第79話 王片の行方
昼過ぎ。当初の想定通り、交渉はあっさりと進行した。
冒険者側も、ある程度議論の着地点は予測できていたらしい。まずは旧大陸への帰還について。これは、ウェイガンの身柄引き渡しを条件に、簡単にケリがついた。レスボン達が拠点としているのは、大陸に3つある冒険者自治領のひとつ、ゼルネウスだ。これは、当初の目的地であったヴェルネウス王国の北西部に位置する。恭介たちとしても、都合の良い話である。
レスボンの話では、冒険者ギルドの手配した高速魔導船は、あと3日以内にこの新大陸に到着する。それは、烏丸や、血族に捕まったらしい蜘蛛崎達との合流を、それ以内に済ませなければならない、ということでもあった。
この捜索の協力には、さすがに難色を示された。時界砂漠は広大であり、そこからわずか2、3体のモンスターを探し出すのは容易ではない。加えて、砂漠にはレッサーデーモンなどの強力な野生モンスターが生息しており、血族とことを構えることになる可能性も、あった。
「そういえば、血族たちが、あんた達に協力を要請しにきたって話は、どうなった?」
「返事を引き延ばしたままだ。催促もして来ない」
血族がレスボン達に依頼したのは、白馬と犬神の捕獲だ。催促をして来ないということは、あまり本腰を入れて、捜索をしていないのだろうか。あれ依頼、血族の息がかかったモンスターの姿も、目撃してはいない。
血族と接触せずに大陸を脱出できるなら、それに越したことはない。
だが現状、蜘蛛崎と触手原は、まだこの大陸にいるかもしれないし、血族の本拠地も、この大陸のどこかにあるかもしれないのだ。それを考えると、血族の存在を完全に無視するわけには、いかない。
「あまりおすすめはできませんよ」
レスボンの隣に座るフィルハーナが、身を乗り出してそう言った。
「赤き月の血族に捕らえられたお友達を探すことがです。彼らを探すのに、3日という期限は短すぎます」
それくらいのことは、恭介もわかっている。しかし、クラス全員で帰るというのは、みんなで決めた約束なのだ。それを、前向きに破るようなことは、どうしてもしたくない。
他のメンバーはどう思っているのか。恭介よりはドライに考えられているだろうか。ちらりと視線を向けて見ても、一同は黙り込んだまま、何も言おうとはしない。
そんな様子の恭介を見て、フィルハーナは小さく溜息をつく。
「仕方ないですね。じゃあ、幾つか特別な情報をお話しします」
「特別な情報だと?」
そんなフィルハーナの言葉に驚いた様子を見せたのは、恭介ではなく、少し離れた席に座らされた魔術師ウェイガンの方である。
「帝国では血族の活動拠点を探るため、各地に皇下時計盤同盟を始め、いくつもの調査員を派遣しています。その結果、新大陸はほぼシロです」
この言葉はレスボン達も初耳だったようである。どちらかといえば、恭介よりも彼らの方に衝撃が大きい。
「待てフィルハーナ、この新大陸にも来てるのか?」
「来てるのか来てたのか、そのあたりはさっぱりです。第4時席、だったかな? この新大陸が、血族の活動の本拠地ではないだろうということは、既に帝国ではほぼ確定情報です」
さらに、とフィルハーナは指をひとつ立ててみせた。
「時計盤同盟の4時席が、今もなお新大陸を調査している可能性があるなら、ウツロギさん達は長居をするべきではありません。血族によってモンスター化したトリッパーなんて、帝国からすれば恰好の調査対象ですからね」
冒険者自治領は、帝国の支配が及ばない数少ない土地のひとつだ。
