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第84話 名無し

 がちゃり、がちゃり、がちゃり。


 薄闇の中を、黒い甲冑が重苦しい音をたてて進む。緑のトーチが照らし出す薄明かりの中で、不気味な静謐に支配された通路を歩くのは、その甲冑ただひとつであった。嫌になるほどの静けさに耳を傾ければ、重厚な足音に混じって聞こえる、なにか奇妙な駆動音に気づくことができただろう。

 だが、この空間にはそれを聞こうとする者も、指摘する者もいない。甲冑がただがちゃりがちゃりと、歩くだけなのだ。


 やがて甲冑が大広間に出る。そこには、やけに広い円卓が置かれ、そこには0から11までの数字が割り振られた椅子があった。

 正確にはⅠからⅫ。異世界で使われているのがローマ数字というのは、妙な心地がした。漢数字やアラビア数字に比べれば、まだ多少はマシだろうか。


「来たな」


 円卓には、Ⅵと書かれた席に腰掛けた男が1人。

 残りはⅡとⅣの席に1人ずつ。どちらも女性だ。Ⅱに座るのは、少女といっても差し支えない。


 Ⅵに座る男のことを、よく知っていた。


 策謀に長けたエルフの剣士、エルヴィン・ゴーダン。彼に声をかけられて、がちゃり、と甲冑は脚を止める。


「アキラ、紹介をしよう」


 エルヴィンは2人の女性の方を指し示しながら、そう言った。


「今回の作戦に同行する、皇下時計盤同盟ダイアルナイツの2人だ」

「ずいぶんと大掛かりなんだな。たかが田舎に逃げ込んだ魔物を引っ捕えるだけなのに」


 黒い甲冑、すなわち、火野瑛が平坦な声で呟く。エルヴィンは笑う。


「たかが魔物でないのは君が一番証明している。動かせる戦力は、多いに越したことはない」

「………」


 エルヴィンの言葉に、瑛は改めて、その顔を残る2人に向けた。


「あー、じゃあ、自己紹介するねぇ」


 そう言って立ち上がったのは、小柄な少女である。年齢で言えば、12にも満たないのではないか。

 濃い桃色のショートヘアは、やけに現実味が薄い割りには違和感がなく、ここが異世界であることを実感させられる。


 少女はこほん、と咳払いをして、言った。


皇下時計盤同盟ダイアルナイツ第2時席トゥー・オクロック“冥獣勇者”メロディアス・キラー、です。よろしくねー」

「あ、私は同じく第4時席フォー・オクロック“鉄拳聖女”フィルハーナ・グランバーナです。よろしくー」


 その手前の席でひらひらと、ゆるやかな金髪をした女性も手を振っている。


「勇者に、聖女か」


 瑛はぽつりと呟いた。


「どうかしたか?」

「いや、僕の世界でやるゲームでは、魔物を討伐するのは勇者でね」


 エルヴィンの言葉に、そっけない声音で返事をする。


「勇者のパーティには、だいたい、戦士と魔術師と聖職者が入っているものだから」

「ああ、なるほど。ではさしずめ、俺が戦士でお前が魔術師か」

「逆でも良いけどね」


 そう言って、瑛は自らの甲冑の手のひらを見た。

 彼は今、こうして動くことに支障のない身体を手に入れた。仲間たちを牢屋にぶち込んで、得たものがこれだ。だが、心の中には微塵の後悔もない。目的を達成するためには、生ぬるいことは言っていられないのだ。誰に恨まれようが、気にしてはいけないのだ。


