第73話 壁と影
遅れてごめんよー。
「おいウツロギ、気づいてるか?」
砂浜を歩いているとき、不意に白馬がそんなことを言った。
「なんだって?」
「なんだ、マジで気づいてないのか?」
海岸沿いを進んでいるのは3人だ。白馬と恭介が並んで歩き、そこから少し進んだ場所を、雪ノ下がずんずん歩いている。他に、気にするべきところは見当たらない。
雪ノ下は必殺のフェイズ2能力、《分子運動反転》に覚醒し、自称マイナス1兆2000万度の冷凍光線を、自称1兆2000万度の火の玉に変えて打ち出したばかりだ。疲労はそうとう濃いはずなのだが、足取りはしっかりして疲れた様子がない。ただ、能力使用の余波で身体が溶けたのか、ちょっぴり背が縮んだように見える。
「雪ノ下のことじゃねーよ」
と、言われても。恭介はいちど立ち止まって、周囲をぐるりと見回した。
周囲には荒れ果てた大地が広がるばかりで、それ以外に特に何かめぼしいものは見当たらない。こちらが止まったことに気づいたのか、雪ノ下は少しばかり気だるそうにこちらを振り返った。
白馬は、恭介に耳打ちをする。
「こっちをじっと見ている奴がいる」
「どうしてわかるんだ?」
「片方が女だからだ」
「ああ、そう……」
とは言え、こんな荒野でこちらをじっと見てくるというのは、穏やかではない。
白馬の言う“女”には、きちんと姫水凛もカウントされるため、それが人間であるとは限らないのだが。恭介は、白馬がそれとなく示したほうに視線を向けた。
「ちなみに残念ながら処女じゃない」
「それで残念なのはおまえだけだよ」
雪ノ下も、やや早足でこちらに歩いてくる。
「何かあったの?」
「こっちを見てる奴がいるんだ。女がひとり、そうじゃない奴がひとり」
「なんで、もう片方は“そうじゃない奴”なのよ」
「白馬のカウントだからだよ……。雪ノ下、戦えるか?」
恭介が尋ねると、雪ノ下は『ふっ』と口元に攻撃的な笑みを浮かべた。
「体力も魔力も限界が近いわ。次にもういっぱつ1兆2000万度ぶっ放したら、死ぬわね」
「の、割には随分と余裕そうだな」
「気合が違うもの」
やはり、悲観主義と熱血主義が融合してよくわからない性格になっている。
ひとまず、恭介は雪ノ下を庇うように立ち、剣を構えた。敵意を持つ者であった場合、こちらのねぐらまで見つかるのは非常にまずい。最悪、雪ノ下にはハッタリをしかけてもらうか、あるいは恭介の《特性増幅》の力で、冷凍光線をぶっぱなす。
火力という点では一気にクラス内のトップに躍り出た雪ノ下だが、その欠点は燃費か。今後も使いどころは吟味していく必要がありそうだ。
「出て来い。そこにいるのはわかっている」
「片方が非処女だってことも……グワーッ!」
白馬は雪ノ下の冷凍パンチを食らっていた。
反応があるまでには、しばらく時間がかかった。が、岩陰のひとつから、ひょっこりと姿を見せる人影があった。彼女の顔を確認した瞬間、恭介は身体を硬くする。あの冒険者のひとり、聖職者らしき恰好をした女であったのだ。
そのあとから、冒険者のリーダーである剣士が、何かに絶望したかのような顔で出てきた。彼の右腕は確認できない。恭介が、文字通り叩き折ったからだ。
「あんた達か」
恭介は緊張を滲ませた声でわずかに言った。
「知り合い?」
「黙ってて」
白馬が暢気な声で雪ノ下に尋ねるが、ぴしゃりと黙らせられる。
「何の用だ。俺たちに手を出すなら、次は容赦しないと言ったぞ」
「あ、はい。えーと……レスボン?」
女のほうが男を見上げるが、男は何かショックなことがあったばかりのようで、茫然自失としたまま何も喋ろうとしない。女は小さく肩をすくめると、片手に持った杖を放り投げて片手をあげた。もう片方の手で、ごそごそと懐を漁る。
「こちらに交戦の意思はありません。私は冒険者協会のゴールドランク冒険者、フィルハーナ・グランバーナ。隣にいるのが、同じくゴールドランカーのレスボン・バルクです」
女が取り出したのは、どうやら冒険者登録証のようだった。魔法技術の粋を集めて作られた身分証明書だ。
「悪いがまだ信じる気にはなれない」