加えて、旧大陸の南東部、ヴェルネウス王国や冒険者自治領ゼルネウス、それにゼルガ剣闘公国のネウス三領邦は、帝国と地続きになる北部を峻厳な獣王連峰で囲まれており、帝国の手が及びにくいのだ。
無法地域である新大陸を脱し、冒険者自治領にてひと息をつく。そして、帝国の支配が及ばないこの三領邦から、仲間を集めるのが、一番の安定策だ。
フィルハーナはそのように言っているのである。
果たして事実なのか、でまかせなのか。
ここで彼女の言葉が嘘ではないという確証が欲しかった。だが、そんなものを得る手段はない。
冷静に考えて、フィルハーナがここまで嘘をつく理由はないはずだ。
「……だとしても、せめて烏丸との合流は済ませたい」
「ふぅむ。そうですねぇ。どうします? レスボン」
「この3日か……」
隻腕隻眼の冒険者は、話を振られ、天井を仰いだ。
「その鴉天狗1人くらいなら、協力は、しても良い」
出てきた言葉は、やはり意外にも前向きなものだった。
「ただ、あまり期待はしないで欲しい。見ての通りこちらの余力も少ない。先ほども言ったけど、この砂漠は1人のモンスターを見つけるのには広すぎるんだ。その、カラスマが自分の意思で戻ってくるなら、まだ予測の立てようはあるけど……」
恭介は黙り込んだ。烏丸が自分の意思で戻ってくるか。難しい問題なのだ。
決定的な決裂ではなかったと思いたい。だが、できていた溝の存在が発覚するような出来事ではあった。烏丸の抱え込んでいた劣等感を、恭介はやはり、今まで感じることができなかったのだ。
数日前まで、親しげに言葉をかわすことは、できていたはずだ。
だが、その烏丸が、果たして戻って来たがっているかというと、やはりわからない。
「そういえば、烏丸、昨日砂漠の端に見えた、狐火の方向に飛んで行ったな」
白馬が横から口を挟んだ。
「キツネビ? 火、炎か? 確かに怪しげな灯りなら、こちらからでも見えたな。レイン」
「確か、こちらより南東の方角。砂漠を内陸に向けて進んだところだ」
「ではその線で、少し捜索をしてみましょうか」
冒険者たちが、そんな話をする傍ら、恭介は自らの右腕を見た。
悪魔の腕骨。これを見たとき烏丸は、冗談まじりに、あるテレビゲームに出てくる有名な一節を呟いた。恭介は烏丸もゲームをやるんだと驚き、烏丸はそりゃやるだろうと答えた。
あの時点で、やはり恭介は彼のことをわかっていなかったのだ。
そんな恭介の頭を、横からにゅるっと伸びてきた腕が叩く。
「凛……」
「人の気持ちなんてわかるわけないんだから、難しく考えるんじゃないの」
「あ、ああ……」
話がまとまったところで、烏丸の捜索を始めることになる。
恭介は、同時に冒険者側の方でも姿を消したもうひとり、ウォンバットのことを思い出した。冒険者たちは、彼のことが心配ではないのだろうか、と思ったのだが、あの男のことを思い出すとあまり気分が良くないので、やめた。
当初の想定通り、交渉はあっさりと進行した。
血族が魔の王片をちらつかせれば、魔の眷属と戦争を続けるセーリア文明圏の代表は、相手の要求を飲まざるを得ない。だが、血族は血族で、勢力を新大陸の北側まで広げたセーリア文明圏が、帝国と手を結び血族を挟撃することを警戒している。
相互不干渉。互いの着地点はそこだ。
主に言葉を交わしたのは、グレンと御前様だけだ。
烏丸は、見ていただけである。
交渉が大方まとまり掛けた時、がちゃりと扉が開いた。烏丸の視線は、自然とそちらへ向く。そちらへ向いて、言葉を失った。
「シンク、少し良いか」
「あらウォンバット、どうしたの?」
そこに入ってきたのは、あの冒険者たちの仲間。シーフのウォンバットだったのだ。