 だが、恭介はどうだろうか。瑛を恨むだろうか。怒るだろうか。哀しむだろうか。


 できることなら、そのいずれでもあって欲しくはない。だが、それこそ贅沢で自分勝手な要求だと、瑛はわかっていた。


「我々は、これからヴェルネウス王国へと向かう」


 エルヴィンがふっと片手を上げると、大気の中に炎が燃え上がり、煌々とした光の地図を紡ぎ出す。腰から引き抜いた剣で、エルヴィンは地図を指し示した。


「アキラの報告では、“喋る魔物”たちはこのヴェルネウスを目指して集結する手筈らしい。我々でそこを叩く」

「せっかく戻ってきたばかりなのに、またとんぼ返りですか……」


 フィルハーナが苦笑いを浮かべる。


「まあ良いんじゃない、フィル姉ぇ。それよりさ、アッキーの2つ名を決めようよ」


 メロディアスはのんきな声で言った。


「僕の2つ名?」


 アキラが尋ねると、少女は満面の笑みで頷く。


「そう。アッキーは時計盤同盟のお客さんみたいなものだからね。えーっと、第0時席から第11時席まであるから、アッキーは12時?」

「0時席と12時席は同じですから、彼は13時席ですね」

「それ言ったら、13時だって1時と同じじゃない?」


 2人が他愛のない話を始めるので、瑛はわずかにあっけにとられたが、すぐに自らの片手をあげて意思表示をする。


「13で構わない。……いや、13が良い」

「そう? 13って好きなの?」

「嫌いだ」


 だがお似合いだ。裏切り者を象徴する数字。13。今はそれが、自分にとっての烙印のようなものだ。


「じゃあ、13だね。第13時席イレギュラータイムかな」

「2つ名が必要なら、“黒い太陽”とでもしておけ」


 エルヴィンがそう言った。


「シンプルだなぁ。まあいっか。じゃあアッキー、ちょっと名乗ってみて」

「ああ」


 まるでヒーローみたいだな。わずかな自嘲がある。

 どれだけ好みのシチュエーションであっても、彼の心はぴくりとも動かない。


皇下時計盤同盟ダイアルナイツ第13時席イレギュラータイム、“黒い太陽”火野瑛だ」

「はい、よくできました」


 手をぱちんと叩いて、メロディアス・キラーがにっこり笑顔を作る。


「お仕事、頑張ろうねー。期待してるよ、アッキー」


 そう言って笑うメロディアスの身体には、一瞬、黒い靄がかかったように、瑛には見えた。




 雪ノ下と御座敷は、レインに連れられて冒険者協会への登録に向かった。犬神は“そういうの”が嫌いらしく、あっさりと拒絶して、1人でぶらぶらゼルネウスの街を探索するなどと言い出した。

 犬神の単独行動が今までどれだけ危険な結果をたたき出してきたのかは語るまでもない。ので、恭介は珍しく彼女を叱責してしまった。犬神は一瞬、驚いた顔をし、その後、ちょっぴり傷ついたような顔をしたが、そのまま凛をひっ掴んでどっかに行ってしまった。まぁ凛が一緒なら安心はできる。


 他の生徒たちもこの街を回りたがっていたが、いかに冒険者自治領とはいえ、単独で魔物がうろつきまわるのはちょっとした騒ぎになる。というわけで、恭介たちはレスボンと一緒に、ひとまずひと気のないような場所を、回ってみることにした。


「それでも、けっこう目を引くな……」


 レスボンがぼそりと呟く。


「俺はそうでもないけど、他のみんなはめっちゃ見られてるな」

「カラスマ達はこっちの大陸には生息していないモンスターなんだ。仕方ない。それに、あまり言いたくないんだが、」


 と、彼は声を潜めた。


「ユニコーンに関しては帝国がその飼育方法を完全に独占している。完全に近い治癒魔法を使えるモンスターは限られているからな」

「ああ、だから白馬も見られてるのか……」


 そんな白馬は、道行く女性を眺めながら、一喜一憂の表情変化を見せている。そうとう気持ち悪い奴だった。


「ひとまず酒場にでも入ろう」


 そう言って、レスボンが指したのは冒険者酒場のひとつである。看板には“魔物同伴OK”と書かれていた。まるでペットのたぐいのような扱いだ。仕方ないとはいえ、人間社会でモンスターが生活するという異物感の苦労を、改めて実感する。


「……らっしゃい」


 バーカウンターの向こうに立ったバーテンダーは、強面の巨漢である。魔物同伴OKというくらいだから、おそらくそうとう腕っ節に自信のあるスタッフしかおいていないのだろう。ウェイトレスも、身長2メートルくらいの過剰にマッチョなムキムキ乙女だ。レインはまだ、『筋肉の上におっぱいがある』という感じだったが、こちらのウェイトレスは筋肉しかない。なお、白馬は目を輝かせていた。ちょっと尊敬した。


