第85話 歴然、彼我の差は遠く
冒険者自治領ゼルネウスは、多彩な人種でごった返していた。肌の白いもの、黒いもの、背の高いもの、低いもの、耳の尖ったもの、そうでないもの。そうした中に、いくらかの蜥蜴人間や半魚人、猫人、兎人などが混じる。
とりわけ、冒険者の街ということもあり、武器や防具、それに冒険における雑貨などを売る露店が多い。少し立派なところになると、大きな店舗を構えているところもある。そのひとつひとつを、犬神響と姫水凛は、興味深げにしげしげと、眺めながら歩いていた。
犬神はセーラー服を失ってしまったので、今は冒険者達の服を借りている。この世界にぴったり合った衣装なので、特に違和感はない。腕や肩のあたりにスライムを貼り付けているのは、若干人の目を引いたが、それも奇妙なペットの一種として流されるラインだ。
「こういうの、眺めるのは楽しいけど、」
と、凛は言った。
「お金がないから、買えないのがね」
「ああ」
いささかぶっきらぼうな、犬神の返事である。
クラスの中でも随一の不良少女として知られるのがこの犬神だ。基本、目つきが悪く、隙あらばすぐに誰かを睨みつけ、威嚇するものだから友人と言えるようなものが本当にいない。それでも凛は、人間時代けっこう食い下がった記憶がある。体育で2人組を作るとき、積極的に絡みに行ったりだ。
一匹狼気質だとは思っていたが、まさか本当に人狼であるとは思わなかった。考えてみれば、やけに肉に偏った食事をしていたような気が、しないでもない。
「響ちゃん、なんか探し物でもしてんの?」
「あ?」
「だって、1人でみんなから離れようとしたから」
「そんなんじゃねぇよ。集団行動が苦手なだけだ」
「狼なのに」
一匹狼なんて言葉はあるし、実際それは犬神を象徴する言葉だが、実際のところ狼は社会性を持つ動物だ。集団から離れて長生きするのは極めて難しい。実際、犬神は行動が先走って早死しかけたことが、何度もあるわけであって。
「姫水こそ、いいのかよ。ウツロギなんかといっしょにいなくて」
「勝手に引っ張ってきた人の言い分とは思えないんだけど……」
凛は、犬神の肩に張り付いたまま、うにょんと身体を伸ばした。
「まあ、良いかなー。四六時中いっしょにいたほうが、安全なのは確かだけど。恭介くんもあたしも、ずっとベッタリしていたいような感じじゃないし」
「ふーん」
犬神の返事は、やはりそっけない。自分で振っておきながらこれだ。
しばらく歩いていると、道を行き交う冒険者たちから色んな情報が入ってくる。
いわく、大陸東部にあるダイラド王国が最近不穏な動きを見せているだの。
いわく、五神星の1人がこのゼルネウスを訪れているだの。
いわく、皇下時計盤同盟がその冒険者を追っているだの。
話を聞きながら、ふと凛は思うことがあった。
「そういえば、セレナちゃんとかどうしてるんだろ。元気かなぁ」
グランデルドオ騎士王国の姫殿下、セレナーデ・レ・グランデルドオは、2年4組の生徒たちが最初に出会った人間である。彼女や彼女の故郷の人々には、だいぶ助けられた。
騎士王国は、大陸の西側、人類生存圈の最西端に位置する。対してこの冒険者自治領ゼルネウスは、大陸の東側だ。ほぼ正反対に位置するため、会いにいくのは容易なことではない。こちらの状況を知らせることができれば、また別なのだが。
「あいつ、日本語読めるだろ」
犬神は露店に出ているポーションなどを眺めながら、呟いた。
「竜崎の手紙が世界中にバラ撒かれてるなら、見るんじゃねーの」
「あ、そっか。じゃあ、あたし達がみんなでヴェルネウスを目指してるのはわかるかもね」
セレナーデは父親が日本人だ。20年近く前にこちらの世界に転移してきて、定住をした。まるで漫画や小説のような異世界サクセスストーリーである。女王陛下も美人だったし。父親の方は仕事が忙しくて大陸中を飛び回っているというから、もしかしたらそちらの方には、案外さっくりと出会えるのかもしれない。