烏丸ははっきりと覚えている。あの男がどのように犬神をいたぶり、そして、トドメを刺そうとしていたのかを。今は居づらくなって彼らの下を離れているが、ここで怒りを覚えるだけの感情は、烏丸にもあった。
ウォンバットもまたこちらを見たが、特に感情を表に出すことはしなかった。烏丸を他のアヤカシの仲間であると認識したのかもしれない。
槍を片手にしたナイトのシンクは、ウォンバットと2、3言、会話を交わすと、グレンに向き直りこう言った。
「グレン、ウォンバットがモンスターの居場所について説明してくれるというので、聞いてくるわ」
「わかったよ。1人で大丈夫かい?」
「ええ。別に直接出向くわけではないもの」
シンクは小さく微笑むと、ウォンバットと共に部屋を出て行く。
彼の背中を見送ってから、御前様がグレンに尋ねる。
「あの人間は何者だ?」
「冒険者だよ。協力を申し出てきてね。セーリアや妖怪の山のことは何も話していないので、心配しなくて良い」
グレンはにこやかな笑顔でそう言った。心中が穏やかではないのは、烏丸の方だ。
あの男は、モンスターの居場所について説明をすると言った。こちらの情報を、血族に売るつもりなのだ。
「モンスターの居場所という話をしていたが?」
「それはあなた達には関係ない。我々が追っているモンスターでね。人語を話し、生息域の不自然な個体を見つけたら報告してほしい」
グレンの言葉を受け、御前様の視線が、今度は烏丸に向けられた。心胆が冷える。
御前様がもしそのつもりであれば、烏丸が実はセーリア文明圏のアヤカシではないことが露呈するし、そうなればグレンは、彼が2年4組の生徒であると容易に勘付くことだろう。
ここまで来るべきではなかったのだ。烏丸は自らの鼓動が早くなるのを感じた。全身から噴き出すかと思われた汗であるが、しかし、鴉天狗の身体には汗腺がない。代わりに、口を開いての呼吸が小刻みになるのを感じた。
「そうか」
御前様はそう言って、視線をグレンへと戻す。
「何か見つけたら、話すとしよう」
「感謝するよ、御前様」
結局、それに関する話題はそれっきりだった。まさか本当に、烏丸をアヤカシの仲間と信じきっているのか、あるいは、単に気にくわない相手への意趣返しのつもりか。とにかく、烏丸は命拾いをしたのだ。
そして、彼に降りかかる幸運は、ここでは終わらなかった。
御前様が話題を切り替える。
「グレン、お前達がこの墓所に持ち込んでいる王片は、魔の王のそれで間違いないのだな」
「ああ。だが別に、あなた達が戦っている邪神教団のもとに、それを届けるつもりはない。こうして、不干渉協定が成立している間はね。……見るかい?」
そう言ってグレンは、部屋の机の片隅に置かれた箱を開ける。
彼が取り出したのは、キラキラと輝く薄紫色の結晶体だ。見た途端、烏丸は全身が総毛立つのを感じた。ようやく落ち着きを取り戻した心臓が、再び跳ね上がる。結晶体の放つ妖しげな光は、グレンの笑顔を不気味に照らしている。
「しまえ、そんなもの」
御前様は、細い目をさらに細めてそう言った。
「まぁ、こんなものをうっかり、レッサーデーモンの身体に入れてしまったら大変だからね。僕たちも、必要でないときは出さないよ」
グレンは笑顔のまま、王片を箱の中にしまった。
「入れてしまったら、どうなるんだ?」
気がつけば、烏丸はそのような疑問を口にしてしまっている。
グレンは一瞬驚いたような顔を見せたが、すぐに笑顔に戻った。
「レッサーデーモンは、魔の王の直系眷属だ。どのような個体であれ、王片の適格者ということになる。つまり王片を取り込んだレッサーデーモンは、魔の王に匹敵する力を得る……。まぁ、器がしょっぱいから、長くはもたないだろうけどね」