 一同がぞろぞろと入店しようとすると、後ろからガチンという音が聞こえた。


「くっ……! 身体が入らない」


 壁野である。確かに彼女の体面積は、この狭苦しい酒場の入口よりも大きい。

 重巡分校でも、彼女は移動が大きく制限される生徒の1人だった。とりあえず恭介と烏丸で、彼女を横に倒し、店内へと慎重に運び込む。そのまま縦にすると、めりっという音がして天井に壁野の頭部(?)がくい込んだが、バーテンダーはちらりとこちらを見ただけで何も言わなかった。


 中には、荒くれっぽい雰囲気の冒険者たちが、昼間から酒を飲んでいる。あんまり良い印象はないな、と恭介は思った。


「とりあえず酒をくれ。エールだ」


 レスボンはカウンターに腰掛けて注文をする。


「ウツロギは飲むか?」

「俺は飲むと床を汚すから良いよ。烏丸は?」

「俺のクチバシにフィットする器があるならもらうぜ」


 ごとり。カウンターの上になみなみと酒の注がれた金ダライが置かれた。

 白馬やあずきも注文を済ませる。壁野は天井と床の間にはさまったまま身動きがとれず、特に飲み物も要求しなかった。冒険者たちの視線は、自然とこの奇妙な一団へと向けられることになる。


 烏丸は、下のクチバシで金ダライから酒をすくいだすようにして飲む。


「ウツロギ、恐竜が鳥に進化したって話聞いたことねぇか」

「ある。っていうか、今はそれが定説っぽいな」

「なんで恐竜はこんな不便な進化の方向を選んだんだ……」

「魚を捕まえやすいようにとかじゃないか」

「おまえ相変わらず面白くねーな……」


 あけすけな物言いは嫌いではないが、ちょっぴりイラッとするのであった。


「俺たち未成年なんだから、酒なんか飲むなよ……」

「修学旅行で酒飲まなくってどうするんだよ! こっそりコンビニに行ってビール買ったりしたってオヤジが言ってたぞ!」

「オヤジさんの世代は年齢確認とか適当だっただろうからな」


 しばらくそんな適当な話を続けていると、恭介も店内を改めて見回す余裕が出てくる。

 冒険者酒場は、冒険者同士の交流に使われる場所であるらしい。協会と正式な契約を結んだところでは、冒険者が受ける依頼・任務、すなわちクエストの受注を行ったりしているし、そうでなくとも冒険者同士がパーティを組んだり、情報屋がたむろしたりしているという。


「ウォンバットと最初に出会ったのもここだったんだ」


 レスボンは片腕で酒を飲みながらそう言った。必死に酒を飲んでいた烏丸の手が、少し止まる。


「ウェイガンやフィルハーナともな」


 一瞬空気がしんみりしかけたところで、レスボンははっと表情を元に戻す。


「いや、悪い。別に恨んでるとか、悲しみたいとかじゃないんだ」

「別にいいけどさ」


 烏丸は再び酒にクチバシをひたす。


 ちょうどそのあたりで、からんからん、と扉についた鈴が鳴った。


「……らっしゃい」


 バーテンダーがそう呟き、店内の視線がいっせいに入口へと向く。

 その直後、荒くれの冒険者たちがいっせいにざわつくのがわかった。なんだろう、と思い、恭介と烏丸は後ろを見る。


 そこに立っていたのは1人の男だ。裾の長い黒のコートに身を包み、大きく立てた襟でその顔がかなり見づらくなっている。やけにツバの広いハットをかぶり、ハットの端には金属製の飾りが垂れていた。右側の腰に大小2本、背中に1本、剣を携えている。


「“名無し”だ……」


 誰かがぽつりと呟くのがわかった。

 レスボンも口をあんぐりと開けている。この店内で驚きの表情を見せていないのは、2年4組のモンスター生徒と、あとはバーテンダーくらいのものだ。


 男は無言のままバーカウンター、恭介の隣の席に腰掛け、注文をする。


「とうもろこしの蒸溜酒を」


 頼んですぐに、ウイスキーが出る。


 襟とハットの間からわずかに覗く男の顔には、生気というものがあまり感じられない。そのためか、年齢もひどくわかりにくかった。20代であるといえばそう見えるし、50代の老練さがあると言えば、それも確かにそうかもしれない。


