第81話 再会
「姫水!!」
宵闇を引き裂くように飛んできた烏丸は、姿を見せるなりそう言った。
「烏丸くん!?」
凛やフィルハーナのチームは、レスボンや白馬のチームと合流した後、炎が見えた方角を目指し、まっすぐ移動を始めたところであった。とは言っても、進軍速度はそこまで高いわけではない。主に凛が足を引っ張っているのだ。
そこに姿を見せた烏丸に一同は驚愕を顕にした。
何しろ、烏丸を探す過程で、あの炎を目指していたわけである。
「烏丸、ウツロギ達はどうした!?」
真っ先にそう尋ねたのは白馬だ。烏丸はすぐに頷く。
「ちょうどその話だ。向こうで血族と戦っている。姫水だけでも急いで連れて行く。いいか?」
現状、血族への対抗手段は少ない。
今は満月が出てきているので、犬神もそれなりに戦えているはずだが、烏丸の言動から察するに、どうやらそれだけでもなさそうだ。となれば、是非もない。
普段は自己主張をしない御座敷も、この時ばかりは緊張感を滲ませた声で尋ねる。
「烏丸くん、出てきている血族って何?」
「ビショップとナイトだ」
強敵だ。ここにいるクラスメイトの大半は、ポーンクラスまでの血族としか交戦経験がない。
ポーンクラスは、フェイズ2に覚醒した一部の生徒で対抗が可能だ。が、ナイト、ビショップとなると、今のところ恭介と凛のエクストリームクロスでしか勝利経験がない。急がねばならないのは事実のようだった。
「烏丸くん、お願い」
凛は、そう言って烏丸の腕に捕まった。支えもなしに張り付き続けるのは厳しいが、数分程度ならまだこらえることもできる。そのまま、烏丸の腕を飲み込むようにしてしがみついた。宙に浮かび上がる烏丸の身体には、風が張り付き、渦巻いている。
「レスボン、あたし達はどうする?」
腕を組んだまま、大柄な女戦士レインが尋ねた。
「血族と戦うリスクはないが、ウェイガンが向こうにいるので、俺たちもいく」
「了解」
「フィルハーナもいいな?」
「はい」
フィルハーナ・グランバーナも、至極落ち着いた様子で頷いた。
「じゃあ、急いで姫水を届ける。また後でな!」
その言葉を最後に、烏丸は再びその場を飛び去る。翼に風を蓄えた彼の身体は、やはり一切羽ばたくことなく、一瞬で最高速度に達した。夜の帳に包まれた満天の星空と、砂の埋め尽くす大地が、視界の中で一気に溶けていく。
「(速い……!)」
凛は思った。
神代高校最速の女として鳴らした姫水凛は、速さに敏感だ。空と陸との差はあれど、その速度は一瞬で未体験の領域に突入する。歯があれば歯噛みしていたし、唇があれば、やはり噛んでいただろう。このスピードは、ちょっぴり羨ましい。
と、その瞬間、
「うおっ、冷たッ!?」
烏丸が悲鳴をあげ、後ろを振り返った。その間も、速度は全く落ちない。
凛が烏丸の足に目を向けると、そこには氷でできた鎖が絡みついていた。
音速の中で溶けゆく景色に、しっかりついてくる影がある。氷でできた鎖であるから、当然それは、雪ノ下涼香の腕から伸びているものであった。彼女は自らの足元だけを氷で固め、まるでスケートのように地上を滑走していく。もちろん、その速度は完全に烏丸頼りだ。
「おいコラ雪ノ下! 何してんだ! 重いだろうが!」
「努力と根性よ、烏丸くん!」
口元だけは妙にシニカルな笑みを浮かべながら、雪ノ下は烏丸の抗議を一蹴する。
「その様子だと、ようやく努力する楽しさを知ったようね! まあ、努力は報われるとは限らないけど、良い傾向だわ! ファイトファイト! がんばれ! 気合よ!」
「くそったれ! 雪ノ下! 覚えてろよ!!」
まぁ、雪ノ下はフェイズ2覚醒によって超火力を会得したので連れていって損はない。一発屋なので使いどころが難しいが。
烏丸が戦場にたどり着くのは、それからまもなくのことだった。
恭介の目の前で砂の身体から炎の身体、そして水の身体へと変化した怪人は、やがて空気に溶けるような風の身体に変身した。