王片を取り込むことができるのは、適格者、つまり直系眷属でなければならないらしい。烏丸は、少しだけ落胆した。
だが、それでもこの王片があれば、レッサーデーモンを従えることは可能になるわけだ。悩ましいところではある。この警備が厳重なところに、いかにして忍び込むか。
はたと、そこで烏丸は思いつく。
ウォンバットがシンクに、恭介たちの居場所を教えているということは、近いうちにそこの襲撃が計画されているということだ。魔の王片を持ち出すのかどうかは定かではないが、持ち出すならば、なんとか掠め取りたい。持ち出さないのであれば、警備が手薄になったところを奪取する。
自分の飛行速度ならば、なんとか逃げ切れる。逃げ切れるはずだ。
これはチャンスなのだ。自分が自信を取り戻すための。
烏丸は、震える腕で拳を握り、ゆっくりと目を閉じた。
御前様とグレンの間で開かれた交渉は、それからしばらくもしない内に、幕を閉じた。
交渉が終わったあと、御前様は烏丸を連れてダンジョンを出る。他のキツネ達も同様だ。時刻は、既に夕方となっていた。
御前様は、グレンから尋ねられた件について、特に追及することもなく、烏丸に対してこう訪ねた。
「お前は、これからどうする気だ?」
周囲のキツネ達も、一斉に烏丸を見る。
「儂らはこれから妖怪の山に帰る。お前がどこのものかは知らぬが、鴉天狗であれば、上人のもとで暮らすこともできような。上人は少しばかり傲慢な男だが、気立ても良い。剣の扱いや神通力を学び、ゆくゆくはセーリアの民として邪神教団との戦いに身を投じることになるが、そう悪い話でもなかろう」
なぜ、見ず知らずの鴉天狗にそうまでしてくれるのか、烏丸にはよくわからない。
同情に似た視線だが、憐憫とは異なる。どちらかといえば、郷愁が近い。どこか似た境遇を持つものに、親しくしようとする気持ち。御前様には、そんなものがあるように思えた。
だが、
「俺には……やることがあるので」
烏丸は、わずかにかぶりを振る。
「そうか、お前たちは帰る気でいるのか」
「………」
御前様の穏やかな言葉に、烏丸は返事ができない。
こちらの境遇を知ることに、驚きはなかった。同時に『ああ、やはりか』という気持ちがあった。
「儂らは200年ほど前、血族にそそのかされてこちらへと渡った。当時は界渡りの術も未完成でな。かなりのものを巻き込んだのだ。同じ境遇のものや、はぐれものを集めて、このセーリアに国を作った。儂らは日ノ本にもう未練もないが、帰るならばそれもよかろう。道中達者でな」
優しげな言葉ではあった。烏丸のうしろ髪をわずかに引くが、それでも決意は変えられない。
烏丸の意識は、魔の王片に大きく傾きつつあった。いや、既に完全に、傾いていた。
理屈で制御できる問題ではない。単純に、そうしなければ、自信を取り戻すことができないほどに、烏丸義経は追い詰められていたのである。傲慢不羈な自尊心。まさしく、魔縁である。
御前様たちと別れ、烏丸は、ダンジョンからやや離れた場所へと待機した。御前様とキツネ達は、これから妖怪の山に帰るのだという。名残惜しいものはあったが、案外別れは、あっさりとしたものだった。
しばらく待機をしていると、シンクとウォンバットが戻り、ダンジョンの中からはグレンが出てくる。
シンクとグレンはいくつか言葉をかわすと、視線を一瞬、こちらへと向ける。
「……!!」
