表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
83/115

第76話 魔縁

待たせたな!

 どうしてそれが自分ではないのか、と思うことがある。


 烏丸義経は京都市左京区の生まれだ。父は市内に呉服屋を持つ烏丸家の三男坊で、烏丸自身も幼少期からあまり不自由のしない生活を送ってきた。小学6年のときには京都から今の住所に引っ越したが、両親が放任主義だったこともあり、やはり自由な少年時代を過ごした。

 やりたいことはたくさんあった少年時代だ。だが、常に満たされていたとは、なかなか言い難い。


 どうしてそれが自分ではないのか、と思うことがある。


 例えば、有名人に出会ってサインをもらったとか、絵画コンクール入賞したとか、そんな誰もが大騒ぎするような話から、ガシャポンで自分の後に回した子が目当ての品を引いたというような、些細な話まで。数を上げれば切りはないが、何かを不満に思うことは、烏丸としても頻繁にあった。


 京都在住の頃はずっと続けていた剣道は、引越し先でやたらめったら強い生徒がいたので、やめてしまった。

 中学に入ってから始めたのは新聞部だ。それも、好きだった先輩が高校で彼氏を作ったと聞いて、やめてしまった。


 高校に入ってからは、多少はマシになったと思う。

 1年の時には、同じ中学だったという理由で御座敷童助と仲良くなった。彼は大人しい少年だったが、地元の高級旅館の一人息子である。彼と友人関係を築き、それなりに良い目を見る機会が増えたことで、烏丸は自身の不満を押さえ込むことができていたのかもしれない。ただ、彼と同じサッカー部には絶対に入ろうとしなかった。御座敷がサッカー部のエースだったからだ。


 京都時代は、『おまえは牛若丸か』と言われるほど、身のこなしの軽かった烏丸である。なんとなく入った体操部で、烏丸はすぐにコツを掴み、それなりに活躍できるようになった。神代高校の体操部は弱小だった。


 結局、功名心を隠すのが上手になったのと、不満が表面化しない程度に自尊心を満足させられる環境にいられたというのが、烏丸としては大きい。


 3ヶ月前、2年4組の生徒がこの世界に転移した時も、烏丸は言うほど不満があったわけではない。

 まず、鴉天狗になったことで空が飛べるようになった。風を操れるようになった。これらの能力はダンジョンでも有効に活用ができるので、烏丸はやはり、それなりに活躍した。自分より戦闘能力の高い生徒は大勢いたが、それでもまだ、自分の能力に満足できていた。

 空を飛べる生徒はそれなりにいて、風を操れる生徒も、割といる。それらを高水準で両立しているのは、烏天狗の烏丸と、ハーピィの春井由佳だけだ。で、烏丸はそのどちらも、春井より上手にこなすことができていた。


 だが、次第に、状況は変化していく。


 サンダーバードの神成鳥々羽が、ダンジョンを出たことでその巨体を十分に活かせるようになり、烏丸が密かに保持していたクラス内最速飛行の座は、譲り渡さねばならなくなった。

 ハヌマーンの猿渡風太が、徐々に自身の能力の使い方を把握できるようになり、クラス内最強の風使いの座も、譲り渡さねばならなくなった。


 それだけでは、ない。


 どうして、それが、自分でないのかと思うことがある。


『義経、そういう心を〝魔縁〟という』


 子供の頃、近所の山に住む男に、そう諭された。


 どんな意味だったか、覚えていない。あまりに説教臭い内容なので、忘れてしまったのだ。

 この1年ちょっとで築き上げた心の余裕を、貯金を切り崩すように少しずつ消費して、烏丸は常に体裁を取り繕ってきたつもりだ。だが、ここ数日は、そういうわけにもいかなくなってきた。


 自分より、優れた者がいるだけならば、なんとか我慢することができた。


 だが、自分が全体の中でも下層に位置づけられるようなことが起きてしまったとき、烏丸の功名心は、自尊心に対して牙を剥くのである。





 あれから既に数日が経過している。恭介たちのサバイバル生活は続いていた。


 雪ノ下と御座敷のフェイズ2能力は、これが案外役に立っている。雪ノ下の《分子運動反転》は一気にお湯を沸かせるようになったし、御座敷の《運気招来》によって、食材の確保には苦労しなくなった。