四大元素を自在に操ることができるのは、この世界においては四大精霊すべてとの親和性を高めたものだけだ。人間の魔術師は擬似的な手段を用いてそれを可能にするが、目の前の怪人は、その領域をはるかに超越しているように見えた。
怪人は次々と姿を変え、恭介に攻撃を仕掛けてくるが、不思議と致命打は叩き込んでこない。恭介が“邪炎の凶爪”を振りかぶると、怪人は空気を圧縮して壁を作り出し、その腕を押さえ込んだ。
「ぐっ……!」
『王片の力は、あまり使っちゃダメだ。ウツロギ』
やけにハッキリとした声が、恭介に届く。
「……!?」
驚いて周囲を見回すが、少し離れた場所でシンクを介抱しているグレン、それに犬神や彼女と交戦している九尾狐には聞こえていないようだった。
『いろいろ言いたいことはあると思うけど、手短に3つ話す。聞こえてる振りはしないで』
言葉は、目の前の怪人から、風にのって聞こえてくる。その後、怪人は風を操りながら、こちらに向けて突撃してきた。恭介はひとまず、その言葉に従って応戦する。
やはり、目の前のこいつは。
『まずひとつ、王片の力の使用にその身体は耐え切れない。どうしても使うなら、合計で1時間経つ前に、腕ごと取り外すこと』
グレンの言葉に従う振りをして恭介に襲いかかってきたのは、王片の力の使用を抑えさせることが目的であるらしい。恭介は自らの左腕を見た。王片によって異形化した腕骨は、その表面に赤い魔力が不気味な脈動を続けている。
風の怪人は続けた。
『次に、王は以前の戦闘の後遺症で満月の日はその知覚能力が低下する。俺がここに来れたのもそのせい。これは紅井も知らないはずだから、会う機会があったら伝えておいて』
それはすなわち、目の前の彼が、既に何かしらの手段で王に知覚される存在になってしまったことを示している。つまり、四つの属性の姿に次々と変化することができるこの力は、おそらく彼のフェイズ3能力なのだ。
これは、恭介にとって、決して愉快な情報ではなかった。
彼がこうして情報を話してくれることによって、得るものは大きい。だが、それ以外の手段は取れなかったのか。恭介の救出が間に合わなかったという意味でもある。
次に会うときは、本気で戦闘しなければならない可能性もあった。
『最後だ』
恭介と狂言戦闘を演じながら、風の魔人は言った。
『蜘蛛崎と触手原が、本拠地に運ばれてきた。本拠地は新大陸じゃない。旧大陸の東側にある』
風に溶け込むようなエメラルドの瞳が、正面からじっと恭介を見た。
『2人は俺がなんとかするから……だから……』
「お前は……」
『俺は、これくらいのことしなきゃいけないと思うんだ。だから、ちゃんとやることをやってから、その後で謝らせて欲しいんだ』
その時、恭介の中で未知の感情が膨れ上がるのを感じた。目の前の男を叱責したくなる衝動を、恭介は強引に押さえ込む。
ちょうどそのタイミングで、シンクも意識を取り戻した。犬神に腕を食いちぎられたということは、人狼族の唾液によって戦闘能力が大きく低下しているということでもある。だが、彼女はグレンに支えられたまま、片腕で槍を振り回した。
「ミズクメ! そのイヌは、私の獲物よ!」
時間稼ぎにも限界が来たようだ。シンクは、九尾狐相手に互角の戦いを続ける犬神に、喜々として飛びかかる。その時、岩陰にいたウェイガンが魔法を唱え、雷光がわずかに彼女の足止めをした。だが、シンクは衣装が焦げ付くのも気にせず、満面の笑みで犬神に向け、槍を突き込んだ。槍はとうとう犬神の毛皮を突き破り深々と刺さり込む。
シンクは槍を引き抜き、それまで待機していたアンデッド軍団に指示を下した。槍の穂先が、岩陰に隠れたウェイガンとあずきに向けられると、死霊の王や屍鬼達がゆっくりと動き出す。
同時に、グレンもまた、視線をこちらへ向けた。
