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第82話 招集指令

「うおーりゃあああああっ!!」


 恭介の拳が、グレンに伸びる。エクストリーム・ブロウだ。

 拳は叩きつけられる直前になって、その上腕部ごとふっと掻き消える。液化した腕はグレンの身体の中に入り込み、身体の内側から食い破る。エクストリーム・ブロウとは、そのような必殺致命の一撃である。

 例え上腕部が切り離されようと、きちんと制御は利く。恭介はこの一撃に一切の容赦をしない。これまでにいくつかの命を奪うときにそうであったように、グレンの体内に潜り込ませた右腕を、心臓部へと動かしていく。やがてその腕は、彼の心臓を弾き、真っ赤な花を咲かせる。


 今回も、そのようになるはずだった、のだ、が、


「ふっ……」


 グレンは嘲りじみた笑みを浮かべると、黒いエネルギー体を自らの全身に纏わせた。

 直後、分離させた恭介の腕は途端に制御が利かなくなる。右の二の腕から先に痺れるような感覚が走り、それっきり石のように動かなくなった感覚だ。

 あの黒いエネルギーは、鎧をまとったポーン達が放つのと同じものだ。モンスターの力を抑制するだけの効果があるのかもしれない。恭介は、制御の利かなくなった右腕には、そうそうに見切りをつけた。


「凛!」

『おう!』


 恭介が右腕を突き出すと、失われた部分が即座に再生されていく。

 この身体は、恭介スケルトンの特性とスライムの特性を併せ持つ。その結果、水による体組織の補充さえできるならば、欠損部位の修復は容易だ。


 が、なるほど。今までとは違い、かなり面倒な手合いだ。


 エクストリーム・クロスは、瞬時の完全液化が可能であるという関係上、物理的な戦闘においてはほぼ無敵である。弱点は急激な温度変化や、魔法による攻撃だ。試したことはないが、ゴウバヤシの扱うような“闘気”や、満月の犬神が放つ金色のオーラなどでも、ダメージを受ける可能性がある。

 血族因子をエネルギーのように展開し、魔法のように放つビショップクラスの戦闘スタイルは、凛のスライムボディにダメージを与えうる手段のひとつなのだ。扱える総量も、そしてその技量も、今までに相手にしてきたポーン達とは格が違う。


 恭介は、右の拳を突き出し、左の拳を手前に引き、ジークンドーの構えをとった。


 この3ヶ月の戦闘を経て、恭介の格闘スタイルは素人なりに洗練されつつある。

 これまでパワーで押し切れる相手が多かったので、動きを試す機会が多かったのも恵まれていた。


 エクストリーム・ブロウが通用しない以上、ビショップのグレンは力押しというわけにはいかない。


「今度はこちらから行くぞ!」


 グレンは叫ぶや、右腕に黒い槍を作り出し、恭介に向けて投射する。因子エネルギーの槍だ。迂闊に触れるわけにはいかなかった。恭介が避けようとしたその時、ぶわっと腹に大きな穴が空く。


