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第80話 邪炎の凶爪

「皆さんは、どういう集まりなんですか?」


 烏丸を捜索する最中、冒険者のひとりであるフィルハーナ・グランバーナが尋ねた。


 日は既に暮れ、周囲は薄暗い。フィルハーナの使う神託魔法の灯りが、松明の代わりとなっていた。


 捜索は、時界砂漠を丘陵から西側に向けて謎の狐火が発生した地点を目指すように行われている。冒険者とクラスの仲間を混合したパーティだ。これらのパーティはレスボンの提案により、近接戦闘役、遠距離戦闘役、そして回復役がそれぞれちょうど良くなるように分配された。魔法攻撃役が足りないので、レスボンのチームのみ、人数を多くする代わりに近接戦闘役が過剰になっている。


 姫水凛は、フィルハーナのチームに入れられた。冒険者の中では一番話しやすそうな相手なので、気楽ではある。

 凛は砂漠の上を渡りながら、どう答えたものかと思案していた。凛の身体は、這うたびに時界砂漠の砂が身体の中へびみょーに入り込んできて気持ちが悪い。この気持ち悪さが、ちょっぴり思考を阻害する。


 で、ええと、なんだっけ。そう、自分たちが、どういう集まりか、だ。


 自分のパーティは、フィルハーナ、凛、そしてもう1人が雪ノ下涼香という塩梅である。雪ノ下は、あまり積極的に話しかけては来ないので、会話はほとんど、凛とフィルハーナの間でなされた。


「えっとー。フィルハーナさん、学校ってわかる?」

「学校。わかりますよ。子供たちを集めて、知識や教養を身に付けさせる場所ですね」

「あたし達はまぁ、その生徒の集まりです」


 この世界の学校っていうと、やはり一部の貴族のお坊ちゃんお嬢ちゃんしか通えないようなものなのだろうか。グランデルドオ騎士王国には騎士の育成学校があって、それは条件さえ満たせば庶民平民でも入学できるとは聞いていた。ただ、やはりすべての家の子供が、学校にいけるわけではないのだという。

 そう考えていると、フィルハーナは腕を組んで『なるほど』と頷いた。


「多くのトリッパーの話によると、異世界では貧富の別なく学校に通えているといいますからね」

「国にもよりますけどねー……」


 異世界というものが、この世界と自分たちの世界しかないというのは、凛にとっては違和感しかないし、まるで先進国の人間ばかりが転移してきているかのような話にも、やはり違和感しかない。地球人口で言えば、発展途上国の人がトリップしてくる可能性の方が高そうなのに。

 というか、自分たちの世界から転移してくるなら、わざわざ地球人でなくても良い気がする。


「なるほど、学校の生徒……ですか、となると、皆さんはまだお若いんですね」

「だいたい16歳か17歳ですね。フィルハーナさんは?」

「年齢の話をするなら、私もそんな変わらないんですけど……」


 だろうな、とは思う。フィルハーナも見たところ、自分たちとはそう年齢の変わらない少女だ。


「ねぇ」


 後ろから不意に、雪ノ下が声をかけてきた。


「あれ、昨日言ってた狐火……とは、またちょっと違うわよね」

「んっ?」


 雪ノ下の指した方向を見ると、宵闇に煌々と輝く紅蓮の炎が見える。


 距離はかなりある。だが、はっきりと視認できるほどの炎が、そこにはあった。一瞬、天を焦がすほどの火柱が上がったが、すぐにおさまっていく。

 炎は雪ノ下の言うとおり、昨日見た狐火とはまるで異なるものだった。薄ぼんやりとした、怪しげな灯火とは違い、確かな熱を伴った発火現象のように思える。


「(火野くん……?)」


 一瞬、凛が思い浮かべたのは、みずからの身体を炎となす術を持つ、クラスメイトのことだった。

 火野瑛がこの新大陸に転移してきているという情報はない。そこまで位置が離れていたわけではないから、もし転移していたとしても不思議ではないが。しかしどのみち、確証はない。