 新たに加わった白馬のおかげである程度怪我を気にせず行動できるようになったし、特殊能力を持たない犬神は生粋のハンターであるから、他の面子ではなかなか探し出せないような獲物を見つけることができた。


 また、雪ノ下達のフェイズ2覚醒に引き続く形で、他の面子にもちらほらと、覚醒の兆しが見え始めた。


 新たな力を真っ先に手にしたのは、壁野千早である。先日の冒険者との戦闘で、御座敷が身を呈して彼女を庇ったことを切っ掛けにして、両者の距離は急接近した。心に壁を作りがちな彼女の言動は少し和らぎ、それと同時に、御座敷を守ろうとする気持ちがフェイズ2への覚醒を促したのだ。

 壁野のフェイズ2能力は《防壁展開》である。簡単に言えばバリア展開能力だ。エネルギーフィールドのような非実体バリアも貼れるし、時間経過によって消滅するものの、石造りの壁などを生み出すこともできる。これが結構便利で、雨風を凌いだり、安全を確保したりするのに役立った。


 次に覚醒したのは御手洗あずきだ。彼女の覚醒は案外あっさりしたもので、犬神が毒キノコを食べて死にかけた際、白馬を呼ぶ前にあずきが犬神の胃から毒素をさっぱり消し去ったというのが、そもそも切っ掛けだった。そんなわけで、あずきのフェイズ2能力は《毒素洗浄》である。

 白馬のキュア能力より優れているところは、それが有害と判断できるものであれば、食べる前から毒を洗い流すことができる点で、それからというもの、恭介たちの食卓には選択肢が大いに広がった。ただ、犬神はキノコがトラウマになって食べられなくなってしまった。


 現状、覚醒しているフェイズ2能力は以下の通りとなっている。


 空木恭介。スケルトン。《特性増幅》。

 姫水凛。スライム。《水分操作》。

 雪ノ下涼香。雪女。《分子運動反転》。

 御座敷童助。座敷童子。《運気招来》。

 壁野千早。ぬりかべ。《防壁展開》。

 御手洗あずき。あずき洗い。《毒素洗浄》。


 そもそも生まれつき人狼である犬神を除けば、フェイズ2能力に覚醒していないのは、白馬と烏丸のみとなる。


「……くそっ」


 その烏丸が、妙に苛立っていた。彼と一緒に周辺の探索に赴いていた白馬は、視線をちらりと彼に向けてから、尋ねる。


「ずいぶん不機嫌だな。どうかしたか?」

「……白馬は、平気なのか?」

「何が?」

「フェイズ2に覚醒してないの、俺たちだけなんだぞ」


 ああ、やっぱりその話か。白馬は合点がいった。


「俺はあんま気にしてないけどなぁ」

「俺は気にする。みんなどんどん役に立つ能力を身につけてるのに、なんで俺たちは……」


 結構、面倒臭いことを考える奴なのだろうか。白馬は思った。


 烏丸義経は、白馬とそう親しいグループにいたわけではない。

 白馬のグループは、鷲尾、触手原を中心とした、いわば腰巾着グループである。クラスカースト最上位である竜崎や、街の名士の息子である原尾などと仲良くして、そのおこぼれに預かろうという集まりだった。もっとも、このあたりに一番熱心だったのは鷲尾で、白馬や触手原は友人である彼に付き合っていた側面が強い。


 反対に、烏丸は特定のグループに属していた印象が、あまりない。近所に住んでいる御座敷とは仲が良かったが、それ以上のことは、よくわからないのだ。


「(まあ、こいつはウツロギ案件だな)」


 烏丸があまり思い詰めるようなら心配だが、こういう問題は恭介に任せた方がいいように感じる。つたないなりに班長の真似事をやっている恭介は、仲間たちの心の問題に敏感だった。