「喋る魔物がいると聞いて、ここに来た」


 ぼそり、と男が呟く。


「あ、あの、あんた……響狼星の“名無し”だよな……?」


 呟いた男に、レスボンが震える声で尋ねた。

 名無しと呼ばれた男は、ちらりと生気のない視線をレスボンに向けたあと、続ける。


「ゼルガ剣闘公国で、ゴウバヤシ達に出会った」

「………!」


 恭介ははっとする。名無しは酒を飲んだまま、独り言のようにしゃべり続けた。


「喋るオウガというのは初めて見た。……いや、冥瘴気に侵されたオウガが知能を発達させ、人間の言葉を理解することはなくもないが、いずれにせよ理性と知性を両立させた個体には初めて遭遇した」

「それで、ゴウバヤシは今どこに……?」

「他にも同じ境遇の魔物がいると聞いて、少し興味がわいた。たまたま外で噂を聞いて、やってきた」

「えっと、あの、名無しさん?」

「おいウツロギ、こいつ凄いマイペースだぞ」


 戸惑う恭介に、烏丸が後ろからわかりきったことを言う。


 響狼星の名無し。聞いたことがあると思ったが、冒険者協会が認定した最強の5人の1人とかいうやつである。どのような人物かは知らないが、見たところ剣を使うらしい。見たところ、誰かとパーティを組むということもなさそうだった。

 最強というのは、どれほど強いのだろう。基準が少し気になる。


「実は大して期待をしていなかった。だが、それなりに収穫はあった」


 生気のない視線が、恭介の右腕へと向けられた。


「王片がそんなところにあるとは思わなかった」


 その瞬間、恭介たちの間に衝撃と緊張が走る。


 確かに今、恭介は王片のひとつを所有している。まともに考えれば、それを狙うものがいるのは当然のことだ。だが、こちらの大陸に戻って早々に、まさか冒険者協会最強クラスの男に目をつけられるは思わなかった。右腕を庇うように、身体をひねる。


「待ってくれ、名無し」


 レスボンが言った。


「そのスケルトンは俺の連れてきた魔物だ。あんたも冒険者なら、人のものを勝手に奪うなんて真似はしないでくれよ。俺は、あんたのファンなんだ」


 隻腕隻眼の剣士だ。ゴールドランク冒険者、とは言えど、既に力を失った状態である。改めて協会に申請に行けば、ランクの低下は免れないかもしれない。

 彼が対峙し、睨みつけているのは、冒険者協会が認めた最強格の男。ゴールドランクとプラチナランクの間には大きな実力の隔たりがあり、その上で、プラチナランクの中でも五本の指に数えられているのが、この名無しという男なのである。


「………」


 名無しは空になったグラスを傾けるだけで、何も言おうとはしなかった。


「おうおうおうおう、“名無し”さんよう!」


 そこで、2人の間にずけずけと割って入る影が1人。山伏装束で黒い羽毛を包み込んだ魔物。

 鴉天狗の烏丸義経であった。


「さっきからずけずけと一方的に言ってくれるじゃねぇか。あぁん? ジャンプ漫画に出てくるみてぇなカッコしやがってよぅ。こっちの言葉には反応なしってか? え? プラチナランカーってのがどれほどのもんか知らねぇが、あんま調子ついたこと言ってっと……あん?」


 すっ、と、烏丸の下顎、下クチバシのあたりに、名無しが腕を伸ばす。指はちょうど、デコピンの形を作っていた。

 名無しの指が弾かれる。彼の中指に蓄えられた衝撃が、烏丸のクチバシに炸裂した。


「ぶばッ!?」


 その言葉を最後に、烏丸義経の身体は吹き飛んだ。デコピンによって高く打ち上げられた肉体は天井を突き破り、砲弾のように空の彼方へ消えていく。一瞬の出来事だった。止める余裕もなかった。天井にぽっかりと、ギャグのような穴があいていた。