「何を手間取っている、ハイエルフ! 僕も手を貸すから、一気にそいつを捕えるぞ!」
『ウツロギ、俺は退く。烏丸が見えたから、すぐに姫水さん達が来ると思う』
目の前の男の意図を、恭介はすぐに理解した。禁じられたばかりの王片の力ではあるが、ほんのわずかに開放し、邪炎の凶爪を再び点火する。グレンがこちらへの戦闘に加わるより早く、恭介は腕を振りかぶり、それを男に思い切り、叩きつけた。
叩きつけた瞬間、凶爪を引っ込める。だが、男は元素を操り、風の身体があたかも炎の爪に貫かれたかのような演出をした。
「ぐう……!」
胸を押さえ、悲鳴をあげる。よろけるように2、3歩後退し、ちらりとグレンに視線をやってから、ふっと風の中に掻き消えた。
「あいつ……!」
グレンはいらだちを顕に叫ぶ。
「元仲間相手に情が出たか……! 満月だからと、好きな真似ばかり!」
恭介は、視線をグレンの方には向けていなかった。屍鬼や死霊の王が、岩陰に隠れたウェイガン達に殺到しようとしている。烏丸や凛が到着するまでのわずかな間、あれらの動きを止めなければならない。のだ、が、
そして、ちょうどそのタイミングで、空気を引き裂く叫び声が轟いた。
「フリィーザァーストォォォォォォム!!」
「……!!」
宵闇の彼方から、一条の青い光が奔る。叫びに反応したグレンは回避の為に身体をひねるが、その光条は、岩陰のウェイガンたちに襲いかかっていた死霊の王を直撃する。巨体が一瞬で氷漬けになった。
さらに、
「虚数反転! ファイヤーブリザァァ――ドッ!!」
冷凍光線が一瞬のうちに超高温熱線へと変化する。冷却状態から瞬間的に加熱状態へ変化した死霊の王の身体に向けて、宵闇を引き裂くように突撃する影があった。
「今よ、烏丸くん!」
「おおりゃあっ!!」
漆黒の影は、風を纏ったまま臆することなく死霊の王へ体当たりをぶちかます。温度差によって一気に脆弱になった死霊の王の体組織を、超高速の弾丸が突き破った。胴体部に巨大な穴を開けられた死霊の王が、ゆっくりと崩れ落ちていく。
疑うまでもなく、烏丸義経だ。砂漠の上に氷の道を作り、スケートのように滑走しながら、雪ノ下涼香も到着する。
「ちっ!」
グレンは舌打ちをしながら、黒い弾丸を雪ノ下に向けて撃ちだした。
「ふっ!!」
雪ノ下は両足を広げて砂の上に停止し、腕を組んだまま黒い弾丸を迎撃する。目の前に氷の壁を生み出し、しかし弾丸は氷の壁を突き破って、自信満々のドヤ顔を見せていた雪ノ下の腹を直撃した。
「ごふっ」
腹を押さえてうずくまる雪ノ下。
「雪ノ下、大丈夫か……?」
「あなたに心配されるのは不愉快だわ」
「どうして俺そこまで言われなきゃなんないの!」
とは言え、漫才をやっている余裕もない。恭介は空を見た。
死霊の王の腹をぶち抜いた烏丸は、スピードを殺しきれず宵闇の中へ突っ込んでいったが、そのまま大きな旋回を行いながら、再びこちらへ戻ってくる。速すぎるのも考えものだ。
「ウツロギ、姫水を連れてきた! 受け取れ!」
空から、烏丸が恭介に向けて凛を投げ落とす。
「うおおお、扱いが雑だ!」
凛が魂の叫びを口にした。恭介は、投げられた凛の落下地点めがけて走り出す。
「融合を阻止する! シンク!」
「わかったわ!」
九尾狐と2対1で犬神を追い詰めていたシンクだが、グレンの声には素早く反応した。片腕のまま、槍を構えて恭介へと突撃する。同時に、グレンは黒い魔弾で凛を攻撃しにかかった。
雪ノ下はシンクの、烏丸はグレンの動きに反応して、それぞれ動く。
グレンの放った魔弾の弾速よりも、その瞬間の烏丸の飛翔速度が上回っていた。弾丸ひとつひとつが、凛にたどり着くより早く、烏丸は三次元的な挙動で間に割って入る。彼の振るう葉団扇が、黒い魔弾をひとつ、ふたつと弾き落としていった。しかし、みっつ目には腕の動きが間に合わず、烏丸は魔弾の直撃を受ける。烏丸の身体は、空中を回転するように吹き飛ばされるが、そのまま宙で踏みとどまるようにしながら、最後の四発目に、みずから体当たりをかました。