 あまり賢いやり方ができているような気もしないが、真摯に向き合おうとしているその姿勢自体は、白馬も認めている。なかなか、あんな風にはなれないものだ。あまり賢いやり方ができているような気もしないが。


「白馬はまだ良いよな。回復要員として役に立ってるし」

「あー、そうだな。あれも結構大変なんだけど。烏丸、おまえ、役に立ちたいの?」

「……そうだよ」


 答えるまでは、わずかに間があった。


 烏丸は鴉天狗だ。黒い羽毛に包まれ、山伏のような格好をしている。モンスターの姿が心の一部を反映したものだというのなら、烏丸が鴉天狗になった背景にはどんな事情があるのだろうか。白馬にはちょっとわからない。


「いやぁ、大したもんだと思うけどな烏丸も。今んとこ、うちの面子で飛べるのおまえだけだし」

「………」

「陸上部だっけ?」

「体操部だ。陸上は……2週間でやめた」

「中学では陸上やってたのか?」

「新聞部だよ」


 飽きっぽいのだろうか。


 白馬と烏丸は、周辺の探索がひと通り済んで、拠点へと戻り始める。烏丸は終始不機嫌であったが、不意にこんなことを口にする。


「白馬、誰かを羨ましいって思ったこと、あるか?」

「んん?」

「どうしてその役目が俺じゃないんだって思ったこととか……」

「あんまないぞ」

「……そうか」


 自分がどうしてこうなんだ、と思ったことは、ちょっぴりある。


 例えば四本足の動物に転生してしまったことだ。クラス内にも、手足のないモンスターや人間の形状を大きく逸脱したモンスターに転生してしまった生徒はいるが、四本足で両手が使えない生徒となると、実は白馬と鷲尾しかいなかった。念力のたぐいもなく、食事は犬のように貪るしかないので、周囲の蔑むような視線が非常に堪えた(という話を以前犬神にしたら、例えが悪かったのか思いっきり不機嫌な顔をされた)。

 そのような事情から、恭介たちに八つ当たりをしてしまったこともある。これに関しては、未だ気まずい気持ちがちょっとあるので、恭介には積極的に構ってやりたいところだ。


「悩んでることがあったら、ウツロギにでも相談しろよ」

「………」


 白馬がそう言うと、烏丸は顔をあげ、彼の方を見た。


「ウツロギに……」

「ん? なんか俺、変なこと言った?」

「……いや、別に」


 烏丸のつぶやきは、吐き捨てるかのようだった。少しばかり速度をあげ、先へ進んでいく烏丸の背中を見て、白馬は訝しげに首をかしげた。





「明日は冒険者たちとの交渉がある」


 恭介は、魔法使いウェイガンに昼食を差し出して、そう言った。


 今日の昼食は毒抜きキノコとウサギ肉のソテーだ。ここに流れ着いた当初に比べると、ずいぶん豪華になったものである。今日の調理担当である雪ノ下が、少し離れた場所であずきと共に食器を洗っていた。

 ちなみに調理用の鉄板は、壁野の能力で生み出したものだ。彼女の能力では凹凸のあるものは作り出せないから、煮込み料理のたぐいはなかなか作れない。あずきの生み出す桶は木製なので、火にはかけられないのだ。せいぜい蒸し料理ができるくらいであった。


 ウェイガンは、やはり壁野の能力で作られた、即席の部屋に閉じ込められている。彼は魔法使いなので、壁を用意した程度では反撃を食らう可能性があったが、意外と大人しいものだった。終始苦い顔をしていたので、犬神はともかく壁野やあずきを襲うこと自体は、本意ではなかったのかもしれない。

 が、それでも、約束を破り、こちらの仲間を命の危機に曝したのは事実である。恭介や白馬、雪ノ下は、凛たちと合流した直後、話を聞いてひっくり返るほど驚いたし、同時に憤りも覚えたのだ。ウェイガンを問い詰めると、彼からは静かにひとこと、小さな声で謝罪があった。


 ひとことだけで収まる腹の虫でもなかったが、かえってブン殴って気を済ませようというつもりにもなれなかった。それに、ウェイガンの仲間である冒険者たちとは、情報交換を済ませたばかりなのだ。どちらかといえば、話は穏便に進めたかった。