 烏丸義経、フラグの立て方が完璧であった。まごう事なきチンピラアクションである。


「そのうち落ちてくる」


 名無しはそう呟いた。


「俺は王片自体に興味はない。そこからもたらされる力に興味がある」


 ハットの下で、生気のない瞳がわずかに輝きを帯び始めるのがわかる。


「正規の適合者ではないな。腕だけを魔王族の骨に換えることで、かろうじて王片を押さえ込んでいる状態だ。が、それでも、王片の所有者と戦うのは、初めての経験だ」


 名無しはゆっくりと、椅子の上から立ち上がる。

 そこで恭介は初めて、この男の顔を正面から見ることになった。先程までと打って変わって、目つきがギラギラと輝いている。


「ま、待ってくれ。戦うって、いきなり言われても……」

「命まで取る気はない」

「いいんじゃないか。ウツロギ、せっかくだから相手してやれよ」


 後ろから白馬がのんきな声をかけてくる。


「別に命までは取らないって言ってるし」

「こういうタイプ、俺、あんま理解できないんだよな……」

「じゃあなおさらだ。姫水はこういうタイプだぞ」


 言われてみれば、確かにそうだ。凛は割と求道的な性格をしている。

 スライムになってしまってから久しいが、それでも走ることへの情熱は絶やしていないはずだし、神代高校最速スプリンターとしての矜持はまだ残している。人間に戻ったとき、かけっこをしようと言われれば喜んで応じるだろうし、速そうな相手を見れば競いたがるかもしれない。

 そういった意味では、目の前の名無しという男と、姫水凛は非常に似たタイプなのかもしれない。


 いや、ないな。


 恭介は即座に頭の中で否定した。凛の方がかわいい。


 まぁ、それはそれとして、


「えぇっと、そっちが勝った場合、こっちが支払うものってあるのか?」

「ない」

「じゃあ、こっちが勝った場合は?」

「前提条件として意味がない」


 恭介はそう言われて、ちょっぴりムッとした。


「大した自信だな。いや、そっちの方が絶対に強いのはわかってるけど……」

「いいじゃないか。勝ったら好きなことひとつなんでも聞いてもらえ」


 白馬が後ろから茶々を入れてくる。


「そうね。なにか協力してもらえるなら、すごい助かると思うし」


 壁野もそう言って頷いた。正確には、頷こうとしたが身体がはまっているので動けなかった。


「良いだろう。そちらが勝てば要求をなんでも飲もう」


 名無しは懐から金貨を一枚取り出し、カウンターに置く。そのままコートをふわりと翻して、出口へと向かった。ハットにぶら下げられた金属がぶつかり合って、ちりん、という涼しい音を立てる。


「準備ができたら大広場まで来い」


 その言葉を残して、名無しは扉から出て行った。


 厄介なことになってしまった。まぁ、戦って別に損はなさそうなのだが、得もあんまりなさそうなのが、なんとも。ただこの世界の強さの基準を知る、指標のひとつにはなるか。せいぜい、胸を貸してもらうとしよう。


 恭介が振り返ると、レスボンが隻眼をキラキラさせて立っていた。


「す……、」

「す?」

「すごいじゃないか、ウツロギ! まさか、あの名無しと戦えるなんて!」

「ああ、うん。やっぱすごいことなんだな……。この世界では」


 なんというかこう、有名なロックミュージシャンに握手してもらったら、それをロック好きの友人にすごい羨ましがられたというか、そんな印象だ。別に恭介はロックに詳しくないし、名前くらいは知ってるし凄い人だとはわかるけど、そこまでテンションが上がらない。だいたいそんな感じだ。


「……あ、しまった」


 と、恭介は自分の右手をみて思い出す。


「王片の力、あんま使うなって言われてたな……。合計で1時間になるとヤバいんだっけ……」

「まぁたぶん5分ももたないから大丈夫だよ!」


 レスボンが満面の笑顔でそう言うので、またちょっとムッとしてしまった。


 ぶっ飛んだ烏丸が空から降ってきたのは、それからまもなくのことである。

次回更新は28日朝7時を予定しておりまーす。

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