「う、うおおっ!?」


 槍は見事にその穴の中をすり抜け、砂の上に突き刺さる。


『回避動作はあたしがやるから、恭介くんは攻撃に集中!』

「わ、わかった!」


 腹の穴はすぐにふさがり、恭介は動転した気を落ち着かせながらそのあたりを撫で回した。

 完全融合を果たしているとは言え、いきなり腹に穴が開くのはびっくりする。


「くっ、器用な真似を!」


 グレンは、次々に槍を生み出し、こちらに向けて投射を続けてくる。槍の狙う場所を正確に見定め、凛はヒョイヒョイと腹に穴を開けた。

 恭介はすぐさま距離を詰め、拳を強く握り締めた。瞬間、拳の形状が変形し、鋭利な刃を握る。恭介は刃を振りかぶり、グレンに向けて叩きつけた。


「ちい!」


 グレンは黒い槍を生み出し、それを受け止める。折れるかと思うほどに強くたわむ槍。だが、力で勝っていると言えど、このつばぜり合いが優勢であるとは限らない。

 槍は黒い因子エネルギーで構成されたものであり、叩きつけた刃は恭介たちの身体で構成されたものだ。

 黒いエネルギーが、じわじわと刃に染み込んでいく。


「お前は必ず倒す!」

「あのハイエルフへの義理立てか!?」

「義理なんかじゃ、ない!!」


 恭介が叫ぶのと、腹の部分から新たな腕が伸びるのは、ほぼ同時であった。

 腹から伸びた腕は1本ではない。腕というよりは触手に近く、尖端部を鋭利にした数本の刺突が、次々とグレンの腹部に突き立てられた。


「が、ふっ……!」


 その瞬間、恭介の刃を受け止めていた黒い槍が消える。支えを失った刃は、勢いをましてグレンの顔面を叩き割らんとした。グレンはかろうじて身体をひねり、しかし刃は、腕の一本を切り落とすことに成功する。

 グレンの腹を串刺しにした触手たちは、血を払いながら恭介の腹へと収まっていった。恭介も右腕を振るうと、刃が元の腕の形へと戻る。


 今、グレンの腹を狙ったのは恭介の意思ではない。凛がやったのだ。


 グレンは腹を押さえたままよろけ、2歩、3歩と後ろへ後退する。


 カタカタと、身体の震えるような感覚があった。これは、凛のものだ。

 いくら、恐怖を乗り越えたとは言っても、彼女のフィルターは切れている。元来、姫水凛は、人を傷つけて平気でいられる娘ではない。戦うことを承認したといっても、人の身体を串刺しにして、けろりとしては、いられないのだ。


 恭介は、自らの右手で左肩を押さえた。


「大丈夫だ、凛。ありがとう。無理はしないで」

『あ、う、うん……』


 そう答える凛の声も、どこか震えている。


 グレンは、腹を押さえたまま、口から血を吐いた。片膝をつき、タキシードの袖で口元を拭う。

 こちらを睨みつけるグレンの双眸には、様々な感情が渦巻いていた。憤怒と苛立ち、そしてほんのわずかな恐怖。命に執着し、死ぬまいとする人間の感情そのものだ。生々しく、真に迫る。だが、その表情は、恭介の身体に微塵の躊躇も呼び込みはしなかった。


「うおおおッ!!」


 グレンは咆哮をあげ、残った腕に黒いエネルギーを集約させていく。恭介は反撃を阻止するべく、拳を振りかぶった。


「グレンッ!」

「シンク!?」


 悲鳴じみた声に、グレンは一瞬動きを止めてしまう。見れば、砂の上を転がるように、ボロボロになったシンクが駆けてきた。烏丸や白馬、レインによる阻止をくぐり抜け、グレンのもとに一直線に走ってくる。グレンは、恭介の拳を受けながら、なんとか砂の上に踏みとどまる。

 グレンの腕に溜め込まれた黒いエネルギーは、どんどん肥大化していく。恭介は脇で控える仲間に向けて叫んだ。


「雪ノ下!」


 視線を向けると、雪女が両手を掲げ、その上に冷気の球体を作り上げている。雪ノ下は頷くと、その冷気を構成する虚数温度を、一気に反転させた。球体が一瞬で熱を帯び、高熱は空気をプラズマ化して弾けるような音をあげる。

 グレンは雪ノ下の動きに気づき、右腕に溜め込んだ黒いエネルギー体を、彼女に向けて放射した。どおっ、という音と共に流れ出した黒い奔流を、地中から持ち上がるように出現した壁が防ぐ。壁は一瞬で砕け散るが、防壁もひとつではない。その間に、雪ノ下が必殺の一撃を整えていた。