 と、いうわけで、冒険者たちとの交渉を、改めて明日に控えているわけなのだ。


「……そうか」

「まぁ、あんたをあっちに返すのは既定路線だよ。置いといても仕方ないし、かといって殺したいわけでもない」


 恭介はそう言って、背後に強い視線を感じた。振り返ると、丘陵の原っぱに臥せった銀狼が、鼻を鳴らすかのように空を見上げているところだった。犬神響は、大きくあくびをすると、前足を枕にするようにして、目を閉じた。


「……まぁ、あいつは、割とまだ怒ってるみたいだけど」

「当然だ。俺は人間の姿に戻った彼女をそうとう痛めつけた」


 その言葉を聞いて、恭介は顔をしかめる―――ほどの表情筋はなかったので、あからさまに不機嫌な声を出した。


「あんた、そういうのやめろよ。別に犬神の受けた痛みがどうても良いってわけじゃないけど、聞いても不愉快になるだけだよ」


 それに、どれだけ不愉快になっても、目の前の魔法使いは無傷で返すとみんなで決めたのだ。


「……自分のしでかしたことを忘れるつもりはない」

「それは、口に出して自分を責めることで、良心の呵責から逃れようとしているだけだ」

「………」


 恭介の言葉を受けて、魔法使いウェイガンは恥じるように顔を伏せた。そのまま、小さなプレートに載った料理を、手づかみで食べ始める。


「……鋭いことを言うな」

「親友の受け売りだ」

「おまえはもっと、人当たりの良いことしか言わないやつだと思っていた」


 俺の何を知ってるんだよ、と言おうと思ったが、実際、このウェイガンは数日の間、恭介たちの生活を目の前で見ている。壁に閉じ込められたまま、やることもないから、自然と人間観察に興味が移ったのだろう。

 事実、恭介は仲間内では、人当たりの良いことしか言わなかった。嫌われたくない、と思っているわけではないのだが、その言葉を言われるのが自分であったらと考えると、どうしても発言にセーブがかかってしまうのだ。だが、いま目の前にいるウェイガンは、そうした意味で最も遠慮のいらない相手ではある。


「あんたの仲間について聞かせてくれよ。レスボンとフィルハーナが多分交渉の矢面に立つと思うんだけど、どんな奴らなんだ?」


 尋ねると、ウェイガンは少し顔を上げ、口の中のキノコを咀嚼してから、答えた。


「……レスボンは、もともと南王国の出身だ。放蕩息子で、家出するような形で冒険者になったと聞いている。状況判断能力は高いが、咄嗟のことで油断をしがちだ。バルク家はもともと武門に秀でた家系なので、大体の武器の扱いには精通している」


 その彼から、自分は腕を一本奪ってしまったわけだが。

 と、言いかけて恭介は黙った。これも、口に出すことで良心の呵責から逃れようとするだけの言葉だからだ。


「確か、30年ほど前にバルク家から1人、皇下時計盤同盟ダイアルナイツに加入していたはずだが……。このあたりはフィルハーナの方が詳しい」

「そのフィルハーナは?」

「帝国の出身だ。聖都フィアンデルグだと聞いている。冒険者としては新人だが、すぐにゴールドランカーになった。通信魔法を使う。そのためかどうかは知らんが、帝国の内情に詳しい」


 性格的にはあまり冒険者向きの決断ができないタイプだ、とウェイガンは続けた。確かに、彼女だけはこちらに交戦の意思を向けたことが一度もない。単純に、戦闘能力がないからなのかもしれないが、それにしても穏健だ。

 そのフィルハーナが前に出てくれる以上、交渉はある程度やりやすくなるのかもしれない。


 が、


「……あと1人、いや、あと2人いたな」

「ウォンバットとレインだ」


 交渉の席において、一番注意するべきは、そのシーフのウォンバットである。彼の独断が、恭介たちの仲間を危機に陥れたのだ。結果として、ウェイガンは捕まっているし、レスボンたちも不利な交渉を強いられることになるので、かなり居心地は悪そうだが。