「火野くんでないにしても、戦闘が起きている可能性はあるわね」


 腕をくんで語る雪ノ下の言葉には、微妙な緊張感がある。


「フィルハーナさん、他の人と連絡とれる?」

「会話はできません。けど、仲間の思念周波数は記憶してますから、この距離なら通信魔法テレパスで傍受が……」


 フィルハーナは自分の耳元を押さえ、しばし目を閉じていたが、はっと目を見開いた。


「う、ウツロギさんとイヌガミさんが走り出したと、ウェイガンのパーティから……」

「あちゃー」

「知ってた」


 凛と雪ノ下の、それぞれのリアクション。


 まぁ、こうなることもわかった上で、あえて凛と恭介を別行動にさせてはいたのだが。


「犬神さんが走り出したってことは、血族がいるわね」

「恭介くんは、あの炎を火野くんだと思ってるのかなー?」


 その間、フィルハーナは通信魔法で仲間の思念を傍受する。


「レスボンとハクバさん達のグループも移動を開始するそうです。私が光を打ち上げますので、それを目印に途中合流を」

「ウェイガンさんは? 確か、あずにゃんがまだいるよね?」

「ウェイガンは、ウツロギさん達を急いで追いかけるそうです。それと……」


 と、言いかけて、フィルハーナは、唇を噛み、静かにかぶりを振った。


「なんでもありません。いきましょう」


 冒険者にはもうひとり仲間がいた。思念周波数とやらを記憶しているなら、距離によっては彼の思念も拾えるのかもしれない。

 だが、なんでもない、と言われて、追及するような凛でもないし、雪ノ下でもなかった。

 ここでフィルハーナが何も言わなかったということは、こちらに不利になるような情報はないのだ。


「いきましょう」


 フィルハーナはもう一度言った。凛と雪ノ下も、彼女についで、炎の見えた方角に向けて動き出した。





 結局、あの炎の魔人は誰だったのだろうか。烏丸は、激痛をこらえながら砂漠をひとり歩く。

 穴の空いた翼から、痛みが徐々に全身へ広がっていく。小脇に抱えた王片の箱だけは、しっかりと持って。


 夜の砂漠は寒く、体温がどんどん奪われていく感覚があった。


 果たして自分は、意識を保ったまま、恭介たちのもとに戻れるのだろうか。

 そして、恭介たちのもとに戻れたとして、すんなりと、彼らの中に溶け込めるのだろうか。あの中で、自分の惨めな姿を我慢することができるだろうか。


 自分は―――、


 激痛をこらえ、意識を保つための必死の思考。そのさなか、彼を呼ぶ声が聞こえた。


「烏丸!!」


 顔を上げると、やけに明るい月明かりに照らされて、いま、決して目にしたくない男が走ってきた。


 空木恭介。それ自体は、貧相な骨の木偶人形でしかないような男。

 だが烏丸は、いま彼と正面から言葉を交わし合うだけの自信がなかった。


 恭介だけではない。犬神も一緒だ。彼らは砂漠の向こうから、いったい何を目印にしたのか、烏丸を目指し一直線に走ってきた。


「大丈夫か、烏丸。無事か!?」


 恭介は、真っ先に烏丸に駆け寄ると、その肩を貸すようにしながら尋ねてくる。


「羽を怪我しているな。悪いが、俺と犬神だけだ。白馬か御手洗、あと冒険者のフィルハーナが来るまで、我慢できるか?」


 なぜだ。


 烏丸は視線を逸らしながら、沸々とした感情を押さえ込む。


 なぜ責めない。なぜ怒らない。迷惑をかけたのはこちらだ。無能なら無能らしく大人しくしていろと、彼はなぜそれを言わないのか。どんな時でもそうだ。なぜこいつは、こちらのことだけを心配するような言動を取れる。

 馬鹿じゃないのか。こういうのは、お人好しとは言わない。ただの馬鹿だろう。


「烏丸、」


 頭の中が思考でいっぱいになる寸前、恭介は言った。


「烏丸は、俺のことが嫌いなのか?」

「………っ!!」


 烏丸は、その問いかけに対する正答を持たない。


「妬ましいってことが、嫌いってことなら……」


 だから、自分の心の中にある言葉を、正直に語るしかなかった。


「……俺は、ウツロギのことが嫌いかもしれない」


 視野狭窄だったのは、認める。

 努力をしてこなかったのも、認める。


 そんな自分が世間を呪うなんてみっともない話だ。馬鹿げている。自分は傲慢で、ちっぽけで、結局今まで何ひとつ成し得なかった男なのだ。だがそれでも、あの、空木恭介という男のことが妬ましいし、気に食わないと思う気持ちが、あった。