「グレン!」

「シンク、来るな!」

「いや! いやっ……!」


 腕に飛びつこうとしたシンクを、グレンは突き飛ばす。それを見た瞬間、恭介の動きも、わずかに鈍る。

 だがそれはわずか、ほんの一瞬のことだった。恭介は、再び右腕に刃を構成し、グレン達の動きを封じにかかる。


『恭介くん』


 走り出した恭介の脳裏に、凛の言葉が反響した。


「嫌なら離れていいぞ!」

『ううん。あたしも、やる』


 刃を振りかぶり、グレンに斬りかかる。グレンは、その一撃を防ぐようなことはしなかった。残った腕に黒い因子エネルギーを集約し、それを突き飛ばしたばかりのシンクに向ける。恭介の放つ一太刀は、グレンを正面から捉え、その頭部を叩き割る。確かな手応えと共に、真っ赤な色が弾けた。


「グレェンッ!!」

「雪ノ下、やれッ!!」


 恭介が叫ぶと、雪ノ下涼香は、頭上に掲げた一兆度の高熱火球を振りかぶり、投射する。

 プラズマ火球は大気を侵食し、砂を蒸発させ、宵闇を焦がしながら恭介たちの方へと迫る。恭介は飛びのき、しかしシンクは頭部を割られたグレンに向けて駆け寄った。その瞬間、グレンの残った腕に溜め込まれた黒いエネルギーが炸裂し、シンクの足元を吹き飛ばした。

 砂が舞い、シンクの華奢な身体が宙を舞うのが見える。

 雪ノ下の一兆度火球が、グレンの身体を飲み込んだのは、その直後だった。


 飛び退いた恭介の身体も、強い熱に晒される。身体の表面が蒸発するような感覚があった。砂の上に着地すると、プラズマ火球の通り過ぎた跡の砂がガラス化してしまっている。そこにグレンがいた形跡は、微塵も残ってはいない。


 一瞬。あっけない出来事ではある。

 だが、グレンの姿は既にそこには見当たらなかった。シンクも同様だ。彼女も一緒に蒸発してしまったのかどうか、それはわからない。恭介は、震える身体を押さえながら、大きく息をついた。


「ふむ、終わったか」


 それまで犬神と交戦していた大キツネが、鼻を鳴らすように呟いた。

 このキツネが何者なのか、というのはよくわからない。だが、血族に協力していた以上、敵という可能性がある。恭介が睨みつけると、キツネはその口元を大きく釣り上げた。それでなお、一同の緊張は解けない。


「よせ。奴らが負けた以上、儂が義理立てする相手もおらん」

「あんたは……。何なんだ」

「お前たちが元の世界に戻ろうとする以上、もう会うこともなかろう。会うこともないということは、それを語る必要もないということだ」


 犬神は、そう語るキツネの横で姿勢を低くし、唸り声をあげていた。

 キツネはその後、一瞬だけ烏丸の方に視線をやると、やはりふっと笑ってからこちらに背中を向けた。


「ではな」


 九本の尻尾を振りながら、キツネはその場を後にする。


「あ、お疲れ様でーす」

「お達者でー」


 凛とあずきだけが、やけに丁寧な言葉とともに手を振った。


 キツネの姿が消えたことで、一同はようやく安堵のため息を漏らす。


「なんとか撃退が済んだな」

「お疲れ、烏丸も無事で良かったよ」


 ロングソードを砂地に突き刺してレスボンがため息をつく。白馬も頷き、烏丸へと視線を向けた。

 戦いが終わったので、レインがハルバードを持ったまま砂地に降りる。白馬は少し名残惜しそうな顔をしていた。


「ほぼ成り行きで、俺としては肝が冷えたぞ」


 ウェイガンも、腕を組んだまま言った。


「………」


 烏丸は、少し顔を伏せて黙り込んでいたが、やがて意を決したようにレスボンの方へと歩き出した。レスボンは、そんな烏丸の態度に不思議そうに首をかしげる。


「ど、どうしたんだ?」

「あんた達の仲間、」


 烏丸がぽつりと呟くと、レスボン、フィルハーナ、ウェイガン、レイン。その場にいる冒険者たち4人が、身体を硬直させる。


「……ウォンバットか?」

「ああ。そいつ、多分、死んだ。俺を逃がそうとして」


 そう言って、烏丸は砂の向こうを指さした。


「死体は確認してない。向こうにダンジョンがあって、そこが血族のアジトだったんだ」


 そうつぶやく烏丸の言葉に、悲哀の感情が滲んでいるのを、恭介は聞いた。


 恭介からすれば、ウォンバットは許せない男である。レスボン達の仲間だが、彼の言動が二度、恭介や恭介の仲間たちを窮地に追い込んでいた。一度取り交わした約束も反故にするし、あの男に対しては、かなりの憤りを覚えていた。