「ウォンバットは帝国の貧民街の出身だ。知ってのとおり、功利心が強い。モンスターの生態にも詳しくて、仲間内では悪いやつではなかった」

「だから許せって?」

「そういうわけではない」


 わざわざ追いかけてまでぶっ殺してやりたいとは思わないが、犬神は恨み骨髄であろうし、あちらからちょっかいを出してくるなら、やはり今度は殺害も視野に入れなければならないだろう。


「レインは、レスボンと同じ南王国から来た。出身はゼルガ剣闘公国だが、レスボンの護衛としてバルク家に引き取られたらしい。なので、あの2人が一番付き合いが長い」

「レッサーデーモンに奇襲受けてたけど、大丈夫か?」

「全身火傷で、痕はいくらか残りそうだが、命は助かっている。1人で留守番できる程度には回復している」


 レスボン、フィルハーナ、ウォンバット、レイン。以上が、向こうに残っている冒険者だ。聞き出せる情報は、こんなところだろうか。これが交渉の際にどれほど優位に働くようになるのかはわからないが、押さえておくだけの価値はありそうである。

 ぼそぼそと喋りながら情報提供を続けてくれたウェイガンだが、しばらくする頃には、プレートの上は綺麗さっぱり片付いていた。


「美味かった。感謝する」

「ああ」


 突き返されたプレートを、恭介は短い返事と共に受け取る。


「ウツロギ」


 立ち上がって、プレートを洗いに行こうとする恭介に、ウェイガンは後ろから声をかけた。


「見たところ、功利を焦るタイプはお前たちの中にもいる」

「ん?」

「あのカラステングには気をつけたほうがいい」


 唐突な発言に、恭介は首を傾げる。彼の言わんとしていることが、よく理解できなかったのだ。


「おまえ達は仲がよく、ひとつの目的のために団結し、チームワークもある。だが、そんな関係になったのはつい最近だ。そうだな」

「あ、ああ」

「なら気をつけたほうがいい。良かれと思ってやっていることが、人知れず何かを削っていることもある」


 切れ味の鋭い、カミソリのような横顔をした魔法使いは、それだけ言うとあずきの持ってきた木桶で手を洗い始めた。

 恭介がウェイガンの言葉を反芻していると、あずきがこちらを見上げてくる。


「ウツロギくん?」

「あ、ああ。なんだ、御手洗」

「そのプレートも、洗っちゃおうか?」

「ああいや、いいよ。これくらい俺が洗っとくさ」


 少し離れた場所にある、ひときわ大きな桶には、たっぷりと水が張られている。恭介はその水を小さな桶ですくいながら、プレートの汚れを洗い落とし始めた。


「気をつけるって、烏丸にか……? あいつ、そんなに危ないやつだったっけ?」


 見たところ、気のいいお調子者にしか見えないが。


 そう思って、汚れを洗い流している恭介だが、ふと手を止めてしまった。


「……そういえば、小金井も、そうだった」


 恭介は、ずっと高1の時からずっと、小金井芳樹と学生生活を共にしてきた。彼のことを理解していた、つもりではなかったが、それでも恭介は彼の友達でいたつもりだったのだ。

 その友達が、心の中にどんな闇を抱えていたのか、恭介は知らなかった。

 同じようなことを、今度は烏丸が引き起こすとすれば、いったいどうすればいいのだろう。


 洗い終わったプレートを、乾かすために立てかけておく。


 白馬と烏丸は周辺の偵察中、凛、壁野、御座敷は食料探索中だ。この緩やかな丘陵には、恭介とウェイガンを除けば、あとはあずきと犬神しかいない。犬神は合流して以来、一度も人間の姿に戻る様子がなかった。あの姿はエネルギーを消耗しやすいと聞くが、今のところ彼女は服を失くしてしまっているので、そうほいほい人間に戻られても困る。

 潔癖症のはずのあずきは、動物に触るのは意外と平気なようで、草原に寝転んだ犬神の脇腹を何が嬉しいのか満面の笑みで撫でていた。佐久間祥子もたまにこんなことをやっていた気がする。獣化状態の犬神は、割と女子に人気があるのだ。