「おい、大広場の方に“名無し”がいるぜ!」
歩いていると、少しばかり興奮した面持ちで、冒険者の1人が顔なじみらしき別の冒険者に話しかけているのが見える。
「マジか! あの“名無し”か!?」
「広場でなにしてるんだ? 決闘か?」
「そう、そうなんだよ! なんかスケルトンと戦うらしい!」
「スケルトンと? 勝負にならないんじゃないのか?」
犬神と凛は、その話を聞いて、思わず顔を見合わせた。
大広場には、あっという間に人だかりができている。犬神はしばらくの間、必死に押し入ろうとしていたが、ミッチリ詰まった男たちの背中は動かないわ汗臭いわで、すぐに不機嫌そうに座り込んでしまった。凛はスライムなので、足の間を器用にすり抜けて、ギャラリーの最前列に移動する。
中央広場の噴水に腰掛け、腕を組んでいる1人の男がいた。黒装束をまとい、目をつむりながら待つその姿は、なんだかジャンプ漫画あたりに出てきそうな感じがする。
「あ、姫水さん」
か細い声に目(ない)を向けると、おかっぱ頭の少年が、蹴鞠を手に柔和な笑みを浮かべて立っている。
御座敷童助だ。その横には雪ノ下涼香、それに彼らを協会支部まで連れて行ったレインもいる。
「やっほー、みんな。冒険者登録できた?」
「うん。カードも作れた。冒険者登録証って言うんだって」
御座敷が見せるカードは、金の縁どりがなされた、免許証くらいの大きさのカードだった。
「僕たちのカードはゴールドランクだから、レスボンさん達と同じくらい」
そう言って、御座敷がカードに触れると、ホログラフのように彼の名前やランク、冒険者としての実績などが浮かび上がる。この冒険者登録証は、冒険者協会が有する魔導科学技術の結晶というが、実際大したものであった。
「ふーん。あ、レベルとかステータスとか書いてある。これどうやって数値化してるんだろ……」
「わかんない。知力とか精神とか、数字で測られても……って感じだよね」
データをスクロールしていくと、更にスキル一覧というものがあった。
《気配遮断》だの《蹴撃強化》だの。それっぽいものが延々と並んではいるが、やはり凛としてはいまいちピンとこない。ただ、他のスキルとは違う色合いで、御座敷のフェイズ2能力である《運気招来》と書かれているところを見るに、あながち当てずっぽうでもない、それなりの根拠があってデータ化されたものなのだろう。
「あたしのカードにも他とは違う色で《虚数反転》って書いてあるよ」
雪ノ下もカードを見せてくれた。確かにその言葉のとおりだ。ただ、スキル一覧の中に《情緒不安定》というのがあるのはどうかと思った。
「それで? あの名無しさんが誰と戦うんだっけ?」
「話を聞く限り、おそらくウツロギと戦うらしいのだが」
それまで黙り込んでいたレインが、静かに答えてくれる。
「そりゃまたどうして」
「わからん」
当然の疑問は、ばっさりと切り捨てられる。
「わからんが、響狼星の名無しは戦いに価値を見出す男だ。ウツロギが、あいつの目にかなったのかもしれん」
そう語るレインの目は、どこか期待と羨望の輝きを放っている。
彼女も一介の冒険者として、名無しを尊敬しているのだろう。彼と戦う栄誉を授かった恭介を羨ましいと感じているのかもしれないが、凛としては気が気ではない。だいたい、1人でそんな強そうな人と戦うなんて、むちゃくちゃにも程がある。
「大丈夫よ、姫水さん」
雪ノ下は、ぐっと拳を握って言った。
「どんな時も、努力と根性。そして気合よ。そんなものでどうにかなるほど、甘い世の中じゃないけどね! まあ、実力が足りない分はそのへんでどうにかカバーするしかないのよ! とりあえず彼には努力も根性も気合も揃ってるわ! まあ、それでどうにかなるとは思えないけど!!」
「相変わらずゆきのんはワケのわからないことを口走るなぁ……」
どの辺が大丈夫なのか、と凛は思った。
人ごみが割れ、1人のスケルトンが姿を見せたのは、それから間もなくのことだった。