「烏丸……」

「誰もが、お前みたいにはなれないんだよ……。なぁ、わかるか? ウツロギ」


 心の中で沸々と煮えたぎる感情を、烏丸はぽつぽつと吐き出していく。


「お前が今まで、どんな大変な目に遭ってきたとか、どんな苦労をしてきたとか、多分俺が知らない事情はいっぱいあるんだと思うよ。でもやっぱり、お前は恵まれてるよ。それを乗り越えるだけの強さがあったってことじゃないか。羨ましいし、妬ましいよ。お前が」

「烏丸」

「何言ってんだろうな。俺は」


 烏丸は、小さく笑おうとした。だが、がっちりと硬い嘴は、彼にそれも許してくれない。


「俺は慰めないぞ、烏丸」


 恭介は、肩を貸したまま、きっぱりとそう言った。


「俺は慰めないし、責めたりもしない。お前が怒ってくれって言っても、怒らない」


 その言葉は、烏丸の心根にやけに突き刺さる。恭介はわかっていたのかもしれない。ここで烏丸を叱りつけ、口で責め立てることが、同時に彼に逃げ道を与えることであると。


「俺が恵まれてるっていうなら、多分そうなんだよ。でも、そんな俺でも、1人じゃどうしようもないことがあるから、そういう時は、みんなに力を貸して欲しいんだ。烏丸にもさ」

「……くそっ」


 烏丸は思わず悪態をついた。どうしろって言うんだ。こいつは。


 やっぱりどうしても、烏丸は恭介のことが好きになれない。

 だがその恭介に、あらゆる面で劣っているのが自分なのだ。その事実も含め、烏丸は悔しくて仕方が無かった。何よりも悔しいのは、恭介を妬むだけで、挑む気にすらなれていない、甘ったれた自分自身の存在である。


「俺は―――」


 まだ、答えすら定まらぬまま、烏丸が口を開いた。その時だ。


「伏せろ、烏丸!!」


 背後から放たれた黒い弾丸が、烏丸の翼を引きちぎった。


「………っ!」


 烏丸は再び、砂漠の中に身体を沈める。恭介が押し倒したのだ。

 振り返ると、月明かりに照らされて、ゆっくりとこちらに歩いてくるグレンの姿があった。彼だけではない。シンクも同じだ。炎の魔人の姿は、そして当然だが、ウォンバットの姿も見当たらない。


 2人の追跡者を照らす月は、いつにもまして明るかった。

 いや、追跡者は2人だけではない。彼らの背後には、屍鬼や死霊の王が付き従っている。インプやレッサーデーモンの姿は、見受けられない。王片が、こちらの手中にあるためだろう。


「犬神、少し任せられるか!」


 恭介の声に、犬神は『フッ』と笑ってゆっくりと前に出る。白銀のたっぷりとした毛並みが、宵闇に浮かぶ月光を反射して、黄金色に輝いている。狼の巨躯を照らし出す月は、今宵、まさしく真円を描いていた。


「あら、イヌどもの生き残りね」


 シンクが槍をくるくると回しながら前に出る。


「満月の下だからって私たちに勝てるというのは、見立てが甘いんじゃないかしら」

「シンク、そこのイヌは任せたよ」

「ぐるぉおうっ!!」


 グレンが動いたのと、犬神が飛びかかったのは、まさしく同時だった。

 グレンはまっすぐに、烏丸と恭介をめがけて走り出す。犬神は、そんなグレンの進路を阻むべく飛びかかるが、グレンの影から飛び出すように振り回されたシンクの槍が、犬神の動きを妨害する。穂先は金に染まった毛並みへと突きこまれるが、満月の守護を受けた人狼の毛皮は、それを容易く弾き返した。