烏丸は、慌てて岩陰に身を潜めた。まさか、こちらの動きは相手に筒抜けなのか? 岩陰から、再度、ダンジョンの方を確認しようとする。覗き込もうとすると嘴が飛び出てしまうので、なかなか思うようにいかない。
最終的に諦めて、嘴を突き出しながらダンジョンへと視線を向けると、ちょうどグレンとシンクの2人が、西の方角へ向けて移動を開始するところだった。ウォンバットの姿はない。
今から西へ向かうということは、まさかもう、恭介たちのところへ攻め込むつもりでいるのだろうか。
ナイトとビショップ。強力な個体ではあるが、恭介と凛は、既に一度ナイトへの勝利した経験がある。相手が抵抗しなかったという理由もあるが、苦もなく瞬殺であった。
烏丸が、わざわざ急を告げに戻らずとも、恭介たちならば、彼らを撃退することなど容易ではないだろうか。
「(そうだ。今の俺が戻ったって……)」
奥歯を噛む代わりに、嘴を強くこすり合わせる。
今のままでは、あそこに烏丸義経の居場所はない。もっと強くなるしかない。今の自分の地位の低さを、リカバリーできるほどの功績が欲しい。
ダンジョンの入口周囲に、レッサーデーモンの姿も見当たらなかった。突入をするなら今しかない。烏丸は翼を広げ、一気に身体を宙へと押し上げる。風を操り、航空力学上飛行に適さないそのシルエットを、高速飛行させる術はもう手馴れたものだった。
黒翼は宙を叩き、烏丸は一気に空を翔ける。ダンジョンの入口まではあっという間。ダンジョンの内部へ注意を配り、特に危険がなさそうなことを確認すると、中へと押し入った。
「キイ?」
「キキイッ!!」
中には数匹のインプがいたが、烏丸は葉団扇を取り出してひと扇ぎする。生み出された風の刃が、一瞬で小悪魔たちを引き裂いた。
この程度の力では、満足できない。もっと強く。もっと強くならなければいけないのだ。
更に、先ほど王片を見つけた部屋まで向かう途中、何匹かの屍鬼に発見されたが、いずれも素早く切り捨てた。部屋を見つけ、踏み込む。
「………!!」
そこで、烏丸は再び、“彼”の姿を見つけた。
「おまえ……!!」
「ちっ……」
舌打ちをしたのは、冒険者の仲間の1人、ウォンバットである。彼もまた、王片の入った箱を手にしているところだった。
「なにをしてるんだ。こんなところで……!」
「見りゃわかるだろ。おまえと同じだよ」
「他の仲間たちには黙ってきたのか!? どうしてあいつらに、俺の仲間の場所を教えた!」
「だから、おまえと同じだよ」
ウォンバットは、その声にわずかな苛立ちを含めていたが、抑揚自体は平坦なものだ。
おまえと同じ。ウォンバットはそれ以上の理由を口にしようとはしなかったが、烏丸が言葉に詰まっているのを見て小さく鼻を鳴らした。
「俺もおまえも、自分の立場を挽回したくて来たんだ。そうだろ?」
図星だ。言葉が出ない。
「俺は自分の独断でおまえ達を攻撃して、ウェイガンが捕虜にされたんだ。ちょっとは挽回するような……」
「そんなことして、あいつらに余計に迷惑がかかってるだけじゃないか! おまえから情報が漏れたってわかったら、冒険者達の立場も悪くなるんだぞ!」
それを言った直後、烏丸はまさに、その言葉が自分にもそっくりそのまま跳ね返ってくることを知った。
立場を挽回したいだの、見返してやりたいだの思ったところで、この独断先行が仲間に及ぼす被害の方が、はるかに大きい。これは、自尊心が暴走して引き起こした、自己満足のための行為に過ぎない。
そんなの、わかっているはずなのに。わかっていたはずなのに。
ウォンバットは箱を腕の中に抱いたまま、こちらを振り向いて怒鳴る。