「うおおお、いてぇ……」
烏丸はヒビの入ったクチバシを包帯でグルグル巻きにしたまま涙を流した。
「白馬ぁ、治してくれよぉ……」
「致命傷は治しただろ。俺の魔力だって無限じゃないの」
酒の入った勢いでチンピラムーブをした烏丸は、手痛いしっぺ返しを食らってしまった。デコピン一発で空高く打ち上げるのだから、大したものというか、そういった次元を超越しているというか、とにかくあの名無しが恐ろしい男であるのはわかった。
とはいえ、命までは取らないと言われているのだから、気楽な話ではある。恭介は、自らの右手を握ったり開いたりして、その感触を確かめていた。
新大陸での戦闘、この左腕に封じられた王片の力を使ったのは、体感でおよそ15分ほどだ。
合計で1時間以上使うと、身体が崩壊する危険がある。
それは、あの時助けてくれた1人の男の言葉である。恭介には、あれが小金井芳樹であるという確信があった。
その小金井の忠告を、無下にするわけにもいかない。ここで使えるとしても、せいぜい5分だ。
実際、5分も持てば大したものだと、レスボンは言った。もし長引くようであれば、こちらから降参をするしかない。名無しは興ざめするかもしれないが、こちらのできる最大限の譲歩のラインがそこだ。
割れた人ごみの間を抜けて、恭介は大広場に出る。噴水に腰掛けていた名無しが、ちらりとこちらを見た。
瞬間、おおっ、と割れんばかりの歓声が、冒険者自治領ゼルネウスへと響き渡る。
「本当だ。本当にスケルトンだ」
「大丈夫か? 弱っちそうだなぁ」
「俺でも勝てそうなんだが?」
「左腕だけ形状が違うな。変異個体か?」
などなど。野次馬の勝手な感想が、いやでも耳に入ってくる。
「来たか。乗ってくれて嬉しいぞ」
ちっとも嬉しくなさそうな声で名無しが言うのだが、死んだような目に生の輝きが宿っていることからして、嘘ではないのだろう。
「がんばれー、ウツロギー」
「負けたら承知しねぇぞー!」
無茶を言うなよ、と、恭介は思った。
噴水前まで来て、名無しと相対する。
「勝負は片方が気を失うか、あるいは降参と宣言するか……これでは俺が有利すぎるか?」
「ハンデをつけてもらおうなんて思っていない。……って言いたいんだけど、こっちが勝った場合の条件のこともあるし、まぁ、なんか緩くしてくれると嬉しい」
「では、そちらは俺の帽子を飛ばしたら勝ちだ」
よくあるパターンだ。まるで漫画だな、と恭介は思った。
この世界の住民は、まさしく漫画のような世界で生きているのだ。ちょっと羨ましい。
「既に協会にここでの決闘申請は通している。周囲の被害は俺が弁償する約束なので、存分にやるといい」
そう言いつつ、名無しは座り込んだまま、剣を抜く様子も見られない。
だがこの男は腕を組み、そしてゆらりと顔をあげてこのように笑ったのだ。
「では、来い」
「え、えぇっと……」
来い、と言われても。
恭介は困惑してしまう。相手はまだ、構えもとっていないように見えるのだが。
「かまわねぇぞ、ウツロギ! やっちまえ!」
後ろから白馬がヤジを飛ばしてきた。
「ヒャハハ! 舐めくさりやがってよぉ! いいぜぇ、ぶん殴っちまいな!!」
烏丸はまだ酒が残っているのかキャラクターがブレまくっている。
「やれやれー、スケルトン!」
「名無しが剣を抜いたらもう勝機はねぇぞー!」
「一発ぶっ込んじまえー!」
周囲の野次馬たちもそうがなり立てる。恭介はため息をついた。ため息をついて、ジークンドーの構えを取る。左腕に魔力を込めると、どくん、とありもしない心臓が脈動するような感覚が走った。骨の上に、赤い不気味な魔脈が灯り、指の先端部に大鎌の如き黒の炎が、《邪炎の凶爪》が紡ぎ出される。
それを目の当たりにした瞬間、それまで騒いでいた野次馬たちが、一瞬だけ静かになるのがわかった。
恭介は、そのまま広場の石畳を蹴り立てる。腕の先に灯った邪炎の凶爪を、名無しに向けて叩きつけた!