「へぇ、……やるじゃない!」


 犬神は砂漠に四本足を下ろし、シンクと相対する。結果として彼女は、グレンの突破を許した。

 身体を翻そうとする犬神に向け、再度、シンクの槍が襲いかかる。


「グレンの邪魔はさせないわよ!」


 犬神は小さな舌打ちと共に、ゴシック調のドレスを纏った少女へ向けて、その巨体を躍らせた。


 一方のグレン、そして烏丸と恭介である。

 恭介は、手負いの烏丸を庇うようにして、グレンと相対した。彼の手には、冒険者から奪い取った魔剣。魔剣は魔力を宿して、その剣身に炎を灯していくが、そんなものでビショップのグレンに太刀打ちできるとは、烏丸には思えなかった。


「君か」


 グレンは、右手に黒い稲妻を宿しながら、恭介を見る。


「《特性増幅》と《完全融合》を発動させられる個体は貴重なので、君はできるだけ生け捕りにしたい。あまり時間をかけさせないで欲しいんだが」

「そっちの都合なんて知ったことか。めいいっぱい困らせてやる」


 恭介にしては珍しい、攻撃的な台詞だった。


 だが、力の差は圧倒的だ。いったいどうすれば、と思っていたそのとき、宵闇を引き裂くような雷光が奔り、グレンに殺到するのを、烏丸は見た。グレンは素早く反応し、黒いエネルギー体をバリア状にして、稲妻を弾く。グレンはわずかに舌打ちし、2歩、3歩と下がる。


「ウツロギくん! 烏丸くん!」


 あずきの声が聞こえた。それだけではない。あの稲妻は、おそらく冒険者の仲間の魔術師ウェイガンによるものだ。何度も犬神をいたぶっていた、烏丸にとっては忌まわしき魔法ではあったが、それはこの時、間違いなくビショップのグレンに向けられている。


「仲間を呼んだか!」


 グレンの両腕に、黒いエネルギーが宿る。恭介は、烏丸を背後に向けて突き飛ばした。ウェイガンとあずきが、足をもつれさせ砂の中に倒れる烏丸を抱き起こす。

 直後、“どおっ”という音と共に、グレンの腕から黒い奔流が放たれる。まるで宙をのたうつ蛇のように、不気味な挙動を見せる黒い奔流に、飲み込まれるか否かというきわどいところで、恭介は身体を逸らした。


「ウツロギッ!!」


 烏丸は砂の上に尻餅をついたまま、叫ぶ。シンクと激しい近接戦闘を繰り広げていた犬神も、この時ばかりは注意を逸らした。


「あら、よそ見している余裕はなくってよ!!」

「!!」


 シンクが槍を振り回し、犬神に向けて鋭く突き込む。シンク渾身の力を込めた突き込みは、今度は弾かれることなく、犬神の体毛を大きく削り取った。


「ミタライは、カラスマの治癒を」

「は、はい!」


 ウェイガンはそれだけ言うと、再び魔法の詠唱を始めた。あずきも頷いて、烏丸の翼に空いた傷を癒すため、精霊魔法の詠唱を開始する。だが、グレンは小さく笑みを浮かべると、空いた右腕をこちらに向けて突き出した。

 どん、どん、という音がして、砂を巻き上げるように黒いエネルギー体が着弾する。狙いは粗いが、動きを牽制するには十分すぎるものだった。ウェイガンもあずきも小さな悲鳴をあげ、詠唱を中断せざるを得ない。グレンの放つ魔弾から逃れるため、3人は一度、近くの岩陰に滑り込んだ。


 それまで動いていなかったアンデッド軍団も、進軍を再開した。シンクと1対1の死闘を演じる犬神にも、屍鬼たちが殺到する。犬神はシンクから距離を取ると、近寄ってきた屍鬼を前脚で叩き伏せ、大顎で頭部をトマトのように噛み潰した。

 だが、シンクは槍を構えて一気に距離を詰める。今度の突き込みは、皮を破り、肉へと届いた。犬神の首のあたりから、鮮血がほとばしる。彼女はその勢いを衰えさせず、頭を噛み砕いたばかりの屍鬼の骸を、シンクに向けて放り投げた。