恭介に向けられたシンクの槍を阻むべく、雪ノ下は氷の壁を作り出した。だが、犬神の毛皮もぶち破るその穂先を、彼女の氷では阻めない。氷壁はあっさりと打ち砕かれ、それでなお、シンクの勢いは止まらなかった。恭介はその瞬間、空から落下してくる凛を受け止めるため、身動きが取れない。
「雪ノ下さん!」
あずきが叫び、その瞬間、彼女と視線が合った。互いに、どちらからともなく頷き合うと、あずきは雪ノ下に向けて水流を放った。雪ノ下は冷気を放出して水流を一気に凍りつかせ、先ほどよりもさらに分厚い壁を作り出す。
「あら、やるじゃない!」
壁に槍を突き込んで、シンクは笑った。片腕であっても、因子の力を抑えられても、その戦闘能力に衰えは一切見られない。
シンクは一度槍を引き、その槍を片手で大きく振りかぶると、今度は縦に、勢いよく叩きつけた。
「くっ……!!」
雪ノ下とあずきが渾身で作り上げた氷の壁でさえも、シンクは容易く打ち砕いてしまう。
だが、果たして時間稼ぎは成った。宙にほうられた凛の身体を、恭介が受け止めることに成功する。スライムの肉体がスケルトンの骨格を包み込み、その直後、彼らの身体を覆い隠すように、周囲に竜巻が発生した。
巻き起こる突風にバランスを崩し、雪ノ下が尻餅をつく。だがシンクは一切怖気づくことなく、その竜巻に向けて突進していく。
「よせ、シンク!!」
「ふふ、心配要らないわ!!」
グレンの制止を振り切り、槍を片腕で、竜巻の中へと突き込んだ。直後、シンクの口元が大きく釣り上がる。
「手応えアリ! これで……あら?」
彼女が首をかしげるのと同時に、恭介たちを包んでいた竜巻が、弾け飛んだ。
中から、ゆらめくようにして、一人の男が立ち上がる。水のように透き通った瞳が、シンクを睨みつけた。風が髪を弾き、服の裾がはためく。
月光に照らされた男の姿は、温厚な彼にしては珍しく、怒りをにじませる表情を浮かべていた。槍の穂先は確かにその胸部を貫いていたが、男はダメージを受けた様子もなく、槍の柄を掴んでいる。
エクストリーム・クロス! 恭介と凛の姿だ。
「やるわね! あなた、さすがね!」
シンクは自信満々の笑みと共に槍を引き抜こうとするも、恭介はがっちりと槍を掴んでいるため、なかなか引き抜けない。
「あんっ……。ちょ、もうっ! 放しなさいよ、あなた!」
「うおおおぉぉぉ―――りゃああっ!!」
シンクの言葉には一切取り合わず、恭介は手刀をシンクの槍に叩きつける。ばきん、という音がして、槍はあっさりと両断された。
「あああ――――ッ!?」
「ふゥンっ!」
シンクが悲鳴をあげ、口をあんぐりと開けるが、恭介は一切の容赦なく、その蹴りをシンクに腹に向けて叩き込む。シンクの小柄な身体は軽々と吹っ飛び、砂の上をごろごろと転がっていった。
「え、えげつねぇ……」
砂の上に墜落していた烏丸が顔をあげて呟く。
『……恭介くん、怒ってる?』
「少しな」
凛の言葉に短く答え、恭介は、折れた槍の破片を放り捨てて、両手をパンパンと払った。
砂まみれになったシンクは、折れた槍を杖代わりにして立ち上がるが、それを放り捨てると、動きやすいようにか自らのスカートの裾をびりびりと破いた。片腕で拳を作り、片足を高く振り上げる。
「よくもあたしの槍を! それに蹴ったわね! グレンにも、まだ蹴ってもらったことないのに!」
「下がるんだシンク! そいつはキミでは相性が悪い!」
グレンは砂の上を走り、シンクを庇うように前に立った。
「でもグレン、こいつ、あなたがくれた槍を」
「あいつの相手は僕がする。君は他のを」
「後でお仕置きしてくれる?」
「ああ」
「じゃあやるわ」
シンクはにこりと笑い、砂の上を犬神の方へ走っていく。そのまま、グレンが恭介とにらみ合う形になった。
「なんなんだこいつら……」