「………!!」
直後、名無しの目が閃く。鈍い衝撃が、恭介の身体全体に返ってきた。
世界の反転するような感覚があって、気が付けば名無しの姿が随分遠い。恭介は、自分が広場からそう遠くない建物の壁にめり込んでいることに、その時ようやく気がついた。
名無しは相変わらず噴水に腰掛けたまま、腕を組んでこちらを眺めている。
何をされたのかわからなかった。恭介は、壁にめり込んだ身体をなんとか引っこ抜きながら、広場の石畳に降り立つ。野次馬の間にざわめきが走っていた。
「い、今、何をしたんだ……?」
「見えなかった……」
スケルトンである恭介の身体は、痛みを感じない。地面に降りてすぐ、再び動くことができた。
「(やっぱり漫画の世界みたいだな)」
今更なことを、恭介は思う。
おそらく名無しは、腕を組んだ姿勢から素早く反撃を叩き込み、恭介の身体を吹き飛ばして、また腕を組んだのだ。それまで期待に満ちていた彼の瞳は、いささか退屈な色を帯びている。
「……少し、見込み違いだったか?」
「………っ」
恭介はムッとする。勝手に勝負を申し込んできて、見込み違いもないもんだ。
再び左腕から邪炎の凶爪を生やし、今度は遠距離から、名無しの動きを窺った。まずはせめて、相手の挙動を見極める。
「イヴィルフレア!!」
恭介の叫びと共に、炎の爪が悪魔の腕骨より射出される。カッター状の炎は、まっすぐに名無しに向けて飛んだ。名無しは腕を組んだまま、ぎりぎりまでそれを引きつけ、直後、
直後、その腕が掻き消える瞬間までは、なんとか視界に納められた。だが、そこまで目にした時点で、名無しに向けて飛んだ炎の爪は、そのいずれもが“ぼんっ”という音のみを残して消滅する。名無しが、おそらく素手か、あるいは剣を抜いて弾いたのだということ以外、何もわからなかった。
動きが見えない。
それは、恭介がいまだに感じたことのない、別次元の強さである。
こんなのが、冒険者ギルドだけで5人、帝国には12人もいるのか。そしてそれと渡り合うだけの力を、血族は有しているつもりなのか。それを思うだけで一瞬、思考が麻痺しそうになる。
そこに生じた一瞬の隙が、命取りであった。
気が付けば、名無しの姿は目の前にまで迫っている。恭介が認識できたのは“迫っている”という、その瞬間までの出来事だ。次の刹那には、恭介の身体は、石畳の上をごろごろと転がっていた。
「やはり見込み違いだったようだ。謝ろう」
名無しは、コートをはためかせながら、ゆっくりと恭介に迫る。
「王片を有しているとはいえ、不適合な状態では力の半分も引き出せないということか。魔の王片は、やはり魔王族が有してこそだな……」
彼の言葉に、周囲の野次馬がざわめくのがわかった。耳を傾けるまでもない。“王片”という言葉が、彼らを刺激したのだ。
「謝罪替わりに、次は一撃で意識を落とす。約束通り、命までは奪わない」
そう言いつつも、名無しは剣を抜く様子さえ見せない。必要がないのだ。恭介を倒すのに、剣を抜く必要すらない。事実、彼は徒手空拳だけで恭介のことを圧倒している。
それでも、なんとか反撃の糸口を見つけるため、恭介は立ち上がった。
「恭介くんっ!」
はっとする。凛の声だ。見れば、そこには姫水凛が、身体を思いっきり膨らませながら自己主張をしていた。周囲の冒険者たちは、喋るスライムに驚いて、奇異の視線をこちらと交互に向けている。まあ、確かに喋るスケルトンも珍しい。
