「でも、だってなぁ……。イヌだろ?」

「だったら……活かしたまま……人質にでもなんでも使えばいい。でも、殺すのはダメだ」


 小金井が語気を更に強めると、シャッコウはふんと鼻を鳴らした。彼が口を開く前に、先頭を歩くアケノが言う。


「仲間割れは戦いのあとにしろ」

「あいよ」

「了解」


 やけにギスギスとした空気のまま、3人の血族は道を急いだ。




 空木恭介。


 火野瑛。


 小金井芳樹。


 かつては、互いのことを友と認められていた3人の再会は、およそ4ヶ月近い時間を経て、今ようやく、その時を迎えようとしていた。

 その果てに彼らがどのような結末を迎えるのか。予測できるものは、まだいない。

次回は9月3日更新予定です!!!!!

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