恭介は、ちらりと白馬や雪ノ下を見ながら、構えを解かない。
「信じられない、というのは、交戦の意思のほうですか?」
「身分証明のほうは、俺たちにとっては何の意味もないからな。偽名でも本名でも構わない」
切っ先をフィルハーナに向けたまま、恭介は『ウツロギだ』と名乗った。
「わかりました。私達も仲良くなるのが目的ではありませんから、あまり気分はよくありませんが、この恰好のまま話をさせてもらいます。……レスボン?」
「ん、ああ……。悪い、フィルハーナ」
「レスボンがリーダーなんだから、仕切ってくださいよ」
フィルハーナの小さな叱責を受け、ようやく隻腕となった剣士のレスボンが機能し始める。
「ところでフィルハーナ、おまえ本当に……」
「はやく! そんな話はいいでしょ!」
どうやら込み入った人間関係があるらしい。白馬がこっそり『男のほうは童貞だぜ』と教えてくれた。何故そんなことがわかるのか。まさかそれがフェイズ2能力とか言い出すつもりではないだろうな。
「あー、んー。俺たちは、ちょっとおまえ達と情報交換がしたい」
「情報交換?」
「そうだ」
レスボンは、残った左腕を広げて、このように言った。
「紅い目をした2人の男女に、そこのユニコーンを捕まえろという依頼を提示された」
その言葉を受けて、真っ先に反応したのは白馬だ。言葉には発さなかったが、彼の雰囲気が変わったのを見て、恭介も察する。“赤き月の血族”だ。屍鬼や小悪魔の襲撃を受けた時点でおおよそ察しはついていたが、やはり連中はこの大陸にいるのだ。
「で、俺たちはあの2人をあまり信用していないし、おまえ達とことを荒立てたくない。だから情報交換をする」
「その結果、俺たちに剣を向けるような展開には?」
「まぁ、なるかもしれない。方針をはっきりさせるための情報交換だ」
恭介は再び、白馬と雪ノ下を確認した。2人は無言のまま頷いている。
確かに、情報が不足していたのは事実だ。彼らから聞きだせることがあるなら、聞いておきたい。血族のことも気になるし、この大陸から帰る手段というのも、気にはなる。
「わかった。応じよう」
恭介は、剣を一度、砂浜に突きたてて頷く。
「妙な動きをしたら、こっちの雪ノ下がぶっ放す。良いな」
「構わないさ。ただ、ウツロギって言ったか、おまえ」
「………」
冒険者の男は、手近な流木にどっかりと腰を下ろして、笑った。
「あまり策を弄したり、交渉したりするのが得意なタイプじゃなさそうだ」
「………」
恭介は答えない。
「まぁ良い。フェアに行こう、フェアに。こちらからそっちの知りたいことを話していく。1個につき1個だ。良いな?」
「ああ」
頷いてから、吟味する。おそらく、相手側が知りたいことが1つということは、まずあり得ない。となれば、こちら側からもいくつか質問できることになる。血族のことを尋ねたい気持ちのほうが、今は強かったが、それに関しては相手の質問を待ってからの方が良いかもしれない。
しばし悩んだ末、恭介はまず、溝を埋めるための質問から始めることにした。
「あんたたちが、俺たちの仲間……。御手洗を狙っていた理由について聞きたい」
冒険者なのでモンスターを狩るのは当然かもしれないが、彼らの姿勢には少し執拗なものを感じた。
レスボンは片腕で、少し気まずそうに頬を掻く。
「あー……。なるほど、それか」
「言えないことなのか?」
「そういうわけじゃない。あまり気分を悪くするなよ。単純にな、珍しいモンスターだからなんだよ」
こちらが何らかのリアクションを示す前に、レスボンが続ける。
「アズキアライだけじゃないな。そこにいるユキオンナや、カラステングなんかもそうだ。この新大陸でのみ姿が確認されている。アヤカシとか、修羅央沙とか呼ばれているんだが、知らないか」
恭介たちは、首を横に振った。初耳だったのだ。セレナからもらったデータやメモには、確かにこの世界にも日本妖怪に酷似した生物が生息していることを示していたが、それがどのようなもので、どこに住んでいるかまでは、示されていなかった。
「修羅央沙は、200年ほど前に旧大陸を東から襲撃した軍勢の名前です」