「レスボンは腕と目を失ったんだぞ! おまえ達との戦いでだ! もう冒険者をやっていけるかもわからない。ここで、何かひとつでも、カネになるような成果を得なきゃいけないんだよ!」
「それが、その王片とかいう奴だっていうのか」
「帝国はこいつを集めてる。良いか、莫大な懸賞金がかかってるんだ。それだけで特製の魔導義手や義眼が作れるし、別の商売をやるにだって十分な元手になる。王片を持ち帰ったってなったら、レスボンの名だって上がる。だから……」
彼の瞳は真剣だった。ウォンバットを動かしているのは、一種の功名心であることには間違いない。彼は彼なりに、同じ冒険者パーティの身を案じていた。だからこそ約束を破ってまであずきを攫おうとしたし、血族に協力する振りをして、王片を盗み出そうとしている。
視野狭窄。
ただの視野狭窄だ。
何も状況が見えちゃいない。
そんなことをしても、レスボンの立場を悪くするだけだっていうのに。
だが烏丸には、大声でそれを叱責し、矯正させるだけの自信がなかった。烏丸のやっていることだって、ウォンバットの行為とまったく同じだったからだ。いや、利己的なことしか考えていなかった分、こちらのほうが立派とは言い難い。
「(くそっ)」
烏丸は心の中で悪態をついた。
ここでウォンバットと口論を重ね、彼から王片を奪い取るだけの気力は、烏丸にはもうない。であれば、ここを急いで脱出し、逃げるのが最優先ではないか。だがウォンバットを連れて逃げる場合、グレンやシンクには追いつけない。
「ねぇ、グレン。私の言った通りだったでしょう?」
そのとき、心臓を凍えさせるような言葉が、背後から聞こえてきた。
「本当だ。まさか、2人とも王片を狙っているとはね」
女の声に続いて、聞こえてくる男の声。
振り返ると、2人の血族が、それぞれ入口に背を預けるようにして立っていた。ビショップのグレンと、ナイトのシンク。先ほどこのダンジョンを出て、西に向かったはずの2人だった。まさか、戻ってくるとは。
最初からこの2人はそのつもりだったのだ。シンクは、協力を申し出てきたウォンバットの不審な態度に気づいていて、そしておそらく、烏丸にも気づいていた。ダンジョンを留守にすれば王片を盗みに侵入するだろうと、罠を張っていたのだ。
ウォンバットは箱を両手に持ったまま、震えてはいなかった。グレンとシンクを睨みつけ、そして少し、烏丸に目をやる。
シンクは真っ赤な槍をくるくると回しながら、部屋の中に入ってくる。
「フフフ……。言っても無駄でしょうから、返せとは言わないわ。その代わり、精一杯抵抗して欲しいの。いいかしら?」
「シンク、そちらの鴉天狗はターゲットの1匹だよ」
「ええ、だから気をつけるけど。でもまぁ、抵抗するなら仕方ないんじゃないかしら」
妖艶に釣り上がっていくシンクの口元。真っ赤な光彩が、どす黒い輝きに濁っていく。
「鴉天狗なんて、大した種族ではないわ。王片の適合もないし、ちょっと足が早いだけの、ハズレよ」
「確かに、将来的な成長性も薄いからね。躍起になって捕えるほどではないか」
その言葉は、烏丸の心を深く抉り取る。だが、抉られた彼の心は、自分でも驚く程に、落ち着き払っていた。
所詮、そんなものらしい。自分という元・人間は。
鴉天狗に生まれ変わり、はしゃいで、慢心して、だがそこで打ち止めだ。飛行速度が、他人よりちょっと速いだけ。そんな大した、だいそれた存在ではない。恭介たちのように、強く、立派な男にはなれないのだ。
「抵抗しなかったら、捕まえてくれるのか?」
「……。まぁ、一応はね」
やや不本意そうに表情を歪ませ、シンクは答えた。
「小金井や……蜘蛛崎たちが捕まっているところに……?」