 犬神はまだ大丈夫そうだ。だが、恭介が危うい。


「烏丸!!」


 その恭介が、グレンと睨み合ったまま叫んだ。


「西へ飛べ、烏丸! ここの正確な位置を凛たちに知らせてくれ!」


 そのとき、彼の言っていることを理解するのに、烏丸は少し時間を要した。

 いや、意味はわかる。恭介ひとりでは、この戦いに勝つことができない。だから一刻も早く、凛を連れて来いと、そういう話だ。移動速度の低い凛でも、烏丸の身体に捕まれば、真っ先にここへ飛んでこられる。


 だが、それは、暗に烏丸が戦力として機能しないから、伝達役になって欲しい、ということも意味していた。


「何言ってんだ、ウツロギ! 俺だって戦って……」

「お前にしか頼めないんだ! 頼む!」


 恭介は叫んだ。


「烏丸、お前が一番速いんだ! 頼む!」

「………!」


 どれだけ彼のことが嫌いでも、どれだけ妬ましくとも、どれだけみっともなくとも、結局はいま、目の前にあるものを、自分に残された手札だけでやりきるしかない。手元にあったカードに慢心し、嫌なことから逃げ続けてきたその代償がこの状況ならば、払うより他はないのだ。

 烏丸義経の手元に残された最後の手札。それは、ちんけなプライドだった。


 なんなんだよ、ちくしょう。


 一番速いなんて嘘っぱちだ。

 このクラスで足の速い奴も、飛行速度の高い奴も、もっとたくさん、知っている。


 それでも、この時ばかりは、烏丸は速さへのプライドを、傲慢な自分を、ほんの一瞬、取り戻すことができた。例え翼の一枚をもがれようと、恭介は自分が一番速いと認めたのだ。

 背中に一枚だけ残された黒翼に、自信のみなぎる感覚があった。


「……わかった」


 烏丸は立ち上がる。


「でもウツロギ、お前だって1人でそいつを相手にするのは無理だろ」


 そして、岩陰から身体を出し、後生大事に抱えていた箱を開いた。

 その瞬間、グレンが血相を変えるのがわかる。それを目の当たりにしただけで、溜飲の下がる思いがあった。ウェイガンも、一瞬訝しげな表情をしたが、直後、驚愕に目を見開いていた。


 それは、宵闇の中にあって、よりいっそう禍々しい光を放つ結晶体だ。グレンは、砂を蹴りたて、一気にこちらへと駆け寄ってくる。

 烏丸は、一枚の翼で勢いよく空に浮かび上がる。バランスは取れなかったが、それでも飛ぶことはできた。グレンがこちらを見上げ、黒い魔弾を発射しようとするが、ウェイガンの放った雷撃が一瞬、その動きを阻む。


 烏丸が恭介に向けて結晶体を投げるには、十分過ぎる時間だった。


「か、烏丸? なんだこれ……」

「王片だよ。多分、お前の左腕には取り込める。不明なユニットが接続されました、って奴だ」


 右手で受け取った恭介は、訝しげに首を傾げるが、長々と説明している時間はなさそうだった。


「ウツロギ、なるべくすぐ戻る! 無茶をするんじゃないぞ! レッサーデーモンが王片を取り込んだ場合、力を行使し続けて数時間で身体が持たずに崩壊するって、そこの血族さんが丁寧に教えてくれたからな!」