 きっと烏丸もそうであったはずだが、彼の口調からは、別の思いが感じ取れる。


 その悲哀は、『嫌な奴だが死んで欲しいとまでは思わなかった』というような感情とは、また別種のものだ。


「……そうか」


 仲間の死を告げられたレスボンは、少し哀しそうな笑みを浮かべて、頷いた。


「……俺は、あいつの気持ちが少しわかるから」


 そのレスボンの顔を見て、烏丸は続ける。


「……何か、失敗した時とか、すごい怖くて……、俺もそうだった。失望されるのとか、役立たず扱いされるのとか。……まぁ多分、嫌われたくなかったんだよな。仲間はずれとかも嫌だしさ。だから……、挽回のチャンスが欲しかっただけだと思うんだ。俺のクラスメイトを襲ったのは許せないけど、そこだけは理解できる気がしてさ」

「あいつは昔からそうだったんだ」


 レスボンは、砂地に突き刺した剣をじっと見つめたまま、言った。


「バカな奴だったんだよ」

「……じゃあ、私、そのダンジョンの方を少し見てきます」


 フィルハーナが立ち上がって言った。


「俺もついていこうか」


 レスボンが声をかけると、彼女は笑顔でかぶりを振る。


「ちょっと見てくるだけですから。皆さんはここにいてください。怪我の手当てとか、これからの方針とかの話もあるでしょうし」


 それだけ言うと、フィルハーナは素早く砂の上を走っていく。

 これからの方針。その言葉を受けて、恭介とレスボンは視線を合わせた。合体を解くと、足元に凛がにゅるんと着地する。


 レスボンは、砂の上でくつろぐクラスメイト一同を見回した。

 空木恭介、姫水凛、烏丸義経、雪ノ下涼香、御手洗あずき、壁野千早、御座敷童助、白馬一角、犬神響。


 雪ノ下は砂の上に氷のベッドを作って火照った身体を冷やし、御座敷は壁野に寄り添うようにして座っている。犬神は大きな欠伸とともに砂の上に座り込んで、その傷を白馬とあずきが治している。


 彼らを、旧大陸行きの高速連絡船に乗せてもらうのは約束通りだ。それまでの間、行方不明の仲間を捜索する、という話が、恭介とレスボン達の間で持ち上がっていた。


「えぇっと、カラスマは見つかったな。あと2人だっけ? 血族のアジトにいるのか?」

「いや、その2人はもう新大陸にはいないらしい。だから、これで全員だ」

「そうか。じゃあ、問題はなさそうだな……」


 レスボンはそう言って、フィルハーナの走っていった方を見た。


 平静を装ってはいるが、彼は仲間を喪ったばかりだ。表に出していないだけで、きっと深い哀しみがあるに違いない。『問題はなさそう』なんて言ってはいるが、きっと、すぐにでもウォンバットの亡骸を見つけ、彼を弔いたい気持ちでいっぱいなはずだ。