「ええ、運んであげるわ。2、3日かかるし。快適な船旅ではないけれど」
やはり、彼らが運ばれたのは、この大陸ではないどこか。血族の本拠だ。烏丸は確信を得る。
くわえて、新大陸から旧大陸まで2、3日で到着するだけの航海技術もある。
情報は掴んだ。掴んだ以上は、捕まれない。
「うおおおおおりゃあっ!!」
考える烏丸の横を擦りぬけるようにして、ウォンバットが駆けた。片手には、小さなナイフを握っている。同時に、床には彼が先程まで持っていた王片の箱が転がった。
「そう来なくっちゃ!!」
シンクは満面の笑みを浮かべると、槍を構えてまっすぐに突き込む。走りながら、ウォンバットは回避運動を取ろうとするが、シンクの槍はそれを逃がさない。突きの挙動は直線ではなかった。
まるで変幻自在の弾道を描くように、突きの軌道が変化する。鋭利な穂先は、避けた先にあるウォンバットの腕を的確に捉えた。
鮮血が散る。肉がちぎれ、骨が吹き飛ぶのを、烏丸は認識した。
腕を一本吹き飛ばされながら、ウォンバットは烏丸に視線を送る。
その視線が、どのような意味を持つのか、吟味するだけの余裕はなかった。
シンクは、あと30秒もしないうちに、ウォンバットを殺す。そうなれば次は烏丸の番だ。無抵抗であれば捕まり、抵抗すれば殺される。烏丸は、ウォンバットが床に放った、王片の箱を拾い上げた。
恐怖に、足のすくむ感覚があった。それでも、無理矢理に身体を突き動かさねばならなかった。
「(俺は、馬鹿か!!)」
箱を小脇に抱え、烏丸はシンクとグレンの待つ通路の方へと、飛ぶ。
「ふっ……」
グレンは口元に小さな笑みを浮かべると、右腕に黒い稲妻を発生させる。あれはモンスターの動きを束縛する、魔法のようなものだ。喰らうわけにはいかないが、現状、脱出するにはあそこに飛び込むしかない。
烏丸が覚悟を決めたとき、真横から一本のナイフが飛んできた。
ナイフはグレンの腕に突き刺さり、一瞬、生じた稲妻がはじけ飛ぶ。
「くっ……」
「グレン!!」
烏丸は、グレンがひるんだ一瞬の隙に、廊下へと抜けた。
廊下には、インプやレッサーデーモン、それに屍鬼などがひしめいている。グレンはすぐに立ち直り、烏丸を追って廊下へ出た。グレンは右腕に生んだ黒い稲妻を圧縮し、弾丸のようにして撃ち出す。
「がっ……!」
弾丸は、烏丸の翼を大きくえぐった。飛行のバランスが取れなくなり、壁と床をバウンドする。
その後ろを、グレンはゆっくりと追いかけてきた。
烏丸は、腕に抱えた王片の箱を開いた。中には、相変わらず怪しげな光を保つ、不気味な結晶体が保管されている。その光が通路を照らした瞬間、インプやレッサーデーモン達は、その動きを止めた。
「あいつを襲え!!」
光に照らされたインプやデーモン達は、その瞬間、自我を失ったように棒立ちになり、烏丸の言葉に呼応するかのように、グレンへと向き直る。烏丸は、穴の空いたみずからの羽を庇うように立ち上がると、ダンジョンの出口を目指す。
いくら翼に力を込めようとしても、飛び上がることはできない。唯一にして最大の特徴を、烏丸は封じられた。
「こんなっ……ところでっ……!!」
烏丸が、なんとかダンジョンの出口までたどり着いた時、既に周囲は薄暗くなっていた。月明かりが、砂漠を青く照らしている。
通路内が多くの爆裂音が響く。驚いて振り返ると、ダンジョンの狭い通路には、焦げ臭い煙が充満している。砂の上を2歩、3歩と後ずさる烏丸の前に、黒ずんだ“何か”が投げ捨てられた。