烏丸がぼそりと呟いて、砂の上から立ち上がる。恭介はそれをちらりと見るが、グレンからは視線を外さない。
「烏丸、犬神に加勢を。ていうか、シンクを頼む」
「ああ、わかった」
「雪ノ下は、ウェイガン達と協力して周りの雑魚を潰してくれ。白馬やレスボン達が来たら、いつでも一兆度火球を撃てるように待機」
「任せて!」
恭介のことを嫌いと語る2人だが、この時ばかりは素直に応じてくれた。
「ウェイガンと御手洗は状況を見て他の奴らの支援を。だが、自分の身を守るのが最優先だ」
「む、わかった」
「あ、はい!」
グレンの語る通り、完全液化が可能となるエクストリーム・クロスは物理攻撃主体となるナイトクラスの血族には圧倒的に有利な相性を誇る。グレンはビショップクラスだ。因子を駆使した間接的な攻撃手段に秀でる彼の方が、今の恭介を相手どるには適している。
恭介も、ビショップクラスの血族と戦うのは初めてだ。
「僕がここまで怒ったのは久しぶりだよ。覚悟はできているんだろうね」
「そんな余裕はない」
恭介はきっぱりと言った。
「俺がここまで怒るのは生まれて初めてだ。覚悟はできているんだろうな」
怒りの対象は、目の前の男ではないが。恭介の呟いた底冷えするような声に、凛の意識が、きゅっと縮こまるのを感じた。
「ぐるおおうっ!!」
犬神は唸り声と共に、目の前のキツネに飛びかかる。九本尻尾のキツネは、よく言えば優美な、だがその実犬神に言わせれば、スカしたような仕草で攻撃をかわす。犬神の爪と牙が引き裂いたのは、その直前に現れた、蜃気楼のような幻であった。
犬神と違い、このキツネは物理的な攻撃手段に秀でたモンスターではない。幻と炎を駆使し、まるで魔法使いのように立ち回る。だがその実、耐久力は大したことない獣だろうと、犬神は踏んでいた。
「人狼か。このような場所で会うのは奇遇だな」
キツネはそのように語る。犬神は、この胡散臭いキツネと話すつもりはないし、そもそも言葉をかわすことなどこの姿ではできない。牙を剥き、低く唸って威嚇する程度の反応にとどめた。
キツネの言わんとしていることは理解できる。犬神も、元の世界に存在する怪異のほどについては、ある程度聞いていた。亡き父からもそうであるし、一族の生き残りを保護した政府の人間からもそうだ。何も日本に限ったことではない。世界には、自分の一族とも、血族とも違う怪異があった。
だが、日本における怪異の大半は、終戦と前後してその姿を一気に減らしたのだ。
犬神からすれば、どうでもいい話だった。それ以上のことは知らないし、知ろうとも思わない。
犬神からすれば、同じクラスに血族のクイーンがいた事の方がよほど重要であったし、その次に重要なのは、陰陽寮が誇る退魔エージェントの弟まで同じクラスにいたことだった。
だがそれにしたところで、犬神の一族は退魔執行の対象にならないし、だいたい豪林元宗は兄が何者なのか知らない様子だったので、やはりどうでもいいことだ。
目の前にいるキツネが、日本に古来から生息していた怪異であるかどうかなど、それに比べても、さらにどうでもいいことである。
「ミズクメ! あたしの獲物を返してくれるかしら!!」
背後から、血族の女ナイトが嬉々とした笑顔で駆けてくる。
腕を失い、槍を失い、それでいてなお、戦う気であるらしい。犬神からすれば大歓迎だ。血族どもに爪と牙を突き立てるのは、生きがいのひとつである。
キツネは彼女の姿を見て、呆れたようにつぶやいた。
「お前のそれでは無理だ。大人しくしていろ」
「失礼ね! 私はまだ戦え……あら?」
女ナイトの前に割り込むように、黒い影が飛び出した。影は彼女の残った腕を引っつかむ。
「あっ、ちょ! やめなさい! 何をするのよ!」
ナイトは悲鳴をあげながら引きずられていった。
烏丸だ。余計な真似をする。