 仲間の喪失は、重たい。恭介はそれを知っているつもりだ。


「……なぁ、ウツロギ」


 烏丸が、恭介の方へ歩いてくる。少し、ばつの悪そうな顔をしていた。


「……どうした、烏丸」


 恭介は、やや憮然とした声で応じる。自分でも驚くくらい、不機嫌になっていた。


「いや、その。悪かったな、って思ってさ」

「そうか」


 凛が何やら、驚いたようにこちらを見上げるのがわかった。

 そんな目で見るな、と思いながら、凛には目がないことを思い出す。まったく、笑えない。


 恭介はわかっている。自分が不機嫌な理由をだ。先ほど、烏丸がレスボンとかわした会話の内容にある。


『だから……、挽回のチャンスが欲しかっただけだと思うんだ。俺のクラスメイトを襲ったのは許せないけど、そこだけは理解できる気がしてさ』


 同時に、つい先ほど、恭介を助けたばかりのハイエルフの言葉も、思い出す。


『俺は、これくらいのことしなきゃいけないと思うんだ。だから、ちゃんとやることをやってから、その後で謝らせて欲しいんだ』


 恭介には、気に食わなかった。この2人に、そしておそらく、死んでしまったウォンバットにも共通していた意識。それだけではない。今となっては確かめるすべもないが、鷲尾吼太だって、同じ意識を持っていたのではないか。


 みんな、自分の責任を、重く考えすぎてやしないか。


 自分で勝手にミスをして、勝手に落ち込んで、悩んで、思いつめて、勝手に解決しようとして。

 誰も許さないなんて言っていないのに。

 どうして最初に『ごめんなさい』を言ってくれないのか。


 それだけ言ってくれれば、済むことだってあったはずじゃないか。


 済まなかったとしても、自分はいくらでも、庇う準備があったのに。許すことができるのに。


 恭介にとっては、とにかく、そこが不満でしょうがなかったのである。




「グレン……! グレン……!」


 シンクはぽろぽろと涙を流しながら、時界砂漠をわたっていた。


 雪女の放ったプラズマ火球に飲み込まれる直前、グレンは彼女の身体を吹き飛ばした。庇ったのだ。

 結果として彼女は生きながらえ、モンスターや冒険者達の目を忍ぶ形で、なんとか窮地を脱することができた。だが、失ったものの数はあまりにも覆い。


 自慢の槍。自らの片腕。そしてグレンだ。


 グレンを奪ったあいつらを、決して許さない。必ずや復讐を果たす。

 優しいグレンはそんなことを望まないかもしれないけれど。


 それでも、あいつらのことは許さない。必ず殺してやる。


「必ず……」


 と、決意を口にしかけたその時、シンクは自らの背後に凄まじい殺気を感じた。思わず飛びのき、振り返る。


「あなた……!!」


 と、シンクが睨みつけた先に立っていたのは、1人の女だった。


 見覚えがある。先ほど戦った連中の中に、同じ格好をした女がいたのを覚えている。印象にさほど残らない女だったが、この時ばかりは違っていた。砂をじゃりじゃりと踏みしめながら、白くゆったりとした装束に身を包んだ女は、ゆっくりと砂丘を下ってくる。両腕の拳には光を宿し、全身には殺気をみなぎらせていた。


「やはり生き延びていましたか」

「……何を、しに来たの」

「あなたを始末しに来ました。撃ち漏らしたようですので」


 そう言って、女は構えを取る。


 シンクは直感した。このままでは殺される。目の前にいる女は、単なる冒険者ではない。もっと強大な力を隠した、何か別の存在だ。構えを取ったまま、ゆっくりと近づいてくる女の首元から、懐中時計がぶら下がっているのが見える。短針は、時計盤の4を指したまま止まっていた。


「ちょっかいを出してくる程度なら容認もしていましたが、王片にまで手を出していたとなると、帝国としても看過できないわけです。おわかりですか?」

「いや……、いや……!」

「あなた方はやりすぎたのです」


 女はただ淡々と事務的につぶやきながら、ゆっくりとシンクを追い詰める。

 シンクは噛みちぎられた片腕を押さえながら、必死に逃げた。だが、ナイトの脚力をもってどれだけ必死にかけようと、一向に距離は離れない。それどころか、拳を光らせた女は、ゆっくり歩いているだけにも関わらず、徐々に彼我の距離を詰めつつあった。