横から、ひょいとフィルハーナが付け加える。
「首魁は魔王サンモト。ただ魔王というのは自称で、王神の一柱である魔の王と区別するために修羅王と呼ばれます。破竹の勢いで進軍し、大陸東部を次々と制圧しましたが、当時覚醒した初代勇者の手によって盛り返され、霊王平原によって主戦力のひとつであったシュテンドーが撃破されると……」
「喋りすぎだ。フィルハーナ」
レスボンが、得意げになって情報を語る仲間を、ぴしゃりと嗜める。
「そんなわけだ。修羅央沙についてはデータが少ないから、捕獲すると高値がつく。新大陸に来る冒険者の1/3くらいはそれが目的だからな。こんなところだ」
「ありがとう」
「じゃあ、こっちの質問だ」
レスボンは、人差し指を立てて言った。恭介も頷く。
「あの紅い目の2人組が、そこのユニコーンを狙う理由について、心当たりがあったら教えてくれ」
恭介たちが冒険者と接触している頃、姫水凛は他のメンバーを引き連れ、緑に溢れた丘陵地帯の散策を行っていた。編隊の先頭はスライム。続けてあずき洗い、ぬりかべ、鴉天狗。練り歩く姿は、さながら百鬼夜行だ。よく見ると、ぬりかべと鴉天狗の間に、影の薄い座敷童子が歩いている。
「それじゃあ、ウツロギくんは雪ノ下さんとふたりっきりなの?」
事情を聞いた壁野千早が、眉をひそめるようにして尋ねた。
「姫水さん、心配じゃない?」
「いやあ、心配しても始まらないよね。恭介くんってそういう人だしさ」
先頭を歩くスライムは、努めて明るくそう答える。
「そう。大人なのね、姫水さんは」
「そうだよー。大人だともー」
ここにいるメンツには、すでに恭介が雪ノ下の内面的問題を解決するために、どうこう動いているといった情報を話してある。フィルター切れ、フェイズ2、どちらも生き残るためには解決しなければいけない課題だ。
なので、凛は、彼らにも何か悩みがあれば是非話して欲しいと言った。恭介のやろうとしていることを、影ながら支える。これくらいのことは、やっても良いだろう。
「それは良いけど、姫水。俺たち、どうやって海を渡れば良いんだ?」
「さぁー。なんとかなるんじゃない? まだ全部の可能性を吟味したわけじゃないしね」
他のクラスメイトと合流するには、どうしても海を渡らなければならない。現状、こちらにはそれだけの手段が、確保できていないのだ。烏丸の疑問はもっともなことと言える。
ただ、そこを凛は『なんとかなる』で流すことにした。今、ピースが足りないのは事実だが、難しい頭をして悩んだところで仕方がない。
今は、周辺の探索だ。食べられるもの、役に立ちそうなもの、仲間にできそうなものを探す。この周辺に、自分たち以外のクラスメイトが転移してきている可能性もあった。
木々の茂る林の中に踏み込んでみると、割と美味しそうな木の実がごろごろと見つかる。この辺で、一度解散をするか。
「そいじゃあ、みんな、このあたりを重点的に色々探してみよう。烏丸くんは、空からね」
「おう」
「みんな、遠くに行き過ぎないように。目印は……」
凛は、近くの木に適当に絡みつくと、全身を使ってメキメキとへし折った。
「目印はこれ!」
周囲から、おお、という感嘆の声が漏れる。真新しい切り株。そこに凛は、へし折った木の幹をさらに半分に割って突き刺した。あまり離れすぎないようにすれば、この程度の目印でもすぐに集まることができるだろう。
「じゃ、かいさーん!」
「「「おー」」」
のんびりした声が森の中に響く。一同は森の中にちらほらと散っていき、凛も少し移動して探索を開始した。
とは言っても、特に何か具体的なものを探しての探索ではない。注意力も散漫になって、欲しいものがすぐに見つかるわけでも、なかったりする。
凛として気になるのは、やっぱりアレだ。雪ノ下の件である。恭介はもうあの性格だから仕方ないとして、雪ノ下涼香が果たしてどう出るか。彼女もトリップの前後で容姿は違うわけだが、まぁとにかく美人だ。すらりとした高身長は紅井明日香にも匹敵するスタイルの良さである。
自分はスライムだというのに!!