犬神は再度、金色の双眸でキツネを睨みつけた。キツネは滑らかな毛並みの体毛に月光を反射させながら、相変わらず優美に立っている。キツネの瞳がこちらを睨み返し、月下の砂上で、2体の獣は再度睨み合った。
恭介とグレンの激突による余波が、砂塵を巻き上げ視界を塗り替えていく。雪ノ下は小さな舌打ちと共に跳躍し、岩陰に隠れたウェイガン達の方へと向かった。屍鬼の数は、まだざっと見回して20以上、死霊の王が2体残っている。最大出力の火球ならまとめてブッ飛ばせるのだが、この混戦状況ではいささか使いにくい。
「(とは言え、一兆度火球を2発も3発も撃つ余力はない、か……)」
虚数反転による温度操作が便利であるとは言え、もともと雪ノ下は雪女だ。種族能力として、絶対零度を飛び越えた概念低温領域、いわば虚数領域に突入させる力を持つにすぎず、それを反転させて高温状態にもっていくこと自体が、フェイズ2によって強引に開花させたオーバースペックなのである。
恒常的に発動することのできる、恭介の《特性増幅》とは異なり、一度の虚数反転にはかなりの体力を使用する。屍鬼程度であれば、冷凍攻撃だけで対処しきれるが。
「!!」
屍鬼どもを凍りつかせ、蹴りくだいていた雪ノ下は、巻き上がった砂塵の間からぬうっと持ち上がる、死霊の王の巨体を目にした。やつの弱点は低温ではなく高温。雪ノ下は足を止め、右の拳に冷気を集約した。
「虚数反転! はあああぁぁぁぁぁ――――ッ!!」
溜め込んだ冷気を、超高音のプラズマ球に変換し、サーブの要領で打ち出す。
プラズマ球は大気をきしませ、たわませ、超高速を伴って死霊の王の身体に叩きつけられる。その一撃は右半分の腕3本を消し飛ばしたが、その動きは停止しない。雪ノ下はプラズマサーブ2発目の準備をはじめるが、しかし時を同じくして、もう1体の死霊の王が背後へと回り込んでくる。
「前へ跳べ、ユキノシタ!」
岩陰から飛び出したウェイガンが、魔法を発動させながら叫ぶ。雷光がほとばしり、手負いの死霊の王を、横合いから殴りつけるように打ちのめした。大気の弾ける音と共に、死霊の王が大きくよろめく。
背後の死霊の王が繰り出した剣撃から逃れるべく、雪ノ下涼香は前へと跳んだ。砂の上にダイブする形になり、だが身体を守るように前転して、雪ノ下は即座に体勢を立て直した。倒せない相手ではないが、残る死霊の王を仕留めるのに、必要なプラズマサーブはやはり2発か、3発。火力を大きく抑えているとは言え、原理は一兆度火球と同じだ。消耗は激しい。
が、やはりぶっぱなすしかないか。
雪ノ下は両足を広げて立ち、右腕に冷気を集約していく。
「ウェイガンさん、手負いの方から片付けるわ。足止めを」
「あまり期待するなよ」
ウェイガンは、それだけ言うと素早く詠唱を開始した。これだけの巨躯を持つ怪物2体を前にして、魔術師が詠唱を行うなど無防備にすぎる。だが、よろめいた身体を再度持ち上げた手負いが、残る3本の腕でウェイガンに襲いかかるよりも早く、彼は攻撃魔法を発動させた。
先ほどの雷光に比べれば、ちゃちな一撃ではあったが、動きを一瞬止めるだけの役割は果たす。そしてその一瞬さえあれば、雪ノ下は冷気をプラズマ球に変換するプロセスを、完了させることができた。
「虚数反転ッ!」
雪ノ下はプラズマ球を宙へと放り投げ、身体を大きく反らせながら跳躍した。
「プラズマサァーブッ! ぶち抜けェェェーッ!!」
果たしてその言葉は成った。
雪ノ下の手のひらによって打ち出されたプラズマ球は、再び先ほどと同じ挙動を辿り、死霊の王に激突する。今度はスマッシュヒット。狙いを違えず、プラズマ球は死霊の王の頭部から胸部にかけてをこそぎ取る。
「!!!」
死霊の王の巨体が、力を失ってゆっくりと崩れる。着地した雪ノ下の隙を突くように、もう1体が蛮刀を振りかざし突っ込んできた。片手を砂の上に突き、雪ノ下は死霊の王を睨む。空気を一気に冷却し、氷の壁を築いた。蛮刀が、氷の壁に叩きつけられる。