「恭介くん、大丈夫!? あたしも行こうか!?」
「そ……」
それは、どうなんだ。と思い、恭介は名無しを見る。名無しは相変わらずゆっくりと、こちらに迫ってくる。
2対1が許されるのか、という質問をする余裕はなさそうだ。なさそうだが、恭介は頷いた。
このまま舐められて、何もせずに負けるよりは、それはマシなことに思えたのだ。
「ああ! 来い、凛!」
「よっしゃーっ!!」
直後、御座敷の蹴鞠に乗る形で、姫水凛が射出された。凛の身体が恭介に衝突し、骨を包み込むようにスライムが全身を覆う。野次馬がざわめくのがわかった。それまで、退屈そうな目で歩み寄ってきた“名無し”が、わずかに目を見開くのがわかる。
恭介は立ち上がりながら、心の歯車を凛と合わせた。風が巻き起こり、細胞分子、霊子レベルで融合した、2人で1人の身体を築き上げていく。
「「エェェェェェクストリィィィィィィィィムッ!!」」
2人の声が重なった。風のなかで、空木恭介と姫水凛の身体はひとつになる。
フェイズ3《完全融合》の真価、エクストリーム・クロス。既に幾度となく積み重ねてきた合体の果てである。そこに寸分の躊躇もありはしない。身体を覆う竜巻を叩き割り、恭介は握った拳を思い切り正面に叩きつけた。重く確かな手応えが、腕にかえってくる。
だが、これはさすがにルール違反だ。大人気なかっただろうか。恭介はほんの少し、目の前に名無しに申し訳ない気持ちになった。
「なるほど」
風に巻き上げられた砂塵が、ゆっくりと晴れていく。
「そちらがおまえの“本気”ということか」
「っ……!」
手応えは、あった。だが、その拳は決して“名無し”の急所を捉えていたわけではない。
名無しは片手で恭介の拳を受け止め、先ほどに比べれば、いくら目を輝かせ、そして弾んだ様子の声でこう言ったのだ。
「見込み違いではなかったか。たった一発だが、良い一撃だった」
「次の一撃は、もっと重いぞ……!」
「いや、次はない」
名無しがそう言って、恭介の腕を払う。腰元の柄に手を伸ばすのが、一瞬だけ確認できた。
恭介と凛は、身体を液化させて斬撃に備える。名無しの剣が閃くのが見え、
そうして、恭介は、意識を失った。
「……はっ!?」
目が覚めると、そこはベッドの上である。恭介は、やけに寝心地のいい、ふかふかとしたベッドに寝かされていた。
「起きたか」
上体を起こした時、まっさきに飛び込んできたのはレスボンの声だ。
「おはよう、ウツロギくん」
「随分無様に負けたな」
「やっぱり気合じゃどうにもならないわね!」
周囲をきょろきょろと見回すが、そこはやはり、見覚えのない部屋だった。
どうやら宿屋の一室であるらしい。魔物同伴がOKの、やや値段は高いが広々とした部屋のようだった。恭介は頭を押さえて、がっくりとうなだれる。
やはり、負けたのか。
1対1のはずだったのに、それを破ってまでエクストリーム・クロスになって、しかし一瞬で負けた。
無様なものである。妙な居心地の悪さが、恭介の胸中にはあった。
「まぁ、名無しもけっこう最後は満足げだったんだから、良かったんじゃないか」
フォローを入れようとするレスボンに続くようにして、白馬も頷く。
「そうだぞ。他の冒険者の話じゃ、名無しが剣を抜くなんて滅多にないらしいからな」
「それも漫画みたいだな……」