佐久間が恭介に接近せんとした時にも思ったのだが、この姿は恋愛レースにおいてはとにかく不利だ! 早く人間になりたい。でも人間になったら恭介と合体できないし。
恭介が雪ノ下の心の氷を溶かしたとして、変にライバルが増える結果になったりしたら困る。実のところ、凛のそれはまったくの杞憂であったのだが、とにかく今の彼女は女子としての自信を悉く打ち砕かれた状態にあるのだから、無理からぬ話ではある。
「はー」
凛はため息をついた。
「恭介くんも煮え切らないからよう」
身体をにゅるっと伸ばして、枝から生えた木の実をぶちぶちともいでいく。
ここに来てふと思い出すのは、火野瑛のことだ。彼は今、どこにいるのだろう。甲板では比較的近くにいたはずなのだが、この大陸に転移しているのだろうか。それとも、もっと違うところ、遠くの場所に飛ばされてしまったのだろうか。彼が1人でやっていけるのか、かなり不安な部分はある。
気になるといえば、小金井芳樹のこともあった。彼が血族にさらわれて、すでに3ヶ月近く。竜崎や恭介は、周囲に気を遣って意図的にその名前を出さないようにしている節が見受けられた。敵の目的からして、すでに小金井も因子を入れられて血族化している可能性が捨てきれない。
1人、2人と思い浮かべると、次々にクラスメイトのことを考えるようになる。
紅井や佐久間たちは無事か。
仲の良かった剣崎はどこに行ったのか。
血族と明確な敵対関係にある犬神のことも心配だ。
竜崎は何をしているだろうか。
心、ここにあらずなまま、木の実をもいでいた凛だが、ふと、背後からガサガサという音が聞こえてくるのに気づいた。
「おや?」
と、思い振り返る。正確には、全周囲に視線を通せる凛は振り返る必要がないので、視線だけ反転させた形になる。すると、木々の茂みをかき分けるようにして、巨大な石造りの壁が、ぬうっと姿を現した。
動く壁、というのはとんでもない怪異だが、凛はその巨体に見覚えがあるので、さして驚きもしない。
「ちーちゃん、どうしたの?」
「姫水さん、今いい?」
「いいよー」
壁野千早は、クラスが誇るクール少女だ。男子にも匹敵する170センチ超の身長は、女子の中では神成鳥々羽に続いて2番目で、背の高さに比して非常にタイトなボディラインがなおさらに彼女のイケメンっぷりを際立たせていた。いかにもスポーツのできそうな外見ではあったが、壁野はサッカー部のマネージャーをやっていたはずである。
と、いうのは、もちろん人間時代の話だ。いまや身長は当時の2倍に匹敵し、やはり神成鳥々羽に次いで2番目だが、男子の中では最高身長である豪林元宗の300センチを超えてしまった。そして体型は、タイトというよりも、フラットになっている。
まぁ、ぬりかべだ。
ぬりかべという妖怪の伝承についてはさすがに割愛する。
「で、なんの用なの?」
「姫水さん、さっき、悩みがあるならなんでも相談してって、言ったじゃない?」
「あーうん、言ったねー」
フェイズ2能力を安定して使いこなすために、自分の内面的な問題と向き合う必要がある。
そのために、彼らには悩みや問題を気軽に話して欲しいといったのだ。
そこで、まっさきに壁野千早が相談にきた。
「(胸が大きくなる方法とか聞かれたらどうしよう。あたしも知りたい)」
と、いうよりは、この姿でそんなことを考えても不毛だな、と思った。
が、視界を覆わんばかりの巨体を誇る壁野千早が口にしたのは、まったく別の話題だった。
「御座敷くんのことなのよ」
「御座敷くんの」
御座敷童助。壁野がマネージャーを務めるサッカー部のエースストライカーだ。