「貴様ッ!!」


 怒りに任せたグレンの魔弾が、わずかに烏丸を掠める。おしゃべりしている時間はなさそうだ。


 烏丸が背を向けたそのとき、恭介の声が後ろから聞こえた。


「……ああ、ありがとう。烏丸」


 何が、ありがとうだ。


 結局自分は、格好つけて、虚勢を張ってばっかりだというのに。

 恭介に王片を手渡したことが、どのような結果を生むか、烏丸には想像がつかない。これは無責任なことだ。だが、こうするしかなかった。言い訳をするつもりは、ない。


 いまするべきは、一刻も早く、凛たちをここに連れてくることだ。

 恭介が必要以上に、王片の力を使わずに済むように。


 烏丸は、みずからの身体を突風に包んだ。恭介たちに背を向けて、宵闇を流星の如く駆け抜ける。先程よりも、飛び方ははるかに安定していた。

 だが、安定しているだけではダメだ。もっと速く。何よりも速く。誰よりも速く。


 代償が必要ならば払う。だがこの瞬間だけは、誰よりも速く飛ぶ力を、この翼に授けて欲しい。


 そう願う烏丸の翼には、風が集まりつつあった。





 恭介は、ウェイガンから聞いた話を思い出していた。


 佐久間やカオルコ、それにレッサーデーモンなどが行使する魔法は、すなわちこの世界のどこかに眠る“魔の王”の肉体から、その力を借りて放つものであると。言われてみれば、彼女の口にする呪文詠唱には、必ず“魔王の○○”といった、肉体の部位が示されていたように感じる。

 と、言うことは、

 いま、恭介の左腕。禍々しく変容した、悪魔の腕骨から伸びる、炎の爪こそが、オリジナルの《邪炎の凶爪イヴィルフレア》ということに、なるのだろうか。


「ぐっ、く……う……!」


 左腕を包み込む、ざわざわとした感覚を、恭介は必死に押さえ込んでいた。まるで、左肩から先の部分だけが、自分の身体とは別物になってしまったかのような錯覚を覚える。左腕の接続部が、妙に熱い。溢れ出すエネルギーに、左腕が弾け飛びそうになっていた。


「王片を取り込むなど、愚かな真似を……!」


 怒りと狼狽に満ちた声で、目の前の血族が叫ぶ。


「君の身体のポテンシャルでは無理がある。力を扱いこなせず、崩壊するのが関の山だぞ」


 恭介の左腕は、現在、レッサーデーモンの腕骨を代用している。烏丸が、“魔の王片”を投げてよこしたのは、そのレッサーデーモンの腕骨であれば、王片を取り込めるのではないかと判断したからだろう。だが、彼も言っていた。レッサーデーモンが肉体に王片を取り込んだ場合、数時間で力を抑えきれずに崩壊すると。

 恭介の場合、その肉体の一部に王片を宿しているに過ぎないのだから、限界はもっと近いに違いない。それでも彼は、一切の躊躇もなく、左腕に王片を取り込んだ。取り込んだ結果、左腕はより巨大化し、鋭角的で禍々しいフォルムへと姿を変えている。


「俺の左腕なんて安いもんだ。いくらでも代替が利くからな」


 恭介はそう言って、血族、おそらくはビショップであろう男を睨みつける。

 これが、かつてこの地を支配した王神の力のひとつであるとするならば、確かに、目の前の血族と渡り合うことも可能であるかもしれない。言うなれば恭介はいま、左腕に魔王を宿している。問題はただひとつ、宿した力に、左腕がいつまで耐えうるか、わからないということ。


 それでもいい。


 烏丸が凛たちを呼んでくる、そのわずかな間だけでももてばいいのだ。


「ウェイガン、援護を頼む!」

「ああ、任せろ」


 恭介は、左腕を振りかざしてビショップに向けて突撃した。彼は黒いエネルギーを練り、再び弾丸のようにして発射してくる。王片を宿した左腕を突き出すと、その巨大な腕骨はまるで盾のように、恭介の身体を守った。

 同時に、ウェイガンの放つ雷属性魔法が、ビショップの身体に狙いを定める。ビショップはその瞬間だけ、黒いエネルギーの制御を、みずからの守りに費やさねばならなかった。エネルギーはバリアとなって、ウェイガンの雷撃を弾く。恭介が狙ったのは、その瞬間だ。


「でぃいやっ!!」


 左腕を再び引き、勢いよく叩きつける。炎の爪がひときわ強く燃え上がり、空間を引き裂いた。


「くうっ……!」


 ビショップは苦悶の表情を浮かべ、身体をひねる。彼の苦戦を目の当たりにし、犬神と交戦していた槍使いのナイトが悲鳴をあげた。


「グレン!!」


 助けにこようと動くが、今度は先ほどのお返しとばかりに、犬神がそれを許さない。犬神は、ビショップのグレンを助けようと動くナイトの、その左肩に牙を突き立てた。


「ああっ!?」

「シンク!!」


 犬神は一切、容赦をしない。牙を突き立てたまま顎を閉じ、そのまま一気に、少女の左腕を噛みちぎる。

 鮮血がほとばしり、ナイトのシンクは左肩を押さえたまま砂の上に転がった。犬神は倒れ込んだ彼女の頭に爪を立てる。


「貴様ぁぁぁぁ――――ッ!!」


 グレンは激昂し、魔弾を犬神に向けて放った。彼女は身体をはねさせてそれをかわし、自由になったシンクの身体を、グレンが抱き起こす。グレンに追撃を仕掛けようとした恭介を阻んだのは、屍鬼の群れと死霊の王だった。