「それに、そう。ウォンバットの恨みも、ありますので」


 女の言葉が耳元で聞こえたその時、何やら熱いものが、シンクの心臓を背後から貫いた。





 数日後である。


 フィルハーナがアジトを確認したところ、烏丸の言葉通り、ウォンバットの亡骸が発見された。冒険者の間で、簡略式の葬儀が行われることになる。参列は烏丸だけがした。

 その後、船が来るまでの間、恭介たちは食材を集めたり、狩りをしたり、あるいは釣りをしたりして、いつもよりちょっぴり優雅な時間の過ごし方をした。あずきや雪ノ下は、ウェイガンに人間が扱う魔術について簡単なレクチャーを受けたり、恭介や凛、烏丸などは、レスボンやレインに武器の扱い方などを軽く習ったりもした。恭介は、レスボンから奪い取ったままだった魔剣を返そうとしたが、選別としてそのまま持たされることになった。


「まぁ、俺が持っていても、もう売るくらいしかないからなぁ」


 と、いうのがレスボンの弁である。片腕と片目を奪った身としては、何やら申し訳ない気持ちすらある。


 扱いに困るといえば、王片だ。

 血族から奪い、なし崩し的に恭介が保有している“魔の王片”は、帝国が集め保管している超重要アイテムのひとつである。冒険者協会を通じて大陸中の冒険者にも通達が出され、これを手にすれば莫大な富と引き換えにすることができるわけだ。


 が、


 これに関しても、恭介が持っておくよう、レスボンが言った。


 良いのか、と尋ねると、レスボンは肩をすくめる。

 曰く、


「正直俺は、帝国のことが、あんまり好きじゃないからな」


 他にもいくらかの理由はあるのだろうが、ひとまず、そういうことらしかった。


 さて、そんなこんなで出航の日だ。冒険者協会が手配した高速連絡船に、恭介たちは乗り込むことになる。あくまで『レスボン達の積荷として』なあたりが、少しばかり七面倒臭いが、この際贅沢は言っていられない。


「うへぇ、あたし達檻に入るんだ……」

「そりゃあまあ、モンスターだからなぁ……」


 船から降ろされたいくらかの荷物を見て、凛がげっそりとした声をあげた。


「ウツロギ! おい、ちょっと来てくれるか!」

「ん?」


 レスボンに急に声をかけられて、恭介はそちらの方を見る。


「フィルハーナがファクシミリで妙なものを受信してるんだ」


 それは、冒険者のベースキャンプの中からである。恭介と凛は顔を見合わせて、中へと向かった。


 フィルハーナが通信魔法テレパスの使い手であるということは聞いている。そして、その中で大陸中で一部のテレパスメイジのみがアクセスできる霊子ネットワークから情報を引き出し、自動書記によってそれを書き出す一連の魔法を、ファクシミリと呼んでいるということも。

 今回も、フィルハーナは趣味の一貫としてテレパスネットにアクセスしていたのだが、その過程で大陸中にばらまかれている奇妙な新聞広告を見つけたのだという。その新聞広告は、レスボンやウェイガンなどでは知らない言語で書かれており、もしや異世界の言葉なのではないかと、恭介たちに尋ねて見ることにしたというわけだ。


「異世界の言語……。あたし達の世界の言語かぁー」

「日本語だったら良いけどな」

「あ、あたし、英文読解4、英文法4。リスニング4。スピーキング4」

「……俺、全部3」


 凛は『ふへへー』と自慢するような声を漏らし、全身をふくれあがらせた。


「まぁ、もしかしたらドイツ語かもしれないし、ロシア語かもしれないから、油断はできないな」

「そうだねー。レスボンさん、どれー?」

「これだ。読めるか?」

「ほうほう。どれど……れ……」


 そう言ってレスボンが差し出してきた書面を見て、恭介と凛は言葉を失った。


『神代高校2年4組のクラスメイトたちへ 委員長 竜崎邦博』


 そこに書かれていたのはまごう事なき、日本語だったのである。

次回は5章のエピローグとなりますぅー。

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