轟音が響き、
氷の壁は、いとも容易く蛮刀に打ち砕かれた。宵闇の中に、砕け散った氷の破片がきらきらと踊る。
だが、轟音は、決して氷の壁が砕かれた瞬間に生じたものではない。砂の中から飛び出した2枚目の壁は、ひびひとつ作らずに蛮刀を受け止めていたのである。雪ノ下の視界は、その瞬間、正体不明の石壁によって阻まれていたが、彼女はすぐにそれを理解した。
「壁野さん!」
「雪ノ下さん、下がって!」
聴き慣れたクラスメイトの声に従う。雪ノ下は、ウェイガンの腕を引いてその場から飛び退いた。
死霊の王が何度も腕を振りかぶり、蛮刀を叩きつける。壁野千早によって生み出された石造りの壁は、その何度かの攻撃には耐え切ることができず、やがては砕け散ってしまう。が、それよりも、砂から持ち上がる壁が次々に連なっていく方が、はるかに早かった。
生み出される壁は、ひとつひとつが死霊の王に比べてもはるかに大きい。死霊の王が横から回り込もうとすると、そこにも壁が生じて行く手を阻む。
「待たせたな!!」
声のした方を振り向くと、白馬一角が背中に2つの人影を乗せ、突っ込んでくるところであった。
ひとつは大柄な女戦士、レインだ。彼女はハルバードを振り回し、地上に残っていた屍鬼たちを蹴散らしていく。その背後からひょっこりと顔を覗かせた御座敷童子は、連なる壁越しに死霊の王の巨体を睨みつけた。
おかっぱ頭の御座敷は口を強く結んだまま、白馬の鞍の上に立ち上がる。蹴鞠を前方に放り投げ、レインの肩に手をかけると、そのまま身体を宙に浮かせてのオーバーヘッドキックを叩き込む。
「いっけええええええッ!!」
蹴鞠は、雪ノ下の放つプラズマサーブに劣らぬ速度で壁に激突する。
ボールの激突した壁が、バランスを崩してゆっくりと前に倒れていく。連なる壁はドミノ倒しのように。ひとつひとつ前方に向けて倒壊した壁は、その最前列にいた死霊の王を巻き込み、砂の中に倒れ込んだ。
「す、すっごい!」
岩陰からあずきが叫ぶ。確かに、すごい。壁を使ったドミノ倒しに、死霊の王の身体は見事下敷きになっている。
最終的に、レスボン・バルク、フィルハーナ・グランバーナ、そして壁野千早の3人が走りながらこちらへ追いついた。レスボンは隻腕隻眼ながら、ロングソードで2、3体の屍鬼を切り伏せる。フィルハーナも、そのレスボンの背中を庇うようにして立ち、拳に光を纏わせていた。
が、この頃になれば、おおよそ白馬にまたがった女戦士レインが獅子奮迅の戦いっぷりで、大半の屍鬼を土に返した後である。ハルバードを手にしたレインはまるでアマゾネスのような女傑であるが、彼女を乗せた白馬がどことなく満ち足りた顔をしているところを見るに、まぁ、そういうことらしい。
「お疲れ、助かったわ」
雪ノ下はそれだけ言うと、腕を組んだまま砂の向こうで続いている戦いを睨む。
レスボンも剣を手に、油断なく周囲を見渡した。
「雑魚は掃討した感じか。残っているのは?」
「ウツロギくんとビショップ、烏丸くんとナイト、あと、犬神さんとよくわかんないキツネが交戦中」
雪ノ下はひとつひとつを指しながら説明する。
「ナイトは手負いよ。あたしは、ウツロギくんの言うとおり大技待機に回るわ」
「わかった。俺とフィルハーナはイヌガミのバックアップ。ハクバとレインはカラスマの救援に回ってくれ」
レスボンが手早く指示を回すと、一同は頷いた。壁野と御座敷、ウェイガンとあずきは状況を見て恭介たちの支援だ。問題は、あの戦いに割り込む余地が、あるかどうかであるが。
砂上でぶつかり合う、空木恭介とビショップ・グレンの戦いを眺める。
が、自分がやるのは、一兆度火球の準備だ。体力はセーブできている。雪ノ下は両手に冷気を集め、その分子運動を虚数領域まで一気に引き下げた。
戦闘は次回で決着、5章完結まであと2話となっております。
あ、かつぶし先生の話も含めると3話あるよ!!