 屍鬼の大群程度、今の恭介にとってものの数ではない。だが、それを振り払うのに、数秒のタイムラグは発生した。恭介が左腕を振り回すと、肥大化した炎の爪が屍鬼の群れを一瞬で灰に変えていく。


 死霊の王が蛮刀を振り下ろし、恭介に向けて叩きつけようとする、その一瞬、恭介は再び左腕の炎を噴かし、それを勢いよく振り上げた。炎の爪は蛮刀を叩き折り、死霊の王の腕を一本、安々と叩き折る。


「おいっ! 見ているんだろう! 手を貸したらどうだ!!」


 グレンは、ぐったりしたシンクを抱き抱えたまま、ここには姿を見せていない誰かに向かってそう叫んだ。


「ミズクメ、お前もだ! お前の連れ込んだ鴉天狗のせいでこうなったんだぞ! 責任を取れ!」


 見苦しくも叫び続けるグレンに向かって、犬神が飛びかかる。が、その直後、真横から吹きつけられた炎が、犬神の金色の体毛を焦がした。


「!!」


 犬神は器用にも空中で姿勢を変え、砂の上に着地する。姿勢を低くして唸る犬神に、宵闇の中から、別の獣が襲いかかった。

 直前まで、気配を微塵も感じさせずにいたその獣は、たくましく大柄な体躯を持つ犬神に比べ、ひどく華奢でしなやかな印象を、見るものに与えた。黄金色の毛並みはきめ細やかで、身体の周囲には、薄ぼんやりとした狐火が浮かび上がっている。


「やはりこのようになるか」


 しなやかな身体に九本の尾を備えたキツネは、前足で犬神の身体を押さえ込んだまま、朗々とした声で言った。


「ぐるォォうッ!!」


 犬神は咆哮と共に身体をひねり、キツネの首元に牙を突き立てんとする。キツネはひらりと身を交わし、そのまま優美に尾を広げ、金狼と相対した。


「ミズクメ、他の眷属はどうした!」

「帰した。義理を果たすなら儂ひとりで十分であろう」


 どうやら、このキツネは血族とは何らかの形で利害を一致させ、協力関係にある存在らしい。この戦闘に加勢をするのは義理とのことだが、さりとて手を抜いてくれているわけでもなさそうだ。

 だが、あくまでも義理で動いているに過ぎないならば、大将首を討ち取れば帰ってくれるということでもある。恭介は、岩陰に隠れるウェイガンとあずきに目配せをすると、グレンめがけて再び走り出す。左腕骨から生えた炎の爪が、ひときわ強く燃え上がった。


 その爪がグレンに届くかどうかという、ちょうどその時、時界砂漠の砂が盛り上がり、壁となって攻撃を阻んだ。


「なっ……!」


 一瞬、何が起こったのか、恭介には理解できない。


 だが、その砂の壁はすぐに人の形を作り、恭介の左腕骨を受け止めていた。炎の爪が、ちりちりと砂の身体を焼いている。


「よ、よし。間に合ったか。いいぞ。はは……」


 グレンは顔中に冷や汗をかきながら、シンクの身体を抱き寄せて言った。


「ここでそのスケルトンを倒して、王片を取り返せたら、さっきの利敵行為を王に報告するのは取りやめにしてやろう。どうだい?」

「………」


 砂の男は、グレンの問いかけには答えない。だが、彼はじっと、恭介を正面から見つめていた。


 まさか、こいつは。


 恭介がハッとしたその時、砂の身体は一瞬で崩れさり、炎となって襲いかかってきた。

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