恭介は苦笑いじみた気分になって、そこでふと、思い出したように顔をあげた。
「そうだ、剣……。剣だったよな。あの人の武器」
「ああ、名無しは剣士だ。剣の扱いでは大陸最強と言われている」
エクストリーム・クロスは液化能力を持つ。剣や槍、あるいは素手などの物理的な攻撃手段で、有効打を与えることはできないはずだ。そういった意味で、いささかズルではあったのだが、あの名無しはそのようなズルすらものともせずに、あっさり恭介たちに勝利して見せた。
「……俺と凛は、どうやって負けたんだ?」
「どうって、そりゃおめえ……」
烏丸が身を乗り出してクチバシを開き、
「……どうやってだっけ?」
どうやら酒は抜けきっていなかったらしい。
「胴体を真っ二つにされてたよ」
御座敷童助は、冷静な声で言う。
「真っ二つにされたあと、上半身がウツロギくん、下半身が姫水さんに戻った感じ。ウツロギくんはバラバラになってたから、後でみんなで繋ぎ直した」
「そ、そうか……。手間をかけたな」
枕元には木桶が置かれており、その中で凛が“ぐでっ”とした状態になっている。まだ意識は取り戻せていない様子だ。
胴を真っ二つに両断し、その後、分離させて元に戻す。そのような芸当が可能なのか。それが純粋に、剣技を極めたがゆえの奥義であるのか、あるいはもっと別な能力によるものなのか。そこまでははっきりしない。だがひとつ言えるのは、エクストリーム・クロスの優位性のひとつである、“物理攻撃に対して圧倒的有利”という側面が、必ずしも完璧ではないと証明されたということだ。
それを実戦ではなく、こうした命のやり取りが発生しない決闘で知ることができたのは、僥倖と言える。
おそらく、五神星、あるいは皇下時計盤同盟クラスともなれば、そういった技を扱えるのだ。
そして、血族の上位種。ルークや紅井であっても、彼らと同等の力を得ているとみて間違いない。
「パワーインフレだな」
白馬はミもフタもないことを言った。
「ああ、でもインフレにはついていかなくっちゃいけない」
まだまだもっと、強くなる必要がある。
「ところで、ウツロギくん」
「なんだ、雪ノ下」
雪女の雪ノ下が、手元に何枚かの書類を持っていた。
「路銀を稼がなくっちゃいけないってことで、いくつかのクエストを見繕ってきたんだけど」
「ん、ああ。冒険者が引き受ける依頼のことか」
「いくつかあるのよ、薬草採集とか、ツノウサギの退治とか」
「ツノウサギめっちゃ懐かしいな……」
こちらの世界に初めて転移してきたとき、最初に食べたのがツノウサギではなかったか。
「で、まぁ、あたし達の実力と、実入りを換算して、この辺がいいんじゃないかなって思うんだけど」
そう言って、雪ノ下が差し出したのは、クエストについて書かれた一枚の紙だ。
が、こちらの言葉で書かれているので、恭介は読めない。代わりにレスボンが覗き込んできた。
「場所は西側の街道か。ゼルガ剣闘公国に続いている道だな」
「うん。あの名無しさんの話だと、ゴウバヤシくん達が、そっちにいるんでしょ? ヴェルネウスに向かうなら街道を通って東に行くはずだし、運がよかったら会えるんじゃないかと思って」
「なるほど。で、どんな任務なんだ?」
恭介がレスボンに尋ねると、彼はいささか難しい顔をして、こう答えた。
「ベヒーモス変異個体の討伐、かな」
次回投稿は8月30日7時を予定! 予定です!!