 平和なものだった。現在の生活は比較的安定しているのだ。


 だが、そろそろそれが破られることは、覚悟しておかなければならないようだった。





「結局、冒険者たちというのも大して役に立たないのね」


 気だるげに窓の外を眺めながら、シンクが呟いた。


 結局、逃げたユニコーンと人狼に関しては、未だに捕獲がなされていない。それどころか、人狼はこの大陸に転移していた他の変性モンスター達と合流して、冒険者の片方が捕らえられるという無様な結果になったらしい。元から期待をしていなかったと言えばそうだが、予想を下回る体たらくだ。

 それならばそれで、相手の拠点を割り出して攻め込んでしまえば良いと考えるのだが、冒険者の代表である隻腕隻眼の男は、その提案には強硬に反対した。捕らえられた仲間は自分たちでなんとかするので、それまでは手を出さないで欲しい、とのことである。


 正直なところ、それに従ってやる必要はない。


 が、グレンとシンクがこの新大陸に訪れた目的は、彼らを捕まえることだけではない。

 結果的に、グレン達は冒険者に一定時間の猶予を与えることになる。わざわざ自分たちで動くことをしなかったのも、余力を回しておきたかったからだ。ただ、こちらの用事も、じきにケリがつく。


「シンク、連中がようやく交渉に乗ってくれるらしいよ」

「ふぅん」


 グレンがそう告げると、シンクは窓の外を覗き込んだまま微笑んだ。


「話し合うだけなのに、随分と渋ったわね。この分では、交渉自体もあまり期待できないかしら」

「別に、今さら連中に動いてもらうことなんて期待していないさ。ただ、大人しくしていると約束してくれればそれで良い」


 しょせん彼らは、200年前の人間達に敗れて辺境での生活を余儀なくされた負け犬に過ぎない。

 ただ、地理的な話をすると、現在血族の本拠がある土地は東の海岸線に面している。連中ときっちり不戦の締約を取り決めておかなければ、背後から襲撃を受ける可能性があった。それだけのメリットが連中にあるかというと疑わしいが、血族は連中から大いに恨みを買っている。


「交渉の場には誰が来るのかしらね」

「さぁね。連中は長生きだからな。年寄りが来るのは間違いないけど」


 鬼か、狐か、はたまた天狗か。


「連中も下手なことは言えないはずだよ。そのために、無理を言って〝王片〟を持ち出したんじゃないか」


 グレンは言った。


 現在、血族が保管している王片はふたつ。そのうちの片方を、彼らはこの新大陸に持ち込んでいた。これのおかげで、戦力の補充は容易だ。あいにく、保管している王片は、どちらも血族の身体には適合しないので、戦闘能力のアップに直結するわけではないのだが。

 それでも、この新大陸で交渉を進める上においては、大きなアドバンテージとなる。


 グレンの言葉に頷いてから、しかしシンクはまるで天気を占うような声で、退屈そうに呟いた。


「明日にはこの件も落ち着くかしら」

「そうだね。肩の荷もひとつ降りる頃だよ。そうしたら、狩りに出よう」

「良いわね。暴れられなくて、退屈していたのよ」


 シンクは、幼い顔立ちに似合わぬ妖艶な笑みを浮かべると、部屋の隅に立てかけられた槍を手に取った。わずかな光を刃が写し、金属的な光沢が闇を照らす。

 彼女は、難しいことを考えるような性質ではない。ナイトの称号を与えられるずっと以前から、シンクは槍を振り回して暴れまわるのが似合っていた。その姿を美しいと思うからこそ、グレンも彼女のやりたいようにさせてあげたいと思う。


「もう少しの辛抱だよ、シンク」

「ええ、わかっているわ。グレン」


 それでも、シンクの心はどうやら既に、戦いの中にあるらしい。

 彼女は待ちきれなくなったかのように、うっとりとした笑みを浮かべると、指の先そうっと槍の穂を撫でるのだった。

用事がひとつ片付いたので、次の話は今回ほどはお待たせしないと思います!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