輝かしい経歴を持つ癖に、とにかく極端に影が薄い。仲のいい友人同士で遊びに行って、なんとなく一人多いなと思ったら、紛れ込んでいたというようなことなどしょっちゅうらしい。やたらとツキのあるラッキーボーイであるということも知っている、が、逆に言えば、それ以上のことは知らない。
その人物や人となりについては、凛もまったく知らない。
そう言えば、壁野は比較的、御座敷と親しい。
「御座敷くんがどうしたの?」
「確か、今のモンスターの姿って、精神的なものを反映した姿なのよね?」
「らしいねー。あたしはフニャフニャしてるし、恭介くんは空っぽだけど芯が強いし、火野くんはアレで熱血だし、さっちゃんは……さっちゃんは、まぁうん」
その物言いから察するに、壁野は御座敷の抱えている問題に、何かしらの心当たりがあるのだろうか。
「御座敷くん、口下手であまり自己主張をしないのよ。それが、座敷童子になった原因なんじゃないかと思って……」
「座敷童子は別に、影が薄いキャラってわけじゃないと思うんだけどなぁ……」
と思いつつ、仲のいい壁野がそう言うのなら、そうなのだろう。
「それで、ちーちゃんは御座敷くんをどうすればいいと思うわけ?」
「えっ?」
凛がもいだ木の実を地面に並べながら尋ねると、壁野は虚を突かれたように視線をあげた。
おそらく視線を、上げたの、だろう。正直なところ、よくわからない。なにせ、目がついていないのだ。手も足もないので、ぬりかべというよりはモノリスといったほうがしっくりくる出で立ちでもある。
「わ、私はその……。わからないから、姫水さんに相談してるんじゃない!」
「でも御座敷くんに、もっとこうなるべきだとか、思ってることはあるでしょ?」
「それはその……そうだけど……」
ぽわぁ、と、大理石のような黒い壁面に、薄桃色のエフェクトが浮かび上がった。赤面しているのだ。
スライムとぬりかべの正面からの語らいは、余人が無音で見ればおおよそ正気を保てないような超哲学的空間であるが、本人たちからしてみれば真剣だ。
しばらくの沈黙の後、壁野は小さな声で言った。
「もっと、しっかり何かを言ってくれたりすると、助かるんだけど……」
「ははぁ。なるほど」
おおよそ、凛は察した。
「確かに、しっかりはっきり言ってくれないと、不安になるよねぇ……」
「えっ?」
「いやこっちの話」
首(ない)を傾げるような壁野の言葉を、あっさり流す。
「ま、あたしがなんとかしてみましょう。できるかわかんないけど。何か考えとく」
「本当!? 姫水さんありがとう、助かるわ!」
なんで御座敷くんの問題を解決するとちーちゃんが助かるの。なんて、意地悪を言おうと思ったが、やめた。
壁野は、先ほどに比べていくらか気持ちが軽くなったかのように、軽やかなスキップをしながら、再び森の中に帰っていった。あのぬりかべ少女が、実は普段からホバリングによって移動していることを、凛はその時はじめて知った。
「しかし、ちーちゃんが、御座敷くんをねぇ……」
わかるような、わからないような話だ。
ぬりかべと座敷童子。釣り合っているのだろうか。凛は首をかしげたくなったが、凛も壁野千早と同様に、首なんて高尚な機関を備えてはいなかった。早いとこ、脊椎動物に戻りたいのであった。
それから、1、2時間ほど。目印から離れすぎないように周囲を調べてまわったが、結局のところ、何かの手がかりになるようなものは見つからなかった。見つかるものと言えばせいぜいが木の実程度で、これも食べられるかどうか確証はない。ちょっぴり味見してみたところ、毒素のようなものは感じられなかったが、さりとて特別美味いわけでもなかった。
「―――ん」
凛が木の実をせっせと集めながら考えていたのは、御座敷童助のことだ。