真っ黒に炭化した、レッサーデーモンの亡骸だ。煙の中から、にこやかな笑みを浮かべたグレンが、右腕に黒い稲妻をまとわせながら歩いてくる。臆している余裕はない。烏丸は背を向け、一心不乱に走り出した。2発目の黒い弾丸が、今度は烏丸の背をえぐる。激痛に身をよじりながら、それでも前に進もうとした。
「(俺は、馬鹿か)」
今まで傲慢に振る舞い、自らを省みようとしなかった結果が、これとは。
自分は、この時、今までの人生で一番の努力をしている。必死にもがき、苦しみ、それでも前に進まざるを得ない。こんなものを、いったいなぜみんな、ありがたがって、尊ぶのか。
死の足音が、背後へとゆっくり近づいてきている。
人生で最初の『努力』は、どうやら、報われないまま終わりそうだ。
「嫌だ!!」
烏丸義経が叫ぶ。直後、空から勢いよく降ってきた“何か”が、グレンに向けて勢いよく叩きつけられた。
「っ……!?」
衝撃は、烏丸の身体を後ろから突き飛ばす。彼は、王片を落とさないよう必死に抱き抱えながら、そのまま砂の上を転がった。時界砂漠の砂粒が、羽毛の中に入り込んで痛い。それでもなんとか片手をつき、立ち上がり、振り返る。
そこには、煌々と燃える炎が、人の形を象るように立っていた。
宵闇を照らし出す姿は、まるで炎熱魔人のようである。
「ひ、火野……か……?」
烏丸は、その姿に心当たりがあった。しかし、クラスメイトの火野瑛が、この新大陸に転移したという情報はないし、仮にそうであったとしても、このような人の姿をとっているとは考えづらい。
炎熱魔人は、ちらりと烏丸に視線を向けると、腕を伸ばし、西の方角を差した。
言葉は発さずとも、逃げろ、と言っているのが、理解できた。
「君は……!!」
立ち上がったグレンが、怒りを声ににじませる。
「どういうつもりだ! こんなことをして……! 立派な離反行為だぞ!」
グレンが何を言っているのか、烏丸にはわからない。だが、これはチャンスだ。
この炎熱魔人がどういうつもりなのかは知らないが、こちらに友好的であるのは確かなのだ。彼が時間を稼いでいるうちに、逃げるしかない。烏丸は王片を抱えたまま、砂漠を一目散に走り出した。
烏丸義経が砂漠を走っていったあと、グレンは目の前にいる男を強く睨みつけた。
「どういうつもりだ。今更、のこのこと出てきて! 王片を持ったモンスターを逃がすだって!?」
男は答えようとしない。それでも、グレンは怒りを露にしながら、さらに続ける。
「僕たちの行動はすべて王に監視されている。気づかれないとでも……。ああ、くそっ。そうか……!」
夜空を見上げ、悪態をつくグレン。
「だがもう、こんな勝手な真似はできないぞ。わかってるんだろうな。この件は、帰ったら王に報告させてもらう」
「それは、」
男は、そこで初めて口を開いた。
「生きて帰れたらの、話だね」
グレンが、男を再度、強く睨みつける。彼が呟いた言葉の真意を、探ろうと言うのだ。
「グレンの言うとおり、大人しくするよ。これ以上暴れると、王にバレそうだし」
「いきがるなよ、新参者め。帰ったらこの件は真っ先に報告して―――おまえはそこまでだ!」
グレンは、男の胸ぐらを掴み上げてから、ダンジョンの方へと戻っていく。改めて、シンクと出陣をするつもりでいるのだ。
男は、夜空を見上げた。ある程度の好条件が整ったからこそ、王を騙してここまで来たが、かなりの博打を踏んだかもしれない。今は、何より信用が大事な時期だ。烏丸を助けることはできたが、さすがにこれ以上の加勢は無理がある。
ただ、
ただ、スオウを馬鹿にするような言動をとったグレンに一発たたき込めたのは、ほんのちょっとだけ、スッとした。