「―――さん」
確かに御座敷は、サッカー部のエースストライカーとは思えないほど、引っ込み思案な少年だ。転生前は背も低く、壁野と並べると15センチ近い開きがあった。というか、女子の中でもやや小柄気味な凛と比べても、あんまり身長が変わらなかった記憶がある。
小柄な男子と、高身長な女子。なんかそんな少女漫画もあったな、と思い出す。あっちの方は、女子もだいぶグラマラスだったが。
「―――姫水さん」
しかし、2人の仲がいいとは思っていたが、
「姫水さん!」
「ぴゃあっ!」
後ろからいきなり声をかけられて、姫水凛はスライムにあるまじき跳躍力を発揮した。飛び跳ねたのである。
「おおおおお、御座敷くん!? なに!? いきなり声かけないでよびっくりするなぁ!」
「いや……ずいぶん前から、呼んでたんだけど……」
木の陰からひょっこりと顔を出した少年が、困ったような笑顔を浮かべる。
少女のような愛らしい顔つきと、おかっぱ頭。鞠を手にして微笑む彼が、座敷童子に転生した話題の人物、御座敷童助その本人であった。もともと低身長であった彼は、モンスター化に伴ってさらに小柄になっている。おそらく、小学生5、6年生くらいの体格でしかない。
「そ、そっか。ごめんごめん。で、なに?」
「姫水さん、さっき、悩みがあるならなんでも相談してって、言っただろ?」
「あーうん、言った言った」
それ、さっきちーちゃんも言いに来たよー、と、心の中で付け加える。
御座敷が直接、言い出してきてくれるというのは願ってもない展開だった。彼が自分の中の問題を認識しているということだし、それに向き合おうとしているという意味でもある。となれば、あとはちょいと背中を押して、壁野に向けて『本音』とやらを言わせてしまえば……。
「壁野さんのことなんだけどさ」
「(あ、あれぇ?)」
「壁野さん、なんだか、心の壁を作ってる感じがするんだよね。こっちの言葉を伝えにくいっていうか……。だから、ぬりかべになってしまったんだと思うんだけど」
相談って、御座敷くんのことじゃないんかい。凛は沈黙のうちにツッコミを入れておく。
「なんていうか、ちょっと鈍いんだ。壁野さん……。だから、こっちの言おうとしてることも伝わらなくて……」
「ま、まぁうん……。確かに、こっちの想いにはしっかり気づいて欲しいもんだよねぇ……」
先ほどの壁野との会話を思い出しながら、凛の言葉はだいぶ苦しい。
「御座敷くんは、ちーちゃんに何か伝えたいことでも、あんの……?」
「別に……そういうわけじゃないけど」
尋ねると、少し顔を赤くして視線を逸らす御座敷。わかりやすい連中である。
とにかく、おおよそ察した。仲が良くてたいそう羨ましい話ではある。壁野にも御座敷にも、どちらにも問題があるというわけだが。なぜわざわざ自分の想い人が寝取られる心配をしているときに、他人の恋路の世話焼きをせねばならんのか。
「まぁ、うん。まぁうん。良いよ。あたしがなんとかしよう……」
「うん……。ありがとう、姫水さん」
御座敷は、まるで少女の、というよりは童女のような笑顔でにこりと笑うと、いつの間にか、凛の目の前から姿を消していた。そう言えば、こちらの世界に転生してきてから、彼が喋るところをはじめて見た気がする。
「あーあ、まったくもう。告白くらい、自分でしろよなー」
愚痴を言いつつ木の実を拾い集める凛だが、当の自分も、恭介にきちんとした告白をしていないことには、一切気づいていない。
そして気づいていないと言えば、森の茂みの奥から、その凛の姿を睨みつける、爛々と光る眼があったことも、当然のように気づいていないのであった。
次の話は7月2日か3日くらいを予定しています。




